17.清流の儀2
正午。
佐渡島椿尾山中の雄滝にて。
辺り一帯は新緑と深緑が織りなす自然界であり、いかにも日本の自然らしく美しい光景が広がる。唯一その景観を損ねる存在があるとすれば、漆紀と佐渡流竜理教の者達の存在だろう。
「おい、さっき海でやった行水で身の清めは済んだんじゃねえのかよ!?」
琴浦の時同様に白装束に裸足のままの漆紀が、周囲を囲う佐渡流竜理教の信者達に相変わらずの文句をぶつける。それに対し信者達は「なにも知らないのか」と半ば呆れつつも丁寧に答える。
「今度は滝行で更に身を清めて頂きます。しっかり滝を浴びてくださいね?」
信者の一人がそう言うが漆紀は首を横に振って「待て待て」と拒否反応を見せる。先程のそれほど暑くない春の陽気ゆえに、滝行をすれば体が非常に冷えると考え漆紀は嫌がる。
「あとよぉ、いつの間にか竜蛇が居なくなってるがアイツはどうした?」
「司教様は雌滝に行かれました。男性は雄滝、女性は雌滝での滝行となっておりますので」
「……風邪引いたらお前らの所為だからな。覚えてろよ」
「竜王様の滝行、是非とも目に焼き付けておきましょう」
(だめだこいつら、全部肯定的に捉えやがる。やっぱカルトはダメだ)
カルト信者の頭のイカレ具合を嫌と言う程実感すると、漆紀はため息ついてから雄滝へと一歩一歩ゆっくり歩み始めた。
「うわっ、水冷てぇ……勘弁しろよ。これ何分やるんだよ」
「8分は滝に打たれて頂きます」
「また8分かよ……海と違って山中だから陽が無くて冷えてんだよ! 俺はあくまでも人間だからな? フツーにお前ら同様に風邪も引くんだからな? 竜王様とか言ってるけど、俺は人間だからな」
人間アピールを何度もしつつ、漆紀はついに背から滝を浴び始めた。
「うわぁあ冷てえッ! これ本当に8分とか海の時よりキツいぞ!」
「竜王様、滝行で低体温症が危ぶまれるのは10分以上からです。8分は一般人でも耐えれる範囲です」
「じゃあお前らもやれよ、やってみろよ! 絶対キツいだろこんなの!」
漆紀は自分だけが滝行をさせられ、シンプルに怒りが沸々と湧いていた。
そんな怒り特有の体温上昇があっても、滝行は冷たく寒く体に堪えるものだった。
(いつかこいつらクソカルトどもの鼻っ面ぶん殴ってやる……!)
漆紀の周囲を囲む佐渡流竜理教信者は雄滝を中心として四方八方に50人ほど居る。ムラサメも無しに一人でこの数を一気に相手にするのは、ムラサメ無しで夜露死苦隊相手に勝った漆紀とはいえ厳しいだろう。
(滝行するから手足の拘束は解かれたけど、ゲロ戦法だけでこいつら全員倒せるか? 多分接近されても最終的に全員の顔面にゲロはぶちまけられる。でも……竜理教には魔法使いが居るって、父さんが言ってたしな。こいつらの中に魔法使いが居たらマズい……今戦うのは得策とは言えねぇよな。クソっ)
どう打算してもムラサメなき漆紀には吐瀉物を吹きかける戦法だけでは勝利出来るイメージが湧かない。
(こいつらの中に魔法使いさえいなけりゃボロボロにはなるがゲロ戦法で勝てるだろうが……クソ、魔法使いが居るって可能性があるだけでダメだ! もうこの前みてぇに軽率な事をしちゃダメだ。軽率な事で悪化させたから真紀が撃たれたんだろうがバカ!!)
己を蔑みつつ漆紀は滝行に耐える。両肩から背にかけて澄み切った自然水がバシャバシャと音を立てて打ち付け続ける。
(ゲロ戦法か……そういや、俺ゲロを何度も吐けるけどなんでなんだろ? ムラサメの魔法の一種じゃないだろうし……体質? いや、医者に聞かないとそんなの分かんねえか)
滝行本来の雑念を捨てる趣旨など知った事かと、むしろ滝行という苦行に耐えるべく雑念まみれにして時間が過ぎる事を願い続ける。
(あークソ! こいつら全員腹壊しますように、こいつら全員尿路結石になりますよーに! こいつら全員財布失くしますように、こいつらの銀行口座全部差し押さえになりますように! あと、あと……あー、そうだ! あと死ね!)
