第十一話 ヤゴラ地域
「視察って…別に私が行かなくてもいいんじゃない?」
今回は周辺住民が無賃労働じゃないか、材料がどこから出ているのかを知れればいいだけ、多分軽い聞き取り調査で済むはずだ。
特に専門的な知識や身分が要るわけでもないし、誰か手が空いている人に行ってもらえれば充分なんだけれど。
「書類だけでなく領地の肌感も大切ですよ。ヤゴラ地域は王都に行かれるときも通らない地域でしょう?」
「それは…そうだけど。」
そういえば私、領民の営みってあまり見たことがない。
両親には一度お忍びで連れて行ってもらったことがあるのと、王都に行くときに馬車の窓から見たことが数度ある程度。あとは、慰問で…だけどその時は平時とは言えなかったから。
「理由は理解していただけたようですね。では護衛を用意いたしますので明日にでも。」
「…ありがとうね、フィオ。」
なんて、視察なんて息抜きの体裁を繕ったに過ぎないんでしょうね。
「本日護衛を仰せつかりました。ドレイフと申します。」
「同じくタリオスです。」
「ドレイフ、久しぶりね。今回も護衛ありがとう。タリオスもよろしくね。2人共、今日はお忍びだからあまり私を丁重に扱わないように。」
ドレイフは以前慰問の時にも護衛してもらったことがあるこの領地の騎士だ。1番土地勘があるので案内もお願いすることになると思う。
「旅の一行とでも名乗りましょうか。ドレイフがお父さんでタリオスが兄で私が妹でいいかしら。」
「お父さん?!」
あら、ドレイフは嫌なのかしら。じゃあ叔父さんとか?でもそうなると家族構成が変な感じに…
「いいじゃありませんか、ドレイフ殿。いえ、お父さん。」
「お前はいいとしても…私がアリシア様の父など畏れ多いにも程があるだろう?!」
あ、よかった。そういう理由ね。
「気にしなくていいのに。2人が来てくれるって聞いていたから髪の毛も合わせてきたのよ。」
私だけ金髪のままだと目立つし、私を見たことがある人もいるだろうから茶髪のウィッグをかぶってきた。結構似合ってるんじゃないかしら。
「お似合いです。ドレイフ殿も諦めてください、今日はあなたがお父さんです。そして俺が兄です。」
「どうしてお前はそんなに乗り気なんだ…。」
タリオスってそう言えば____
「行きましょう、アリシア様。日が沈む前に帰らないと。」
「…そうね。」
「まさかアリシア様がお一人で馬に乗れるとは。」
ヤゴラ地域に向かって、私たちは馬に乗って走っていた。軽々と馬に跨る私を見てタリオスが驚嘆したように呟く。
「意外?最近乗れていなかったからバルムンクが拗ねたんじゃないかと心配してたんだけど、ちゃんと私のこと覚えてるわね。いい子。」
貴族の女性が馬に乗ること自体は珍しくない。社交界ではパーティーやお茶会の他に乗馬でコミュニケーションを取ることもあるし、体型維持のために男性顔負けの乗馬技術を習得したという女性の話も聞いたことがある。
だが基本的には移動は馬車が主流で、女性が乗るときは従者や騎手が補助するのが主流である。
ただ馬車で固い椅子に腰掛けて揺られるよりも馬に自分で乗った方が楽だし速いので移動のときは乗馬が多い。
バルムンクは私の愛馬で、賢い良い子だ。
馬の速さは個体や状況、持久力なんかで変わるけれど、バルムンクはサラブレッドなので普通の馬よりも速い速度を長く維持できる。
「ヤゴラ地域までは大体1時間半ほどです。私とタリオスは兎も角、アリシア様を夜道で馬に乗らせてはフィオ殿に怒られてしまう。聞き込みは2時間ほどにして早く帰りましょう。」
「ここがヤゴラ地域ですか。」
ドレイフの言う通りきっちり1時間半でヤゴラ地域に着いた。
ヤゴラ地域は以前慰問で来たときとそう変わりない。けれどあのときより街が片付いて、少し活気を取り戻したように見える。
「ええ。ああ、あれ。あの橋が以前直した橋らしいわ。」
