11.平野一家、風祭の家系
午後6時、平野宅にて。
漆紀が拉致されている最中、平野小太郎は夕食時を迎えていた。
小太郎と妹の寧音が並んで座り、向かい側に父と母が座る。献立は米飯、生姜焼き、ほうれん草のおひたし、豚汁、リンゴと至って健康的なものだった。
「親父殿、義を成す時がきたかも知れない」
学校と変らぬやや早口かつ高めの声色で小太郎が父にそう切り出す。
小太郎の家系はかつて実在し、今は滅びた風魔忍者のものである。風魔忍者は主家である大名・北条家を失い江戸時代に入ると、食い扶持に困って盗賊の一団となり果て多くの人々を犯し、殺し、奪ったのだ。
最終的に風魔一族の多くが処刑され、僅かに生き残った家系の一つこそ小太郎の家系に当たる。
小太郎の風祭の家系が代々負った使命はただ一つ。手に届く範囲で、人々を助けること。
これは、先祖の大罪に対しての償いの使命であるのだ。
その使命を人知れず果たすため、戸籍上では既に風祭の姓は捨てており平野の姓で小太郎の家族は生活している。
小太郎の言葉を聞くなり父は箸を置いて聞き入る。
「小太郎、それは本気なのだな? 何があった」
「拙者の同級生、クラスメイトが二人欠席した。片方は佐渡流竜理教の司教家長女である竜蛇彩那さん。もう片方は拙者らの焼肉オフ会に来るはずだった辰上漆紀」
「昨日の時点で辰上とやらは連絡がつかなくなったと言っていたな。何かあったと?」
「辰上氏は確かに昨日、焼肉に来ると言っていたのに……来ないだけでなく連絡もなし。そして辰上氏と竜蛇嬢は今日欠席。佐渡流竜理教は本家竜理教に負けず、場合によっては拉致してでも入信させたりする……過去にそういう事件もいくつかある」
「怪しいと睨んだのだな? 良いだろう、やってみると良い。丁度明日から土日だ、早々に準備し義を成せ」
父は小太郎の直感を信じるようだが、母は無言のまま首をゆっくり横に振る。そして堪え切れなくなった寧音が嘲笑混じりに小太郎を煽り始めた。
「お兄ちゃん厨二妄想しすぎ~、馬鹿ばーか。物的証拠一切ないしたまたま欠席が被っただけじゃなーい? さも自分の観察眼が冴えてるみたいにイキってるの恥ずかしぃ~♪」
「拙者の目が節穴であることを祈りたいものですなぁ。そうであるならば拙者の学友は無事であろう」
小太郎は寧音の煽りに対しあくまで落ち着いた様子で宥める対応をするも、寧音はそれが面白くないのか更に煽りを入れる。
「お兄ちゃんさぁ、家でまで擬態しなくて良くなーい? 最近ずーっと素を出してないじゃん。キモオタ擬態やめたら~?」
「そういう寧音は、メスガキ擬態をやめたらいかがかな?」
小太郎のこの返答にも面白くないと思ったのか、寧音はここで火を着けようとした。
「てかお兄ちゃんはパソコンやら機材イジイジしてイカガワしい変なソフト入れまくってる変態だしぃ……擬態でも何でもなくその素がキモオタなん」
「寧音、少し黙ってくれ」
先程までと打って変わり低く重たい声色で小太郎はそう言う。寧音はというと、首筋に硬い物を当てられる感触がしていた。
普段は冷静な小太郎であったが、擬態が素であると邪推され、あたかも自分というものが無い無個性かのように言われた事で苛立ちを覚えた。
「うわぁ、こんなんですぐキレちゃって刃物でもなく普通の箸を首に突き付けてカッコつけるとかもう終わりだねこの兄貴。ニンジャがそんなすぐキレてたら百害あって一利なしだよー」
先程の威圧の文句と共に小太郎は寧音の首近くに箸を添え当てていた。
「これは拙者の箸だし手入れまでしている。先端を少し尖らせてるから人に刺すことは可能だ」
「へぇー、妹を脅すんだ? じゃあ久しぶりに喧嘩しよっか」
寧音が余計に話を悪化させる事を言い、母が静かに「やめなさい」と言いつつ首を横に振る。一方、父の方は無言で小太郎と寧音を見るのみ。
「いいでしょパパ。たまには兄妹でもやり合わなきゃ」
父は溜息を一息吐くと、落ち着いた様子のまま言った。
「お互い致命傷は負うな。良いな?」
父がそう言った瞬間、寧音が椅子を後方へ押しずらすと共に一気に飛び退きつつ、宙で小太郎目掛けてすばやく箸を投げつける。
