表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

草の星・・ 

作者: 瑞雲

 何で私・詩子は、苦難ばかりなんでしょうか。何で、がみがみ、がみがみ、可愛らしくない!とか言われるんでしょうか。ボランティアをすれば・・花壇に夜盗虫を入れる、除草剤を入れたりする・・ボランティアさんに出会う。訳の説明もなく・・いきなりですから、困ります。それともこの頃、皆暗号なんでしょうか?戦いなんでしょうか?10年くらい前・・幼馴染の温子が血液のがんで入院・・お見舞いに行った折、言われてしましました。「あんた誰?ぶっさいくな!誰?」「ええっ!まぁ!詩子よね・・どうしたんね?」温子はあの時・・気力だけで、頑張って生きて居たんです。甘える人が居ないから・・辛い気持ちを、詩子にぶつけたんです。分かって上げなくてごめんなさい。今でしたら、少しは対処できます。みんな、そうなんですかね。辛い気持ちを友にぶつけるんですかね。こちら・・身も心も、一つしかありません。誰も彼も、辛い気持ちを訳も言わず、私にぶつけて来るのでは困ります。せめて、訳位は言って下さい。説明もお願いします。何かの縁あっての、出会いなんですから・・。そこで、人生最終章になって思い付きました。この苦難を糧にする事、出来ないでしょうか・・。苦難は何かのメッセージと思うようになりました。



 一

 ①

 草の星・・謂いて儚き・・でしたかね?下の句は、どうでしたか?作者は?えぇ~と・・どなたでしたか?長い事考えたけれども・・思い出せません。スマホで検索したけれども・・出て来ません。心の何処かに引っ掛かっていて気になります。朝露の草の葉より落ちる儚い様を、光る星のようにと詩っているのでしょう。時々この下の句は?探しても見つからないから・・作って見ようと思うけれども、しっくりする句は出来ません。まぁ~いつか出来るかも知れません・・話を先に進める事にします。

 このところ・・お見舞い・お香典・お供え・とかのお付き合いが多くなったと気が付きます・・。そう云えば私・詩子はそんな年頃ですから・・もう直ぐに、お迎えが来る?かも知れないんですよ。

 先日も故郷で葬式がありました。お世話になった彩乃さんなのに・・お別れのお見舞いも出来ませんでした。新聞のお悔やみ欄に掲載されてましたから、慌てて葬儀に参列した訳なんです。8月から、ショートメールが返信されなくなりました。前回、少しの間違い文字もありました。間違い文字なんか一回もない人でした。それで体調お悪いのかも知れないと遠慮して居たんです。入院されたりしたのでしょうか・・。でもそれだけで、彩乃さん・・そんなに早くに、亡くなるなんて!体調良くないんよ・とかなんとか、言って欲しかったです。心配かけまいとして、自分の事は我慢する方でした・・。最期は最愛の娘さん家族に見守られての旅立ちであったと云う事です。世の中、一つの時代が終わったように、私の心の支えが無くなって寂しいです。年に2~3回ですが、墓掃除の帰りに伺うと・・いつも、にこやかに出迎えて貰ったものです。頑張った事を報告・・聞いて下さるのが嬉しかった!そして喜んで下さった・・。私の出来る事は、何かして上げたい。知っている事は、何でも叶えて上げたい。そんな風に思う人でありました。元気になって頂きたい。必ず元気になって下さい!信じて疑う事は無かったのに・・。

 10年位前の事・・「娘夫婦に子供が出来なくてね・・」ポロっと愚痴がこぼれた時・・。「私の出来る事と云えば・・ハーブグッツを作る事です。ハーブで入浴剤を作って、丁度今持って来て居るんです。これをお嬢さんに送って上げてください。体が温まってから、お布団に入ればいいと思います。何でもやってみて下さい」そんな会話の後、半年後に伺うと・・「子供出来たらしいです・・」「えっ!うそ!本当ですか?」笑顔が二つ・・ありました。「良かったですね!」「ありがとう。効きましたね・・」「どうでしょうか?」その後、私は、ハーブでボランティア活動をするようになりました。かれこれ10年間、何らかの活動をしていました。彩乃さんとは響きあう出会いを感じていました。響きあうとは、互いに思いが増幅して、良い事に繋がって行くと云う現象でしょうか。このご時世・・そんな関係を持てる人、少なくなりました。本当に私・寂しくなりました。

祭壇には、在りし日の華やかな遺影・・お洒落なコサージュ・・カトレアの花がとてもよくお似合いでした。生花でいっぱいに飾られた棺・・生きて居られるように、美しい姿でした・・。

 ②

 帰り道・・先祖の墓地の掃除をして帰ります。家から車で、1時間半もかかります。50代60代の時は別に思わなかったけれども、この頃少々疲れるんです。トンネル内とか夕方になると車の運転・・不安なんですよね。それで別の日に掃除、というのも辛いのです・・作業用のズボンと靴を車に積んでいました。お供えの花は、前もって道の駅で買っていました。土手に車を置いて、喪服から作業服に衣装替えです、よっこらしょ・・さて、約1時間半・・夏から秋、大きい草は生えてなくて助かりました。落ち葉を掃き集めて、花をお供えして・お参りして帰ります。水は田んぼに水を引くための、小川からくみ取ります。8月頃迄は、稲の状態により・・サラサラと小川は流れていたけれど、今は三分の一程度に堰き止められていました。ここでも、よっこらしょと深く屈んで水をくみ取りました。里の水です、喜んで下さいますか?曾祖母さん!独り言を言いながら、墓掃除は終了・・。気になっていた事・墓掃除をしてしまうとホッとします。これで今年の役目も終わります。来年春に、筍が墓地に入るので、小さい内に、筍堀に来ます。盆前の掃除と年末の掃除・・年3回のお参りで、ご先祖様には許して貰って居ます(こちらの勝手です)通り道の草も抜いて上げると・・墓のお隣さんも喜んで下さると思うんです。これ親切かな?と思いながら、良い気持ちになって帰ります。

 それから、また衣装替えです。今度はお悔やみ用に準備していた、紺色のちりめんの洋服に着替えます。靴は式服の黒のパンプスでいい・・。遠いいし・・また後期高齢者ですから・・なかなかお悔やみには、お参りできないものです。同じルートでしたから、寄せて頂きました。

 8月にご主人様が他界されたんです。香典は姉に頼んでいたから、一応の面目は立って居ます。気持ち的に、一言・・さぞやお寂しい事でしょう。とお悔やみを申し上げたいと思いました。少しでも元気になって貰いたいと思うんです。田舎に住んでいた子供の頃は、この家によく遊びに来たものです。、母の従妹の家なんです。母と仲の良かった信江従叔母さん(短縮して小母さんになる事あり)は、今は施設に入っていると聞いています。ふた従妹に当たる信子ちゃんが居るはず、そのご主人様のお悔やみです。跡取り息子さんには、まだお嫁さんが見つからないらしい。我が家と一緒です・・、縁談は若い内でないと、纏まらないと思います。いろいろ考えて、やっぱり止めようという事になるんです。勢いのある、若い内にと思いますよ。我が子で実証済ですね。家庭を創れば、夫婦で何とかやって行くでしょう、やらねばならないから・・。親が心配しなくてもいいと思うようになりました。この家の女の子二人は独立して、近くに住んでいると云います。久しぶりの訪問です。疎遠になって、かれこれ20年になりますでしょうか・・。理由がありますが・・けれども・・まぁ、親の時代が済んで、子供達の家になり、付き合いもその様に移って行ったという事でしょう、仕方ない事です。疎遠なのに、何故葬式の連絡が入るのかと云えば・・近くに叔母の家があるし、別の家に従妹が結婚して住んでいるし・・です。小高い処にある墓地の左の墓は、詩子ちゃんの父方の曽祖父さんの墓よ・・。右の墓は詩子ちゃんの母方の曾祖母さんになる人よ。子供の頃、村の年寄りから聞いたものです。その年寄りも・・姿が見えなくなっています。墓石を読めば・・その人にも会えるかも知れないです。空想が始まると・・・御先祖様がお出ましになって、物語も勝手に出来上がるかも知れません。

 家の周り・・今は畑を作る人が居ないらしい。畑は黒いビニールシートで覆われて居ました。野菜は少しも植えてない。草は生えていないから・・人に世話を頼んで居るのでしょうか?それとも休日にする、長男さんの仕事でしょうか?昔々・・信江従叔母さんには、丹精込めた美味しい野菜を貰ったものです。「トウモロコシは朝の採れ立てが美味しいから!今年のジャガイモは、美味しいよ!ほら食べ食べ!いっぱい食べて大きぅなりんさいよ」トウモロコシもふかし芋も美味しかった!!「骨皮筋衛門を卒業するんよ」「嫌です~骨皮みなえです!ウフフ・・」私はほっぺを膨らませて、抗議の仕草をしていました。痩せていて病気がちな私に、信江小母さんは母と同じ事を言うんです。この風景の中に居ると・・信江小母さんの声が聞こえてきそうでした・・。「詩子ちゃんよぉ来たね・・久しぶり!大きぅなったね。通り越して・・ええおばぁちゃんになったね。ウフフ・・」「アハハ・アハハ・・」

 玄関ではなく・・勝手口から、昔からこのスタイルなんです。国道から入って駐車場があり、すぐが勝手口ですから、都合がいいんです。何故かというと、300年も400年も前から、家は山の方に向いて建てられていて、玄関も庭もそちらにあります。国道は家の裏側に後から工事されたらしい。山側の小高い処に街道があったというんです。自動車のない時代の事です。お殿様の行列も通られたのだと聞いています。

 今日は天気も良いし、マットレスが2枚干してありました。息子さんの仕業でありましょう・・無造作に積み上げるように、竿に掛けてあります。その横の昔、外風呂があった所は・・駐車場になっていて、黄色の大きなジープが止まっています。この風景の中に居ると、何もかもごっちゃ混ぜに思い出されてしまいました。そうそう・・まだ訪れてないんです。

 今は勝手口にチャイムが付いています。それをピンポンと押しました・・。20年振りになるだろうか?居るかな・・留守かな・・もう一度ピンポン!「ハーイ」聞き覚えのある声がしました。良かった!丸顔で可愛い信子ちゃんの元気そうな声が聞こえて来たんです!「どうぞ・・開けて下さい」「はーい失礼します」勝手口の開きを開けました。アッ・・老婆がワゴンに寄りかかって、出て来たんです。「アッ・・あのー詩子(うたこ)です」「まぁ!詩子ちゃん!」お互いに分からなかった・・。顔は縦縦横横に皴があり、皴くちゃなんです。・・髪は胡麻塩頭に手入れがしてなくて・・信子ちゃん誰かと思いました。しかしながら・・目が慣れて来ますと、普通に見えて来るんです。後期高齢者だもの、私もそんなものです。信子ちゃんの声はしっかりしていて、声に艶があると思いました。「先ず・・この度はお寂しい事でございます。一言お悔やみにと思いました。その日は家の主人の手術がありまして、病室で待機していたものですから」「何処を手術?」「脳梗塞をしているから・・右の頸動脈にステントを入れる手術をして貰ってね。定期検査で、脳の血管が細くなって、消えかかっている血管もありますよ。これ以上待てません。と言われてね。お陰で助かっています。早くすれば良かったのかも知れません。主人は恐れでね・・」話はあちこちに飛びます・・「先ずお参りさせて下さい。勝手知ったる他人の家・・懐かしい。覚えている、覚えている。襖を全部外すと結婚式とか、葬式とか村の会議なども、出来ていたのを見たことがあります。大きな仏壇・・前には、遺影がありました。若い頃の面影は目の辺りにありましたが、随分痩せて居られました。胃癌で、胃を全摘出されて・・。気力も無くなった・・かも知れないと云う事です。立ち話をして居ると、話は次から次へ・・。「どうぞリビングに!座ってください」「そうですね、ちょっとだけね」部屋は元のリビングであるけれども、調度品はワゴンにすがって動けるように考えられています。洗濯乾燥機かあると、毎日の作業も助かるでしょう。この頃は身体が出来ない所は電気製品でカバー出来るんですよね。近い内にロボットとかも各家庭にあったりするかもです。信子ちゃん頑張れ!息子さんの世話をして元気になってね。と思いました。「お孫さんは何人さん?子供さん3人は知っている」「えぇ~とね・・6人よ」「素晴らしいね!内は一人なんよ。娘は働いているから・・仕方ないんかね?体冷えるから、子供出来ませんよね。育てるにしても・・大変よ、他県に住んで居るから、手伝いも出来なくてね・・」「内は6人・・」得意そう・・子孫繁栄は幸せ・・。「母はひ孫の名前が覚えられんというんよ!まだ呆けてないのに。この前・・着付けに来てもらって、振袖着せたんよ。母に見て貰う為に、施設迄行ったよ。彼氏も居るんよ」「いいねぇ~彼氏もいるん。いいねぇ~」話は尽きないものです。ゆっくりしたいけれど・・「さてさて・・帰らんといけん」「もぉ?」今来たばかりなのにと言いたそう・・。「家に着くまで1時間半もかかるから、途中夕食の買い物をして、パッパッとご飯を作って・・忙しいから、ごめんね。夫はなんにもせんのよ、テレビばっかり見て待っているから、帰りますね。小母さんは何でも食べられるん?少々呆けているん?」「それがね・・まだ呆けてないんよ。ひ孫の名前は間違うけれどね」「素晴らしい!今のうちにお見舞いに行こう・・。白寿なんよね。私の母・・生きていたら何歳じゃろう~104歳じゃろうか?話は取り留めも無く出てきます・・。またね。元気になるんよ!」椅子から立ち上がって、帰ろうとして後ろを向いた時・・「ありがとう・・あっ、禿とる・・」帰り際・・信子ちゃんは言うんです。「えぇっ!うん・・まぁね・・」後ろのぎりの辺り・・髪が白くなって薄いのは知っているけど、禿げてはいない。自分では見えないからいいんだけれど・・。髪のマニキュア薄くなっていました。慌てて葬式に参列したから・・「またね・・お邪魔しました」私、お悔やみに来た、一応お客様なのに・・いう?そんな気になる事を言います?と思いました。まぁ、目に付けば言うかも知れません。それとも・・よほど体調が悪いのかも知れません。体調が悪いと・・人の悪い処を探して、慰めにするとか聞いた事があります、それなんかね。それとも・・信子ちゃんは若い頃から、思っている事をストレートに表現する人でしたから、何とも思わずに、口に出すのでしょうか。詩子が20年位前から、この家を疎遠にしている原因の一つでもありましょう。そんな気もするんです。

