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ふうせん町のニムロド

作者: yu

◆黒い少年たち

 物語の舞台は風船町と呼ばれる工場町。

 その名称の通り、風船を製造する工場が多く、かつてはこの町だけで、世界の風船需要の8割くらいの生産を担っていたとか担っていないとか・・・。そんな背景もあり、町にはいたるところに、カラフルな風船を見ることができる。例えば、コンビニの入口、デパートの屋上・・・風船工場の従業員の中には、ゲン担ぎのために、自宅玄関の入口に飾っている人もいる。

 と、まぁ、ここまでなら、とても心温まる平和な町をイメージする人が多いかと思うが、そうはいかない。


 熱気に満ちていた高度経済成長が終わり、人々に倹約という習慣が芽生え始めると同時に、風船の需要は著しく低下した。アイテムを変更し、普通の工業部品の製造を始める工場もあったが、風船づくりのノウハウしかない人々である。工場は、次々と倒産していく・・・。廃工場が立ち並ぶ町は、破産寸前の退廃した雰囲気が漂っている。


 町の財政と、風景が悪化していくに従い、町に住む人々の風土も変わっていく。町はホームレス、酔っ払い、そして、非行少年たちであふれている。


 夜。廃工場。

「ごちゃごちゃごちゃごちゃ、うっさいねん!オッサン!」

 うずくまる中年ホームレスを、真っ黒な学生服を着た数人の非行少年たちが取り囲んでいる。ホームレスは、鼻から血を流している。

「お前ら、警察に訴えたんねん」

 少年たちは、顔を合わせ馬鹿笑いをする。

「社会のゴミが、なんかゆうとる!」

「大人を殴って楽しいか?こんなことして楽しんか?」

 ホームレスは、叫びながら、非行少年の一人につかみかかる。その少年は、丸刈りで、細身だが、身長が周りの少年に比べ一回り大きい。ほとんど全剃りした眉毛を屈曲させるように眉間にしわを寄せ、彼はホームレスに頭突きを喰らわせた。ホームレスは、再度、弱々しくうずくまった。

 ホームレスに唾を吐き、少年は言った。

「ああ、おもろいで」

 その少年は、周りを見渡し、落ちていた鉄パイプを拾う。

「もっと、おもろい事したろか?オッサン」

 少年は、鉄パイプを振りかぶり、ホームレスに振り下ろした。少年たちの馬鹿笑いが、工場内に反響した。


 ホームレス狩り。

 こんな事件は、風船町では日常茶飯事。次の日のニュースにもならない。


 パラリラパラリラ~。

 学校の廊下を単車が走り抜ける。窓はすべて割れている。教室にいるのは、無言で黒板に数式を書く先生と、かまわずおしゃべりを続ける生徒たち。その生徒の中に、鉄パイプを振り下ろした少年の姿が見える。彼の名前は、ユウタ。

