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第十三話 出発前夜




 社交界が始まるのは約1ヶ月後。

 普通ならそろそろ出かける支度をしようかなといった期間なのだけれど、この領地は僻地も僻地なのでそろそろ出発しなければならない。

 移動は馬車なのだけれど、途中に山地もあったり馬を休ませる時間もあったりでなかなか時間がかかるのだ。あとお尻も痛い。

 ここにも新幹線とか車とか先生の時代のすごい乗り物があればありがたいのだけれど。とはいえないものはしょうがない。

 そんな慌ただしいはずの出発前日、私はテオの部屋に篭っていた。


「姉様、今日は仕事しなくていいの?」

「いいのよ。あなたと一緒にいたいんだもの。」

 仕事はひとまず整理してきた。

 社交界が始まるということはすなわち王都に行くということ。つまりはテオと離れなくてはいけないということ。

「不安だわ…。」

「大丈夫だよ!フィオも残るしランドルフもいるし、留守番するのも初めてじゃないよ?」

 いえ、あなたではなく私が。

「テオと会えないなんて寂しくて泣いてしまいそう。」

「姉様…。でも、パーティーではお友達に会えるんでしょ?お祖父様とお祖母様にも。」

 そうね。

 テオと離れるのは寂しいけれど私にも貴族のお友達はいる。

 立場柄気を遣わなくてもいい、馬鹿話をしてもいいという友人ではないけれど、読んだ本の話をしたり刺繍を贈りあったりするのも楽しくて…刺繍?


「忘れてた!」

「姉様?」

 リリーシャと刺繍を贈り合う約束をしてたのに!何にもできてないわ…!私って本当に詰めが甘い!

 突然大声を出した私にテオが驚いて仰け反った。

「お友達に贈る刺繍を忘れてたのよ!ごめんなさいテオ、針仕事をしながらでもいいかしら?」

 慌てる私を見てテオが少し笑った。あ、姉の威厳が脅かされているわ…。

「僕は全然いいよ。姉様が刺繍するのも見ていたいし。何の柄にするの?」

「侍女に見本を持ってきてもらうわ。一緒に決めましょう。」

 テオの部屋には困ったときに誰かを呼ぶ用のベルがついている。ちょっと目的は違うけれどこれで侍女を呼ぶことにしましょう。

 私がベルを引いたのは初めてだけれどこれ結構けたたましいのね。


「リリーシャは百合が好きなの。でも前にも贈ったことがあるのよね…テオはどれがいいと思う?」

 刺繍は詳しくないんだ、と呟きながらテオは見本をめくった。

 この見本は刺繍を習ったときに全部縫ったことがある。きっとそう時間をかけずに縫えるはずだ。

「これ、ティナンシー?」

「そうよ。よく分かったわね。」

 ティナンシーというのはこの国で有名なお伽話に出てくる妖精のことだ。6枚の羽を持ち、スズランの花芯をくり抜いてスカート代わりに履いて、胡桃の殻を籠にして抱えているという。

「ティナンシーが出てくる絵本を姉様がよく読んでくれたでしょ?それを覚えてただけ。」

 そういえば両親が生きていたとき私はよくテオの部屋に来て絵本を読み聞かせていた。まだテオが字も読めない頃からの習慣で、退屈だろうと思っていたのと、私が姉らしいことをしてみたかったというだけの理由だったけれど。

「姉様、僕にも刺繍のハンカチを作って欲しいんだ。ダメ?」

 ページの上のティナンシーを何度かなぞったテオがおずおずと口を開いた。そんなに遠慮がちに言わなくても、何枚でも縫ってあげるのに。

「もちろんいいわよ。王都にいる間に縫って、帰ってくる頃には渡すから。」

「違うんだ。王都に行く前に欲しくて…。」

 王都に行く前ってつまり今日?

 それはちょっと難しいと言おうとして、テオが口をキュッと引き結んで、片手を握りしめていることに気づいた。

 …そうよね、テオがそんなこと分からないわけないものね。

 それでもおねだりするということは何か理由があるということだ。

「いいわよ。」

「本当?!」

「ええ。今縫うわ。リリーシャの分は馬車の中で縫えばいいもの。いつも退屈だと思ってたの。ちょうどいい暇つぶしができたわ。」

「退屈なの?馬車の中って。」

「とっても!それにお尻が痛いわ。テオも来年になればきっと分かるわよ。」

「来年…。」

「ええ。一緒に王都に行きましょうね。お祖父様達もあなたに会えるのをずっと楽しみにしてるんだから。」

 テオは何度も頷いた。うん、楽しみにしているようで何より。


 真夜中、私は廊下を歩いていた。

 テオ宛の刺繍が終わらなかったので部屋で夜なべしていたのだが、それも先程終わり、少し用事を済ませたかったので起きてきたのだ。

 みんな寝静まった屋敷で用事を済ませられる人なんて1人しかいない。

 以前、夜中に屋敷を歩くときは自分の部屋の扉を少し音が鳴る程度に叩いて貰えば同室を起こさずに起きることができると規格外なことを言っていたので、言われた通りにしたところ、扉は開かなかった。