 ③

 60代で亡くなった友達・温子の事を思い出します。病名はがん・・。血液のがんとか聞いています。一度は元気になったけれども・・再発して入院して居るんです。温子はご主人を無くして、5年位経っています。夫の後を継いで、工務店の社長として頑張っていたのに・・。温子と詩子は小学校、中学校、高校迄同じ学校なんです。稀に見る関係と云う事でしょうが、趣味とか性質が違いますから・・それ程親しい付き合いではありません。しかし、60代にもなりますと、みんな親しい懐かしい関係になるものです。クラスのメンバーも一人欠け、二人欠けたりしますと、いよいよ強いつながりが出来るというものです。「お祖母ちゃんは長生きされたんよね。お母さんもつい先ごろ迄お元気じゃったよね・・。若い頃・・大島の着物に、黒髪の髷がよく似合って居られたよ。それに色白でね・・。私、小学生だったけれども・・そんな風に覚えているんよ。お宅は長生き家系よ。特に女性は長生きされてるよ。温子ちゃんも、まだまだ生きるんよ!この調子で元気になってね!」先のクラス会で楽しんでいたのに。温子にとって、最後のクラス会となってしまいました・・(クラス会と言っても・・気心の知れた同級会の仲間が、居酒屋での飲み会なんです。男性は毎月、第三木曜日に集合と云う。10人前後の集まりが、50年以上続いて居るんです。女性は年に1~2回参加して居ます)・・さて家から車で、30分程にある大学病院に入院して居ると聞きました。駐車場に車を置いた時から、迷いながら・・最新設備の大きな綺麗な建物に入りました。院内をあちこち迷いました。受付やナースステイションで尋ねながら・・やっと302号室の病室に辿り着いたのです。辿り着くと云う感じです。あ~疲れた・・。お見舞いする者にとっては、大きな病院も・・辛いと思いました。年寄りには、辛いです。いつもの、病院。いつもの、道路。いつもの、スーパー。慣れた処でないと、迷いますね。特に私・・。

 「トントン・・」「ハイ・・どうぞ」元気そうな、温子ちゃんのいつもの声がしました。「失礼します・・あれ!」ベットには黒くて痩せ細った温子ちゃんが、真っ白な清潔な布団に埋もれていました・・。「お加減は如何?」「あんた誰?・・」思いもしない返事でした。「ええっ!・・詩子よね。どうしたんね?」「ええっ!嘘ぉ!・・誰?・・あんた誰?不細工な!誰?・・」「詩子よ・どうしたん?」「誰かと思った。ぶっさいくな!」温子は不細工を強調して言うんです。若い頃よりは不細工かも知れん・・年相応よと言いたいけれど、言葉が出て来ません。「ええっ!まぁね・・お宅の家系白髪ないよね。貴女・・黒髪じゃね」ちょっとお世辞を言って、笑うしか方法が無いんです・・矢継ぎ早に不細工な!を連発するんですから・・何でだろうか?貴女だって、棒切れのようで、不細工よ!!とは言えません。あまりにも可哀そうでした。 丁度そこへ娘さんが病室に来て・工事の打ち合わせと言う事でした。お見舞いの包みと、手作りのハーブのサシェ(香りの袋)を差し上げると・・「詩子ちゃんの手作りよ」自慢そうに、娘さんに見せていました。立場として旧友は、身内に近い者でしょうか。ご主人様は5年位前に他界されて、会社の経営を継いでいる温子。頼る人は居ない・・甘える事も出来ない・・やせ細る自分の体・・やりきれない思いを、私にぶつけたのでしょう・・。今ならその訳が分かります。その時優しい言葉の一言を掛けて上げると良かったのに、と思います。お母さんとか、お姉さんのような立場で、優しく手をさすって上げると良かったかも知れない・・。でも、でも・・同級生には、甘えないかも知れない。夫と二人三脚で築き上げた会社の、社長として取り仕切っている処ですから。病気になっても、気力だけで、頑張って生きて居るんですから・・。何と言えば良いのでしょう・・。

「お孫さんは何人じゃったかね?」「えぇ~とね・・。7人よ!一番上の男の子は、今年大学生・・。次は高校2年生・・中学生と小学生・・あと3人はこの娘の子なんよ。小学生と幼稚園・・毎年お祝いが忙しいんよ」「嬉しい悲鳴じゃね。いいねぇ。内の孫は一人なんよ・・まだ小学1年生」「一人なん?子孫繁栄も幸せの項目にあるよね」「あるある、一番幸せという事よ。」温子ちゃんはいつものように、優しい笑顔になっていました。

 構内から出て、右に行けば・・温子と詩子が、昔住んで居た街があります・・街があったのです。現在は土地区画整理されて・・綺麗な街並みになっています。その交差点を左に曲がって、詩子は家路を急いで居ました。

 ④

 「では、信子ちゃんお元気でね。体に気を付けてください」「ありがとう・・ここでね」見送られる事もなく・・家路へまっしぐら、軽の車を飛ばしていました。大きな家だから、昔は何人もの従妹達、若い叔父さん叔母さん達が集ったものでした・・。今はリセット時期・・長男さんが結婚すれば、再びこの家も賑やかになる事になるでしょう。

 トンネル内は慎重に運転しなければなりません。白内障があるんです・・手術を躊躇している処です。免許返納・・それもまだ困るんですよね。家の用事、買い物、夫の通院の付き添い・・団地に住んで、この年では大変です。家事なども休み休みしている処なんです。ちょっと、ソファーに横になります。息子が独立すれば、家事も楽になるのにな・・。白内障の手術をした人は、皆が皆、良く見えるようになったと言います。でも・・家中の埃が見えて来るから困る。ぼやけている方がいい・・顔の皴が見えて、びっくりしたとか・・話題になるんです。一般的な手術だから、心配しなくていいらしい。一度は眼科の診察受けたけれど・・保険適用内の・・焦点を遠にするか近にするか、保険適用外の遠近両用にするかとかを検討中。それと、医師には相談して居ない事ですが・・。私・詩子の目は、人の企みが分かるんですよね。例えば・・四つに折った千円札が道に落ちて居た時・・浮いて光って見えるんです。びっくりして、不思議な物を見るように千円札を一回りしていたんです。それは態と落とされて、誰かの?近所の人の?引っ掛けでした。また、試されているとか・・。後から人間模様が見えて来ます。判断は視力だけではなく、五感と前後の人の行動とかを、時間を掛ければ解ります。ボランティア活動をしていた時・・花壇に除草剤を撒かれたり、夜盗虫を入れられたり・・態とする行為は分かるんですが・・そうする意味が判らなくて考え込みます。綺麗に咲いている花を態々枯らしますか? 夜盗虫を花壇に入れて、持って来た袋迄花壇の中に入れておきますか?お祖母さんと言う立場の人がしていると気付きました。ボランティアさんです。仲良くしようではなく・・手下になれ!と言う意味の風習でしょうかか。手下になって、自分たちの活動の為に、花を植えろ!大きな団体になれば平気で出来るらしいですね・・。最後までその行為の説明もなく、もちろん詫びの言葉もありません。家の花壇迄、除草剤を掛けられる始末でした。嫌がらせ、そして誤魔化しですね。いつまでも昔のまま・・考え方のリセットが出来ない人達でしょう。私が言う迄もなく、その考え方自分達で反省、改めて戴きたいものです。

 視力が良いと・・美味しいお菓子は見ただけで分かるんですよ。まぁ・・この頃のお菓子、全て美味しいですけどね。嗜好もありますから一概に言えませんね。要するに・・自然体でいると、美味しい食物に出会えるんです。だから目の手術は思案中・・もう少し時間かかります。お医者様に、美味しいものが、見ただけで分かるんです・・相談しても多分、そうですか?とだけ・・それとも笑われるんでしょうか。

 ⑤                                              さてさて、信江従叔母さんのお見舞いに行きましょう・・。一度位は行かなければ、後悔する様な気がします。喜んで貰えるでしょうか?20年位前、色々あったから、嫌われるでしょうか?それとも悪かったねと、謝って頂くのでしょうか?それもまた困ります。私、何と言えばいいのか分からないです。白寿と言うのですから・・もう、全てを吞み込んで悟りを開いているのでしょうか?子供の頃、お世話になったお礼を言いたいと思います。こちらも、全てを呑み込んで居なければなりません。

 20年位前の出来事と言うのは・・母の里の墓掃除に誘われたんです。(母の墓もある)行き帰りの車の中で、三男(みつお)叔父さんと叔母さん(叔父達のお嫁さん二人)計三人が・・がみがみがみ・可愛らしくない!がみがみがみがみ・可愛らしくない!を連発するんです。前後の説明もないので、訳が分かりません。往復2時間も、狭い車の中で・・墓掃除の時間はせっせと掃除です。母方の先祖代々の墓地です。叔父さん達の墓は仲良く並んで三基・・祖父母の墓の後ろにあるのが、母の墓。母は里の墓地に入れて貰って居ます。40歳代で他界した母の遺言でした。父に後妻さんをと思ったのでしょう。「この世で、たった一人の叔父さんになりましたね」母の末の弟、三男叔父さんの墓は赤い字で・・。詩子と一回り違う、若い叔父さんです。「一男叔父さん、次男叔父さんも墓の中。叔母さんは元気ですよ」とか言いながら、墓を綺麗に掃除・・草を抜いて・・花を手向けて・・お参りです。墓掃除も四人居ると捗ります。

 帰りもまた、叔母さん達は・・がみがみがみがみ、可愛らしくない!叔母達はこの機会に言っておこうとばかりに、一層がみがみです。訳が分からないから・・「うちのお父さんは呉れない族なんですよ。糸へんの紅の字ではなく、呉れないです。お父さんの為にして上げても、して上げても・・まだまだという。まだ呉れない、まだ呉れない、と言う人なんです。だから呉れない族なんです」この後、叔父さんは助け舟を出して呉れました。「詩子が親の為に、家のローンを払っとるんじゃ!麗子が嘘を言うとるんじゃ!」少し攻撃が弱まり、助かりました。(皆、心も現実も貧乏な時代でした・・父の住むあの家には2回ローンを組んでいます。1回目は姉夫婦が家を建てて出るから・・頭金を貰うと云うのです。建てて5年目でした。父と姉の夫とで半々にローンを払って居ました。建てた時の倍の値段で詩子夫婦が買うことにして、18年のローンを組みました。その後転勤があり、社宅にも住んでそのローンを完済。便利の良い処に、詩子夫婦の家を建てる事になり、父の住む部屋も作りました。古い家を売れば、頭金になるんです。しかし父がどうしてもこの家に一人住むと言って聞かなかったんです。詩子も父の住む家をどうしても売る気になれませんでした。それで、詩子夫婦は二つの家のローンを払う事になってしまうんです。詩子が働く事を前提にしてローンが組めました。実は最初の家の頭金も・・詩子のOL時代の貯金を出しています。だから詩子は父の住む家の為に2回も3回もすってんてんになって居るんです。しかも倍にして売った利益は・・父は貰って居ない。など人には言えません・・。身内の恥です。言えないですよ。何故にその条件で古い家を買ったのかと思われるでしょう・・姉夫婦とは遠ざかりたかった。姉・麗子の夫は父・親を腐す人なんです。だから言い値で買って、親を見れば文句ないでしょう!という意味です。‥何年かして(父と詩子家族が仲良く住んで居ると)父をつついて入り込みたがる姉です。あの家で、世話をしたいなら・・家賃を貰ってもいいと思いました。しかし父と姉のプライドか?頭を下げたことが無い、高い頭が・・。詩子だけには負けたくないらしい。泣いて頼めば少しは貰えたかも知れません。詩子は、これ以上可愛らしく出来ないんです。私の人生守らせてください。   

 三男叔父さんには母の死後、付かず離れず見守って貰っていました。姉麗子と私詩子の事を・・母美子が臨終のきわに(私たちと年が近い)三男叔父さんにお願いしたと推察しています。「詩子はよく考えて行動するから・・見守ってやって下さい。詩子が判断します。姉の麗子が・・」詩子も一人付き添いをしている時、病院のベットの傍で聞きました。「詩子ちゃんはよう考えて行動するから心配してないんよ。大丈夫よ・・麗子がね」姉麗子の事を母美子は心配そうに、額に皴を作って言うんです。麗子は結婚して、2歳になる娘を授かっていたんですが・・愚痴をこぼしに来るのでしょう。その日も病院で愚痴をこぼしたのでしょうか・・。「お姉ちゃんには浅葱色(あさぎいろ)の付け下げ着物をあげてね。詩子ちゃんには小紋の小さな花柄の着物を上げるから・・」「えっ!何でそんな事を言うん?・・小さな花柄の着物あった?ふぅ~ん」2回目のくも膜下出血・・3回目は命取りと言われていました。後々の事を心配しての言葉だったのかと、今になって思います。形見分け・・遺言と言うものでありましょう。「浅葱色の着物、着た事あるん?まだ着ていないでしょう。縫っていたのを見た事あるんよ。お母ちゃんは完璧に縫えたから、見てみて!と言ったよね」裁縫していても、どこか上手く縫えない処があるんよと言って居たのに、一つも直す処は無かった。完璧に縫えたと言って喜んでいたから、その着物覚えている。ふぅ~んと言っただけで出来栄えを見もしなかった・・後々の勉強のために見ておけば良かったと思っています。完璧な仕事は最後、死ぬ時。だから、一つ態と不完全な処を作っておく・・大工さんの諺にもあると言います。一つ一つ知らせが・・予兆が来ていたのでしょう。こうして今でも母には、守られていると感じています。若い頃は沢山守って頂きました。今はもう後期高齢者ですから・・私が母を守って上げる番なんですけどね。今でも少しは守られています。

 ⑥

 多分・・このがみがみ事件の1ケ月位前の事・・父に言ったんです。頼んだと言うべきでしょうか?「お父さん・・私等の家に来ないんなら、お姉さんと私でこの家で世話をする事になるから・・家賃を入れて貰えませんか。無駄使いばかりしてるじゃないね!この世の中、タダで住める所はここだけよ!税金も掛かるんよ!お姉さんとお父さんで2万づつ入れて呉れたらいいのに」家賃と言う言葉が気に入らないらしい。娘は大学を卒業していたでしょう。父の住む家と私達の家のローンを払って居た頃でした。月に2~3回掃除に来ていました。正月のお節料理の折箱が溜まっています。姉麗子から貰うのでしょう。そう云えばこの頃父は、お正月に我が家に来なくなりました。「酒を飲んで寝とりたいんじゃ・・」「お正月位・・来るかと思うたよ。夫に申し訳ないからね。タダで住んで居るんよ。お姉さんに言うとって!2万づつとね」私詩子が働くと言うので、二つの家のローンを組んでいたんです。その頃夫は早期退職して、協力会社に勤めていました。私詩子は、住宅会社に勤めていましたが、営業成績は良かったのに・・成績を上司に取られたり、それを言うので、退職願を事務所で書かされました。腰痛もあるので、6年弱務めたその会社をさっさと辞める事にしたんです。(30年後の現在、世の中進んで居るから、セクハラ・パワハラで訴えるとお金になるかな。・・時効ですね。しかし・・その部署、今は気の毒な位に小さくなっています)宅建主任の資格を持って居るから、どこでも働くことは出来るでしょう。不動産屋は近くにもあるし・・不動産仲介の経験をしてみたい。企業の中の住宅営業では、井の中の蛙かも知れません。

