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暗黒人魔と希望の聖女  作者: 宇喜多平八
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第6話 匙加減

ストック終わり



 兄の深夜講義から二ケ月。夏の盛りは峠を越え始めた頃。


 相変わらず俺は辞書と教科書、それにハイド兄から譲ってもらった世界地図と武鑑のようなモノを読み進める毎日だったが、いつものような夕食会時に、父から唐突に俺の『お国入り』を告げられた。


「ブライアンの体調は完全に戻ったようだし、向学心旺盛もあって会話にも問題はない。私は仕事があるから王都を離れられないが、そろそろ収税の季節となる。パスティーエ、仕事を増やして申し訳ないが、ブライアンに我が家の領地を見せてやってくれないか?」

「それは構いませんけれど……私もずっとブライアンに付いていてあげることはできませんし、リフィージーやケリーもこちらに仕事がありますでしょう」

「領内での護衛は城代のバーラウに衛士を出してもらおう。ハイドは王都に残るからリフィージーは無理だが、ケリーには付いていってもらう。そうだな……万が一のこともある。ナモア先生にもご同行をお願いしてみよう」

「よろしいのですか? ナモア先生にもお仕事が……」

「なに、そこは私に任せてもらおう。ここ数年は当家が関わる大戦もないし、名軍医もブライアンの予後確認はしたいであろう」


 鷹揚に笑うこの世界の父親に、しっかり者と評判の母親は一抹の不安を浮かべている。当主夫婦が領地を離れていても資産運用に問題はなさそうなのだから、領地における治安と支配体制に関して大きな問題はないと推測できるが、母親の不安はいったい何だろうか。


「実は昨日キルシェ侯爵閣下と宮中で立ち話をしてね。その席でブライアンの話が出たんだよ」


 妻の不安を解消するつもりなのだろう。あっさりと唐突なお国入りのネタをばらす父。そしてその内容のヤバさは、そっと横目で見たハイド兄の顔が一瞬引き攣ったことで分かる。


 キルシェ侯爵は七候の一角。我がシャイルー伯爵家同様に北部に領地を持ち、国境北部外交防衛戦を担う尚武の名門だ。領地が近いことは仲が良いことと同値ではないが、国境防衛戦闘において私兵戦力を増援に出動させるキルシェ一門の武器食糧などを調達する後方支援を、シャイルー伯爵家は友情価格で行っている。それを恩義に感じているのか、シャイルー伯爵領近辺の海賊や山賊・魔族の討伐にキルシェ家の郎党が助太刀することは一度や二度のことではない……らしい。


 武力においては七候でも一・二を争う名門家の当主が、伯爵家の『次男である』俺の話をすること自体、実によろしくない。特にキルシェ家と対立関係にあるカンパレイラ公爵家の寄子であるヴォイタバン伯爵家の嫡子と仲の良いハイド兄にとっては、話された内容がどうでもいいものであったにせよ、釘を刺しに来た以外のなにものでもない。


 別に俺自身、ハイド兄になり替わってシャイルー伯爵家の跡継ぎになりたいとは微塵も考えていない。特権階級の部屋住みというのは、戦争さえなければこの世界においては比較的居心地の良い立場だ。だが火中の栗をあえて拾いに行ってるハイド兄の、内心はともかく寄親でもない名門が釘を刺しに来たぐらいで小さいとはいえ一門の惣領息子がぐらつかれては困る。


「ハイド兄上、シャイルーの領地ってどんなところですか?」


 ここで小賢しい猿の弟よろしく兄者を支えるみたいなことを言う四歳など、気味の悪いことぐらいは俺だって察しが付く。ここは四歳児らしく空気が読めないふりをして、話題転換を行うべきだ。出来る限り子供っぽい口調で。


「……そうだなぁ。まず城の傍に大きな港がある」


 ハイド兄はそれに乗ってくれた。右隣に座るハイド兄に向き合えば、自然とお誕生席の父の冷静と困惑の綯交ぜになった表情が周辺視野に写り込む。ハイド兄にキルシェ侯爵の名を使ってその行動にくぎを刺したいと思っていたのが、まったく意図せず次男の興味を引いてしまい、そうではないと口を挟もうにも『七歳と四歳の』子供の会話にそんな『大人』な裏話を差し込むような無粋な統領の姿を臣下に見せるわけにもいかないのだろう。


「港? ですか。じゃあ船がいっぱいいるんですか?」

「あぁ、いっぱいいる。キルシェや東の独立都市国家からは鉄とか銀が運び込まれるし、西のニューポートからは牛や馬、農作物も船で運び込まれる。それに海の向こうの北の植民都市からは魔物や不思議な植物が持ち込まれるんだ」