「おい、ユウタ。昨日のおっさんめっちゃオモロかったな」

「ああ」

「最初、めっちゃ反抗しとったくせに。ユウタが殴ると泣き始めたんやで。ホンマ傑作やったわ!」

 ユウタに上機嫌で話しかけるのは、サトミツ。

「なぁ、アキヒロ!お前、なんで来んかったんや?」

 教室で、一人、真面目にノートをとっている少年にサトミツは話しかけた。

「興味ないんだよ」

 ノートを書きながら、返事をした彼の名前はアキヒロ。ユウタたちとは、醸し出す雰囲気が違う。眼鏡をかけ、前髪を下ろしたサラサラヘアーの好青年という感じである。


「相変わらず付き合い悪いのぉ」とサトミツ。

「いつも言っているように、授業中話しかけるのはやめてくれないか?君たちが、授業を受けないのは、自由だが、僕の邪魔をしないでくれ」

「おお、やっぱし都会育ちの人間はちゃうなぁ?なんや?かっこいいとおもっとんのか?」とサトミツが突っかかるが、

「やめや」とユウタが止めた。

「なんでや?」とサトミツ

「ホームレス狩りはただの遊びや。アキヒロも集会にはちゃんと出席しとんやから、別に問題はないやないか」

「なんやユウタ。前からおもとったけど、お前、アキヒロに甘すぎるんとちゃうか?」

「なんや?俺に喧嘩うっとんか?」とユウタがサトミツを睨みつける。サトミツの表情が一瞬強張り、緩む。

「うそやんか。ビビった?うそやん。俺もユウタと同意見や。アキヒロ。ビビった?」

アキヒロは、サトミツを無視した。


 「おい。ユウタ」

 巨体の黒人が、ずかずかと教室に入ってきた。

「アントニー。どうしたんや?いま授業中やで?真面目に授業をうけるようになったって前ゆうとったやないか?」

 ユウタは砕けた表情で言った。

「俺が英語の授業受ける意味ないやろ?」

 彼の名前は、アントニー。見た目と名前の通り、アフリカ系アメリカ人を父に持つハーフ。家では英語で会話しているため、完璧な日本語と英語をしゃべるバイリンガルである。

「今日も集会あるんか?」

「あるで。ポケベルがなっとったやろ?」

「家に忘れたんや」

「さよか。気イ付けや。ボスにバレるとヤバいで。20時にいつもの公園や。ちゃんと来いよ」

「そうやな。やってもうたわ。気イ付けるわ」

 アントニーは、教室から去る。


 キーンコーンカーンコーン。

 授業の終わりのチャイムが鳴る。

「久しぶりの集会やのぉ」

 サトミツがユウタに話しかける。

「そうやなぁ。なんかあったんかのぉ」

「「赤」やないか?最近、動きが活発や。おい、アキヒロ。集会にはお前も絶対来いよ」

「ああ、行かなきゃ俺がホームレスになるからな」

 アキヒロは、カバンに教科書を入れながらそう言った。

 ゴロゴロと風船町に、雷の音が響く。

「最近、ずっと雨やのぉ」とサトミツ。

「そうやな。梅雨でもないのになぁ」

と、ユウヤは遠くの山脈に落ちる雷をみた。


 夜8時前。

 町の外れ、廃工場密集地帯の真ん中に位置する小さな公園に、真っ黒な学ランを着こんだ少年たちが集まっている。人数は30人。


 風船町の非行少年たちは、必ずどこかの不良グループに所属していなければならない。そうでなければ、この町で非行を働くことはできないのだ。不良グループは、大小合わせて5グループが存在しており、それぞれの組織には特有の「カラー」がある。赤、白、青、緑、そして、黒。ターバン、帽子、Tシャツ、靴、等々・・・どれを選ぶかは人やグループによって違うのだが、少年たちは、自分の所属グループの色を必ず身に着けておくことになっている。所謂、カラーギャングである。

 ユウヤたちの所属は「黒」。学ランと同じ色である。従って、大抵「黒」のメンバーは、休みの日でも学ランを着て外に出る。中のTシャツの色が見えないように、ボタンは一番上までしっかりと絞めている。髪を染めることは、暗黙のルールで許されていない。


 公園に設置されているジャングルジムの上に、ひときわ体の大きい男が座っている。その手には、30個ほどの黒い風船が握られている。そして、公園の時計がきっちり8時を指示した瞬間、手の力を緩め、すべての風船を空に放つ。真夜中。光源は街灯のみ。黒い風船は、すぐに夜空の闇と交じり合って消滅した。男の名前は、誰も知らない。メンバーからはボスと呼ばれ、恐れられている。

「来とらん奴はおるんか?」

 巨体から放たれるドスの聞いた低音が、静寂を切り裂く。


 少年たちは、5人ごと、6列で並んでいる。

 ボスから見て右から3列目の先頭はユウタである。彼の列には、アントニー、サトミツ、ケンタ(冒頭の襲撃に参加していた一人)、そして、アキヒロが並ぶ。ユウタの横、4列目先頭の男が、手を挙げた。

「すんまへん。一人来とりません」

 ボスは、ジャングルジムから飛び降り、手を挙げた男の目の前に立つ。

「ホンマや。4人しかおらへん。気色わるいのぉ。きっちり5人ずつに並ぶように、構成員の数は30人にしとるんやけどなぁ。ええ?どうした?」

 「黒」は、5人ごとの小グループに分けられ、グループ長が管理するという体制になっている。

「すんまへん。昨日「赤」にやられて・・・今、入院しとりますねん」

「ほぅ・・・そら、大変やのぉ。「赤」はホンマに容赦せんから、さぞボコボコにされたんやろ?」

「は・・・はい」4列目のグループ長の声は震えていた。

「かわいそうやのぉ。なぁ、ユウタもそう思うよな」

 ボスはユウタの方を見た。

「そうですね。えらい気の毒に思いますわ」

 うんうんとボスは頷く。

「でも、ボス。一つ分からんことがあるんですわ」

「なんやユウタゆうてみい」

「なんで他の4人はピンピンして、ここに来とるんですか?」

「はぁ?なにゆうとんや?」となりのグループ長が突っかかる。

「一人がボコボコにされて、お前ら黙って退散したんか?」とユウヤが冷静な口調で言い返す。

「違うわ!一人で家に帰りよるところを襲われたんや!」

「じゃあ、なんでここにおる?俺なら自分のブロックの人間がやられたら、仇打つまでボスに顔見せなんてできへんわ」

「なんやと!」

「まぁまぁ」とボスはユウヤの方をポンポンと叩いた。

「まぁ、そうカリカリせんでもええ。なぁ!」と4列目のグループ長の方も叩く。

「は・・・はい」

「せやけどなぁ」とボスの声色が変わる。

「お前が、自分のブロックの人間を守れんかったんは事実や。整列を乱したのも事実。このグループの統制を少しかもしれんが、乱したんや。なぁ、グループのみんなに謝ろうや。それで、しまいにしよう」


 4列目の男が、前に出た。そして、グループの全員と正対した。

「皆。今回・・・うちのブロックは、グループの規則を守れんかった。全部俺の責任です。えらいすんまへん」

 男は、頭を下げる。1,2,3秒して、頭を上げた。

「硬いのぉ」とボスが即座につぶやいた。

「はい?」

「硬い。ここは風船町。笑いの町や。笑いがあればすべてが許される町やで・・・謝罪もそうや。どんだけ、誠意があろうと、オモロなかったら許すもんも許されへん・・・そうや、ええもんあるで」