 でもそう簡単に、親切な理想の不動産屋さんは見つかりませんでした。ハローワークで見つけた一件目の不動産屋は、飲み屋街の入り口にある、小さな店舗でした。店を1件仲介すると、1ケ月分の賃料が入ります。店舗ですから結構な仲介料が入って、面白そうでした。店の売買も、もうちょっとで纏まりそうでした。ただ・・買い手を見つけましたが、ヤクザもその物件に絡んでいて、その物件は別に売られてしまいました。社長が欲を乞いて・・売り主と買主から仲介料を頂くように(両手に)したんです。売り主側の不動産屋ヤクザがへそを曲げて、別の方に売られてしましました。「社長さん・・私、話を進めて居たんですよ。片方で充分ですよ。次を売ればいい事ですからね」社長は欲を乞いて、その話は無しになりました。まことに残念でした。社員は私を含めて6人・・男性社員一人は、社長と高校時代からの友達と云います。その男性は、営業成績は挙げない。社員の仕事ぶりを見て居るのかも知れません。女性社員5人中3人は、社長となんらかの関係があるらしい。高校時代からの、友達にその事を相談すると「あんた知らんのん・・」「知らない・・何?」「場所からして、ヤクザよね!」「あ~そうかぁ・・」それで辞める事にしたんです。寒い時期の3ケ月間、自転車で通勤しました。50分位掛かりましたか。若かったから出来ました。不動産仲介の勉強をしたかったのです。でも・・仕事が出来れば、それでよし!ではないんですよね。世の中いろんな事があるものです。三軒先の、面接を受けた同じ喫茶店で・・半分ヤクザとかいう社長が言ってくれました。(詩子より3歳年下であることは、入社の居り聞いています)「不動産屋をするなら、主人とするなら出来るかも知れん。女一人では出来ない。仕事はあるかも知れん。金は回ってこない。主人と築き上げた家なんか、吹っ飛ぶよ!騙されるから・・早い内に止めときんさい」「分かりました。有り難うございます」動きが違う・・前の会社、何で辞めさせたかの?私・詩子の事を、そんな風に見て貰って居ました。

 ⑦

 次の会社は・・元勤めていた会社と取引のある、インテリアコーディネーターさんの紹介?というより引き抜きでしょうか。住宅会社に居た、あの女性営業が退職しているらしい。探し当てての事でありましょう。

 その会社は、国道沿いのブルーのタイル張りで、3階建てのビルでした。2階が事務所と社長室で、3階は社長の住まい。事務所の机は12~13台並んで居ますが、がらんとして社員は居ません。パソコンは、部屋の隅に纏められています。設計する社員も居たのでありましょう。今は、設計はその都度外注しているというんです。社長と設計事務所にも行きましたが・・。「先生・・新しく営業社員を雇いました。これから巻き返します」と紹介されて、代金の話をして居ました。こっちも、生活が掛かっとる!奉仕ではないんじゃ!お金と図面と交換じゃ!とか聞こえて来ます・・金払いが悪いという事でしょう。事務所に帰って、社員はパートの事務員さん一人。社長の娘さんのお友達とか聞いています。若い人がこんな条件の悪い会社でパートで働かなくてもと思います。それとも慈悲の心で働いているのかも知れない。「いい物を見せて上げよう・・」と言いながら、社長はビルの屋上を案内して・・奥さんのお父さん丹精の盆栽を見せて呉れました。松の小さな盆栽が、(針金で補正)50~60余り並んでいます。社長の意図は何と取ればいいのか?分かりません。自慢したかったのでしょうか。「丹精込められていますね。夏の水やり大変でしょう。お手伝い多少されます?」とか言って置きました。1ケ月位、営業に回って、条件の良い売り物件を見つけました。ここでも、後1~2ケ月もすれば成績は挙がると思いました。でも1ケ月過ぎても、給料は貰えませんでした。倒産寸前の会社でした。小柄で赤ら顔の社長が、平然とした顔で言うんです。「失業手当を復活して貰って下さい」ガソリン代と携帯電話代は会社が持って呉れました。しかし慈悲の心は起こりませんでした。お客様に迷惑になります。工事中の物件は引き渡しまで出来るのかどうか。怖ろしい!早く辞めなければなりません!!会社の携帯電話を机の引き出しに入れて、会社を出ました。紹介して貰ったコーディネーターさんが代弁して呉れました。「失業手当てがあるのに、体を休ませたいですよ!腰痛なんですよ・・」

 ⑧

 次に見つけた不動産屋さんは、コンビニに置いてある求人誌で見つけました。ただ・・「内では採用は決まった所です、知人の不動産屋が人を探しています。紹介しましょうか?」と言うので履歴書を送ると・・「お宅の隣町になります。その不動産屋に見せてもいいですか?」と言うのです。「よろしくお願いします。家から近いから嬉しいです」と紹介して頂くと・・後日電話があり。面接と言うので、直ぐに訪問したけれど・・事務所には誰もいない。ひっそりとして居ました。家に帰り、どうしたものかと思って居ると・・「今来ました。会社に居ります」それではと・・面接を受けました。

 「仕事は不動産の売買契約と賃貸契約の時に立ち会って貰う事です。日頃は仕事はありません」「そうですか・・ではもし、不定期のアルバイトをしてもいいんですか?」「いいです。専任の宅地建物取引主任者を置かなければならないのです。今は不在です。契約の立ち合いの時には、また手当てを出します。近い内に契約がありますから、連絡します。月々5万円でどうですか!」「ありがとうございます」専任の宅地建物取引主任者は常駐しなければならない。名義貸しも業法違反・・どうしよう。いいのかな?月5万の手当ては嬉しい。毎日出勤しなくてもいいのか・・社長だけで営業しているのかも知れない。と思いながら「よろしくお願いします」と事務所を出ました。背は高く背広やワイシャツのプレスも几帳面であり、紳士的な対応でした。詩子の方が2級年上、お姉さんですよと社長は言いました。机は6台位並んで居ます。以前は市の大きな物件の仲介をしたことがあるという。その次は中区に式場を造ると云うので、周辺の家の立ち退きの仕事を手広くされたらしい。机6台はその時の物でしょう・・。次の仕事は、駅近くにレストラン・チェーン店を開設したという。全部社長の力量とか幅広い知人とで出来た事でありましょう。後から奥さんに聞いた話「税金は前年度の収入で請求されるから、今年大変なんですよ。役所に待って貰っています」・・ここでもやり繰り大変らしいです。

 チェーン店の、賃貸契約の日が決まりました。店舗ですから、大きい金額になるらしいです。それに競合があればまた高くなるらしい。そこのやり取りの処も知りたいものです。全ての段どりは社長と臨時に雇った知人の男性社員が済ませて居ました。詩子は久しぶりの契約立ち合いです・・古いけれど、ベージュのちりめん生地の三つ揃いのスーツにしました。(住宅営業で着ていた)場所柄・まぁまぁ似合っていると思います。貸主夫婦と借主の女性社長が対面し、紹介されました。詩子はその場に参加して名刺を渡し、挨拶をするだけです。何か言うべきかなと思い・・お日柄もよろしくと、ここ迄の皆様の労いを言いました。大切で、長い重要事項は社長が説明して居ました。そして、契約に入るのですが・・会社の印鑑証明・印鑑・手付金・会社の何かが、不備があると云うのです。「えっ!言われましたか?」と女性社長。「言いましたよ」と臨時男性社員・・「言わなくても契約には必要でしょうが・・」と社長が低い声で言いました。ここで取りやめ、また日を改めて伺う事になりました。その街をぐるっとして、ファミリーレストランでコーヒーを頂いて・・その日のお手当てを頂きました。本契約は?・・この契約はこじれたのでしょう。借主側から、思案の声が上がり・・別の借主と契約になったのではないかと思います。詩子はその契約時には来なくていいという事でした。違約金など発生したのでありましょうか。

 その後立ち合いの仕事はありませんでした。次の仕事は畑を分割して、家庭菜園として売り出そうと思う・・社長は言って居ました。これも小さい事だから来なくていいと言われました。「手当だけ頂くのでは申し訳ないから、事務所のお掃除しましょうか?多少のパソコン打てますよ」など言って少しお手伝いもしました。 5ケ月位過ぎた頃の事、友達がマンションを売って田舎に帰るという・・このマンションの仲介契約の運びとなりました。別の不動産屋に勤めている若い男性社員がチラシを撒いて居ました。私も撒きますよと言ったけれども「いいです・・自分が撒きます」と、遠慮して言うのです。この業界はいろんな処から応援を頼めるのでしょう。つながりとか顔の広さが必要と思いました。マンションは、友達(売り主)が知人に売ってすんなりと売れたのでした。その契約の後・・またその友達が、売りたい人を紹介して呉れたけれども・・これはもう業者が付いていて入り込むのは無理でした。その後の事です・・社長の奥さんが、月の手当てを持って来て下さった時に・・「来月から宅建主任手当は無しにします。出来高制にします。私達はこれから不動産より、レストラン経営を共同でします。それを主にします。老後の事を考えて・・月々安定した収入を求めて居ます」「・・・・」ガソリン代を出して、身を粉にして働いても売れないときは売れない!社長とは会話のない会社でした。互いに遠慮なのでありましょうか。多分そうだろう・・多分こう思って居られるのだろう。と思いながら半年過ぎています。思い切って「専任の宅地建物取引主任はどうなるんですか?」とだけ聞きました。困れば必死で仕事をするだろう。又・・売る物件を持って居る。父の住む家を売るだろうから、試されたのです。憎くなりました。人には分からないでしょうが、あの家が現在あるは苦難の連続でした。余計に執着があります。後日電話して「すみません、辞めさせて頂きます。専任の宅地建物取引主任者を取り下げてくださいね」と言って終わり・・。新聞広告で住宅営業を募集して居ました・・その会社に応募したけれども「専任している宅地建物取引主任者が空いたらまた、応募して下さい」と言われたのです。まだ取り下げてないという事です。すぐに代わりは見つからない。名詞とハンコは使われているのだろうか。人に迷惑をかける仕事は、出来ません。協会に届け出て、宅地建物取引主任者証を返納しました。折角勉強したのに。試験に合格して働いていたけれども・・私・詩子には出来ないと思いました。お客様の財産を守る。財産作りのお手伝いをしたいという気持ちは無理な事でした。世の中の酸いも辛いも知っていて、その上でお客様の為に働くというには・・未熟な詩子には時間が掛かります。女一人では、出来ない事がよく分かりました。

 以前3ケ月勤めた・・飲み屋街の入り口にある、不動産屋の社長に言って貰った言葉を思い出します。「不動産屋を主人と一緒にするんなら出来るかも知れん・・女一人では出来ない。仕事はあるかも知れんが・・金は回ってこない。騙されて、主人と築き上げた家なんか吹っ飛ぶよ!早い内に止めときんさい」ありがたい事でした。本当にそうなんだ(いい人も居る、悪い人も居る様に業者も)と思いました。半分ヤクザとかいう社長は、中学・高校生の頃・・お母さんは、家を出て水商売を始めた・・と、社員さんから聞いた事があります。その母を守りたいと云う、思いがあるのでしょうか・・飲み屋街の入り口に、不動産屋の店舗を構えて居ました。2~3年後の事です、新聞に社長の葬儀の知らせが載って居ました。その店、今はラーメン屋になっています。社長は若い女性を2~3人侍らせて幸せだったのでしょうか?あの時・・詩子は忠告など出来ないけれど、心根はいい人なんだけれども・・ボタンの掛け違い。考え方の掛け違いですよと言って上げると良かったかも知れない。

 ブルーのタイル張りの3階建てのビル・・倒産寸前の会社は1~2年後にビルは売りに出されて、人手に渡っている様子です。

 隣町にある不動産屋さんは、不動産の店舗を自宅に持って来られて、小さくされている様子です。先日奥さんと連れ立って散歩されている社長を見ました。遠くからですから、挨拶は出来ませんでした・・何かしら遠慮があって、冗談など言えない人でした。以前、書類を作成して自宅に伺った時の事‥社長自らお茶をご馳走して下さいました。只・・普段使いのコップで、底に茶渋が黒く付いて居るんです。少しためらいました。今迄この様な扱いを受けて居た人なんでしょうか?思いは巡りましたが・・お茶を一気に飲み干しました。どうするのかを、試されたのかも知れません?嫌な顔をして、飲まないのか?注意をするのか?苦言になる事を何か言って上げると良かったと思います。茶渋は漂白剤で取れますよとか。 

 現在社長は、足腰が悪いらしい・・リハビリ中だと思いました。レストラン経営は如何ですか?なんて・・聞けないですね。・・6ケ月位お給料貰ったのに・・不思議な関係です。

 その後はセンター街にある洋装店で働く事にしました。洋裁の勉強が出来るからです。デザイン画も描けるようになりたいなと思っていました。が・・2年も経たない内に閉店となりました。オーダーメイドの洋服を着る人が少なくなりました。店の方から止められたんです。その後・・週1回、その店の元・デザイナーの先生に就いて洋裁を習いました。閉店の時、高級服地を安く買うことが出来たので、これまた嬉しい事でした。フランスの生地は華やか・・色使いは長い歴史からでしょう。イギリスの生地もドイツの生地もイタリアの生地も買うことが出来ました。詩子は高級服地を仕立てて、着るなんて・・思いもしなかった事です。これ迄のご褒美と思って良いのかも知れません。オーダーコピー(オーダーの先生に就いて、私が縫った服)が沢山あります。死ぬまで洋服には困らないでしょう。でも気分転換でプレタの洋服、欲しくなります・・。

 ⑨

 そんな時の事なんです。がみがみがみがみ・・可愛らしくない!住んで居る家を売ることになっても、知らんよ!」「ええ・・どうしたんですか?」何でこんな事になるんでしょうか、他人には言わないから、分からないけれど。叔母さん達には分かるでしょう・・褒めて頂いてもいい!いつ褒めて貰えるのでしょう。私・・姉の家の半分と、親の住んで居る家を買って上げた事になるんですよ。叔母さん達の辞書には載ってないから、考えられないですね。これこそ可愛らしくないから、言っていませんよ。がみがみがみがみ・・可愛らしうない!!ここで車から降りて、バスで帰りたい気持ちです。がみがみがみがみ・・。でも私の車・・叔父さんの家に置いている。後で取りに行くには、手間が掛かります。ここは我慢して乗せて頂いて帰ろう。我慢我慢・・。(一男)叔母さんが「私・・ここで下してね!アストラムラインで帰るから、便利が良くなってねぇ。ありがたい事よ!」「お疲れ様でした。ゆっくりお休み下さい。今日はわざわざありがとうございました。お天気も良くて好い日でした」一応お礼を言って置きました。

 前後の事を推察してみます。多分叔母さん達は、姉からお金を出させようと親切心からの事でしょうか。姉夫婦は父名義の家を詩子夫婦に売った後から、金運ついて居ます。会社を興して成功しているんです。古い家は、父と姉婿と半々に払って居るから利益も半々である筈・・。父は貰って居ないらしい。親だから言えなかった?胡麻化された?胡麻化されたというのが当たりでしょう。そんな折に詩子が「お父さん・・内らの家に来ないんなら、家賃を入れて貰えませんか。お姉さんとお父さんと2万づつ。無駄使いばっかりして居るじゃない!」その家賃というのが気に入らないらしい。姉は無駄使いしては、お古の洋服を送って来るようになりました。お古と言っても、あまり着ていない。商品タブが付いたままもあります・・でも、詩子には大きいんです。年代が違うから、好きなデザインも違うんですよね。姉が言うには「大変だろうから・・」父は父で心配して呉れたんでしょうか。そんな事で、三男叔父さんに電話して頼んだのでありましょう。推察・偉そうに言う・・「詩ちゃんが、高い家を買うとるけぇ大変らしい。麗子に言うて少し出すように言うてやって貰えんかの」それで叔父さん達は姉の家に行き「詩ちゃんが高い家を買うとるんで、困っとるらしい・・助けてやって貰いたいんじゃがの!」そこで姉麗子は「お父さんに貰えばいい。」という筈・・叔父さんは「お父さんは昔から・・金を払う人じゃあない。お母さんが苦労したじゃろうが!」麗子「詩ちゃんは可愛らしうない!あの家に来るなと言うた!プンプン」という事でしょう。それで・・叔母さん達は、詩子が可愛らしうしたら、麗子からお金も出るよ。と云う事で、反省しなさい。という意味の・・がみがみがみがみなんでしょうか?