 嘘をついているとも思えなかったので、おそらくいつも通り中庭で鍛錬しているのだろうとあたりをつけてこうして中庭に向かっているというわけだ。

 まだ中庭は見えないけれど、静まり返った屋敷では素振りの音がかすかに聞こえる。

 予想通り。


「こんばんは。」

「アリシア様。こんばんは。」

 会いたかった人物、タリオスは急に声をかけたというのにも関わらず驚かなかった。

 微かなノック音で起きれるというくらいなのだからもしかしたら足音で私が来ると分かったのかもしれない。

「今日はちゃんとあなたの部屋を訪ねたのだからお説教は無しよ?」

「それは、俺の方こそ失礼しました。こちらから言い出しておいて護衛できないとは。」

「ああ、いいのよ。そういうつもりじゃないから。今日はあなたとちょっと話したいと思ってきただけ。」

「話…ですか。」

 少しばかり気になっていたことがある。タリオスは王都に着いてくるからわざわざ夜更かししなくても、と思ったのだが、せっかく起きているならと。


「この間ヤゴラ地域に行ったときのこと、覚えてる?」

「それは…。」

 なんて言っていいのか言い淀んでる、といったところね。覚えている証だわ。

 ヤゴラ地域で私は獣害の後の慰問で何が起きたかを断片的に話した。具体的には石を投げられたと言った。

 嘘じゃない。住民の彼らからしてみれば家族や友人を失って嘆く中、被害を拡大させた元凶の私が無傷で現れたのだ。怒って殺そうとするのも無理はない。

「本当に気にして欲しくはないの。過去のことだし、私自身納得しているから。」

 この話をすると何を言っても被害者面になりそうで、私自身何と言って良いのか分からない。

 タリオスとの会話に1ヶ月も開けてしまった理由もそこにある。


「一つ、聞いてもいいですか。」

 私のように何を言うべきか迷っていたように見えたタリオスが口を開いた。

「どうぞ。」

「俺はあなたに納得して欲しくない。俺の意見は変わりません。今も昔も親を亡くしたばかりの子供が背負うべき責任ではないと思います。」

 私は肯定しない。ただ黙って聞くだけ。

「だから、教えてください。あなたが頑張る理由はどこにあるのか。」

 予想外の質問に、瞬きが増えた。

「この領地に来る前、俺はあなたが頑張っているとすればそれは贖罪のためだと思っていました。」

 贖罪、か。そうね。過ぎたことを償うためには領民のためになることをするしかない。  

 結局、先生の知識を得るまでは何が領民のためになるのか分からなくて大したことはできなかったけれど。

「けれど、あなたと会って、話して、近くで頑張りを見て、その努力はただ贖罪のためにしていることなのか分からなくなりました。」

 黙って続きを促す私にタリオスは語る。

「ヤゴラ地域で見たあなたは怯えがあるようで、どこか領民を慈しんでいたように見えた。教えてください。あなたは何のために努力するのか。」

 何のため。

 私が頑張る理由は、突き詰めればテオと領民のためだ。クーデターが起こってみんなの生活が脅かされないように。

 けれど、その原点がどこにあるのかと言われれば━━━


 心の底からアレは自分の失態だと思う。

 予想できた災害を最小の被害で抑えられず狼狽するばかりだった私が悪い。

 だから領民達に責められることは当然だと思っている。

 一方で、タリオスを含めて私を慰めてくれる人は沢山いた。

 テオも、キーアも、フィオも、騎士団長様も、ドレイフやタンジェル達領の騎士団も。

 それでも、と思う。

 責める声より慰める声が多かったとしても私は私を戒めなければいけない。甘い声の方へ流れてはいけない。


「私が慰問した地域はヤゴラ地域以外にも2つあったの。」

 忘れもしない。どこへ行っても剣呑だった領民の視線。まるで敵に対峙するかのようだった護衛達の物々しさ。投げられた石も、罵声も。

「私は自分でも何のために行ったのか分からなかった。領民達のやるせなさを吐き出す場所を与えたかったのかもしれないし、責められることで自分を落ち着かせたかったのかもしれない。こんな仕打ちに耐えるのだから少しは許されると思ったのかもしれない。」