「へぇえ」

「そういう物を取引する大きな市場や船積みの為の港こそシャイルー港だ。まず領地に戻ったら、港を案内してもらえ。いろんな人といろんな物がいっぱいで、驚くぞ」

「それは楽しみです」


 ひたすら子供っぽく、兄に見知らぬ故郷を質問攻めする。使用人たちから見れば実に微笑ましい兄弟の会話だ。ここ数回の深夜講義で、ハイド兄が教え魔であることは充分承知しているから、父が口をはさむタイミングがない。そして会話が弾んで食事が進まないのを見れば……チンチンと食器が鳴らされる。


「ハイド、ブライアン」

「「はい。母上」」

「食事を進めなさい。食べながら話すのはよいマナーではありませんよ」

「「はい、母上」」


 こういう席でのマナーについては父より母の方が厳しい。国家公務員としての『外のお仕事』は父が、領地経営などの『内のお仕事』は母がという棲み分けがはっきりしている上に、有能と使用人の評判も高い母に対して父が強くモノを言う事はない。出来るのはせいぜい咳払いだけだ。だがこのままではモヤモヤとした空気がまだ残っていて、雰囲気は良くない。


「そういえば兄上」

「なんだ」

「リフィージーに聞いたんですが、兄上が羊の牧場で柵に向かって突撃したって本当ですか?」

「お、おまっ! リフィージー!!」

「いくら兄上でもそれは無謀だと思います」

「ブライアン!」


 リフィージーをはじめとした使用人達は笑いをこらえたり、ハイド兄から視線を逸らしたりしている。そっと両親を覗き見れば、父は食器を手にしたまま毒気を抜かれた呆れ顔だったし、母は口に手を当てて肩を揺らして笑っている。


 両親の仲は悪くなさそうだし、父と兄の微妙な関係は致命的なものでもない。使用人達の当主家に対する忠誠と親愛は高い水準にある。であるならば、『よき貴族家』としてだけでなく、『よき家庭』であってほしい。


出来るのであれば英雄的活躍とか、現代知識チート主で異世界無双するのも悪くないとは思う。しかし電気やインターネットどころかまともな医療すら期待できない世界で現代日本人が出来ることと言えば、義務教育で学んだ知識がせいぜいだ。後は雑学本と職業で得た知識程度か。前世俺が持っていた資格で有用なのは……測量士補ぐらいか。ならばせめて転生した家族を居心地の良いものにするのは悪いことじゃないと思う。


『飛び立てよ、早く。嵐起こして』


「……なんだと」


 明らかに頭の中に響いた声。父でも母でも兄でもない。使用人の誰のでもない声。思わず俺の口から出る悪態に、ハイド兄の驚いた顔がこちらを見ている。


「どう、した。ブライアン」

「な、なんでもありません。上手く腸詰にナイフが刺さらなかっただけです。ははは」

「そ、そうか」


 俺の左手に握られてる銀のフォークが見事に人参をぶっ刺しているのを、ハイド兄は気が付いていただろうか。気が付かないことを願いたい。心から。



 ※



 三日後。リフィージーとケリーに手伝ってもらいながら遠出の準備を終え、迎えの馬車に詰め込んで王都から北辺のシャイルー伯爵家本領へと向かうことになった。


 一行は馬車二両と荷馬車一両。それに護衛の騎兵四騎と軽装歩兵一六名が付く。一行の指揮は騎乗した衛士長のリボットが執る。


馬車一両目には俺と母パスティーエ、それにケリーと母の侍女であるアサーティが乗り込む。二両目にはナモア先生とその奥さんで身重のアルプミーさん。荷馬車には、一行の荷物や領地にいる親類への土産物、食料や酒などが積まれている。


 ハイド兄の深夜講義によれば、王都から領都シャイルー迄は歩兵の行程で一二日。馬車だけすっ飛ばせば七日。騎兵では乗換込みで四日というところ。途中で幾つかの都市伯と会食したりするので、それよりは二~三日は遅くなるらしい。


 それにしてもこの世界に転生して初めて屋敷から出ることになるわけで、俺としては興味津々、乗り鉄のかぶりつきよろしく、ガラス窓ではなく『鉄』のガラリ窓を薄く開きながら街並みを見つめていた。しかしまぁ、寝室から見た景色とさほど変わりはなく。出発の朝が早かったこともあって、人通りもまばら。しかもガラリ窓の隙間から異臭が流れ込んでくる。