小太郎に戦意までは無かったものの、寧音がやる気を出しているならば応じようと椅子を倒してそのまま転倒するように床に転がることで箸を回避する。
寧音の箸も小太郎のもの同様に先端を尖らせているため刺さる危険性があった。
小太郎はすぐさま起き上がって、まだ着地したばかりの寧音に向けて己の箸を投げつける。
「おっ!?」
驚きつつも寧音は更に姿勢を低くすることで箸を難なく避け、箸は壁に当たってそのまま床に落ちた。
「着地狩りは害悪だよお兄ちゃん!」
寧音は懐から刃渡り6cmの小さいナイフを取り出すと、身軽な体躯を活かして小太郎の顔面目掛けて飛び掛かかった。
小太郎も負けじと反応し、右腕を構えて寧音のナイフを受け止めてそのまま押し返し再び距離を設けた。
「家族間でナイフはご法度だろ寧音」
「常に袖下に鉄板仕込んでるお兄ちゃんも大概じゃなーい?」
変わらず寧音は小太郎を煽りながらナイフを左手、右手と流れるように持ち替えて小太郎に攻撃方向を悟らせぬ様に一歩一歩接近していく。
「得物の運びは上手くなったもんだな」
「うるさい!」
小太郎まであと3mの間合いになると、寧音が仕掛けてきた。
ナイフを下段から突き上げて小太郎の顎下あたりを狙ってくるが、小太郎はこれを肘鉄で打ち下ろす。
肘鉄の衝撃も相まって寧音はバランスを崩して小太郎の方へと転びそうになるが、その勢いを利用して両手を床につけて逆立ちの要領で下半身を振り上げる。
「おまっ!?」
寧音は小太郎の首を両脚でロックしてそのまま上体を起こし小太郎を見下ろす体勢になる。
(寧音の勝ちぃ!)
そのまま寧音が小太郎の顔にナイフを突き付けて喧嘩終了と思われたが、小太郎は寧音が首を両脚でロックしてきた時点で対策法が頭に浮かんでいた。
「おりゃ!」
「うわっ!?」
思わず寧音は動揺の声を上げてしまう。寧音が硬く小太郎の首をロックしているのなら、シンプルに小太郎が寧音にロックされたまま回転すればいいのだ。
そうすれば遠心力に耐えきれず寧音が落ちると小太郎は発想した。
(遠心力で脚の力が緩んだ、今だ!)
緩んだ寧音の両脚を掴むと、小太郎は遠心力に任せて壁へと寧音を放り投げた。
「痛っ!!」
右体側から壁にぶち当たり、衝撃で2秒ほど悶えるものの本人の意地があってか気丈にも起き上がろうとするが。
「喧嘩終了だ、寧音」
起きようとする寧音の首を小太郎が足をそえて抑える。
「ほんとお兄ちゃん酷いね。妹の首を踏みつける普通?」
「踏んでない、足をそえてるだけだ。充分マウントになってるだろう? 父さん、もういいだろ。拙者の勝ちだ」
妹に後れを取ることなく息も切らさず勝った小太郎を見て、父は「よし」と一言置くと僅かに口元を緩ます。
「小太郎、お前ならやれる。義を成せ、それがご先祖様の贖罪になる」
「ああ。もし土日で遂行できなかったら……学校には病欠って言っておいてくだされ、親父殿」
小太郎はそう言うと寧音から離れて投げた箸の片付けを始めた。
「ちょっとぉ! 寧音の話は無視なワケぇ!?」
寧音が父にまだ戦う意思を示すが、父は充分実力が計れたと考え首を横に振って「だめだ」と答える。
「いいか寧音、確かにお前の軽業と体術は見事だが仕損じては意味がない。技が足らぬなら、道具を変えてみる事だ。あとは自分で考えて実践してみろ。土日は稽古相手になってやる」
小太郎と寧音の父は決して欠点だけ指摘して放置する無責任な父親ではない。適切な助言をするし、必要な事を必要に応じて行う男だ。
「とりあえず箸とかそのほか散らかったものはコレで全部かな。では拙者は準備に入るんで、これでご馳走様で」
兄妹喧嘩の後片付けを素早く済ますと小太郎は階段を上がって自室へと向かった。
「パパ、本気でお兄ちゃんあのまま行かせる気? しかも一人で」
「ああ、信じている。小太郎なら出来る、小太郎の名を継げているのだからな」
「でもそれ去年の10月からじゃん」
「お前よりは一人でも心配ないぞ寧音。技だけじゃない、装備や判断力、武器技術までしっかりあいつはできている」
父が寧音にそう語ると、寧音は不満そうな表情のまま歯軋りをした。
一方、自室に上がった小太郎は緊張感を持つと共に自分の手の届く友人を助けるべく尽力せねばという強い使命感で突き動かされていた。