ボスは、ジャングルジムの脇に置いていた自分のカバンをあさる。取り出したのは、スプレー缶。

「分かるやろ?ヘリウムガスや」

 ここは風船町。風船を膨らませる気体として、軽く、無害で安価なヘリウムは最適である。普段の生活で風船に触れる機会の多いこの町には、普通のスーパーでもヘリウムガスが売られている。

「これ吸って、もっかい謝ろうや」

 ボスは男の頭をつかみ、無理やりヘリウムガスを吸わせた。

「スンマヘン。スンマヘン」甲高い、キテレツな声が、男から漏れた。黒い学ランの少年たちが爆笑する。ボスも、涙を流すほど笑い転げている。

「めっちゃおもろいやないか!」

「スンマヘン。スンマヘン」

「もっと、謝ってくれや。もう少しで許せそうや」

 ボスはヘッドロックの要領で男を拘束し、またヘリウムを吸わせる。


「スンマヘン。スンマヘン。カンベンシテクダサイ」

「はっはっは。おもろい。めっちゃおもろいでお前」

 ボスは、男を離さない。そして、絶えずヘリウムガスを吸わせる。次第に、男の血中酸素が枯渇していく。男の顔が変色していく、それと同時に、少年たちの笑い声は消えていく。対して、ボスの笑い声はどんどん大きくなる。

「スンマヘン。スンマ・・・へ」と、男は白目を向き、全身の力を失った。ボスは乱暴に、無力な彼を地面に叩きつける。笑顔は消え、一転して表情は険しくなった。

「ええか!お前ら!」

「ウシ!」と、少年たちは一斉に返事をした。

「ええかお前ら!舐められたら俺らは終わりや!やられたら即!2倍3倍にしてやり返せ!」

「ウシ!」

「そして、規則は絶対や!入院しようが、死のうが、死体を引きずってでも集会には絶対に全員頭揃えてでてこいや!わかったな!規則は絶対や!」

 校則に縛られない少年たちは、もっと質の悪い規則に縛られていた。

「ウシ!」

「ヨシ!・・・さぁ、これから本題や・・・今、聞いたように、最近「赤」が調子に乗っとる。なんやら最近、隣の煙突町や、木刀町から人を連れてきて、人数を増やしとるらしい。これはルール違反や。許されへん。昨日、「白」、「緑」と話してのぉ。一旦、休戦協定を結んで、協力して「赤」をつぶすことになった」

「おいマジかよ」と、列の中から声が漏れた。

「分かっとる!オモロないと思うやつもおるやろ。特に「白」とうちは、犬猿の仲や。個人的な恨みもあるやろぅ。でもなぁ、「赤」をこのままほっとくわけにはいかん。現に、今も一人やられとる」

「でも、ボス!」と、意見をしようとする少年がいた。ユウタのブロック、ケンタである。

「ケンタ!わかっとる。お前の気持ちは良くわかっとる。でもなぁ、これはグループの問題や。お前個人を尊重するわけにはいかんのや!分かってくれ!」

「ウ・・・ウシ!」と、ケンタは拳を握り、唇を噛んだ。

「もちろん。「赤」を潰したら、「白」との戦争は再開や。やつらと仲良しになるつもりは毛頭ない。こう考えてくれや、「赤」撲滅作戦の中心となれば、俺らの風船町での影響力はおおきいなる。もしかしたら、今回参加しない「青」との協力関係を結ぶことができるかもしれん。ええことしかあらへん、「赤」の次は「白」や・・・約束や」

「ウシ!」

「ユウタ!」

「ハイ!」

「この作戦のリーダーは、お前や。さっきあれだけイキったんや。先頭に立って、ぶちのめしてこい!」

「ウシ!」とユウタは眉間にしわを寄せ、返事をした。


 夜10時。

 町の寂れたゲームセンター。

「イケイケ!昇竜拳!」

「ウワ!やられた!」

 がっつりと開けた学ランの間から、赤いTシャツをのぞかせた少年たちがアーケードゲームに興じている。

「おい、波動拳てどうやるんだっけ?」そのうちの一人が、そういうと、背後から、声がした。

「簡単や。ぐるっと回して、パンチや」

「ああ?」と振り返ると、ユウヤたちが背後に並んでいた。

「なんや貴様ら」

「見て分からんのか?「黒」や」

「おい!ここにアホがおるぞ!」

 ぞろぞろと10人ほどの赤シャツ集団がユウヤたちの周りに集まってきた。このゲームセンターは「赤」のたまり場。ユウヤたちは、たった5人で、敵陣に切り込んだのだ。

「お前らここがどこか分かっとんのか?」

 眉毛をすべて剃っている少年が、ユウタに顔を近づけてくる。ユウタは言った。


「分かっとる。風船町や」


 眉毛のない少年に、ユウタは得意の頭突きをくらわせた。少年は、膝をつく。「おどれ!何すんねん!」 「赤」の少年たちが、ユウタたちに襲い掛かる。


 カラーギャングにはそれぞれのチームとしての特色がある。「赤」は、規則が緩く、ただ血を求める暴力的なメンバーが集まる凶暴なグループとして知られている。メンバーの人数を制限している「黒」とは違い暴力的衝動を持て余している少年ならだれでも受け入れる。カラーギャングの中で、最も構成人数が多く、一体何人いるのか、誰も把握していない。


