58.討った大将首、けれど終わらぬ戦場
足軽を直接己の手で殺した漆紀は、無事にその装備を素早く身に着けて陣立てに入った。
(この変装は、敵に見つかった場合のためだ。最初から目につくところを歩くのはまずい)
足音や声に耳を傾け、幕を中へと入っていく。敵の装備を奪ったとはいえ、堂々と陣中を歩くのは怖いので人目を避けながら行く。
(お、大将っぽい豪華な甲冑のヤツが座ってる。護衛の侍は大将の前方に二人……後ろがガラ空きか。官軍だとか言ってたな……こいつら城攻めてる軍隊が大人数だから油断してるのか?)
「ほらもっと飲めぇい、吉見よ」
吉見と呼ばれた侍は酔いつぶれた様子で椅子から転げ落ちて倒れている。
「殿、ちと飲みすぎではございませぬか? 我ら官軍、勝ち戦なのが目に見えているとはいえ、油断しすぎでござる」
護衛の侍の一人がそんな事を口にする。
「構わん。そもそもこの戦は詰めの戦。すでに大局は数年前に決していたのじゃ。これで鎌倉府は終わりよ」
「殿。ならばこの祝戦、飲んで明かすと?」
「そうよ。だが両翼の二人……今川と小笠原は呼ぶでないぞ?」
(随分と酒が回って上機嫌に話してやがる……ここいらで殺るか)
好機を逃すつもりはない。足音を立てず「殺してやる!」といった強い殺意は抱かず、あくまで冷静に落ち着いた敵意を持って自然に近付いていく。
(……)
護衛の侍には気付かれていない。
(今ここで大将を殺した瞬間、本陣の陣立て内に居る侍全員が襲って来る。この幕の中だけでも10人居る。覚悟を決めろ!)
漆紀は腹を括ると無言のまま左手で短刀を取り出す。そして大将と思われる豪華な甲冑の男の首に思いっきり短刀を突き刺した。
「ぐぶっ!?」
(くたばってなっ!!)
短刀を刺すなり大将を確実に死なせるために、刺した短刀を左右にグチュグチュと動かして傷を深くする。
「なっ!?」
「と、殿ぉ!!」
護衛の侍が気付いた時、すでに漆紀は短刀を大将の首から引き抜いていた。
(明らかに首のど真ん中にまで短刀を突き通した! 確実に殺せてる)
大将はこの瞬間に死んでいるわけではないが、首の傷口から夥しい量の血が出ておりいずれは死ぬだろう。
大将の死が確定したのに、漆紀は戦場から解放されない。
(あれ? コイツじゃない? いや、コイツが死ぬまでやんないとダメか!)
「曲者ぉ!」
護衛の侍の一人が刀を抜こうとするが、それをする前に漆紀が素早く近寄って侍の喉元へと左手で短刀を突き刺す。
「貴様ぁ!」
もう一人の侍が漆紀を斬ろうとするが、短刀を刺した侍を盾にして斬撃から身を守る。
「なっ!」
(バカが)
無事に敵の一撃を防ぐと、もう一撃目が来る前に身をくるりと回転させて短刀を侍の喉から抜く。その回転を活かしたまま右手の村雨でもう一人の侍の喉を切りつけた。
「かっ……かぁッ!」
しかしその侍は殿様を討たれて忠誠心が燃えたのか、根性で立ち止まって漆紀に一撃見舞おうと刀を思い切り上段へと振り上げる。
(根性論のイカれ侍どもが!)
真正面から侍の一撃を受け止めて流す技量は漆紀にはないし、そもそもこの時代の侍たちは力が強くて鍔競り合いにすら持ち込めないのだ。
(いい加減死にやがれ!)
まともに刀の応酬が出来ないならば、斬られる前に接近して始末するほかないのだ。
漆紀は左手の短刀で侍の首筋を切り裂いた。
「ごふぇっ……がっ……」
喉だけでなく、横側の首筋まで切られた侍は体に力が入らなくなった。
(あと侍は何人いやがる!)