 あのときの私は今よりもっと未熟だった。

 辛い場所に行って、胸の痛みが自責のせいか非難のせいかあやふやしたかったのだと今なら分かる。

 甘ったれだと思う。亡くなった領民を舐めていると思う。

 それでも、思惑通り領民は私を責めた。

「でも、ある教会に行ったとき、私の手を握ってくれた人がいたの。」

 怪我をした人や、稼ぎ頭を失って生活が困窮した人たちの避難場所だった。

 入ったとき、やっぱり私は腫れ物だった。


 埃が舞う教会は普段ならガラガラで、きっとあんなに人が集まるのは有事の時だけ。

 ボロボロの布を裂いて包帯を作る人達の横で私は綺麗な服を着て立っていた。

 慰問と言っても私に慰められたい人なんていないはずだったから、物資を運んだおまけに私が着いてきたようなものだった。

 早くこの時間が終わって欲しいような、ずっとこのままでいたいような、何を考えているか自分でも分からず、手の先が冷たいような熱いような気がして、心臓が速かったことだけは確かだった。

 ただぼーっと眺めていた。

 集まった人たちも遠巻きに睨んでいた。

 そんな何度目か分からない時間を過ごしていたとき、ある女性が私に近づいた。

 最初、警戒して前に出た護衛騎士は、私が制したことと、女性がご年配で立つのもおぼつかないほど痩せていたことで下がってくれたのだった。

「アリシア様。」

 何を言われるのだろうと思ったとき、女性は不意に私の手を握った。驚いて何もできなかった私に彼女は続けた。

「顔色が悪い。お食事は、ちゃんととっていますか?」

 何を言われたのか分からなかった。

 予想していない言葉だっただけでなく、彼女は少しばかりやつれただけの私よりも細い腕をしていたから。

「まだ子供が、こんなところに来て。」

 それは私を慈しむ声だった。

 彼女は周りの空気を分かっていたはずだ。役立たずな領主を責める気持ちを。

 例え自分に責める気がなくても、私を庇ったりすればよく思われないのを分かって、分かっていて、私の心配をした。

 そのとき何を考えればいいのか分からなくて、彼女のことを見つめるだけだったから確かではないのだけれど、周りで見ていた人が彼女の息子が亡くなっているのに、と叫んでいたことは覚えている。彼女自身も腕に包帯を巻いていた。

 そして、どうして、と震える声をちゃんと聞き取ってくれた。

「どうしても何もありません。私は何十年とここに住んでいても獣が襲って来ることに気づかなかった。私もあなたも一緒です。誰かが誰かを責めることなんてできない。」

 彼女は私を庇った。これは誰が悪いのでもないのだと言った。

 それは、違うんです。

 私がもっとちゃんとしていれば、気づいて王都の騎士団を呼べたの。そしたらもっと被害は減ったはずだったの。

 涙が流れるだけで私の言葉は声にならなかった。でも彼女は構わず続けた。

「誰に何を言われようと曲げるものですか。私は私の考えに従って子供を守ります。だからあなたも自分を大事にしてね。さあ、お屋敷に帰って沢山ご飯を食べるんですよ。」

 

 慰めてほしかったわけじゃない。彼女の言葉で自責の念が消えたわけじゃない。

 でも、自分の大事な人を失って、自分が傷ついても私のことを恨まずにいられる人がいると知ってしまったから。教会を去るとき、心残りだった彼女を任せろと声をかけてくれた人達がいたから。

 私は贖罪だけで動くのではなくなった。

 領民を愛したから、彼らのために頑張りたいと思ったのです。


 タリオスは私の長い話をずっと真剣に聞いてくれた。

 そして、全部話し終わってからようやく口を開いた。

「アリシア様、以前気にかける人がいるから俺はここに残ると言ったのは覚えていますか。」

「ええ。結局教えてくれなかったわね。」

「その人はあなたです。と、言っても気づいていたと思いますが。」

 まあ気づいていたことは否定しないわ。

 あのときは濁していたのに今日はあっさり教えてくれた。

「俺はあなたの行動原理が贖罪にあったとしたらあなたが望んでいなくても止めていました。気になる、というのもそこにあります。」

 けれど、とタリオスは膝をついた。まるで忠誠を誓う騎士のように。

「あなたのお話を聞いて、率直に申し上げて感銘を受けました。」

 彼の手が、恭しく私の手をとる。

 月明かりに爪が反射した。


「ここに誓いを。俺は、騎士タリオスは、命をかけてあなたと、この領地を守ってみせます。」

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