二 誘い
一所懸命に、身をよじらせ、門の向こう側に上る。
当時元から、運動の苦手な私にとっては、精一杯の力を四肢に込めて、上っていたつもりだったが――先に易々と向こう側に着いていた、こちらを見つめる蓮人の顔はどこか嘲笑めいたものを感じてならなかった。
「何やってんだよ」と言わんばかりの顔を、握りしめた鉄格子の隙間から黙って睨みつつ反対方向へ行くと、緊張が解けた手はするりとほどけ、落下するように、そこへ着く。
中学生男子二人分の高所から落ちた際に伝わる、臀部から背中にかけての衝撃は凄まじく、しばらく痛みに尻を擦りながらその場で悶えていた。
「大丈夫? ほら、手かして」
身悶えしていると、蓮人が私に手を差し伸べる。
本気で心配しているような表情を向け、私は思わず縋りつくようにして伸ばされた手を握った。
その時ばかりは、良き友人との、素晴らしい友情を実感したものだ。
ただ、煽らなければ私があんな目に逢わずに済んだであろうことはさておき。
立ちあがると同時に、背中を曲げた時の痛みが激しく、余りにも強かったので、廃工場の探索の際は、蓮人に手を握ってもらい進む事にした。
辺りは暗く、風が吹く度に雑草と鉄、土の匂いが鼻孔を満たし、視界は謎の、淀んでいるように見える液体の詰まったドラム缶、灰色の建物ばかり。
踏みしめた、砂利の感触さえもその空間では異様なものに感じ、その感覚を、痛みによってゆっくりとした歩みで感じさせられる。
すぐにでも家に帰りたい気分だったが、ふと周りを見ると、今いる工場の建物近く、その奥は例の門以外、全てコンクリート塀に囲まれていた。
蓮人の方はというと、片手でスマホを持ち、ライトを点けながら、なにやら左右に揺らしてみたり、適当な工場の奥に向かってかざしたりしている。
スマホの方を覗くと、カメラを回しているようだった。
カメラに映されているのは、今いる場所の中でもひと際、異様な雰囲気を持っているものばかり。
足元から数メートル離れたところで、地面に倒され、穴の開いて朽ちている謎の、刃物と思しきもの。
数歩、歩いたところで蓮人は、眼を大きく開く。
私が蓮人の顔を覗くと、蓮人は声も出ない様子でただ、スマホを持った手を一定の方角に伸ばしていた。
その方角を向いてみると、そこには何のことはない、建物の入り口があった。
両開きの扉のようで、完全に赤茶けたその無機質な造形は、この工場がなんらかの部品を製造していた事を再び確認させられる。
こんな扉のどこに、驚くべき様子があるのだろうか。
と思い、眼を凝らしてみると、扉には、僅かな隙間が空いていた。
こうなっては隙間に、何かがあるに違いないと信じてやまず、私はその空間を凝視する。
隙間は狭く、少なくとも私の視力と今いる距離ではどうにも隙間はただの暗闇が広がる空間としか思えなかった。
気になった私は、呆然と立ち尽くす蓮人からスマホを奪おうと手を上にあげる――が、蓮人はスマホを離さない。
こちらの様子に気付いた蓮人と目が合うと、蓮人は首を横にふる。
「やめろ……本当に」
死んだような蒼白に浮かぶ、ひび割れたように充血した眼が、私に警告をする。
しかし、私の好奇心は――そんな一言で止められず、スマホを強奪するような形で取り上げると、カメラのズーム機能を使い、映し続けた。
暗闇を映し続けていると――私の痛んだ背筋に、電撃の様な悪寒が走る。
隙間の奥には、平たく赤い、カメラの光に照らされ、ぬるぬるとした光沢を放つ物体が見えたのだ。
その物体のすぐ近くには、不気味なほど巨大な――全長は四十センチほどの、肥えたネズミの大群が円を描くように群がっている。
ネズミたちの、せわしなく動く頭からして、その赤い物体を喰らっているのは明らかだった。
あまりの異様な光景に、私は蓮人の手を後ろへゆっくりと引っ張る。
蓮人は、速足で私を連れて、来た道へと戻ろうと進んでいった。
建造物の樹林と呼ぶべき工場、そして異常な空気感全てからの逃亡を図るように。
ようやく、元の工場の入り口へ来たところで――私たちの全身に、鳥肌が立つ。
目の前にある、絶望に。
――門が無く、代わりにコンクリート塀がそびえていたのだ。
門が、最初から無かったかのように。
コンクリート塀は、一切登れるような隙間もなく。
私たちは、何かの勘違いであることを祈りながら、コンクリート塀に沿って、歩き出した。