シンプルに不幸を願いながら耐えていると、遂に信者の一人が口を開いた。
「8分経ちました、もう良いですよ竜王様。こちらに来てください。暴れないで下さいね」
「また手首縛るのか?」
「あ・ば・れ・ん・で・く・だ・さ・い!」
信者がそう強く言うと、体格の良い男の信者二人が漆紀の両肩を押さえて他の信者が漆紀の両手首を前に縛っていく。
(後ろじゃなくて前に縛るだけ良心見せてるつもりかこいつら)
譲歩し配慮しているつもりの信者達を見て呆れ返りつつも漆紀は信者達が連れるままに歩き始めるが。
「竜王様!」
「えっ、はぁ、竜蛇?」
雌滝というもう一つの滝に行っているはずの彩那が漆紀のもとにやってきた。
「おいどうした。なに焦ってる」
漆紀が彩那に問いただすと彩那が即座に「問題発生です」と答えた。
「何者かがここから北東にある吉岡の寺の僧侶に暴力を振るったようで」
「はぁ?」
「とにかく急いで下さい、私に付いて来て下さい」
そう言って彩那が漆紀の右手を握って歩き始めようとするが。
「待ちなさい!」
「おいおい今度は誰だよ……」
漆紀が声のした方を向くと、そこには40代ほどの気難しそうな女性が二人居た。
「お、お母さんと貴子おばさん!? なぜここに……」
本来わざわざ現場に出向いて来るはずのない彩那の母・香代子と伯母・貴子が来ていた。
「青竜、私が来ただけで動揺しない。落ち着きなさい」
香代子が彩那にそう指摘すると、更に続けて貴子も注意をする。
「あたしのことは司教代理、でしょ? しっかり役職で呼びなさい」
漆紀は彩那と香代子と貴子が家族であるのは会話で察せたものの、非常に関係を拗らせていると印象を受けた。どこか余所余所しく互いの心に壁があり、辰上家の家族関係とは全く異なるそれを漆紀は感じた。
「おい、あんたら一体なんなんだいきなり。俺に関係あんのか」
漆紀が問いかけるものの、香代子と貴子はそれを無視して彩那に対して話を進める。
「吉岡での暴行などこの際どうでもいいわ。青竜、琴浦の者達が襲撃されたと連絡があったわ。おそらく本家竜理教の者よ」
香代子が本家竜理教と口に出すと彩那は肩を「ぴく」と一瞬上げて驚く。
「本家が……彼らが、また……あ、ああっ……」
彩那は身を震わし始める。拉致された身の上であるものの、彩那の状況を不憫に感じたのか漆紀は両手首を上げて彼女の肩を掴む。
「落ち着け竜蛇。俺はまだここに居る……琴浦って、あの海の洞窟の所か?」
「は、はい。本家は……本家竜理教は、歴史上何度もこの佐渡島と抗争をしています。竜王様の所在を嗅ぎつけ、こちらに渡って来たのかもしれません」
「で、お清めの次は俺に何をしろと? その本家の連中と戦えとか」
「そんなコトさせません! お母さん、司教代理、今すぐ彼らを迎え討ちましょう」
捲し立てるように息巻く彩那だが、香代子と貴子は険しい表情を見せる。
「あなたのすべきことは本家竜理教を相手取るコトではないでしょう? 青竜、今すぐ竜王様を連れて大竜脈に行きなさい」
「ではどうやって本家を撃退するのですかお母さん! 本家から来たということは恐らくその……魔の……」
母・香代子の指示に困惑してそう返す彩那を見兼ねて、漆紀は大きく溜息を吐いてから切り出す。
「竜蛇、俺の首飾りはどこにある?」
「あれを返すわけには……」
「ガタガタ言ってないで返せ、緊急事態なんだろ! 面倒だから俺がそいつら撃退してやる! お前ら内輪の右往左往に付き合わされんのは御免だ」
「ダメです。そのまま逃げられては困ります」
彩那の回答を待たずに香代子が漆紀に冷たくそう突き返すが、漆紀はこれに気圧される事無く呆れ返る。
「襲撃ってボカシて言ってるが、被害者は何人だよ。なあ? このまま俺一人の為に何人犠牲にする気だよ」
「何人でも犠牲になる覚悟があります。竜王様は我ら竜理教の悲願……死しても繋ぐ」
「イカれカルトが、じゃあ勝手に死んでろよ。仮に今、銃撃されてもお前らは俺一人のために死ぬってか?」
「ええ。竜王様さえいれば我々は幾度でも息を吹き返せます」
漆紀は首を横に振ってもう一度深く溜息を吐く。
「なら銃撃が起こっても、娘を守んないで俺を守るんだな?」
「ええ」
平然とそう答える香代子に漆紀は彩那の方へと視線をちらと移しつつため息と共に「冷たいもんだ」と一言零した。
「……青竜、これ以上竜王様に無駄口をさせないで。連れて行きなさい」
香代子が変わらず平坦な声色でそう言うと、彩那が漆紀の手を掴んで握り直す。
「わかりました。来てください竜王様」
彩那が他の信者達に「行きますよ!」と声を掛けて移動を始める。漆紀は渋々これに従い、彩那と共に歩を進め大佐渡山脈の大竜脈へと向かった。