 父は詩子が困っているのは分かるけれど・・家賃など払わない。困って、親を優しくして呉れるかもしれん・・という性質です。「お父ちゃんは本当の愛の表現を知らんのよ。皆の愛を求めて居るんよ」母は苦難の中で、父の事をそんな風に言って居ました。「お父ちゃんは生まれて間もなく、両親が離婚してね。人に預けられて育った人じゃけぇね。辛抱よ詩ちゃん・・」母の声が聞こえてきそうです。

 姉は近くに家を買って親を看ます。とか言って家賃など払わない。詩ちゃんは可愛らしうない!以前あの家に世話をしに来るな。と言ったじゃない!その前に・・「父が内の家に来ないから、お金も入れないで世話をして貰っても困ります」大事なそこの処は覚えていないらしい。都合よく忘れるタイプなんです。妹には負けられないんです。かと言って父を引き取っては診ることが出来ない。連れ合いは親を非難するばかりの人です。詩子夫婦と父が、上手く言って居ると・・つついて来る。邪魔を入れる。結局は心の寂しい姉なんでしょう。

 思えば2万円頂くために・・辛い事です。詩子は、格別に美味しい手料理を作りますから。バランスの取れた食事を作りますから。高価ではないけれど、美味しいから・・このままでいいです。オシャレな洋服も、高級服地を自分で縫えるからいいです。化粧品も、基礎化粧品で間に合うからいいです。このがみがみがみがみは・・一体何なんでしょうか?

 ⑨

 詩子は姉・麗子に、これ以上可愛らしう出来ないんです。父との間に姉が入る事によって、苦難が倍になって帰って来ます。途中で役目を投げ出す人なんです。それに、大切にしていた母の形見の着物迄、タンスから抜き取られてしまうんです。その着物は30年後、返して貰ったけれども・・。今になって思うには、着物を着る訳でもないのに、洋服に仕立て変えたけれども・・普段着にしかなりませんでした。何でもない物で喧嘩したんですね。しかし・・あの時、23歳の私・詩子は涙を流して泣きましたよ。何もかも失ってしまいました。4年間OLをして、貯めたお金は・・家の頭金に差し出して居ます。家を出て行こうにもお金がありません。和裁学校2年生の時でありましたか、仕立物をすると少しの小遣いが入った頃です・・。結婚して家を出て行くにも、いい人は居ません。誰でもいいから、と云う訳にはいきません。詩子は将来何か出来る、何か出来そうな気がしていたんです。その何かを探して、手に職を付けていました。お婿さんも、志が叶いそうな人を探していたんです。だから、姉夫婦が言うように、今更・・勤めに出る訳にも行きませんでした。何もかも無くなった・・涙が零れてきました。その後は、なるべく姉と会わないように・・。朝早く出て、夕方は居残って、自習していました。我慢するしか、術がありませんでした。そんな時・・母の知人が「寂しくなったら、困ったら・・お母さんのお墓に参ってごらん」と言って下さった事を思い出しました。思い立って、和裁学校を昼から早引きして母の墓にお参りしました。

 ⑩

 バスから降りて、細い田舎道を・・涙をこらえながら歩いていました。村の入り口の、薄暗い木立の処まで来た時の事です・・木立からポロロ~ンというメロディーが聞こえました。と共に・・2頭の白い蝶々が舞い降りたんです。そして目の上、少し高い処で・・おいでおいでをして居るんです。「ええっ!本当?・・」2頭の白い蝶々は、上になり下になり必死に詩子を招くのでした。辺りは黄金に輝く田んぼ道です。キラキラキラキラ・・詩子の周りは夢の中のように、キラキラ輝いて居ました。「お母さ~ん」涙がポロポロ流れました。いい年頃の女性が泣きながら歩いていました。田んぼ道ですから、幸い人影はありませんでした。途中、白い軽トラックが、猛スピードで走って行きました。「あっ・・蝶々が行ってしまう!」蝶々は一瞬吹き飛ばされましたが、また戻って来ておいでおいで、必死でおいでおいでをするんです。母の魂なのでしょう。母はこれ程迄に心配して下さっているんです・・。蝶々はこの世に生まれて、何日ある命なんでしょうか。その儚い命を私・詩子のう為に・・「ありがとう・・。ありがとうございます・・」母の墓迄、1キロでしょうか2キロありますでしょうか?墓地の入り口迄来ると、その2頭の白い蝶々は、秋の空に吸い込まれるように消えて行きました。「お母ちゃ~ん・・」西に沈む夕日は、辺りを黄金に染めて・・輝いているのでした。ありがとう。これ程迄に心配して頂いて、ありがとうございます。いつしか、ありがとうの涙をながしている詩子なのでした。

 その後は、波風立てないように姉家族と父と過ごしました。休みの日には、幼い姪の子守をしながら、姉の着物も縫いました。姪のワンピースも毛糸で編みました。姉夫婦の為に、何もかも無くなった(と思った)けれども・・一つだけありました。着物を縫って居た時の事です・・針を運んでいる手です。母にそっくりな手です、指輪など絶対似合わない、節くれた手がありました。この手は誰も抜き取る事は出来ません・・。「あった!あった!ありました」と、一人で喜びました。な~んだ、この手で縫えばいい。この手で造ればいい事でした。

 ⑪

 その半年後の事・・夫とお見合いをしました。その家に住んで2年後の事です。やっと結婚出来たのです。和裁学校3年生の卒業までの半年、夫に月謝を出して貰いました。嫁入り道具も電化製品も贅沢ではないけれど、一通り不思議に揃いました。父には、何かと心配して頂きました。ありがたい事でした。結婚式も、夫の親・兄弟・親戚の皆様に大変喜んで頂きました。いいお嫁ちゃんになる~!誓ったものです。姉麗子はこの事でも、ひねくれたようです。同じ父の事でした。敬ってくれる婿と、けなして避難ばかりした婿・・。比べるから・・姉さんは少しづつ病気になって行ったのでしょうか。その前に・・他県の人ですから、互いに身元調査をしました。その中で・・行動調査ではないかな。考え方を聞かれたのかな。と思い当たる処がありました事は・・姉・麗子は知りません。

 母美子の死後の事でした「父さんと二人で借家に住んで居ると・・詩子ちゃんに良い縁談が無いから・・お父さんはどうされるんですかいね。と言われるよ。内らと一緒に住もう。頭金皆で出して、月々の支払いは、父さんと婿さんとで半々、生活費も含めて4万円づつでどうですか」と提案されて、お世話になる事にしました。姉のやり繰りです。酒代とか、小遣いとかは自分達の財布からという事でした。田舎の家を畳んで、市内に住んで12年過ぎて居ました。家には執着があるんです。詩子は嫁ぐまで、その家に2年間住んだ事になります。嫁いで3年後・・父名義のその家を、建てた値段の倍の値で買って、父と詩子達と住むことになりました。若かった夫の給料に父の食費は大変助かりました。出来れば姉夫婦とは、形式だけの付き合いにしたかったです。もうこれで文句は無いでしょう。父と上手く住めば、いい事ですから。ところが・・姉・麗子が突いて来るんです。自分たちが使った古いマットなど、父に持たせたりするんですからもう・・!夫の手前、恥ずかしいやら、申し訳ないやら・・「返してきて。新しいマットを貰っても、罰は当たらんよ!ぷんぷん」父は父で「仲良うせい・・」の一点張り!思わぬ処で亀裂が入るものです。その家に8年住んだ頃・・転勤になりました。転勤になって5年・・帰って来て、市内の社宅に住んで5年・・ようやく詩子達の家を建てる事になったんです。父の住む家を売って頭金にすれば、ローンが払いやすい。父の住む部屋も造ってあると云うのに・・。父は一人でこの家に住むと言い張るのでした。(詩子家族と住むと・・麗子が面白くない。親だから弁えていた)そこで、私・詩子が働く事になったのでした。資格も取って、一生懸命働きました。父の住む家のローンの為・・娘の学費捻出の為・・。

 ⑫

 がみがみがみがみ・・可愛らしうない!・・まだ続いていました。そして、どうにかやっと・・三男叔父さんの家に着きました。家は先頃建て替えられて、立派な和風建築です。ガレージも広い掘り込みガレージにして、子や孫の代になっても良いように・・優しい叔父さんの思いが伝わります。(我が父は破天荒過ぎます)「お疲れ様でした。今日は、お世話になりました。それではこれで帰ります」と、帰ろうとすると・・「お疲れでした。まぁ上がって、コーヒーをどうぞ・・娘がチーズケーキを焼いて呉れとるけぇーどうぞどうぞ」三男叔母さん(三男叔父さんの奥さん)が満面の笑みで迎えて下さいました。早く帰りたいけれども、そお云う訳にもいかない・・。それではちょっとだけ、お邪魔します。次男叔母さんと相談して、一緒にお邪魔する事になりました。「玄関から至れり尽くせりじゃねぇ。吹き抜けがある・・!広い和室には、本格的な床の間が造られて・・立派ですね・・、いいですね」次男叔母さんは驚いて、新築はいいねを連発しています。「まぁどうぞリビングへ・・」リビングテーブルも大きく長く・・大きなコスモスの花の絵が飾られてありました。作者は聞いたけれど・・忘れてしまいました。東側には大きな掃き出し窓を付けて・・外のテラスには真っ赤なバーベナの花の鉢を置いて華やかさを演出しています。「コーヒー入りましたよ。チーズケーキは昨日娘が焼きました。どうぞ・・」「美味しいです。手作りチーズケーキ美味しい!ありがとうございます」なるべくこの話の状態で、と思うけれども・・また始まりそうです。がみがみがみがみ・・可愛らしうない!先ごろ母方の叔母の家の結婚式に参列した折の話になりました。3系列で・・母美子は1番上の姉、その次女が詩子。一男叔父の長男。三男叔父の奥さんと・・K 市に住む叔母の長男の結婚式に参列する為に出向いたのです。遠い街に住む叔母の為に、3系列参列は、ささやかなお祝いの気持ちなのでした。日帰り出来ない距離でもなく、皆の仕事の都合もあり、経費も安くつくし・・。日帰りでと云う事になりました。3人揃って新幹線で向かいました。手筈通り、叔母がK駅に迎えに来て居て、電車に乗り換えて・・タクシーで式場へ・・。人ごみに圧倒される、お上りさんになって居ました。「引率者(叔母)がいなければ、ここ迄たどり着けないね。何処をどお通ったかいね」口々に言いました。川沿いにある、こじんまりとしたチャペルは、芝生のガーデンに薔薇の花のアーチを潜り抜けて・・ステンドグラスに飾られたホールへ・・。長椅子にも小さなブーケが飾られて・・テレビの場面とか、芸能人にも重なる思いでした。何もかもこじんまりとした設えで、牧師さんも、誓いの言葉も、合唱隊もパイプオルガンも・・この頃の結婚式はこうしたものかなと思いました。

 始まりました。観音開きの大きな扉が開きました。結婚行進曲・・ジャンジャジャジャーン・ジャンジャジャジャーン。ベールを被り・・白いドレスを着た花嫁さん・・。お嫁さんと手を組んで、バージンロードを歩く花嫁の父・・黒い皮靴の踵、見てしまいました。ちょっと擦り減っていました。(主人の靴はもっと擦り減っています)

 披露宴は近くの有名レストランを借り切って、友達婚式というか、和気あいあいとしたパーティーとなりました。参列のご婦人は、お友達のお母さん方かな?親戚の方かな?「お嫁さんは取り仕切るタイプ、だから・・思うように出来る優しい、お婿さんがいいらしい」大学迄出しているのに、と云うお嫁さん側のニュアンスがくみ取れます。その前、披露宴の前に控室で(お嫁さんのお色直しを待っている間)お婿さんになる人(従弟)とそのお父さんが同じ部屋に居ました。皆が狭い長椅子に座っているので、こちらから挨拶したものかどうか・・。と思って居ると、一緒に行った叔母が花婿の父に挨拶していました。「この度はおめでとうございます。お似合いのカップルさんですね。良かったです。ご無沙汰しております。お元気そうですね。お幾つになられますか?」ためらわず挨拶は、どちらからでも・・したほうがいいのかな。お婿さんである従弟は、ただ・・座っているだけでした。わざわざ新幹線、電車を乗り継いで貴方の為に、3系列の親戚が来ていると云うのに・・。労いの言葉は一言もないのですか!自己紹介もないのですか!赤ちゃんの頃見たきりで、疎遠になって居る親戚なんです。お祝いの言葉を言うにも、きっかけというか・・どうしたものかなと思いました。とそれに・・お嫁さんのご両親さんとは、お話しをしたでしょうか?覚えて居ません。この場合こそ紹介がなければ、どなたがご両親か?どう話し出していいのか分からないと思います。戸惑います・・。

 帰りはその店のクッキーをお土産に頂き、新幹線に乗り込みました。それから、叔母がえらい喋りだすんです。「ええ男さんじゃったね。若い頃のお父ちゃんにそっくり・・。名門女子大学4年を卒業して、大手企業に勤めていて・・。良い人と巡り会えたもんじゃ。婿の方はと言うと?家は近くに買ったらしい。親と並んで住むらしいから、先ず先ず安心でしょう」一緒に行った従弟が覚えている事は・・「投げるでーいいかな・・」お嫁さんは後ろ向きになって、ブーケを投げていた。受け取った人に幸運が訪れるというあの儀式。「花嫁さんは男性らしい人じゃのー」「えぇえぇ・・良かったね」とぶっきらぼうに言いながら、私・詩子は考え込んで居ました。大丈夫だろうか、婿の人となりとか行儀とか礼儀作法とかは?(いらぬ心配である)その従弟は、人が振り返って見るほど、ダンディーではなく・・背丈も高い方でもない。中肉中背と云う処でありましょうか。表向きの経歴は普通である。お嫁さんの親は反対したでありましょうに。まぁ・・まず、親は誰でも反対しますよ。可愛い娘です、どんなに希望を託して育てたか分かりますか?本当に靴の踵を擦り減らしてまで・・。それなのに、もうちょっといい処の人と・・私でも思います。それだから、親には筋を通して・・礼儀を持って話を進めて頂きたいと思います。許しを頂くために、決め手・・何かあったのでしょうか。式の参列には姉でなく、妹の詩子に招待が来たのは何故なのでしょう。そう云えば・・泊まらないと言ったのを、行かないと早とちりして居た。慌てて姉・麗子に頼んで居た。K市に住む叔母の口癖は「姉は(母美子)親が華やかないい時代に育っているから・・私、家が倒産した後に生まれたから、何にも教えて貰えなかった・・」と云うんです。それだけでありましょうか。行儀作法や心構え、考え方は、いつからでも弁えられます。その気さえあれば、お手本は何処にでもあると思うんですよね。

 次の日、K市に住む叔母から、参列のお礼の電話がありました。「遠くから、ありがとうございました。疲れたでしょう」「良かったですね。お嫁さん綺麗でしたね」すると、急に・・「普通普通・普通普通」「えっ」「普通普通・・普通普通・普通普通」「えっ!あの!」「普通普通・普通普通・普通普通・・」この場に似つかわしくない言葉でした。何の事なのか考え込みます。やっぱり、私に恨みがあるのでしょう(身元調査の折の)。お嫁さんが普通でしょうか?私が普通なんでしょうか?推測1・・私に電話する前に三男叔母に電話して居るから・・けしかけられたんでしょう!「詩ちゃんに、これ見たか!と言うてやりんさい!ええお嫁さんを貰ったでしょとね」推測2・・お嫁さんのお母さんの話として・・「普通の人でしたね。あの方の事ですね・・和風柄の洋服を着ていた。あの方の事ですね」多分叔母の吹聴が過ぎたのではないでしょうか。「美人ですから・・上丸居家の親戚になる人と結婚しています」「あの、上丸居さんと親戚ですね。親戚の親戚は親戚ですかね」とかなんとか。多分推測1・2両方でしょう。渋々結婚を承諾されたのでしょう。持ち物も、服装も、容姿も普通です。それにつきましては、詩子も納得しています。でも、これ迄の叔母の苦労を称えて、お祝いに参列したのに・・。この気持ち、私の心の中に納めました。恥ずかしい、情けない叔母達です。そして、さようならです。

