37.覚醒・竜化
視界が真っ赤に染まる。肉を潰し、骨を粉々に粉砕し、血濡れた内蔵が破けぬちゃぬちゃと湿る音が何度も漆紀の耳を侵していく。
気が遠のくほど濃い血の臭いと、誰かの体温か己の体温なのかもわからぬ熱さで体が沸騰する。
けれど、頭の中は人生最大の破壊に対し防ぐ術を持っていなかった。それゆえひたすら暗く昏倒しそうなほど、脳が、胸が、歪む。
この感覚を彩那は先程味わったのかと、漆紀は全身痛むほどに理解した
「絶対に、殺してやる……ああああぁぁぁッ!!」
漆紀が己の本来の膂力の限界を超える勢いで立ち上がろうとするが、ネルの不可視の力がこれを押さえる。
「火事場のなんとやらだとして、超常たる竜魔法は覆ませんよ竜王様」
ブチブチ、ゴリゴリ、と漆紀の両肩から不愉快な肉と骨の音が鳴る。皮膚が裂け、血が溢れ始めても漆紀は抗う。
「ぶあざめえぇぇぇえええ!!」
濁った声でムラサメに呼びかけるが、怪我が治らない。
水浸しの路面には、漆紀のものとは別の血が大量に広がっていき、漆紀の体に染み付く。
『これだけ言っても、まだ戦うというの?』
「治ぜ……俺は、あいづらを……ッ!!」
『血の貯蔵がなくともあなたの怪我を、治すことは……本当は出来る。でも、それはやらない方がいい』
「治せ……治せよ!!」
『あなた自身の血で、治すことになる。でもこれは……あなたが人ではなくなっていく行為』
「人でなくなろうが竜王様だろうがどうだって良い……治せ……なおせええぇぇぇぁぁあああああああああぁぁぁぁぁ!!」
『……後悔しないで』
ムラサメがそう零すと、漆紀の体が瞬時に癒えていく。
「竜王様何度言えばわかるのですか!」
ネルが不可視の力をより一層強めるが、それでは漆紀を地に留めることができなかった。
村雨の刀身だけでなく漆紀の全身から勢いよく水が放出しネルの拘束が呆気なく解かれる。
漆紀の身体の周りを螺旋状に連なる流水が縦横無尽に巡り、漆紀を守る。
「これは一体……宮田先生、竜王様の様子がおかしいです」
「これは……竜化?」
宮田はそう推測を立てて漆紀を観察する。漆紀はゆっくりと立ち上がり、村雨を取り出す。宮田とネルの方を向いた時、二人とも漆紀の目を見た。
その目は、明らかに人間のものではなかった。トカゲや蛇などの爬虫類や猫にも見られる縦長の瞳孔。耳は海外の童話に語られるエルフや悪魔のように尖っていき、日本人特有の福耳が失われていく。
なにより特徴的なのは、急激に伸びた髪の毛だ。
ただ髪が伸びていくのではない。後頭部から首筋、背中にかけて、本来人間の髪の毛が生える位置ではない場所から馬のような鬣が生え伸びていく。
「この場で殺ス……ゼッタイにッ!!」
村雨を強く右手に握って、漆紀は跳んだ。
たった一足での跳躍だが、一直線に宮田へと宙を進みムラサメを真っ向から振り下ろす。
宮田は仏具から溢れ出る竜脈の力も利用して強化したアンキロサウルスの装甲で、漆紀の一太刀を防ぐ。
「竜王様だ、その御力はやはり竜王様」
「黙れぇ!!」
装甲に防がれた所で、装甲を壊してしまえばいいのだ。漆紀は何度も何度も力一杯装甲に村雨をぶつけて叩き斬ろうとするが、アンキロサウルスの装甲は僅かに欠け落ちるばかりで大きく壊れる事が無い。
(徳叉迦様の竜脈の御力があるとはいえ、装甲が欠けていく……竜王様、なんという膂力)
何度も、何度も、人間では到底不可能な速度で漆紀は村雨を振るい続ける。
(斬って、叩いて壊れねぇナラ……)
漆紀が一度村雨を引いて飛び退き、宮田から離れて脚に力を入れる。
(今度は何を)
「宮田先生、一人で戦わずとも!」
「竜王様相手となればネル、あなたでは無理です。今のうちに離脱して本家に帰り始めなさい。拙僧もあとで離脱します」
「逃がさないぞ……絶対に!」
漆紀が力一杯宮田へと跳躍し、今度は斬るのではなく一直線に突きを放った。
ムラサメが秘めた得体の知れない力で竜化した漆紀だが、それを以ってしても竜脈の力を利用する宮田が相手ゆえに苦戦している。しかし今の漆紀は人間相手ならば細切れに出来るぐらいの膂力と速度を手に入れている。
だが漆紀は溢れ出る殺意故に忘れていた障害によって、渾身の突きが阻止されてしまう。
「今の拙僧の力がアンキロサウルスだけだと?」
漆紀の前に何本もの巨大な水柱が地面から噴き上がり、宮田への攻撃を妨げる。
「水ハ俺のモノだ!!」
だが村雨で水柱に触れた瞬間、その水柱の勢いを利用して空高く飛び上がっていく。
地上からおよそ30m飛び上がり、そこから漆紀は水柱の最上部から落ちていく水と村雨を繋げた。
「飛び上がるとは……」
村雨で水柱の最上部に繋がる水を全て利用して、今までで一番の水圧を以ってして宮田へと垂直落下していく。