 その上、石畳を進む馬車は振動をもろに車内へと伝導する。サスペンションどころか懸架式ですらない。速度が遅いから振動幅も大きくはないが、いくらクッションを入れても痛む尻に、確かに異世界転生ものの知識チートで直ぐに板バネを使うサスペンションを導入するのもさもありなんとわかる。そんな車内で平気な顔して書類を読み始める母の三半規管はいったいどうなっているのやら。


 途中で何度か止められ、時折ガラリ窓を開けて母が外と会話しているところ見ると関所があるのだろうか。木製の橋を渡ると、恐らく王都の城壁を出たのだろう。窓の向こうには深い森と青い畑が広がっていた。ただひたすらに森か畑。時折小休止することもあるが、小さな村を幾つか通過しただけで、街道には本当に人工物が何もない。


 日が高くなり食事の為の大休止をとる為、板張りの壁に囲まれた村に止まると、ようやく馬車から降りることができた。これを一二日も続けなければならないというのも先が思いやられる。そう思いながら尻と腰と肩を廻していると、二の馬車からナモア先生が下りてきた。


「どうですか、ブライアン君。初めての旅行は」

「お尻が痛くてかないません」

「ははは。そうでしょう。私も馬に乗りたいくらいですが、身重の妻を一人にするのもいけませんしね」


 そう言うとナモア先生は、横に座るお腹が少し膨らんでいるアルプミーさんを一瞥した後で、俺に言った。


「本当は王都で出産の予定だったのですが、ブライアン君についていくようにとご領主様から言われてね」

「あぁ、それは。本当にすみません」

「いいんだよ。ブライアン君が謝ることじゃない。実のところちょっとご領主様を呪いたくはなったけどね」


 俺の後ろにはケリーが立っているし、ちょっと耳が良い衛兵でも居れば母に注進するようなことを、平気でナモア先生は口にする。魔法が使える医師というのは、伯爵の機嫌を窺わなくても済むような身分なのだろうか。それにそもそも魔法とは一体何なのか。リフィージーもケリーもリリアンナ先生も魔法が使えないから、やはり特殊な職業なのだろうか。


「特殊と言えば特殊な仕事だね。まぁ私は治癒魔法しか使えないただの一軍医に過ぎないのだけど」


 俺の質問に、ナモア先生は肩を竦めて応えた。


「七歳式の時に、宝珠による洗礼式がある。そこで洗礼を受ける子供に魔法の能力や才能があるかがわかる」

「ではハイド兄上も」

「魔法が使えるのは、世代によって若干差異はあっても人間の中では二〇〇人に一人と言われている」

「へっ?」

「身分は関係ない。何らかの魔法が使える人間は二〇〇人に一人。そして使えると言っても、大半は蝋燭に火を一日一回灯せる程度の魔法だ」

「成長と共に使えるようになるってことは……」

「例がなかったわけではない。が、建国以来片手の指よりも少ない」


 魔法を使える人間、いわゆる魔術師は才能の有無がモノを言う。そしてそれは遺伝にも教育にも全く関係がない。そして魔術で行えることの大半は、技術と道具で解決することができる。


「幸いにして私に与えられたのは治癒魔法でね。これだって麻酔薬と気付け薬、それに貴重な薬ではあるがエリクシル剤があれば事足りる。もちろんエリクシル剤ほどの能力は私にはないが、私の月給はエリクシル剤一投与の一万分の一だからね」


 効率と採算。技能と技術。魔術があるにもかかわらず、なんとも夢の無い話だ。ベッドの中で『水よ、出でよ』なんてこっそり呟いていたことはもう誰にも話さないようにしておこう。


「だが、そうか……ご領主様が私をこの旅に同行させた理由というのが分かったような気がする」

「それは、えっと」

「女官長は乳母として、ハイド君は兄として、君自身も自学自習をしてきたと思うが、君には『守役』たる者がいない」

「それを先生に、父が依頼したと」

「これは私の勝手な想像だがね。まず間違いないだろう。これから君は伯爵領に赴くわけだが……シャイルー伯爵家は小さいとはいえ親戚・郎党を抱えているがどの家にもとびぬけた実力があるわけではない。ハイド君はご領主様自らご教育されているようだから、次男の君にはいわゆる血縁の無い外様の私が適当ということだろう。……幸い近習となる子供が妻の腹の中にいるわけだし」


 クックックとナモア先生は笑みを浮かべる。


「そうなれば残り一一日の旅程をダラダラ過ごすのは勿体無い話だ。幸い私と妻の乗る馬車には席が空いている。さてブライアン君?」

「はい」

「君はどうしたいかね?」


 あぁそう言えば、国立大学出身の塾の先生が受験校選択の面接でこんな顔してたような気がしたな、と思いながら、俺は「よろしくお願いします」としかいう事が出来なかった。




2022/01/07 初投稿

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