「いてこませ!」「ヤッタれヤッタレ」「なめんなワレ!」

 怒号をBGMとして、ユウタたちは「赤」の少年たちと交戦する。


 一方、「黒」はというと、暴力性なら「赤」そう変わらないが、硬派、規律に忠実であるという「赤」とは異なる特性がある。そしてなにより、「黒」の一番の特徴は、少数精鋭。個々の戦闘力の高さなら、ほかのグループから頭一つ抜けていた。

 中でも、ユウヤのブロックは「黒」の中でも一目置かれるメンバーの集まりである。


 まずはアントニー。黒人特有の屈強な巨体を持つ彼に、単純な腕力で勝るものは風船町にいない。

「弱い!弱いのぉ!」

 人一人を軽く持ち上げ、ほおり投げる。こんな芸ができるのは、アントニーくらいである。「おらぁ!」と「赤」の一人が顔面を思い切り殴る。「なんや。全然気合入っとらんぞ!」アントニーの一撃で、「赤」は吹き飛ぶ。


 次に、無口なケンタ。小柄だが、 彼は、空手の全国大会にも出場経験のある「正統派」である。鮮やかな回し蹴り一閃。バタバタとドミノのように、「赤」が倒れていく。彼は、サトミツほど多くはしゃべらないが、仁義に厚く、決して仲間を裏切らない。


 そして、おしゃべりなサトミツ。

 彼は、懐に様々な武器を仕込んでいる。チェーン。警棒。ナイフ。体の小さい彼は、ケンカなれしており、狡猾な戦い方に長けている。


 そして、アキヒロ。

 実は、単純なケンカなら「黒」の中でも最強と目されている。

 涼しい顔で、「赤」をなぎ倒す。息が乱れることなく、汗一つかいていない。アントニ―のように力が強いわけでも、ケンタのように格闘技経験があるわけでも、サトミツのように喧嘩慣れしているわけでもない。彼の喧嘩センスは、完全に「天性」のもので、彼の強さの秘密は誰も推測できない。

 スルスルと敵の攻撃を避け、的確に、かつ、一発で相手をノックダウンしていく。

「なんじゃこいつら!バケモンか!」

 ユウタたちの戦闘力を目の当たりにした「赤」の少年たちが、騒ぎ始める。

「バケモンちゃうわ。「黒」や!」

 ユウタの頭突きが、突き刺さる。


「トシアキ!トシアキさんはどこや!」

「なんや、騒がしいのぉ」

 〈関係者以外立ち入り禁止〉の部屋から、アントニーサイズのピンクのベストを着た大男が現れた。

「トシアキさん!こいつら、止められんのです!」

「はぁ?」

「ぐあ!」と、背後からのユウタの頭突きによって気を失う。


 トシアキは、倒れた少年に目もくれず、アーケードゲームの方を気にした。

「おい!スト2が壊されとるやないか!どうしてくれるんや!」

 お気に入りのゲーム機が壊されたことに、彼はキレていた。

「スト2なら、今からここで始めようや。実写版や。エドモンド本田」

「はぁ?俺はリュウを使うんや。エドモンド本田みたいなモブキャラは使わん。」

「そら残念やな。風船町では、俺が、リュウや」

 そうタンカを切りながら、ユウタが頭突きを放つ。


 トシアキの鼻からツーっと血が流れるが、ただそれだけで、彼は微動だにしなかった。彼の顔が真っ赤に染まる。

「頭突きは本田の技やろ?俺がリュウや!」

 トシアキの昇竜拳が、ユウタの顎にヒットした。ユウタは、一瞬、宙に浮いた後、地面に倒れこむ。

「おーおー、ぴよっとるぴよっとる。お前の周りにヒヨコがまわっとるわ」

 トシアキがユウタを見下ろしながらそう言った。

「ユウタ。俺がやろうか?」と、アキヒロが、ユウタに言った。

「アホか!絶対に手ぇだすな!こいつぶち殺したんねん!」

 ベッと血の混じった唾を吐いて、ユウタが立ち上がる。

「弁償せぇよ!スト2!」

 立ち上がったユウタに、トシアキはもう一度、昇竜拳を繰り出す。確実にユウタの顎にヒットしたが、今度は倒れない。

「いっっっっっっったいのぉ!」

 ユウタは頭突きを放つ。トシアキがひるんだ。

「なんや!さっきより痛いやないか!」

「俺は風船町イチのどMでのぉ。やられたら、気持ちようなってしゃぁないんや・・・ああ、興奮してしゃあないわ!」


 「黒」のブロック長の一人。ユウタは、上背こそあるものの、細身で大した腕力はない。アキヒロのような喧嘩のセンスもない。しかし、彼は風船町でも突出した精神力・・・「気合」を持っている。それが、彼が最年少でブロック長を務めている最大の理由であった。

 ユウタは、トシアキの学ランをつかみ、思い切り、連続で頭突きを繰り出す。トシアキの顔は、途中からグシャグシャとグロテスクな音を立てる。たった5人で、「赤」の拠点であるゲームセンターは陥落した。


