第九話 夜更かし
全く、こんなに高頻度で夜中起きてしまうなんて、我ながら呆れる。体調管理も仕事のうちだというのに、寝不足は健康の1番の敵である。
タリオスに約束した手前、一度部屋の中をぐるぐるして眠気を感じようと思っていたのに、結局虚しくなるだけでなんの意味もなかったので外に出てきてしまった。
一応、彼の忠告を聞く気はあるのだ。だから護身用にナイフと、まあ、ちょっとした薬を持ってきた。
ああ、それにしても寒い。上着を着ても足元から湧き上がる冷気は誤魔化しきれず、カタカタと震えているのがランタンの明かりに現れている。
寒さで目が冴えてしまいそう。いえ、先生の知識によると寒い方が眠くなるんだったかしら。雪山で「寝たら死ぬぞ!」って言ってる本が彼女の知識の中にあった。
取り止めもないことを考えながらどこへ行くでもなく歩いていると、いつぞやのように中庭で素振りをする音が聞こえてきた。この前と違うのはちゃんと明かりを灯していることだ。
「夜中に起きることは少ないんじゃなかったかしら?」
「そちらこそ、夜中起きるときは俺を起こす約束はどうしたんですか?」
素振りをしていた人物、タリオスは急に話しかけられたにも関わらず平然と振り向いた。気配を感知する技能でも持っているのだろうか。
「ふふ、まあランタンを置いておくのは良い気遣いね。これなら私たちみたいに起きてしまった人もびっくりしないでしょう。」
「はぐらかさないでください。夜中にお一人で出歩くなど…いつ曲者が入ってくるかも分からないのですよ。」
残念。誤魔化されてはくれなかったみたい。
「私なりに対策はしたのだけれど。」
「短剣のことですか?」
「あら、よく分かったわね。」
厚手の上着の下に忍ばせていたから、シルエットで分かることはない。どうして分かったのかしら。
「慣れない刃物を持つと誰でもそこに意識が集中しますから。たまに視線を向けていましたよね。あとは金属音がしていました。」
私の疑問を汲んだのかタリオスは答え合わせをしてくれた。でも剣は鞘にぴったり収まっていて、金属音がしたのには持ち主の私ですら気が付かなかった。耳が良いのも優れた騎士の条件なのかしら。
「すごいわねタリオス。」
「ありがとうございます。アリシア様、気づくものは俺のように気付きます。武器を持っていることさえ予測できれば手練れの曲者には制圧など容易いのです。どうか素直に護衛をお付けください。」
でも薬は気付かれてないのよね。そっちはまだ使えるわ。
それはそれとして護衛はちゃんとつけよう。こう何度も進言されると聞かないのも悪いし。
「分かりました。ところでタリオス、眠れなくて起きてきたの?」
今ここにいるということはそういうことだろう。職場、というか住環境が変わって眠れなくなってしまったなら私も雇用主として相談に乗るくらいしてもいいと思う。
「そんなところです。」
「何が問題なのかしら。枕?それとも相部屋なこと?」
「いえ、ただ気持ちの問題です。新しい環境で少しばかり気持ちが浮ついているようで。やることは以前とそう変わらないのですぐに慣れると思いますが。」
そういえば彼はお兄様の領地にいた頃何をしていたんだろうか。今と同じように騎士?考えてみれば叔父に追われるという追い詰められた状況で彼1人だけ連れてきたというのも少し不思議だ。
「あなたはお兄様の領地でも騎士をしていたの?」
「はい。」
「お兄様があなたを護衛に選んだのは強いから?」
「実力は認めていただいていると思いますが…それよりも俺の境遇の方が大きいかと。」
「というと?」
「俺は幼少の頃クロード様の母君に拾われました。それからはクロード様に仕えるよう育てていただき、恩があります。裏切らないと信用していただけたのです。」
お兄様の叔父上はお兄様を殺そうとしていた。もし叔父上が掌握していたのがアーノルド商会だけじゃなく屋敷全体だったとしたら、裏切りを恐れることなく連れて来れるのはタリオスだけだったのかもしれない。
「お兄様をここまで守ってくれてありがとう。」
「当然のことをしたまでです。」
当然のこと、というのは何にかかっているのだろうか。
仕事だから?それとも家族同然だから?
家族のようにお兄様を思ってくれているのなら、嬉しい。
あの人は今きっと寂しがっているはずだから。父君を亡くして親しんだ故郷を追い出されて、きっと私が連れ出す先の社交界でも無神経なことを言う人が現れる。
だからそういう貴族のしがらみが何にもないところでお兄様と仲が良い人がいると私も安心なのだけれど。
「これからもお兄様のそばにいてくれると助かるのだけれど。」
「クロード様がこちらにいらっしゃる限りは。」
引っかかる物言いだ。お兄様は土産だなんだと言うけれどなんだかんだタリオスはお兄様の部下だと思っていたのに。
「…領地に戻るとしたらついて行かないの?」
「あの方をお助けしたい気持ちもあるのですが…ご本人が気づいていないだけで領地に戻ればあの方を慕っている騎士や使用人は沢山います。きっと今も新しい領主様の下で屋敷を守っていることでしょう。」
「だから自分は不要だということ?」
「いえ。私は許されるならここに留まりたいと考えています。少し気になる方がいるので。」
これって恋バナというやつかしら?私が突っ込んで聞いてもいい話?