 前後しますが、この年の暮れ・・孫が生まれたからと電話して来ました。一緒に行った叔母に相談すると・・お祝いを貰って居ないから、送らない。と云う事で・・我が家も貰って居ないから、送らない。と云う事になりました。でもちょっと早いですよね。赤ちゃん!親に結婚の許しを頂くための決め手・・これ?私は・・こういう事は嫌いなんです。社会のルール・・自分のけじめ。礼儀と内心は一体ではないでしょうか。やっぱり疎遠になろうと思いました。

 がみがみがみがみ・・(墓掃除の帰り、三男叔父さんのリビングで)可愛らしうない!がみがみがみがみ・・どうもK市に住む従弟が良い人と結婚式を挙げた・・叔母達は、これ見たか!というようなニュアンスで言って居ると受け止めました。三男叔父さんまでも、加わって何か言って居ます。がみがみがみがみ・・詩子の結婚の時の、身元調査に書かれた事が気に入らないと云うのでしょう。しかし、私が言って居るのではなく、人が言っていますよ。反省するべき事ではないですかね。

 それに、その調書を少し見せたのは・・(今から40年位前の事です)詩子の結婚後10年位過ぎて居ました。母方の叔父、叔母達が、祖母を看るか看ないかで揉めて居る時でした。2年間程、島の老人ホームに入って居たけれど、祖母が帰りたい・・終焉の地が戸籍に乗るからと云うものですから。その話し合いに、詩子も呼ばれて居ました。「人はこんな風に云うんですよ。人の家に揉め事があれば面白いんじゃけー、お祖母ちゃんの事、よろしくお願いします」と私は言いました。田舎に住む叔母は、「弟達3人も居るのに、誰一人も親を看る事が出来ない。情けない・・。田舎は全部筒抜けよ・・内は母を連れて帰る事が出来ない。私の身内ばっかり、面倒かけとるけぇね・・」と言って涙を一筋流しました。調書の中をちょっと見た田舎の叔母は・・祖父の事は・大酒飲みで、人の口車に乗って、身上をつぶしている。三男叔父さんの事は・酒も飲まず、タバコも吸わず。真面目に働いて小金を貯めている。K市に住む叔母の事は・長女出産の折は、私生児として届けている。後に話し合いをして、籍を入れている。など書いてあります。詩子もそのように聞いています。先妻の子の養育費を仕送りする為に・・生活は困窮したであろうと思います。只・・私生児を産んだという噂は広がったようです。(昔々の考え方です)村の誰でも知っている事が、自分だけ知らなかったという事です。家の中には色々な出来事があります。書かれたからと言って、詩子を怒る事でもないと思います。詩子が言った事でもないのに・・。反省するべき人は・・叔母・叔父の方なんですよね。

 祖母は結局、次男叔父さんの家で看て貰える事になり、安心しました。一男叔父さんと三男叔父さんは、月々お金でお礼をすると云う約束になりました。それから2年後に、祖母は他界しました。昔の人ですから・・終の地が戸籍に残るからと気にして居たんです。(この頃の様に、明るく立派な施設の無かった頃の事です)「この調書は見せない方がええよ」田舎に住む叔母は袋に入れて詩子に返しました。人はこんな風に言って居るから・・行動は気を付けましょう。と叔母は言わなかった。けれども・・言わなくても丸く納まっていました。次はそれぞれの家の子供達の縁談がありますから・・。暗黙の内に、子孫の幸せを念じての事なのでしょう。母の妹・弟は、子供思いの優しい人達です。それぞれが我が子の為に良い家庭を築いています。この調書は、何かの役に立っていると思っています。私・詩子が憎まれるという理由は、何処にもありません。強いて言えば・・調べて迄結婚したが、貧乏しとる・・あんたの家より、今はわしらの方がええで・・。子供は大学4年出して、ええ就職をした。これ見たか!という気持ちがあるのかも知れません。

 がみがみがみがみ・・(再度、三男叔父さんの家のリビングに戻る)がみがみがみがみ・・がみがみがみがみ・・何で?何で?K市に住む叔母からは、お礼の言葉を頂けるかな・・と思って居ました。上丸居家と親戚になれて、ありがとう。とか・・。ここにいる叔父さん、叔母さん達も・・これ迄ようやった、姉の家の新築資金を作る為に、親の家を・・買った時の倍の値段で買い。親をその家に住まわせとる。偉いもんじゃ!ようやとる!わし等は出来んかった・・。とかあると思って居たんですよね。そお云う思いが、可愛くない態度になるのかも知れない。しかし・・どこでどう間違いがあったのか?誰か間に入って、嘘を言う人が居るらしい。「がみがみがみがみ・・可愛らしうない!がみがみがみがみ・・可愛らしうない!」叔母さん達はこの時とばかりに、言いまくりました。泣くまで言いまくれ!これ迄偉そうにして、反省する迄言いまくれ!と陰で指図する叔母さん・小母さんも居るんだ・・。と思いました。恨みに思う叔母さん・小母さん達の意図は、K市に住む叔母が良いお嫁さんを貰った。4年の大学出で、家も2軒所有している。これ見たか!詩子の結婚の時に、うち等にいちゃもん付けやぁ上がって!糞!と云う事を言って居るのでしょうと確信しました。詩子は、小さな声で・・「主人の伯母のご主人さん(伯父さん)は昔・・K市の名門、上丸居家から養子に入られた人なんよ。お仲人さんは京都、室町時代から続くお家柄でね・・」その後、叔母さん一人は続いていました。がみがみがみ・・。叔父さんはぴたっと止めて呉れました。一瞬部屋は、静かになり・・「チーズケーキ美味しいね。レシピあります?」とかの話になりました。「夕飯を作りますので、私、帰ります・・。今日はお世話になりました。ありがとうございました」「もうちょっとゆっくりすればいいのに・・」叔父さん叔母さんに車庫まで見送られて、何度も手を振って帰りました。「ありがとうございます」「車に気を付けて、また来て下さい」「さようなら」

 ⑬

 2~3日後の事です。姉・麗子から電話がありました。「K市の上丸居家と親戚・と云うのは本当なんね?と叔母さんが聞いてるよ」「何処の小母さんが?」「うん、まぁね・・」「本当で~す。今迄、言わなかっただけ。いう必要もなかったから。お仲人さんは京都の名門・・」「K市の叔母は、その事を知って居るん?」「知って居るよ・・母の法事・33回忌の時にね、主人から聞いて帰ったよ」「・・・・・・」人は皆小さき事を比べたりして、悔しがったり、罵ったり、悲しんだり・・悦に入ったりするんですね。人の間の本質は・・響きあって、お互いに高みを目指さなければならないと思うんです。それを小さな事で、人を罵るなんてと思います。

 遠くから法事にお参りして貰って、ありがとうございます。の意味で母は、極楽から・・あの蜘蛛の糸(芥川龍之介作)を垂らしたのではないでしょうか?皆貧しかった。まだまだ皆、生活困窮の中、これ迄ようやりましたから・・神様・仏様、妹に心の進級試験を受けさせてやって下さい。と、お願いしたのだと思います。・・結果は・・ご存じの有様でした。

 神様・仏様は、時々皆の心の進級試験をなさると思います。その後成長したかな、試してみよう・・とか、何度もありますよ。又・・人生の分かれ道に来た時、この道で良いのか、立ち止まって考えて下さい。方向は自分で選ぶんです。穏やかな心で居ると・・鳥たちや、花たち、蝶たちも・風も・雲も・光も・導いていますよ。幸せは、お金でなく、物でなく、人でもなく・・自分の心の中にあると導いています。

 この頃私・・昔話を思い出します。必ずと言っていいほど、欲のない正直者のお爺さん、お婆さんが報われて、長く幸せに暮らすというお話になります。欲張りでケチなお爺さん、お婆さんは、それを見て回心するというお話です。キツネやタヌキ等動物(小さきもの)も心があるので、助けて上げると・・お話では、恩返しと云う事があります。現実には・・優しい心の持ち主には、何処からか何かしら感じる事があると云う事でしょう。争わないで、穏やかに過ごす事でしょうか。詩子は口が重い。ペラペラしゃべって、口で勝つ質では無いです。性格上、自然に感じる事があります。若い頃見たあの蝶のように、一心に詩子を招くんです。そうして・・墓の入り口に来た時、すうっと空に消えて行きました。辺りは黄金に輝いて居るのでした。西に沈む夕日に抱かれている詩子は、一人佇んで居ました。忘れられない光景です。小さき蝶が、私を・・こんなにして迄、一心に招いて・・この世にこんな事があるん?と思いました。この蝶を見た事は、詩子の人生の分かれ道でした。蜘蛛の糸と言うべきか・・(詩子23歳頃の事です)心の進級試験でしたかも知れません。

 三男叔父さんはその後、こうなった間違いの根拠を探して居ました。「詩ちゃんは自慢したり、人の悪口を言うような人ではない。姉さん(美子)にそっくりじゃ!誰かが、間に立って嘘を言うとるんじゃ!」と詩子を庇って下さいました。

 ⑭

 母の従妹・信江小母さん(信子の母)のお見舞いに行こう。あのがみがみ事件から、もう何年も訪れていない。敷居は高いけれど・・。白寿というのだから、行って置かなければ後悔することになります。まだまだ、呆けてはいないというのだから・・今の内に、早い方がいい・・。元気な従叔母さんに会いたいな!会話は出来るという・・。病人に愚痴を零したらいけない。聞いて欲しいから、つい零しそうになります。我慢我慢・・。先ずはお見舞いのお金(何かの足しに)と先日取り寄せた、黒にんにくを持って行こう。行って何が食べられるか聞いて、それから考えようかな・・。「小母さんが入っている施設は何処?」と姉・麗子に聞いてみました。「北区の大きなスーパーの隣の隣、施設の名前は分からない。行ったら直ぐ分かるから・・」と言うのです。我が家から1時間も掛かります。この頃、私・詩子の運転下手になりまして・・迷ったり、人に聞いたりして、時間ばかり掛かります。(カーナビあるのに)ここでしょうか。落ち着いた箱型の外観に、緑の木々・・。小母さん、時々散歩などしているのでしょうか?と思いながら、受付をすると・・やはり今は、検温とマスク、手の消毒・・。訪問者の名前を書いて、2階の部屋を案内して貰いました。2階は小グループに分けられて居て、家に居るような感じを演出しています。、玄関で靴をスリッパに履き替えて・・対面キッチンの前を通って、ここがリビングでしょう・・車椅子でお茶している人達が、2~3人位居られました。中には、詩子に愛想良くして、独り言を言って居る女性・・。男性入居者も、此処ではお喋りしているんです。お邪魔しますと言いながら通って・・従叔母さん担当のスタッフさんを紹介されました。(若くて優しそうな男性)「お世話になっています・・」「あちらです」と部屋に案内されました・・。「えっ!何処ですか?」「ほら!此処です」「・・・・」小さくなって、布団にうずくまっている信江小母さんが見えました。小母さんは、体格の良かった人だから・・誰か分からなかった。とは言わないで「小母さん・小母さん・・詩子です。美子の娘です。お久しぶりです」「ええっ!まぁ詩ちゃん!」頭の奥の方にある、記憶を探して・・やっと出て来た名前・・。「信江小母さん!」「詩ちゃん!よぉ来てくれたね!ありがとう」おもわず手を取り合って居ました。その手は平たくなって、痩せて小さくなっていました。何度も何度もさすって上げました。「従叔母さんは野菜作りが上手じゃったよね。この手でね・・教えて欲しかったよ。私この頃・家庭菜園で、野菜を育てて居るんよ。ホーレン草やチンゲン菜などは、一列にびっしり種を蒔いてね(土地が狭いから)大きくなった順に、間引いて使う・・白和え・胡麻和え・バター焼き・・もう一品という時に重宝しとるんです。小母さんの畑・・見るだけでも楽しかったよ。トーモロコシも美味しかった。あれ程美味しく上手に出来ない。小母さんに作って貰った柏餅・・これまた美味しかったよ。子供の頃の思い出・・ありがとうございます」声には艶があり、お話し出来るので、まだ大丈夫です。良かったと思いました。小さなわだかまりは、何処かへ消えて居ました。「美子(母の事)さんが早う死んでしもうて・・寂しかったよ。裁縫が上手での・・」運針の仕草を胸元でして見せるんです。「小母さんも手が器用に動きますね」と言うと・・にっこり・・。「美子さんとよお買い物したよ。楽しかった・・」「小母さんは、朝早いバスで出て来て半年分を楽しんだでしょ、ウフフ・・」「弟達は皆・・70歳前後で死んでしもうた・・」「○○小父さんは、幾つで亡くなられたんですか」「誰かいの・・」「○○小父さんよ。小母さんのご主人さんよね」「あぁ~あれぇ~」小父さんの事は出て来ないらしい。浮気が発覚したのは、晩年でした。村内に住まいを構えていたと言うんですから、辛いです。皆、誰もがそれを知って居て、小母さんだけが知らなかったと云うんです。・・それぞれに辛い事を抱えて生きて来ているんです。「また来ます。帰らんといけん、家で待っとるから・・」「もお帰るん・・気を付けて」はいもお、帰ります。短い時間でした・・可愛そうだけれど、もうちょっと居たいけれど「家まで1時間かかるんよ。夕飯を皆が待っとるけぇね。また来ます。元気になって居てよ」「ありがとう・・ありがとう・・」別れは辛いけれども、帰らなければなりません。思いを振り切って、一心にハンドルを握って居ました。

 母・美子は、信子ちゃんと詩子にお揃いのセーターとかマフラーを編んでは、着せて喜んで居たものです。信江従叔母さんの家は広くて、人が多く集まるから・・いつも賑やかでした。そしてご馳走があって、楽しかった。子供の日前後に訪ねると・・とびきり美味しい草餅を作って貰うんです。山へ、草の葉を採りに行くのは、小父さんと子供達・・。あの草の葉は・・図鑑にある、サルトビイバラの葉っぱではないですか?聞いて置けばよかった。今度施設に行って、小母さんに聞いてみます。まだ間に合います。通称柏餅と言って居たけれど、私達の故郷は手に入りやすい、草の葉で作って居るんです。その葉の名前は・・サルトリイバラですかと聞いても・・小母さんは、そのサルトリイバラ、名前が分からないかも知れない。

 あれ程世話になった小母さん・・信江小母さんの気持ちが、ちょっと変化して来たのは・・。母・美子が他界して、少ししてからです。その変わった意味が分かったのは・・先のがみがみ事件の後なんです。人の心は・・ちょっとした言葉の操作で変わります。そして、何十年も(30年~40年)恨みは膨張して行くんですね。