当然宮田もただ静観するわけではなく、アンキロサウルスの装甲で身を守りつつハンマーのような尾を漆紀に向けて振るが。
「死ねえええぇぇぇぁぁあああああああああッッ!!!」
殺意だけに満ち、落下の運動エネルギーと水圧と竜化の膂力が相まった漆紀の突きは、アンキロサウルスの尾を破壊してそのまま落下していく。そして宮田を守るアンキロサウルスの分厚い強化装甲を突き破り、宮田の身に届いてその皮膚も破って肉も貫いていった。
そうして村雨が宮田の左肩に深々と刺さり、刀身は左腋へと貫通していた。
「ぅらぁッ!!」
アンキロサウルスの体に着地した漆紀は、恐竜の肉体越しに宮田の傷口を更に広げるべく村雨を右へ左へと回して動かしてグチャグチャにする。
「ぐぅっ、そろそろ潮時ですね……」
苦悶の一声を漏らしつつ、宮田は自分から左肩を下げる事で村雨を抜くとそのまま後方に飛び退く。
「逃げるな、絶対に逃がさない」
漆紀が一歩踏み出して追い打ちをしようとするも、宮田と漆紀の間に先程のものとは比べ物にならない巨大な水柱が地面から何本も噴き出して漆紀を遠くへ吹き飛ばした。
(ムラサメで操る間もネェなんて。ダメだ、ダメだ、ダメダ、絶対ニ逃がしちゃダメだ)
路面から次々噴き出す小さい水柱を取り込みながら、巨大な水柱は竜巻の様に回転していく。
今や水柱は半径40mほどのものになって、周囲の家屋をも巻き込み破壊していく。その様はまさしく竜がとぐろを巻くソレであった。
「あっ」
水柱で宙に吹き飛ばされた漆紀だが、地上を見下ろした時に巨大な水柱から走って逃げる彩那の姿を見たのだ。夜にも関わらず地上の彩那をはっきり視認できるのは竜化による恩恵だろうか。
(逃がしたくない。絶対ヤツを逃がしたくないけど……)
しかし、つい数時間前に彩那に対して「助ける」と自分で決めた事を殺意で捻じ曲げるのかと、僅かな良心が反対した。
「……」
宙から落ちて路面に打ち付けられるなり、漆紀はすぐさま立ち上がって彩那の方へと走り、跳んだ。
「竜蛇!!」
水柱の方に吸い込まれるような力が働くが、それを利用して彩那に近付く。
「竜王様!」
彩那の手を握るとそのまま彼女の腰に左腕を回して抱え、路面に村雨を突き刺して水柱に巻き込まれない様に止まる。
「あのデカいヤツは止められるか?」
「なぜです? 今の竜王様なら」
「跳んデモ掃除機みてぇな吸うチカラのせいで離れられナイ!」
「私だけではあの水量はとても……」
「ナラ俺の力でもダメか?」
「竜王様となら!」
漆紀が村雨を路面から引き抜き、そのまま水柱の方へと吸い込まれていく。
「掴まれ、竜蛇! ブツかるぞ!!」
「はい!!」
漆紀の村雨がまず水柱に触れ、それから漆紀と彩那の足と手が水柱に触れた。
「ムラサメ!」
「竜脈よ!」
互いに出来る魔法で出来るコトを成し、巨大な水柱を操ろうとする。二人の魔法が通じ、そのまま水柱の勢いを利用して上方向へと上昇していく。
「路面の噴出はこれで止まりますよ竜王様!」
「あとハ脱出か」
そのまま水を伝って宙へ放り出され、漆紀は彩那に衝撃が加わらないよう村雨から大量の水を放出して路面へ無事に着地した。
先程まであった天変地異にも等しい水柱は路面からの水の噴出が止まったことで霧散していき、大量の水が力なく辺り一面へと降り注いだ。
「奴らは……あのギンパツはどこだ?」
彩那の次に真っ先に頭に浮かぶのは、宗一を手にかけた銀髪の男・宮田のことである。
「逃げたと思います。周囲を見渡しても見つからないですし、今から追っても厳しいかもしれません」
「父さん……」
彩那の母・香代子とは違って、漆紀の父・宗一は宮田が繰る竜魔法・アンキロサウルスの尾によって何度も叩き潰されたのだ。くわえて、現在漆紀達が居る佐渡島西部の相川の街は宮田との戦いで天変地異レベルの大量の水が発生して多くの家屋まで破壊され海へと流れた。それゆえに宗一のもはや遺体とすら呼べぬ肉の残骸も海に流れてしまったと考えて良い。
「父さんの遺体は、タブン見つからナイ……」
「でも……私、信者の皆さんに遺体の捜索をお願いしておきます。竜王様のお父さんと、私のお母さん……きっと見つかります」
「……ぅあッ!?」
漆紀は急に立ち眩みがして猫背になるが、それだけでなく一気に体の力が抜けていく。抵抗できぬ脱力感にとても立っていられず、水浸しの路面に倒れてしまう。
「えっ、竜王様? ちょっと、竜王様どうしたんですか! しっかりして下さい!!」
「まずい……眠く……」
漆紀は先程まで宮田との戦いで使った力の代償かと一瞬恐れたが、急激な眠気のそれは心底疲れてベッドに伏せる時や血糖値上昇で眠くなる時のような心地良さがあった。