「瞳の輝きが変わりましたね。」
何か微笑ましいものをみるように、あとちょっと苦笑混じりに笑われた。子供扱いされているのかしら。
「恋愛のあれこれではありませんよ。ただ心配しているだけです。」
「もしかして、私のこと?」
自意識過剰かしら。
でもタリオスが来てから…というか先生の知識を得てから忙しくしている自覚はあるし、なぜかタリオスとはこうやって夜中に起きてしまったときにエンカウントしてしまう。
これは多少心配になるかも、と思うのだ。
「さあ、どうでしょう。」
「何?教えてくれてもいいじゃない。」
「アリシア様が浮かない顔をしている理由を教えてくださったら考えます。」
浮かない顔…してた?別にそんなつもりなかったんだけど。
「無自覚ですか。でも…心当たりはあるというお顔ですね。」
「これ、内緒ね。」
本音を吐露してまでタリオスが心配する相手を知りたいわけじゃない。でも、たまには弱音を吐いてもいいかな、なんて珍しく思ったのだ。
「あなた、テオには会ったことある?」
「弟君ですよね。一度ご挨拶させていただきました。」
「そう。テオはね、天才なのよ。」
「天才、と言いますと?」
「テオは病弱でしょう?だから受けるべき後継教育をほとんど受けてこなかった。」
正確には受けられなかった。部屋で本を読むことはあれど、常に質問を受け付ける教師が近くにいるわけでもなく、体調のせいで少し読むのにだって中断される始末。
「でもあの子は私よりもずっと領主に向いているわ。判断力もアイデア力もとても自室で培ったとは思えないくらい。」
減税政策の改善だって、あれをほんの数日で済ませてしまえるんだから末恐ろしい。
それに、一年前の獣害のときだって、動揺して狼狽えるだけだった私を宥めて王都から騎士団を呼ぶよう提案してくれた。
「本当は私じゃなくてあの子が領主になる方が良かったの。」
もしもテオが健康な体に生まれてきたら、年齢なんか関係なくどの領主よりも領民のためになったはず。
テオだったら家々に残る血の跡ももっと減らせたはず。
「それで、眠れなくなってしまったのですか?」
「そうね、そうかも。ずっとそうなの。テオなら…私じゃなかったらもっと上手くやれることがいっぱいあるんだろうなって思うと眠れないの。」
息を呑む音がした。言葉に迷っているのだろう、タリオスは何も言わない。
人の弱音なんて聞いても困るわよね。だから私も普段言わないのだし。
夜ってなんとなく弱気になるから口が滑っちゃったのかも。
「ごめんなさい。別に慰めて欲しいわけじゃないの。慰められたって何も変わらないし、領主を嫌々やっているわけでもないから。」
だからこの話はこれでお終い。寝言のようなものだと思って気にしないで欲しい。
そう伝えたところタリオスはなぜか頷かなかった。
「アリシア様。俺はあなたのこともこの領地のことも領民の皆さんのこともまだ大して知りません。」
「え?ええ、そうね?」
なんで突然そんなことを。慰めは不要なのに。
「ですから部外者が何を、とお思いになるかもしれませんが、俺はあなたが領主でなければ、なんて思いません。」
タリオスの目は真剣だ。慰めてやろうとかそういう同情じゃなくて、多分本心。
「大してあなたを知らない俺からしてもアリシア様は頑張っている。毎日執務室に篭って仕事をしているしこうして眠れないくらい領民達のために悩んでいらっしゃいます。もっと近くで見たらもっと頑張っているところが見えてくるのでしょう。」
認めてくれるのは嬉しいけれど、頑張るのは当たり前だ。私は領民達の生活を預かる責任がある。私達貴族が彼らの税で生活している以上、領民達が領民達である以上、私は恩を返さないといけない。
だからいくら頑張っても頑張るだけでは何も産まない。過程だけを尊ぶことができるのは自分で完結する出来事だけだ。
「頑張りは蓄積します。積み重なるものです。例え過程が関係ないと思っていてもあなたが積み重ねた努力がいずれあなたの施策になって領民達に還元されるのだと思います。」
「…その過程で間に合わなかったら?失敗したら?」
時間は私の準備を待たない。気持ちややる気の問題じゃなく、結果の問題なのだ。
「あなたには頼れる人も教えてくれる人もいるでしょう?クロード様もフィオ殿も、弟君も。大丈夫。あなたが頑張っている限り支えたい人はたくさんいます。」
「あなたが支えるとは言わないのね。」
安請け合いしないのはむしろ誠実さの現れかしら。
「俺はあなたに何か助言できるような教育を受けていませんよ。」
苦笑混じりに呟かれた。まあ、そうよね。
「ですが、剣が必要になったらいつでも言ってください。これだけは自信があります。」
自信がある、か。
そう言い切れることが私に言った言葉の裏付けなのかもしれない。
確かに鍛錬の様子を見るだけで、いつか見た騎士団長を彷彿とさせるような気迫を感じる。
自分が努力を積み重ねてきた側で、身を結んだからこそ頑張りの尊さを知っているのだろう。
「月並みな言葉ですね。我ながら。」
「でも私は嬉しいし励まされたわよ?どれだけ月並みでも、あなたが今私の話を聞いて私のために話してくれたことは事実だもの。あなたも今まで積み重ねてきたものを今出力してくれたのよね。」
タリオスは思ってもみなかった、という顔をした。自覚がなかったらしい。
「努力をして今があるっていうあなたの積み重ねを教えてくれたんでしょう?ありがとう。」
私は焦っている。
私の家が領主を続けるには、クーデターを起こさせないというミッションを達成して盤石な立場を得なくてはいけないからだ。
タイムリミットのクーデター予定日まであと2年程度。
正直それくらいの時間で何が変えられるとも分からないし、先生の知識を使って色々すっ飛ばして結果を出したい。
でも焦りすぎてたみたい。私の仕事は私がやるしかないし、タリオスの言う通り私の周りには助けてくれる人がたくさんいる。だから私が至らなくて、まだ頑張る段階で止まってしまってもそこから形にしてくれる人はいる。
たまには夜更かしもいいわね。