 ⑮  

 新聞広告に『着物の女王コンテスト』と云うイベントが掲載されて居ました。「応募してみようか?」「うん・・応募して見たらええ」「えぇっ!」まさか、そんな簡単に・・「それ位の厚かましさが無けりゃあ~いけん」父は落ち込んで暗くなっている詩子に言うんです。母の死後1~2ケ月過ぎていたでしょうか。「和裁に携わって居るから、その方面でいいかね?写真は、お見合い写真を返して貰ったのが丁度あるから、それを使おう・・。着物は振袖はあるけど、一人で着る事が出来ないよ」それはその時に考えるとして・・先ず写真審査があると云うので、送って見る事にしました。(昭和44年母の死後・・父と二人で、小さな借家に住んで居た時の話です)

 写真審査は・・見事というか、簡単に落選しました。まぁ・・この私を落とすなんて!失礼ですね。でも、良かった。面倒くさい・・。落選通知の封筒に、案内状が入っていたのでしょう。その日、コンテスト会場に出向きました。何故か、田舎から信江小母さんと信子の姉・幸子(市内に住む)さんが来てくれました。父が連絡して居たのでしょうか。もしかしたら、着付け等と・・。落選したのに、恥ずかしい・・一人で見たかったのに。この後、二人を接待しなければなりません。何処か美味しい店は・・と思いながら見ていました。その日の第1部・・アトラクションは、着物研究家のS先生の登場でした。最新の着物柄、素材の丹後ちりめん、大嶋紬とかの説明とか、先生デザインの着物・・。この頃の街着とか、七五三のお祝い時の装い。付け下げ、留袖、男性の紋付羽織袴姿・・モデルさんが次々に舞台に出て披露しています、雅で華やかなひと時でした。第2部は・・いよいよ本番です。最終審査を通過した10人の挑戦者の振り袖姿が並んで居ます。この前に、水着姿とか、洋服姿の審査があると思うけれど・・覚えていない。別の部屋で行われたのかも知れない。中国ブロック代表、審査の最終発表は・・赤や緑、黄色や白のライトが舞台をぐるぐる回って・・・。ジャン!・・。

 客席で見ていた私・詩子は、羨ましいなとか、いいなぁとか、思いませんでした。大変じゃね・・と、思いました。中国ブロックが済むと・・次は、大阪?・・最終は東京でしょう。大変な気力と労力、それに、お金が必要です。詩子の希望する未来は、華やかな・・こちらではないんです・・。強いて言うならば・・和裁教室等が出来たらいいのに、と思って居ました。

 この頃からです・・信江小母さんの、冷たい視線を時々感じるようになりました。舞台と隣に座っている詩子を見て、ニヤリとして居たり。詩子の性質・・当たって砕けろと云う行動力が、娘の信子ちゃんには薄いからでしょうか。詩子は、転んでも平気で居るからでしょうか。信子ちゃんの縁談は・・入り婿さんを探して居るので・・困難だからでしょうか?

 後一つ、母・美子は、生前に幸子さんに相談して居たと思います。「信子ちゃん・・何でもストレートに言うから・・詩子が嫌うんよ。花の生け方が如何じゃぁ~、こうじゃぁ~。根元が寂しいよ、とか言うてね。詩子はね、信子ちゃん・・お花の先生になれば良いと言うとるんよ。山の木や野の花を摘んで生けて、すごく上手よ。詩子のは、流派も違うし・・入門して間が無いからね。お揃いの着物着たくないと言う始末なんよ。色無地・・ピンクで地模様のある着物よ。如何しよう・・」「良いんじゃない?・・着る場所が違うし、どうせ、べっぴんさんじゃぁ無いんじゃけぇ・・・」「まぁ!これこれいけんよ」

 当時幸子は・・病気の夫を抱えて、息子の学資捻出の為に、パートで働いていました。その様な状況で、母信江に、話したのでしょう。「詩ちゃんがね、嫌うんじゃと・・。お花の生け方、腐したらいけんよ!流派が違うし・・。それに、お揃いの着物は着たく無いらしいよ。同じ場所で着る事は無いから・・と言うて置いたよ。どうせ・・」信江小母さんは、可愛い娘・信子の事を言われるから、気に入らないのは当たり前です。それに言葉には、ニュアンスと云うものが有ります。幸子の思いも入って・・詩子が言った事になったのでしょうか。今回のがみがみ事件の発端は・・これですかね。私は、お揃いの着物・・嫌よと言った事はあります。若気の至りです。・・その時は、親にも溜め息も付けないのか!と思ったものです。何十年も後になって、最近になって気が付きました。母は信子さんを、遠回しに注意したかったのではないでしょうか。信子ちゃん、ストレートに言う癖は少し直した方がいいよ。とか・・。

 ⑯

 信子ちゃんの縁談も、詩子の縁談もなかなか進みませんでした。1年先に決まったのが、詩子の結婚式でした。主人の伯母(母親代わり)、父、兄弟3人に、学友、会社関係者・・詩子の父方母方の、叔父、叔母、小母、祖母、従妹の信子ちゃん、元勤めた会社の上司、和裁学校の校長、友人、菩提寺からも・・盛大に皆さんにお祝いして貰ったものです。その上、主人の故郷で、もう一度披露宴をして頂いたのですから・・主人側の父方母方の伯母、叔父、叔母、従弟、小学校1年生の時の担任の先生・・盛大に且つ心から喜んで頂きました。それからまた、家でも宴会・・父と私・詩子は感謝感激いたしました。市内にある母方の叔母、叔父の家にも招かれて、ご馳走と大歓迎をしていただき、周辺の名所旧跡を巡って帰りました。父は夢のようであったと思います。新婚旅行から帰って、菩提寺や親戚に挨拶に行くと・・その前に、父は写真を見て貰いに訪ねて居ました。と云うより見せびらかし・・自慢して居るのです。歓迎して頂くと云う事は、これ迄の父の人生では、無かった事なんです。これ程嬉しかった事は無いかのようでした。父は、生まれる前から・・親の離婚が決まって居ました。誕生を歓迎される事は無かったのです。生まれてからは・・お金で人に預けられて育ちました。時に、育てられないから・・実家に帰されると、後妻さんが言うんです。「悟さんが帰るなら・・私が里に帰ります」と・・幼い悟は聞いていました。どんなにか寂しかった事でしょう。どんなに、心は傷ついた事でしょう。それでまた、お金を持たせて育てて貰う事になるのでした。呉れない族になった理由です。親の愛を受けた事が無い父でした。母・美子の愛を得たい為に・・外に女を囲う。母は子供の為に、子供を守るために、必死で内職をして頑張りました。私は、その母の頑張りをちゃんと見て居ました。年老いても、父は、麗子と詩子を手玉に取って、自分に関心を向けたい。呉れない族の心は生涯続きました。晩年、我が家から出て、姉・麗子の管轄になる迄、続いて居ました。父が、我が家を出る時言った言葉は、忘れられません。「詩ちゃんはもおええ・・ありがとう・・。今度は麗子じゃ・・」いつの頃からか・・娘を強く育てる為の、父になって居ました。家族のお手本を見たからでしょうか。今度は麗子を育てる為に、施設に入れるだろうと・・分かって居て、姉の元に向かいました。そして最後は「治彦(孫)はええ様にしとるかいの・・」言葉が出ない・・もそもそとしか言えないながらも、子や孫を気遣って、浄土へと旅立ちました。

 結婚式の歓迎の様子が(ほとばし)る写真を見て・・姉夫婦は、何やら面白く無いようでした。(何のための同居だったのでしょうか?と思いますよね)義兄は仕事の都合で、遠く迄は行けなかったし・・。麗子の結婚の時は、同じ父なのに、難癖付けたのですから・・現在はお金もないし、地位も無いけれど・・昔は我が家の方がいいのに!内心思って居ました。親を非難されることは、子供には、とても辛い事です。ですから・・これ程歓迎されると、姉夫婦には都合が悪いのでしょう。

 菩提寺のご住職さんと奥さんにも大変喜んで頂きました。信江小母さんは・・豪華な振袖着物を写真で見て・・それを夫の叔母から借りた事を聞いて「叔母さんの振り袖、よお有った事よ。戦争があったのに!」人それぞれの立ち位置によって、受け止め方が違うのは分かります。私はこんな時、ちよっとその人達と離れて居ればいいと思うんです。無理にひっつきもっつきして、嫌な思いをしなくても済みます。・・大体自分より良かったり、幸せそうに見えると・・(持ち物、家、自動車、学歴、身長、ありとあらゆる物を比べて)自分の価値観で・・その人は気に入らないと云う人が多い。神様・仏様は目に見えないものを(本質)を問われているのに・・と思います。困った事です。嫌な思いをする暇に・・私・詩子は、勉強して資格を取るんです。脳の細胞が活性化して、とても良いからです。

 ⑰

 その後、通信教育でハーブコーディネイターの資格を取りました。続いて、薬草ガーデンマスターの資格を取り、ハーブ学習指導員にもなりました。取れるものは、手当たり次第に取って・・ボランティア活動をしました。通信教育と云う教育を始めて受けたのですが・・教材がしっかりまとめられ、説明されています。家に居ながら勉強出来て良かったです。父の住んで居た家のローンも終わりました。家を崩して、畑にしました。隅の方にハーブを植えました。隅でもハーブは元気に育ちます。ハーブの種類は、大体揃えました。約1㎡に植えたバジルは、夏の間どんどん枝を伸ばしました。双葉を残して、枝を刈り取ります。2週間もすれば、その双葉が伸びて来て・・また刈り取ります。その夏・・バジルはとても上手く出来ました。そこで営業です。バジルは要りませんか。バジルは要りませんか。ではなくて・・「バジルを貰って頂きたいんです」先ず大病院から・・。案の定「給食に庭のローズマリーも使わないんです。何かあった時、大事ですから・・」2軒目の病院は、担当者に意志が届くまでに、消えてしまいました。3件目に、副院長先生が出て来て下さいました。ハーブ療法を取り入れて居られました。当たって見なければ、分からないものです。バジル(ハーブ)を必要とされる処があるんです。畑を止める時迄、届けました。患者さんの療法にお役に立つなら、とても嬉しいです。良い事をして居ると思うと、とても良い気持ちになりました。厨房の方には、ひと手間要るので、申し訳ないです。副院長先生の患者さんへの思いが読み取れます。その日厨房は、バジルの香りいっぱいに包まれるんです。作って居て優しい気持ちになるそうです。食堂にも、患者さんにも伝わる事でしょう・・。使って頂き、ありがとうございました。心より感謝いたします。

 長いローンを払って得た、畑がある事によって・・手間の要らない、ハーブを育てました。沢山出来たので・・グッズを作りました。そしてその楽しさを、市の子供達に伝える事が出来ました。幸せの繋がりと云うのでしょうか。子供達は、ハーブグッツを覚えて居るでしょうか。作り方を楽しんで居るでしょうか。思うだけで幸せな気持ちになります。3年間の内、1年目は・・ハーブのお風呂。子供達が、乾燥ハーブで、入浴剤を調合しました。調合の名前を付けて、持ち帰りました。乾燥ハーブは詩子持参。

2年目は・・シューズのサシェ(香りの袋)乾燥ハーブで、シューズの臭い消しを作りました。

3年目は・・押し花アートを作りました。押し花キットを作って、絵を描きました。押し花の作り方、書いてあります。作って見た人居るかな?コツも書いてあります。このコツ役に立ちますよ。大きくなってからでも、作って見て下さい。私・思うだけでも楽しくなります。子供たちに出会えた事、とても大切な思い出です。ありがとうございました。今は高校生でしょうか?もお・・社会人になって居るかも知れません。

 あの・・がみがみ事件のお陰でした。それが私の、本当の事ならば・・ご免なさいと、一軒一軒お詫びを言うべきですが・・間に立つ、誰かの嘘と誇張と妬みなんですから・・。私は、不思議でたまりません。逆に、詫びなど誰一人言う気はないらしい。こんな事ってあるんですね。この事は、もっと違う世界がありますよと云う、導きでしょうか。『詩子・貴女は此処に居るべきではない。大事な仕事をしなさい』と云う事でしょうか。

 父と姉の為にローンを組んで、長い間掛かってやっと済んだ・・今度は両隣が欲しくてたまらないから、嫌がらせをしています。(業者の指導でありましょう)・・売らないですよね!私達の為に少しは、使わせて下さい。折角長いローンを払ったのに。何の為に?隣に安く売る為に残したのではありません。

 それで畑にして、ハーブを植えました。野菜も主人が元気な内は、楽しんで作りました。柿・銘柄は花御所(鳥取名産)・・無花果・・キュウイ・・を植えました。その季節になると、ご近所さんに配ったものです。60代は身体が良く動きました。畑作業が楽しくて・・真っ黒に日焼けしたものです。それに、母から貰った・・良く動く、良く働く手があるお陰なんです。沢山のハーブを乾燥させて、ハーブグッツが出来ました。ボランティア団体さんに差し上げると、とても喜んで頂きました。皆さんの癒しになれば、嬉しい!ありがたい事でした。苦労して得た、土地があるお陰です。あの苦難は・・心の進級試験?だったのでしょうか。どの様な道(方法)か、売る事も選択出来た訳ですから・・父の為に残した家は、私の分かれ道でした。私へのご褒美になったのでした。

 母が見て貰った、ある占い師によると「ほほー!これはまた素晴らしい!この子は・・生まれ落ちた時から、苦難ばっかりですのー。それも身内から。生まれた家は倒産しとるでしょう・・」という占いを聞いた事があるんです。苦難ばっかりは、当たって居ますね・・もっと詳しく聞いて置けばよかったのに・・。(これ以上聞くには、追加料金掛かる)でもこの苦難をやり抜くと云うのですから・・。その力を持って居ると云うのです・・どうすれば良かったのでしょうか。それを教えて頂きたいです。人生のゴールは近いと云うのに!焦ります。・・浄化ですか?身にまつわる悪いものを浄化すると・・良いかもしれない。何をどの様にしたら、浄化出来るのか・・分かりません。

 ⑱

 そこで、お坊さんになる為の、勉強をしてみました。通信教育で勉強出来ます。僧侶の資格も、通信教育で頂けます(10日間の本山で研修あり)・・先ず詩子は、勉強がしたいと思いました。菩提寺の承認を頂いて、専修課程の一年次を申し込みました。ここで勉強をすれば・・人の間に生きて、間違いで罵られる事は無くなるかも知れない。家事をして、息子の仕事の電話番をしながら、畑で野菜やハーブを育て、ボランティア活動をしていた頃の事です。入学式は秋・9月○○日・別院・本山から学院長・講師の先生方・庶務の方が出向いて下さいました。入学者が多かったからです。入学者の年齢は様々でした。男性の大半は仕事を退職されて、自分の時間が持てるようになった人達でしょう。・・女性は家の事が一段落して・・何かを求めての事でしょうか。後は、ご住職さんの奥(坊守)さんが必死に勉強されて居ました。在家からお嫁に入られたので、僧侶の資格を得る為です。男性・女性の比は半々であると思いました。入学式の学院長の祝辞の中に・・「一般の学校では、一年一年知識を積み重ねて、偉くなって卒業されますが・・此処では、一年一年○○を捨てて、身軽になって卒業されています」しっかり聞いていなかったから、○○が何であったか分からないが、多分ですが、業・欲・見栄・とか言うものではないでしょうか。