たった今倒したばかりの侍が上げた声に気付き、本陣の幕のそば居る侍七人がやってくる。
(クソったれ)
まだ息絶えてない大将の体を人質代わりにしてやろうかと思ったが、その必要は唐突にもなくなってしまった。
「てやぁ!」
「なにやつぇ!?」
なにやつ、と言い切る間もなく乱入者によって侍が二人斬り捨てられた。
乱入者は残り五人の侍が向かって来るも、まさしく時代劇の剣豪のように次々敵の動きを見切って斬り捨てていく。
「なんだ……なんだ、あんたは?」
全く予想だにしない乱入者に、漆紀は疑問と畏怖を覚える。
装備を見たところ、その乱入者は位の高い武士ではないが足軽兵よりは凝った甲冑を着ている。言うならば下級武士。
しかし豪胆で屈託のない笑みを浮かべる堂々とした武人ぶりは、漆紀同様に本陣を奇襲する考えを持つ人間像とは一致しなかった。
「童ぁ、よくやったものだ。見事に敵陣の懐に入り、大将首を狩るとはなぁ!」
「なんなんだよ……あんた、普通の侍じゃない……一体?」
「儂かぁ? 大塚匠作よ。童ぁ、名ぁなんという?」
「辰上漆紀」
「ななき? 名無き……名があるのに名無きとは、これまた面妖な……ん?」
匠作と名乗った侍の視線が漆紀の顔から、村雨の方へと流れていく。
「おい童ぁ、その刀の刃文をよう見せい。儂は敵ではねぇ」
「……」
黙ったまま漆紀が村雨を眼前で横に構えて刀身を見せる。すると敵ではない、と明言したはずの匠作からは敵意の籠った眼光が放たれ始める。
「童……それは、どこで手に入れた?」
「どこって……元々持ってた。誰かから盗んだとか、そんなんじゃない」
「ありえぬ。ありえぬのだ。その刀は……春王丸様に与えられた源氏重代の宝剣であるぞ!」
「春王丸? 源氏? なんの話だ」
「童、それを今すぐ返せ」
漆紀は断片的にしか状況を掴めていないが、村雨は匠作にとって重要な刀であることだけはわかる。しかし、村雨を渡すわけにはいかない。
「……俺はこのムラサメと契約したんだ。手放せないんだ」
「手放せない、か……ならば、斬るしかないなぁ」
匠作は手持ちの打刀を構え、漆紀は村雨を構える。なぜこの侍が村雨を欲するのか、事情はどうでもよい。
襲って来るのなら、迎え討つのみ。
(こいつはここに居た侍達より強い。真正面からのチャンバラなんて挑んだら瞬殺だ。といても、正直今の俺で勝てるとは思えない相手だなぁ)
勝てない相手とも思いつつ、漆紀は駆け出した。匠作に近付くと左手にある短刀を投げつけた。
「小手先か!」
匠作は軌道を見切って難なく短刀を避け、漆紀は左手を口に添える。
「悪いか!」
そう言い放つなり漆紀は左手を口の奥に突っ込み吐き気を呼び起こす。
「うぅぅうおぉぶぇええええぇぇぇえええええ!!」
漆紀と匠作の距離4mほど。匠作の刀の間合いでないギリギリまで近付いて漆紀は彼の顔面目掛けて吐瀉物を吐き散らした。
「童ぁッ! 尋常ならざる小手先をやるとは、悪童よなぁ!!」
匠作は吐瀉物を己の籠手で払落し、顔面への直撃を避ける。
(やっぱり侍相手はゲロが通じにくいか!)
匠作が漆紀へと真横に打刀を走らせるが、これは後ろに飛び退いて間一髪で避ける。
そう思った。
避けたと思った一刀であったが、胸元辺りが浅く切り裂かれていた。
「痛ってぇ!! よ、避けたのに」
「せぇッ!!」
漆紀が困惑していようと、目の前の男は止まる事無く漆紀の命を奪うべく首筋へと打刀を走らせる。
「テメっ!」
思わず漆紀は村雨を構え打刀をまともに受け止めてしまった。
(やべっ、受け止めちまった!?)
侍相手には村雨で刀を受けてしまうと力負けして鍔競り合いにすら持ち込めず斬られてしまうのだ。日夜人を殺す技術を鍛錬し筋肉のついた侍達と違い、漆紀は運動部にも所属しない高校生である。単純な腕力で漆紀は押し切られるだけなのだ。
「軟弱ッ!!」
匠作が断言を放つと、村雨を押しやって漆紀の首を深く切り裂いた。
「かっ……あぁっ……」
致命傷である。どうやっても今回は勝てそうにないと考えた漆紀は力なくその場で倒れ込んだ。
(反射的に村雨で受けちまった。クソ……さっき胸切られたのはなんだ? 飛び退いて間合いから避けたはずなのに……)
しかし胸元が切られたという事は、匠作の打刀には当たっているはずなのだ。刀身のどの部分で切られたのか、それがわかれば何が起こったのか漆紀でもわかりそうな気がした。
(ま、今回は俺の負けか……)
匠作は漆紀の右手から村雨を奪い、漆紀が暗殺した大将の首を取りに向かう。
(大将は死んでるだろうに、戦場からは出れないか……)
次に生き返った時はどう動こうかと考えながら、やがて失血によって漆紀は気を失った。