「ひゃっひゃっひゃっ」と、サトミツが、気を失ったトシアキにしょんべんを掛けながら笑っている。向こうではアントニーとケンタが、「赤」の少年たちを裸にし、互いに股間を握らせたりして遊んでいる。

「おい。握るだけやったらもうつまらん。口にくわえろや!」とユウタもそれに参加する。

「おい!アキヒロ!お前も楽しめや。今日は、ええ仕事したんやから。そうや、今日は気持ちいことしようや。こいつらにタレ呼ばせようや。おい、お前ら、チンチン咥えんででええから、今からポケベルならせや!」

「俺はいい」

「なんや。何したらお前は喜ぶんや?」

「それより。ユウタ。ちょっと来てくれ」

「なんや?」

 アキヒロは、ユウタをあの〈関係者以外立ち入り禁止〉の部屋へと呼び入れる。


「なんや?」

「これはなんだ?」

 小さな部屋には、テレビ、椅子、そして、小まめに梱包された大量の草に覆われていた。この「草」がタバコのものではないことは、すぐに察することができた。

「おい、これ」

「ハッパやろうな」

「こんなもん・・・それもこんなに・・・どうやって手に入れたんや?」

 ウー!ウー!ウー!

 パトカーのサイレンが響く。

「やばいで!ポリ公に誰かが通報した!逃げるで!」

 サトミツが部屋に駆け込んできた。

「おう!逃げるで!」5人は一斉に、ゲームセンターから駆け出した。


◆不思議なホームレス

 風船町に降る雨は強くなっていた。

「はぁはぁ、いつ通報したんや?」高架下で、ずぶ濡れのユウタが言った。

「わからん。あのでかいのが、ユウタにやられる前に電話したんやないか?」と、サトミツ。

「そんなわけないやろ。不良にこれからボコボコにされますって、あいつが電話すんのか?」とユウタ。

「まぁ、今日の仕事は完了したんだからいいんじゃないか?僕はもう帰っていいかい?もう12時じゃないか」とアキヒロ。

「夜はこれからやないか!タレとやれんかった鬱憤を、ホームレスで晴らそうやないか?・・・ほら、おるおる。社会のゴミがおるやないか!」とサトミツは、高架下を寝床とするホームレスたちの一人に殴り掛かる。それを見て、ほかのホームレスたちは、逃げるようにどこかへ散らばっていった。


「アキヒロ。なんか、おかしいと思うのは俺だけか?」

「あのハッパか?」

「そうや。あんなもんが、風船町に出まわっとんのか?」

「さぁね。僕は面倒ごとになるべく巻き込まれたくないからね。できるだけ関わりたくないね。だから、ちゃんと勉強して、この町から出ていくんだ」

「またその話か・・・そうやなぁ。お前はもともと、風船町の生まれやない。俺らみたいに愛着がないんは当然や・・・」

 アキヒロは小学校高学年で、風船町に引っ越してきた。元々、都会育ちのお金持ちの家柄だったらしいが、親の経営していた会社が倒産し、貧しい風船町に引っ越さざるをえなくなったのだ。

「ホンマに、卒業したら町を出ていくんか?」ユウタは、寂しそうな目でアキヒロをみる。

「そうだ。ユウタはどうするんだ?進学するのか?」

「いや、俺はオヤジと同じ風船工場で働こうと思うとる」

「そうか。でも、これから風船の需要は減る一方じゃないか?風船町を見てるとそう思う」

「ああ、でも、風船好きなんや。オレ」

「この町に生まれたら、ほかに生きる道はなくなるのかな」

 二人には、ひときわ強い絆があった。その理由は後で述べるが、それは小学校時代までさかのぼる。

「他の道か・・・この町にあるんは・・・風船と・・・笑いだけやな。そうや。芸人になるってのはどうや?一緒に、お笑いやろうや」

 ユウタがおちょけた笑顔で、アキヒロに言った。

「馬鹿か。僕みたいな面白みのない人間にいう言葉か?」

「いや、アキヒロ。お前、一周回っておもろいで?お前がネタ作れ。体張る仕事は俺が全部やるわ。なぁ、おもろそうやろ?」

「なんだよ。一周回るって。君たちは良くその表現を使うけど、僕には意味が分からない」

「レベルの高い笑いってことや」

「いや、もっと意味がわからない」

 と言いつつも、アキヒロは、どこか嬉しそうな笑顔を浮かべる。


 そんな青春を感じさせる交わす二人の近くで、ほかの三人は、ホームレスを残酷に殴り続けている。


「お前がネタ書いたら、多分シュール系になるやろうなぁ」

「かかないよ。ネタなんて」といいつつも、アキヒロは笑っている。

「大丈夫や。オレ、ベタな笑いよりも、ようわからんシュールなネタの方がすきなんや」

「おい。勝手に話を進めるな」

そんな二人のやり取りを、サトミツがぶった切った。

「ヒャッヒャッヒャ。おい、ユウタ!こいつめっちゃおもろいで!」


「なんや?もう今日は帰るで!」とユウタは言う。

「まてや!このホームレスめっちゃおもろいねんて」

「ああ?なんや?」と、ユウタはホームレスに近く。

 ボロボロの布切れをまとい、ボサボサの長髪のホームレスがそこにいた。ほとんど裸に、近い姿で、筋肉質な肉体が見え隠れしている。そして、最大の特徴。そのホームレスは外国人で、中東あたりの国の人のようだ。褐色の肌で、掘りの深い顔立ちをしていた。彼は、両手を祈るように握りしめ、独り言をつぶやいていた。