 1年次は、スクーリング参加とレポート提出(宗教・仏教・伝道・真宗・寺と教団)基調講義・ゼミナール

 2年次は、スクーリング参加とレポート提出(真宗Ⅱ・仏教史)おつとめ実演テスト・学科筆記テスト・仏教講演会

 3年次は スクーリング参加とレポート提出(仏教・真宗Ⅰ・真宗史)学科筆記テスト おつとめ実地テスト・伝道実演テスト

4月末のスクーリング・・それぞれの2日間は、皆必死で取り組んだものです。私・詩子の場合・・おつとめ(お経)は、練習しましたが、上手くなれませんでした。音程が全然分からなくて・洋楽の音階が取れないのに、声明(しょうみょう)は尚更です。それで・・試験に出る処だけを丸覚えしました。努力を見て下さって、辛うじて6点で合格・・5点は追試又は来年。先生は一生懸命、教えて下さいました。

 法話も上手く話せませんでした。元学院長先生の前で話しました。何を話したのか・・上がりまくっていました。練習不足というか場慣れ不足というか。大変申し訳ない気持ちです。落第しなかったことは、誠にありがたい事でした。学科試験は良かったです。凄く嬉しい!勉強しなければ、どうする事も出来ない訳ですから、誰も助けては呉れません。レポート提出は、必修以外の教科も提出しました。担当教授が、丁寧に添削して下さるんです。手紙しか書いた事が無い私にとって、添削はとてもありがたかったです。教授と往復書簡もあり、嬉しかったです。この時、ちょっと思いました・・私でも文章が書けるかもしれないと・・。卒業時、菩提寺の奥(坊守)さんには、とても喜んで頂きました。

 得度式は受けませんでした。お経が下手で、その上法話が下手・・。人の前では上がりまくるし・・。年齢を考えると、お坊さんには無理だと思いました。体力も必要です。仏法の深い処の勉強も必要です。私・詩子は筆記試験を受けるだけで、満足しました。結構大変ですが、脳の活性化に繋がります。教材も、試験も、教授の方々もスクーリング内容も会場の方々も、内容は立派なものでした。通信教育は軽いのかなと思って居ました。若い内に受けて居たならば、この事を知って居たならば・・違う人生を歩んでいたかも知れません。姉・麗子が進学を反対したからと言って・・恨んだり、自棄になる事は無かったんです。私は何を求めて居たんでしょうか。私の内容不足でした。若気の至りです。かと言って、何もしていないのでは無くて、その場で出来るものは、手当たり次第に積み重ねて居ました。

 入学前・・通信教育の入学願書を、投函したその日の事でした・・(以前ハーブでボランティア出来る旨を申し込んで居た)施設の屋上花壇に、花を植えるボランティアを紹介して頂きました。いつもの買い物の途中にあり、便利も良い処です。喜んで引き受けました。ハーブの株分けは、いくらでも出来ます。手間いらずで、強く生きて行く植物です。間に花を植えると、皆様の臭覚と視覚とに届いて、安らぎになるかも知れません。早速・・ご利益あるん・・。と思いました。いえいえ、また苦難の始まりでした。人の間に生きると云う事でしょうか。でも今度は勉強中です。通信教育で・・仏教の勉強中です。大丈夫です!

 ⑲

 その年の6月頃でしたか・・。施設の2階に在る、ボランティア担当の詰め所で(看護師さんの仕事の傍ら)名札を貰って、屋上ガーデンを案内されました。名札は、来た時に必ず貰って、帰る時に必ず返すという仕組み。その時に時間が記録、居残って居ないかを管理されるのでしょう。詩子の場合、空いた時間に花の世話をすると云う事でなければ、ボランティア活動は出来ませんでした。「私は人に合わせての活動は出来ないんです」とか言いながら・・若い担当者は「此処に植えて下さい」「えっ!此処ですか!」その花壇は幅、70センチメートル位、長さは13メートル位あって、東側に一列に、高さ1メートル位の植栽があります。その前に小さな紫の粒粒の花を付ける、ヤブランが植えてありました。「此処ですね。ヤブランは抜いてもいいですか。もったいないですね」「いいです。よろしく」「分かりました。何処か他へ移植して置きます。明日スコップを持って来て耕します。偉い硬い土ですね。」と云う事で、植える場所が決まりました。肥料とか道具とかは、畑を耕して居るので分かります。紫の粒粒の花を付けるヤブランを抜いて、花とかハーブを植える処は、都合50センチ位の幅になります。一人で世話をするには、丁度良い広さかも知れません。ヤブランを移植して、もみ殻等入れて、土をふかふかになるようにしました。発酵牛糞、発酵鶏糞等を入れてどうにか、花を植える花壇らしくなりました。そうそう、もみ殻を入れて帰った日の事・・雀が花壇に来て、ほっちらかして居ました。もみ殻に、残って居る米を探したのでしょう。これ程大胆に散らかすのでは困ります。早速詰め所に詫びを言いました。長閑な処ですもの、雀達、思いっきり遊んで見た事でしょう。多分ペチャクチャピーチク、ペチャクチャピーチク、歌いながら・・。「土を耕して貰うのかと思いました」詰め所で言われました。それも有りですか?その後2~3日花壇に、釣り糸を2本張りました。雀たちは危険を察して来なくなります。上から見て居て、逃げられないと感じるんです。畑で(夫が)実証済みです。先ず、ハーブを株分けして植えました。名札を付けて、タイム・マジョラム・スペアミント・ペパーミント・ソープワート・ラベンダー・ローズマリー・ステビア・セージ・ウインターセイボリー・ワイルドストロベリー・等々・・大体の種類は持って居ました。小さなハーブのグループにして、間を作りました。間に花を植える為です。花壇の前一列には、真っ赤な花手鞠の花を植えました。我が家の花壇も、前列に花手鞠が垂れ下がるので、とても可愛いです。ハーブの間の花は、ビオラとかパンジーを植えたいと思います。季節によりますが、サフィニア・ペチュニア・桜草も長く咲いて居ますので助かります。

そうこうして居る内に、一年が過ぎました。体力的に、まだ出来ます。プランターに花を植えて、花壇の前・・両側(西側は植栽)に置きました。プランターは家で設えて、運んで置くだけです。花が終われば、持って帰ります。水やりと肥料の管理と花がら取りをします。週一回、2時間弱の世話です。ある日の事・・その場所で、石蹴り・けんけんぱっ・縄跳び・等をして遊んだのかな・・と思う跡が残って居るんです。入院して居る子供たちが遊んで呉れたのかな。元気に遊んでいる!嬉しくなりました。お役に立っているんですね。花たちの思い・・心に届けと思います。

 また、ある日の事・・屋上ガーデン、入って直ぐの花壇を担当しているボランティア・Sさんが、何も言わずに消えました。多分Sさんだった・・。Sさんは、前々からボランティアをしている人で、ボランティアの先輩です。花壇の水やりが済むと・・病棟内のボランティア(喫茶等)もあるそうです。その日詩子は忙しくて、直ぐに水やりしながら、花の様子を見て花がら取りをします。あれっ!その時・・Sさん所有の小人のマスコットが、詩子の花壇入り口付近に、来て居るではありませんか。(置いてある)まぁ、どうしたんじゃろ!直ぐに定位置に戻しました。Sさんがいつも置いている、花壇中頃の位置へ・・そして忙しく、水やりして・・花がらを取って・・花の姿が整うと・・安心して帰ります。帰ろうとしたその時、気が付きました。先程の小人のマスコットが置いてありました・・その場所に、ダンゴムシが山になって居るんです。もう少しで、花壇に散らばる処でした。間に合いました。多少逃げましたが・・ダンゴムシを掬って、ビニール袋に入れて家に持ち帰りました。

 何日かして屋上ガーデンで、Sさんに出会いました・・。Sさんは、詩子が何か言うだろう・・反応を確かめたのでしょうか。そんな事とはつゆ知らず・・詩子は、Sさんを怒って差し上げたんです。「患者さんが教えて下さいましたよ!貴女のマスコットを置いてね。ぷんぷん!ちゃんとあった所に返しておきましたよ。・・それでね、(指さして)向こうの草を抜いたらいいのに!」(罰にとは言わなかったが)屋上ガーデンのSさん担当の花壇の向こう・・草が、ぼうぼうに生えて居るんです。「人に花だけ見て下さい・・とは言えないですよ!草が目に入るんですから。大きい草だけでも抜いたら・・感じ違いますよ。私こっちは、抜いているんですよ。大きい草だけでも抜くといいです。鉢も置けますよ・・鉢は遠近法で置いて居るんです。ガーデンが広く見えるでしょう。種の芽出しにいいところですよ。そよそよと風も吹くし・・日当たりも良くて・・もったいないです。いい処です」「ほぉ・・」Sさんは含みのある返事をしました。

 その後Sさんとは、出会う事もなく・・草を抜く気配もなく・・プランターを置くでもなく・・。草ぼうぼうの処はそのままに・・それぞれに作業をして帰りました。

 ずっと後になって気が付きました・・あの小人のマスコットを置いたのは・・Sさん本人なんです。ダンゴムシを入れて、その上に・・マスコットを置いて知らせる。詩子がどうするかを、見たのでしょう。引っ掛けですね。大人になれば、よくある事でしょう。詩子が知らないだけでしょか。もしも詩子が・・そのダンゴムシをSさん担当の花壇に返したならば・・生涯、詩子は子分となって、Sさん達の為に働く事になったでしょう。何かの風習と云うものでしょうか。お祖母さんという立場の人の、ボランティア仲間の事なんです。気の置けない人達です。

 ⑳

 そろそろパンジーの苗が店先に並ぶ頃です。パンジー、ビオラは春過ぎ迄、次々咲いて強く生きて行きます。可愛いし、押し花にもなります。エディブルフラワー(食べられる花)サラダの色どりにいいです。店頭に並ぶのを楽しみにしていました。

 2~3日後の事、新聞広告に掲載されています。ホームセンターに、いち早く駆け付けました。まだ株の張りは弱そうです。でも、花壇に植えると大丈夫です。20ポット買い求めて、帰り道の屋上ガーデンに立ち寄り・・植えて帰りました。(先日耕して、肥料も入れてあるから・・色のバランスを考えて植えるだけ)今年、一つの計画が叶いました。次の広告の時に買い足せばいいから・・。花壇のパンジーは色とりどりです、紫系・ピンク系・黄色系・白系・ブルー系・暖かな色合いです。一安心して帰ります。出入口で・・いつも花壇の方を眺めてから帰ります。さようなら・さようなら・また来るから、いい子にして居るんよ!とつぶやきながら・・。世話をした花達、ハーブ達も手を振って居ました??

 2~3日経ったでしょうか?植えたばかりのパンジー、ビオラは、ちゃんと根付いて居るでしょうか・・根の張りが弱かったから気になります。いつものように手続きをして、屋上ガーデンに上がって来ました。パンジー、ビオラは根付いて居る筈です。

 あれ!えっ!・・パンジー、ビオラは??姿はありません。「あのーパンジーは?何処へ?・・」詩子は慌てて居ました、花を見て帰ろうとしている人に聞いて居ました。「さぁー?」私に聞かれても・・迷惑そうなさぁー?を言って階下へ・・。そうでした、すみません。お客様には分かりません。詰め所に訴えましたけれども、植えた処を見ていないし・・どうする事も出来ないと云う事でした。パンジーの株元をよく見ると、根切り虫に食われたかのように・・根元をハサミで切って居るのでした。殆どのパンジー、ビオラ・・全滅です。助かるかも知れないビオラ、5株ありました。どうしよう・・明日は土曜日、休日は世話が出来ない事になって居ます・・。今から買って来ましょう。そうすれば・・お見舞いに来られた家族の方と散歩されるだろうから・・穏やかな時を過ごして頂けるから、植えて置きましょう。切られたままではいけません。今です!と云う訳で・・15ポット買い求めて、同じように植えて帰りました。2~3日して出向きました。花が気になります。その日は大丈夫です。健気に生きて居ました。あぁ~良かった。一安心したものです。どうぞ切らないで下さい。患者さんが散歩されるんだから・・。家族の方の不安な思いを、少しでも癒して上げたいと思うんです。昼休みに、職員さんが仕事を一時忘れる所なんだから。そして英気を養う処なんだから・・。花を切る事は、何の暗号なんでしょう。何を求めての事ですか?説明が必要ですね。それともここは医療施設・・病気の人なんでしょうか・・。 2~3日後・・やっぱり、根切り虫に食われたように、根元から切られていました。残って居る株も弱々しく思えてなりません。次に来るときは、切られたり、枯れて居る事を前提にして、予備の花を持って来ましょう。何度も植えました。詰め所にも報告しました。

 ある日の事・・一人の女性がベンチに掛けて居ました。年恰好は詩子より少し若いかな?聞けば・・近くに住む方で、水遣りのボランティアをされるそうです。「そうですか・・私の処はちゃんと来てますから。いいですよ」「家は前の横断歩道を渡って、少し行った所です」水遣りのボランティアさんにしては、不釣り合いな・・エメラルドグリーンの四角い石の指輪をいじりながら言うんです。「もしかして、○○会の人ですね。お嫁さんも入っておられるから・・例会か何かで、マンションに伺った事あります。部屋からすぐ下のお宅が良く見えましたよ」「まぁ!」「○○会は近所の人に誘われて入会しましたが、今は止めてます。お宅の事は、近所のその人からよく聞いて居ました。今は、名前だけの会員さんですね」(名門大学出で、家庭科の先生だった・・息子さんは大企業に就職・・近頃結婚されて、お嫁さんが入会している。工務店を経営しながら、宝石屋さんを開業。その指輪で察知)もしやと思いながら話していました。この人は詩子の気持ちを探りに来た人だと思います。仲間になる、いえ!手下になる気は、一向にない事を感じた事でしょう。水遣り・・、こちら頼んでないのに何の為に?水の遣り過ぎで枯れる事があるのに。(人前でも、花も切れる・除草剤も撒ける・夜盗虫も入れる事が出来る)それからは大変でした・・。詰め所には届けました。施設の人も現状を聞いて呉れました・・。警察にも届けました。相談窓口がありまして、警察を退職された人が聞いて下さいました。「施設にも警察を退職された方が居られますよ。ご存じの方ですか。陰になり日向になり、心配して下さって・・とてもお世話になって居ます。お陰でここ迄やれて居ます」早速電話されました。「彼に頼んで見ましょう。この頃のボランティアは花や肥料も自分持ちらしいですのー」「そうですね」(詩子の場合、最初から自分持ちでした。隣の花壇、Sさんの場合・・部屋に活ける切り花用に、肥料とか球根は支給されるようです。それはそれでいいと思います。花とかではなくて、訳・意味が知りたいですよね。失礼です!暗号で人を使う人達は遠慮します)など思って居ると・・相談員さんは「それ位なら捕まえても、なんかいのぉ・軽いよのぉ・・○○の方がのぉ・・」後ろの席の若い警官が言いました・「器物損壊位ですよ」世の中これでいいんですか?何故捕まえないのかな!助長しますよ!いろんな絡み合いもあると云うのなら・・せめて訳ぐらいは、聞いて下さいよ。と言いたい。○○は多分仕返しでしょう。大きな集団なんでしょう・・(財力あり・人員有り)花を切られる事は分かります。誰が切るのか、と云うのも大体分かります。只・・何の為に花を切るのか、訳が分からないんです。ここは医療施設・・皆様の心の安らぎになれば・・と花を植えるボランティアをしていました。最初から・・紹介もありません、部屋に花を活けるボランティアさんがある事すら、知りませんでした。花壇の中を開墾して、肥料を入れて、花を植えて・・・作業の様子を見てからと云う事かも知れません。これなら使える・・手下にしましょうと、話は決まったのかな。しかし、私にも意志があります。この年になって手下にはなりません。詩子は暗号が全然分かりません。・・お断りです。