奥には木でできた橋が一つ。報告では装飾として薔薇の彫刻を掘ったと聞いている。多分あの橋だろう。
「では、早速住民に聞き取りを…。」
「ええ。ドレイフ、忘れないでね。あなたはお父さんよ。」
「は、はい。」
「じゃなくて?」
「ああ、あ、アリアナ…。」
移動中試しに呼ばせてみたらあまりにも呼び方が不自然だったので適当な偽名を考えてみた。アリシアはそんなに珍しい名前じゃないけれど、住民達も私の名前は知っているだろうから丁度いい。
「仕事中すまない。」
ドレイフは辺りを歩いている住民に話しかけた。身なりからして農夫だろう。私は一応後ろに下がっておく。
「ああ?なんだあ?見ねえ顔だな。逃げ出した農夫かなんかか?」
「旅の者だ。王都に向かう途中でな。」
「へえ。それで、何が聞きたいって?」
「来る途中にここの橋が壊れたって聞いたんだが、あれは直ってるのか?」
「直したんだよ。三月前にな。」
三月前。報告と一致しているわね。
「直したのはお前達が?」
「そうだな。ったく、復旧が終わったばっかりだってのによお。くそったれ地主が。」
思い出しただけでも苛つくのか、農夫はスラングを吐き出した。正直意味は分からないけれど、多分バカとかそういうことを言ったんでしょうね。
それにしても、復旧か。
「良い彫刻だな。あれを彫らせるのは値が張っただろうに。」
「タダだよ!地主の奴、見栄張るために器用な奴に彫らせたんだ!タダで!」
農夫は我慢できないと言うように声を荒げ出した。
やっぱり。無償労働させてたのね。それで私に賃金の補助金なんて貰って。ただじゃおかないわよ。クビよクビ!
「直した奴らもタダ働きか?」
「ああ。まあ橋や道路直して金もらえたことなんかねえけどな。」
「材料はどこから?」
「そっちの森から切り出してきた。おかげで向かいのロブが怪我しちまったよ。」
「それは気の毒だ。お大事に、と伝えてくれ。」
「ありがとな。にしてもお前、変な奴だな。なんでそんなに橋のことが気になるんだ?」
まずい、怪しまれてる。私はドレイフの裾を引いた。
「お父さん、また村の人を質問攻めして。…おじさんごめんなさい。父は気になったことが放って置けない性質なの。」
「俺からも済まない。父さん、アリアナ、もう行こう。仕事、頑張ってくれ。」
「おう。じゃあな。」
少々強引に離脱する私達を怪しむでもなく農夫は手を振って見送ってくれた。荒っぽいけれど気の良い人ね。
「ありがとうドレイフ。…じゃなかった、お父さん。」
「いえ。あと一軒ほど聞けば十分な裏付けになりますね。」
1人目の聞き込みを終えた私たちは村から少し離れた木の影で打ち合わせをしていた。
「お父さん、また敬語に戻ってるぞ。」
ドレイフ、ここに来てからちょっとピリピリしてるわね。肩の力が入り気味というか。頑なに私を前に出そうとしないし。気遣いはありがたいけれど逆に目立ってるわ。
「タリオス、次はお前が聞いてこい。」
「アリアナじゃなくて?」
「アリアナは前に出さない。フードも脱がさない。」
…やっぱり気にしてるなあ、ドレイフ。確かに誰が私のことを知っていてもおかしくないけどね。
「…分かりました。ではアリアナは俺の後ろに。」
不思議そうな顔をしながらもタリオスは頷いてくれる。タリオス、巻き込んでごめんね。
「失礼、そこのご婦人。少し聞きたいことがあるんだが。」
「あらあ、そんな呼ばれ方されたの初めて。あんた都会の人?」
タリオスに呼び止めれた女性は嬉しそうに頬を染めた。へえ、この辺りだと女性をご婦人とは呼ばないのね。方言とかかしら。
「旅の者だ。後ろにいるのは父と妹だ。」
「あらお嬢ちゃん、どうしたの?フードなんか被って。可愛いんだからお顔をお出しよ。」
女性は私と背丈が変わらない。だからフードを被っていても顔がわかったんだろう。少々強引にフードを脱がせてきた。いや、それはまずい!