「おい。ちょっと黙れや!」とサトミツがホームレスを蹴るが、全く意に介さず、ひたすら独り言をつぶやく。耳を澄ますと、彼はこう言っていた。

「堪忍してください。私が悪いんです。私が悪いんです」

「な?こいつメッチャ頑丈屋やで!」サトミツ、アントニーが彼を殴るが、全く効いているしぐさはない。


「すんまへん。ホンマにすんまへん。ワテがわるいんです。すんまへん」


「はっはっは!ほんまやおもろい!」ユウタも笑いが止まらない。

「おい、アキヒロ。お前もこいや。傑作やで!」

 アキヒロにも、この外国人ホームレスの声は聞こえていたはずだが、彼は笑わない。

「随分、流暢に話すんだな。日本育ちなんじゃないか?」

「おおそうやのぉ。しかもこの訛り方は、そう遠くない町で育ったんやろう」

「訛り?何言ってるんだ綺麗な標準語じゃないか」と、アキヒロは真面目な顔で言った。

「何ゆうてんねん。いつから、俺らの方言がこの国の標準語になったんや?」

と、ユウタ、ケンタ、サトミツの三人は顔を見合わせ、笑った。

「いや、方言じゃない。彼がしゃべっているのは、俺と同じ標準語じゃないか?お前らの方こそどうしたんだ?」

「なんや、全然オモロない冗談やのぉ」とサトミツの表情がけわしくなる。険悪になった雰囲気を、アントニーがかき消す。

「お前ら、さっきから何ゆうとんねん」

「はぁ?」とサトミツ。

 アントニーの顔は、硬直し、おびえていた。

「どうしたんや?」とユウタ。

「このオッサン、ずっと・・・英語しゃべっとるやないか」


 事態の異常性に全員が感づいた。サトミツの顔から血の気が引いていく。

「どうなっとんや?・・・こいつ・・・お化けか?」

 外国人のホームレス。全く効かない攻撃・・・そして、それぞれに聞こえる言語認識の違い・・・。お化けの定義には全く当てはまっていないが、目の前にいる男が、彼らの日常、現実とは異なる存在であることを少年たちは察したのだ。


 ユウタが、ホームレスを見下ろす。

「堪忍してください。堪忍してください」

「黙っとれオッサン!」ユウタは、彼の顔面に思い切り頭突きを喰らわした。わずかにホームレスは体を揺らしたが、全く効いた様子はない。彼の顔には、傷一つなかった。そして、また繰り返すのだ。

「堪忍してください。堪忍してください」

 ユウタの表情が固まる。

「逃げようや!」とサトミツが提案すると同時に。

 ウー!ウー!ウー!とパトカーのサイレンの音が響く。

「ヤバい!」と、アキヒロが提案し、4人は瞬く間に逃げていく。


 ユウタはわずかの間、他のものと違って、その場に残った。

「堪忍してくだい。堪忍してください」

「おい。おいオッサン!」

「堪忍してください。堪忍してください。ワテが悪いんです」

 ユウタは、ふと思った。

(このオッサン。俺らにゆうとんちゃうんやないか?)

 何気なく、ホームレスの髪をつかみ、顔をあげさせ、彼の茶色い目を真っすぐに見ながら言った。

「おっさん!オドれなにしたんや!」

「か・・・」ホームレスは、謝るのをピタッとやめ、真っすぐ、ユウタを見据えた。そして、言った。

「昔。悪い事してもうたんですわ。絶対に許されへんようなこと・・・してもうたんですわ」寂し気な表情であった。

 ウー!ウー!ウー!

 パトカーの音が近くなる。

「ちっ、オッサン名前は?」

「な、名前ですか・・・もう、忘れてしまいましてん・・・」

「あほいうな!」

「な、名前は忘れてしもたんですが、いつからかこう呼ばれてます・・・ニムロド」

「ニムロドか。また来るから、そこにおれよ・・・」

 ユウタもまた、ホームレスを残して、走り去った。


◆バベルの塔

「世界三大宗教と呼ばれるキリスト教、イスラム教は、元を辿ると同じユダヤ教から派生した宗教です。そのユダヤ教の正典のなかでも、とりわけ古く、最初に書かれたものが、ジェネシス・・・創世記と呼ばれる書物です」