 とうとう・・その年はパンジー、ビオラを切る事から始まりまして・・夜盗虫を入れて・・除草剤迄入れるような人達でした。夜盗虫は・・割り箸で1匹1匹捕りました。捕り残しもありますが・・1年で220~230匹。最初は栄養満点の大きな夜盗虫から、年末近くは、赤ちゃん夜盗虫迄・・。何処で育てるのでしょう?庭を見てみたいものです。お嫁さんに電話をすれば・・止めて呉れるかも知れない。息子さんとお嫁さんから、言って貰えるなら、効果があるかも知れません。でも、電話は・・しませんでした。家の平穏を乱すかも知れない。面倒くさい!夜盗虫を必死で捕って居た頃です。1年で220~230匹位とすると・・5年間捕りましたから、約1100匹です。よく捕りました。と、私を褒めています。それに誰かさんも、夜盗虫をよく育てたものです。このエネルギー、良い方に使う事が出来るでしょうに・・。考えてみて下さい。お願いします。

 「除草剤が入って居るかも知れん・・」いつも気遣って下さる、施設の人が忠告して下さいました。「ありがとうございます。私もそお思いまして・・今日は鉢に植えて来ました。何度植えても枯れますから、ご心配かけます。まさか花壇に除草剤をいれます?入れる事が出来るんですね。そのグループの為に。上からの指令なんでしょうね。私には解りません」花壇の中に鉢を埋め込む形です。この鉢は、父が展覧会に出す菊を育てた鉢なんです。(5号鉢・直径15㎝位)徐々に鉢を大きくして、三本仕立ての大きな菊の花を咲かせて居ました。鉢の中まで除草剤は入れないでしょう。「お父さん、花を守って下さい・・」念じて居ました。

 ㉑

 その年、花壇はとうとう・・鉢植えのパンジー、ビオラで、新年を迎えました。そして・・節分の声を聞く頃になりますと・・植栽に鬼の面を取り付けました。豆菓子にサービスで付いて居る、あの鬼の面です。裏面は、黒マジックでぐるぐる描いて、髪の感じを出しています。セロファン袋に入れて・・雨対策をしました。青や赤・黄色の洗濯ばさみで取り付けました。洗濯ばさみ・・結構強くて、風に飛ばされません。散歩コースに、鬼が20数匹散らばって居るんですから・・楽しかった事でしょう。また来年も来ていいですか?なんて・・鬼の家族がお手紙を残したりして・・。こちらも楽しかったで~す。

 節分の鬼の面を片付けた頃の事です。何時ものように、花壇や鉢に、水遣りして居ました。草取り、花がらとり、花の様子を見ていると・・。あれ!あれあれ!・・除草剤を撒かれて、夜盗虫が残って居た為でしょう・・パンジーは早めに枯れました。その処に・・奥のヤブランに隠れるようにして、小さな苗が数株生えて居るんです。凄い!凄いです!パンジーの株です。1㎝にも満たない・・ちゃんとしたパンジーの株です。一人前の姿です・・よく出来ています。覗き込んで見ました。「ここで生まれたパンジーですよ!」叫んで、誰かに見て貰いたかったです。でも、周囲に誰も居ませんでした。

 花達はじっとして、動けないけれども・・こちらの事を、何もかも見て居るんです。素晴らしいと思います。自然界に生きて、自然界の為に・・人々に安らぎを与えています。昆虫たちに花の蜜を上げています。そして子孫を残す事ですね。花達の目的です。人々の思惑はどの様に捉えているでしょう。人々の目的はというと・・人よりよい思いをする?なるべく手間を掛けないで、暗号などで(責任を取らなくて済む)人を動かす。色々ありますが、花達(植物達)から見れば可笑しいでしょね。何の為に生きて居るん?と、思って居るでしょうね。

 屋上ガーデンで花の世話をして居ると・・沢山の事に巡り合います。小鳥達の計らいでしょうか。可愛い小さな草花を見つけました。(グーグル検索)ねじり花・・小さな花がねじれながら先端迄咲いて行きます。花言葉は、思慕草。どちらかの葉が出て居るときは、もう一つの葉は枯れます。このサイクルで、ねじ花は1年中地上部が枯れる事は無いそうです。

 三時草(はぜ蘭・花火草)花言葉は真心・・後から分かりました・・三時頃、小さな可愛い花をポッと咲かせます。ポッと音を立てて咲く、と人から聞きましたが・・私、じっとして居ないから、まだ音は聞いていません。爆ぜるように種を飛ばすそうです。こちらの方が爆ぜ蘭の、名前の由来かも知れません。「この草・・三時草と云うんですよ。三時頃・・小さな可愛い花を咲かせますよ」「ほぉ・・そりゃまたどう云う訳じゃろう・・」「さぁ~日照を感じるんでしょうか?ポッと小さな小さな花が咲きますよ・・奥さんの病室に活けて下さい。気が紛れますよ」「ありがとう・・そうします。病気の事ばかり、心配ばかりしとるけぇ・・気が紛れるかも知れん。ありがとう・・」「お大事にして下さい」小さな草花・・お役に立つ事でしょう。

 向こうの方では・・カラスがへっぴり腰で歩いて居ますよ。何か悪戯をしてやろうと思うんです。キョロキョロしながら、時に土の中の虫など探して居ます。あのカラスは、ここが縄張りなんでしょうか。多分同じカラスです。いつも同じ動作をしていますから・・。

 モンシロ蝶は、ちろちろ飛んで花の蜜を集めて居ます。すぅーと飛んでくるのは・・黄色と黒の縞模様のあるアゲハ蝶です・・。美味しそうに蜜を吸って行きます。

 花達はと云うと・・真っ赤な花手鞠のバーベナは、次の出番の為に・・トレーに差し芽をして、半日陰の処に置いています。桜草は・・花の時期は日当たりを好みますが、花が終われば・・日陰に置いておきます。芽が出るまで、そのままです。ペチュニァ、サフィニアも花が終われば・・半日陰に移動して置きます。いつの間にか・・芽が出て居たので、とても嬉しかったです。この頃は種を取って、春と秋に蒔きます。土の様子を見て、水遣りも忘れないでお願いします。

 此処はいつも・・優しい風がそよそよ吹いて居ます。日当たりも良いし・・日陰もあります。屋上ガーデン・・いい処です。ここは極楽ですか?と言うほどに・・お釈迦様の様に、長閑な気持ちで散歩してください。春に咲く花・・パンジー・ビオラ・桜草・夏に咲く花・・アメリカンブルー・花手鞠・朝顔・秋に咲く花・・コスモスも準備しています。・・みんな咲きますよ。だから・・極楽のようです。と言わせてください。花達は一生懸命に、生きて居ます。一生懸命に、私たちを見ています。ありがたい事です。 

 昼下がり・・私は、屋上ガーデンで水を撒いて居ました。花がら取りは、最初の手順です。肥料の様子を見て・・花姿を見て・・全体を見て・・。水を撒いて帰ります。

 ボロローン・・何だかメロディーを聞いたような気がしました。ボロローン・・あれ!あれあれ!わぉー!花壇の植栽に・・虹がかかって居るんです。しかもCDの様に、小さな虹が一列に並んで居ました。手を伸ばして・・虹のシャワーを浴びました。手の中の虹は綺麗です・・綺麗です・・。振り返って西の空を見上げました。昼下がりの西の空・・まだ高い処に、お日様はありました。優しい光に、抱かれて居るのでした。私・詩子は自然に手を合わせて居ました。ありがとうございます。いつも見守って頂きまして、ありがとうございます。この場所で、虹は2~3度見ました。大きさと形は、その都度違って居ます。太陽の位置・・角度の違いでしょうか。

 同じ場所で・・花壇に夜盗虫を入れる・・除草剤を入れる・・誰かさんにも、この光景は見える筈です。只・・感じないだけの事・・。受け取れないだけの事でしょうか・・。もったいない!こんなに美しいのに!美しく、偉大な自然の恵みは、ここにもあるんです。見る事が出来るんです。

 とうとう・・その年も解決されないまま終わりました。向こうの芽だしトレーの方に、ティッシュペーパーが4~5枚撒かれていました。これも暗号でしょうか。白紙にせよと・・。そういえば・・以前、芥子の花が花壇いっぱいに咲いた事がありました。(芥子の花は、花壇には困ります)芥子の種を蒔かなければ、これ程に咲きません。芥子の苗を抜けばいいんです。私のハサミやスコップを入れた袋を、ベンチに置いて作業をしていた・・持ち手の処を、引き裂かれた事がありました。(気持ちは良くないです)次に来た時・・同じ袋を平気な顔で、ベンチに置いて作業をしました。(持ち手は元通りに直しました)作業用に小さなバケツを棚に置いていました。そのバケツで、花の根を洗いました。株の周りに蟻が群がって居たからです。ジュースを撒かれたらしい。根をきれいに洗って、元通りに植えました。そして後日の事・・そのバケツの底が壊れて居ました。踏んだのかな?余程悔しいのかな?これが世に言う・・強い集団がするいじめ・・と云うものでしょうか。年を取ると、何でもない事と受け止めますが・・若い人達・・子供達・・に取っては遣り切れないでしょう。その時は、視点を高所に置いて下さい。お祖母さんと言われる立場の人達も、いじめをして居るんですよ。可笑しいですよね。

 最後の最後・・コロナ禍の為に、屋上ガーデンは閉鎖と云う事になりました。丁度良い折です、詩子も年を取りました。夫も年を取って、手を取る迄ではありませんが・・気遣いをしなければなりません。ここで6年弱、ボランティアをさせて貰った事になります。この年になって、世の中にはいろんな考え方がある事が分かりました。その事を書いて、初めて投稿しましたのが・・小さき花達のことです。念願の作家・・デビューしました。

 最後の最後、お別れは・・白い型紙(新しいワイシャツの芯かな)が2枚・・棚にありました。持ち手がある白い紙です。持ち手のある物(手提げ袋とバケツ)を壊した事・・覚えて居るんですか。これも暗号?風習?なんですか。これで気が済むんですか。分からない人には、何の事だか分からないですよ。気持ち悪いですよ。面倒くさいですよ。私・詩子は、壊されたバケツだけ、持って帰りました。その人達とは・・もう会う事はないでしょう。街の何処かで出会ったとしても、誰だか分からないでしょう。

 しかし、この出会い・・何もかも出来過ぎではないでしょうか?神様・仏様か?又は、高い処に居られる方の計らいですか?詩子の運命と云うものでしょうか。最後の仕事と云うべき事なのでしょうか。それともですね・・なかなか書かないから、文章が下手だから・・態と芝居をして題材を与えて下さった。この説、強いかも知れません。何故なら・・お祖母さんと云う立場の人が、いじめをしてはいけません。幼稚過ぎる事をする筈ありません。そして、とても手間の掛かる事です。夜盗虫を育てなければなりません・除草剤等を入れるより、花を植える事の方が容易いです。だからです。・・そこ迄して頂く訳は・・私・詩子は・・もしかして文豪なんでしょうか??と・・勝手に思ってしまいます。厚かましいのは、父の教えです。思うだけですから、誰にも迷惑は掛けません。先頃 C・ブロンテ ジェイン・エアを読みました。先月 トルストイ アンナ・カレーニナを読みました、今・・ヘッセ 知と愛を読み始めました。頑張って世界の文豪に、近づきたいと思います。若い頃・・OL時代に配本で買った本です。定価は大体480円。本屋さんの若い人に、2年間に渡って、事務所の机迄届けて貰いました。日本文学全集もあるんですよ。こちらは、72巻一括で家に届きました。1冊330円で、2万3760円でしたか。給料1ヶ月分位です。値引きとか、送料とかは覚えて居ません。文学少女では、無かったのに・・何故か買って居ました。知識を求めたのかも知れません。文学全集が家にある事によって、読みたい時に本が読めますので、良かったです。ちょっと、どんな内容じゃった?とか、作者の文体を中心にして、読んだりとか・・大いに勉強になっています。只・・目が霞むので、不安です。ページの材質が古くなってしまいました。60年近く本棚にあるままですから。三分の一を詠んで居るかどうか?この二つと私の寿命・・時間の問題です。作者の一作品づつでも、早く読まなければなりません。全部読めば・・文豪になれますでしょうか?・・

 本が好き、と云う程でもないのに・・全集があるのは、何か?神・仏の導きでしょうか。今日の為の布石でしょうか。手紙しか書いた事が無かったです。それも、長い文は苦手ですから・・絵葉書にしたりです。そんな私・詩子が投稿するようになって、皆様に読んで頂いて居ます。不思議です。ありがたい事です。苦難があったからでしょう。遣り切れない、苦難に導かれて、ここ迄来ました。今は、世の中何もかも、感謝です・・お陰様なんですね。

 出来過ぎの理由として・・。

 一つは・・仏教の通信教育の入学願書を投函した日に、このボランティアを紹介されたんです。3ヶ            所の中から、詩子が選びました。

 一つは・・レポート提出していると、私でも文章が書けそう・・と、思って居たんです。 

 一つは・・この集団の絆が強い事です。暗号で済ますんですね。知らない人は困ります。だから、皆       がこの風習を知って居れば、出来なくなります。広める役目を担って居るのかも知れません。それに、いつも陰になり日向になり、見守って居て下さる方がありました。

 一つは・・詩子は、自然界の営みを感じる事が出来るようになって居ました・・。自然界は、何より          も美しく偉大である事をお伝え出来るかも知れません。                              一つは・・最初から、他のボランティアさんの紹介の無いまま、自費で植えて居た事。大体の説明        も無いままです。何もかも暗号ですから。それとも、この頃の世の中は、皆暗号なんでしょうか。

 一つは・・父や姉の為の苦難。叔母達のがみがみ事件。やり返したりしないで、耐えて強く生きてい       る詩子です。そして選んだこの道です。苦難の後ですから・・、書く事は容易く出来ます。

 詩子は苦難の後・・いつも平和が訪れて居るんです。苦難は分かれ道でした。あの苦難を乗り越える事が出来た詩子は、魔女かも知れません。天使かも知れません。只・・仕返しをしなかっただけです。時が過ぎるのを待っていただけです。目の前の苦難を乗り越えると・・良い事があります。違う世界が広がると云う事でしょう。


 ㉒

 響きあう 友らはなべて 哀しきに  草の星とや 謂いて光りぬ 

 

 響きあう友ら・・人は、出会う事により、何らかの影響を受けて居ることに気が付きました。総じて、身近な友なのに・・戦わなくていいのに。何故に戦う?哀しい事です・・。響きあうは・・思いが増幅して、お互いに良い事に繋がって行く現象でしょうか。何故に・・出来ないのでしょう。


 私は、草の星かも知れない。と謂いて光りました。・・朝露が草の葉にありて光るさまを詠んで・・(戦わない私は、仲間にも、手下にもならなかった) 私は朝日を受けて、星のように光りました。 

 草の星・・心の何処かに残って居て、思い出せない詩でしたが・・どうにか、やっと、何とか、まとまりました。朝日を受けて・・響きあいたい・・と云う思いです。より良く生きて欲しいからです。 短歌の規則も知らないで、先生に教わる事もなく・・書き留めたものです。     

                                     終わり




                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

 

 10万字の作品に挑戦して居たんです。ところが・・3月14日のシステム変更により、3~4日編集出来なくなり、慌てました。そこで2~3部位に分けて、10万字にした方が安全ですかね。インターネットの扱いに、手間取ります私です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