「お前っ!」
後ろのドレイフが急いでフードを被せてくれて、女性を睨みつける。ああ、ダメよ。悪気があったわけじゃないんだから。
私がドレイフを宥めている間にタリオスが驚いた女性に弁明してくれた。
「すまない、妹は人見知りなんだ。それで父さんは妹を溺愛していてちょっと過保護なんだ。許してくれ。」
「そ、そう。あたしも悪かったよ。お嬢ちゃん、ごめんね。」
「いえ、大丈夫です。こちらこそ顔を見せられないなんて失礼、ごめんなさい。」
「お育ちがいいのねえ。隣の爺さんもフードで顔が見えないけどさ、失礼ごめんなさいなんて言ったことないよ。」
あ、まずい。旅の者の言動じゃなかったかも。
「父が元学者で、少しばかり貴族と交流があったんだ。それで俺たちもマナーを教えられた。この通り、俺はすっかり忘れているけどな。」
「あんたもいい男だよ。で、何が聞きたいって?」
意図せず女性が軌道修正してくれた。こちらの非礼を気にしていないようでありがたい。
「ああ、そうだ。あそこにある橋、旅の途中で壊れたって聞いたんだが直っているのか?」
「地主が労役課してきたんでね。あたしの旦那もえっちらおっちら材木運んだもんだよ。」
「それは大変だっただろう。賃金は弾んでもらえたのか?」
「賃金?あんた、橋直して賃金がもらえるところ知ってんの?羨ましいもんだね。」
ということはやっぱり地主は黒確定ね。待っててね。ちゃんと地主から押収したお金でお給料払うから。
「そうか。いや、無償とは思えない良い仕事だと思って。」
「そうかい?悪い気はしないね。あたしは何にもしてないけど。」
「いや、ご婦人のように明るい人がいたら男達も元気が出ただろう。」
「なんだ、口説いてるのかい?」
「勘弁してくれ。後ろで家族が見てるんだぞ。」
背中越しでもタリオスが苦笑した気配が分かった。すごいパワーのある人ね。
「じゃあ俺たちは行くよ。ありがとう。」
「はいはいじゃあね。泊まるところに困ったらおいでよ。うっすいけどスープくらいはご馳走してやる。あの家がうちさ。」
そう言って女性はすぐそこの家を指差した。赤い屋根で、1人子供が見える。
「これはただの好奇心なんだが、一つ聞いていいか?」
なんだろう。私にも意図がわからないけれどタリオスには何か気になることがあるみたい。
「なんだい?」
「あの子供、何をしているんだ?」
そういえば女性の子供と思わしき男の子が壁を一生懸命擦っている。掃除かと思ったけれど、目を凝らすとそこまで汚れているようには見えないし、擦っているのはその一箇所だけだ。
「ああ、あれは去年の獣害でついた血の跡を拭いてるんだ。もうあれ以上落ちないんだけどね。遊びの代わりになってるみたいだから放って置いてるんだよ。」
「…そうか。」
「そんな顔するんじゃないよ。あたしの家は誰も死んでないからね。」
「ああ。それじゃあ、今度こそお別れだ。じゃあな。」
「帰りましょう。アリシア様。」
「ええ。」
目的は果たした。あとは帰るだけだ。
「アリシア様。顔色が…。少し休んでから馬に乗った方がいいのでは。」
「心配ない、タリオス。バルムンクは賢い子だ。主人の不調を察しても慌てたりしないだろう。ちゃんと屋敷まで帰ってくれる。」
「ですがアリシア様の気分がもっと悪くなってしまうかもしれません。」
「ここにいる方が悪くなる!」
突然大声を出したドレイフにタリオスだけでなく村の人も視線をやったのが見えた。
「ドレイフ、落ち着いて。タリオス、ちょっとしゃがんで…そう、耳を貸して。」
耳元に口を近づけるとタリオスは一瞬肩を揺らしたけれど、おとなしく耳を貸してくれた。
「ここはね、一年前の獣害で大きな被害を受けた地域なの。それで、終わったあと慰問に来たのだけれど、その、ね、」
自分で言い出しておいて言い淀んでしまう。落ち着いて、アリシア。
「歓迎されなくて、石を投げられてしまって。…落ち着いて、当たってないし、怒ってもないから。」
タリオスが息を呑む音がよく聞こえた。