歴史の時間。相変わらずアキヒロ以外の生徒は、授業そっちのけでおしゃべりに夢中である。

「ほんまやって!めちゃくちゃ怖かったわ。幽霊や。方言を喋る外人の幽霊がおったんや」

サトミツが、昨日の出来事をクラスの女子に話している。「ほんまに?サトミツの言うこと、90パーは嘘やから、信じられへんわ。ユウタ君!ホンマに幽霊やったん?」

金髪の女子が、ユウタに質問をした。

「さあ、わからん」ユウタはそっけなく答えた。

「ちょっと、言い方冷たいわ。ふつうに聞いただけやんか」

金髪の女子は、猫なで声で言った。

「おいユウタ!あれは絶対幽霊やって!どんだけ殴ってもびくともせえへんかったやないか」と、サトミツ。

「それはアンタが弱いだけやろ?」と金髪。

「あほ言うな!ユウタが思いっきり頭突きしたんやぞ!」

「ホンマに?ユウタ君、手ぇ抜いたんやないの?」

ユウタは、昨日から、一つの疑問が頭から離れない。


(悪い事してもうたんですわ・・・か・・・あのオッサン。何をやったんやろうか?ちっ!なんでこないなこと考えてまうんや)


 昨日のホームレスになぜ名前を聞いたのか。なぜ、彼の言葉が引っかかるのか、自分でもよくわからなかった。一つ心当たりは、頭突きである。頭突きをして頭と頭を合わせた瞬間、彼の中に、“何か”が起きたのだ。それが何かは分からないが、頭突きをきっかけとして、ホームレスを見る目が変わったことは確かである。ユウタは、額をなでる。(いったいのぉ)何百回と繰り出してきた頭突きだが、ダメージを受けたのは、あのホームレスが初めてだった。騒がしい教室の中から、ある一つのワードが、ユウタの耳に入る。


「ニムロド・・・」


ユウタは、声の発信源へ顔を向ける。

「先生、今、なんて言うた?」

「えっ?な・・・何も」若い歴史の先生が、ビビりながらこたえる。

「今、なんて言う言葉をいうたか聞いとるだけや・・・5秒前、なんて言うた?」

「えっ、あのニムロドと呼ばれる男が・・・って言ったけど・・・それが何か?」

「続けろや」

「え?」

「早く授業を続けろや」

「あ、ああ、ニムロドと呼ばれる男が、人々を扇動し、つくられたものと記されています」

「何をや?何を作ったんや?」

「(今さっき、言った通り・・・)バベルの塔です。」

「バベルの塔?なんやそれ。教えてくれや」

 前半の話を聞いていないユウタが悪いのだが、彼はそんなことはお構いなしだ。


 珍しく授業に参加しているユウタを、ほかの生徒は珍しそうに見ている。

「それはさっき、先生が説明したじゃないか」と、アキヒロが先生に加勢した。「すんまへん。ちゃんと聞こえんかったんや。悪いけど、もっかい最初から教えてくれ。なぁ、皆もそうやろ?」

 ユウタに逆らえないほかの生徒は、黙ってうなずき、賛同した。教師は、また同じ話を繰り返すことになった。

「・・・紀元前に書かれた創世記の中には、現在でも広く知られた寓話も記されています。アダムとイブ、ノアの箱舟、そして、バベルの塔・・・」

「ああ、前置きはええから、そのバベルの塔の話をしてくれや」とユウタ。

「ば、バベルの塔は、ノアの子孫にまつわる話です。大洪水を生き抜いたノアの子孫は、どんどん繁栄していきます。そんな中、彼らは、天まで届くような高い塔の建設を始めます。それがバベルの塔です。そして、その建設を人々に呼びかけたのが・・・」

「それが、ニムロド?」とユウタ。

「そうです。ニムロドという人物が中心となり、バベルの塔は建設されたと記されています」

「そんでどうなったんや?」

「バベルの塔が目指したのは雲の上。つまり、天、すなわち神の領域まで迫ろうとしていることを意味します。神様は激怒します」

「そんな怒ることか?なんや、器が小さいのぉ」とユウタはぼやく。

「お前が言えたことじゃないけどな」とアキヒロ。

「そして、神は雷をバベルの塔に落とし、塔を破壊したのです。これが、バベルの塔という話です」

「ん?それだけか?話の続きはないんか?」

「ええと、あと、神様はこう考えました。ノアの子孫たちは、皆、同じ言葉を使っている。互いに、スムーズにコミュニケーションが取れるこれが、人間たちが反抗を起こした理由ではないかと・・・もう二度と、バベルの塔を建設しないように、統一されていた言語をバラバラに分割し、互いにコミュニケーションが取れないようにしました。今、現在、世界に様々な言語があるのは、その名残である・・・という話になっています。また・・・」

「ニムロドはどうなったんや?」とユウタがまた、余計な口をはさんだ。

「ええと、創世記の中にニムロドのその後については描かれていませんが、後に、西洋の地獄を記載したダンテの神曲の中で、彼は登場します。彼は、他人には理解できない無駄話を永遠にしゃべり続けながら、彼には理解できない他人の無駄話を永遠に聞き続けるという罰を、地獄の奥深くで受け続けているとのことです」

「なるほど・・・そういうことか、けったいな話やのぉ、可愛そうに」とユウタ。

「なあ、もういいか?」とアキヒロが呆れた顔で言った。

「先生。一つ聞きたいんやけど、ニムロドいうのは、ホンマに彼の本名なんか?」


「本名?」

「せや。ニムロドいう男は、ホンマにニムロドいう名前なんか?」

「もっと考えて質問しろよ。意味が分からないよ」アキヒロが、またあきれ顔で言った。

「ええと・・・いや、ニムロドというのは反逆者を意味する言葉といわれている。つまり、神への反逆者・・・恐らく、本当の名前ではなく、後に旧約聖書を編纂する際に付け加えられた名前だと考えられています」

「ほらきた!せやろ!」

「お前この話知ってたのか?」アキヒロがユウタに質問した。

「聞いたんや。ニムロドは、本名やないでって」

「はぁ?誰に」

「本人や」

「はぁ?」ユウタが冗談を言ったと思い、周りの生徒が笑い始めた。

「何がおもろいねん。馬鹿にしとんか?」

ユウタが眉間にしわを寄せると、全員が黙り込んだ。

キーンコーンカーンコーンと終業のチャイムが鳴る。

「さぁ、今日の授業はここまでです」

先生は、逃げるように教室を出た。


「昨日のあのおっさんや」

「えっ?あれは幽霊なんやろ?」とサトミツ。

「幽霊やったら、俺の頭突きで消滅するはずや」

「めちゃくちゃだな」アキヒロが、呆れながら言った。

「アイツを頭突きした時、思ったんや。こいつは、人間やとな。そんでお前らも聞いたやろ?あいつの話す言葉。言語が一つだった時代の言葉や。せやから、俺らには訛り言葉、アキヒロには標準語、そして、アントニーには英語に聞こえたんや」

 アキヒロはフッと微笑した。

「物語としては、面白い話だけど、先生から聞いたお伽話を現実の話に置き換えるなよ」

「せやけど、ああいう話はだいたい現実の話をもとにしとるやろ?」

「だとしても、紀元前の話をしているんだぞ?」

「あいつ、無敵なんやないか?不死身の人間なんや。それやったら、俺らの攻撃を耐えれたのも納得いくやないか?」

「ああーたしかに」とサトミツは納得してしまった。

「ふん。ユウタ。お前、バカなのは知ってるけど、今日はちょっと、相手できないレベルだよ」アキヒロは立ち上がり、教室を出ようとする。

「なんやと?」

「僕は、帰ってテストの勉強でもするよ」

「おい、まてや」ユウタが立ち上がる。

「ユウタ。あのおっさんがニムロドだとか、どうかなんて、どうでもいいけど。今日の先生の話をつなげると、ニムロドは地獄にいるそうじゃないか?彼がニムロドなら、風船町が地獄って話になるよな?その結論については、同意する」ユウタを睨み、アキヒロは帰宅した。

「なんや、中二病やろ。アイツ。おい、帰らしてえんか?最近、アキヒロはホンマに俺らのこと舐めとんで?」とサトミツがユウタに耳打ちする。

「ええねん」ユウタは眉間にしわを寄せて言った。


ピピピピピ


ユウタのポケットベルが鳴る。

「なんや?ボスからや」


放課後、いつもの公園で、いつものジャングルジムの前。

そこにいるのは、ボスとユウタだけである。

「ユウタ。昨日は、ええ活躍してくれた。すごかったらしいのぉ。「赤」のトシアキもボコボコやったらしいやないか。なぁ、俺も鼻が高いわ」

「大した事ありません」

「まぁまぁ、そう謙遜せんでええ。すごいなぁ・・・でな・・・お前にちょっと聞きたいことがあるんやけど」

「なんですか?」

ボスはユウタと肩を組み、耳元で言った。

「あのゲームセンターになんかなかったか?」

「草のことですか?」ユウタは即答した。

「おお、そうやそうや」

「ぎょうさんありましたわ。部屋一つ覆うくらいの量でした」

「そうかそうか。それで、それはどうなった?」

「さぁ、警察に押収されたんやないですか?・・・あれは、なんですか?」

「悪いもんや。滅茶苦茶悪いハッパや。実はのぉ、最近、あいつら商売をはじめたみたいなんや」

「そうですか、まぁ、俺ら「黒」の中には、そんなもんに手ぇだす輩はおらんから、気にせんでええんとちゃいます?」

「そうや。俺ら「黒」はそんなもんとは無関係や。信頼できる奴しかおらん。関係ない。しかしのぉ、俺の立場から言うと、そういうわけにもいかん。アニキが気にしとるんや」

 カラーギャングのメンバーが、町で好き勝手できる理由は、彼らには”ケツもち”がいるからだ。反社会的な、非合法的な組織が、それぞれのグループの世話役、後ろ盾として存在しており、「黒」とケツもちのパイプ役が、ボスと”アニキ”ということだ。”アニキ”。彼がどんな人物なのか、ボス以外のメンバーは知らない。会ったこともない。

「そうでしょうね。あんなブツを、「赤」のコネクションだけで準備できるはずあらへん」

「そうや。アニキが言うには、「赤」は最近、ケツもちが変わったらしくての。急激にメンバーを増やし始めたんも、商売をはじめたんも、そのケツもちが嗾けたらしいんや」

「そこで、うちのアニキが激怒したと?」

「そうや。「赤」のケツもちは、アニキの世界でも新参者いうはなしや。アニキは「白」と「緑」のケツもちと話をして、今回の共闘の話をつけた、そして、そいつを風船町から追い出したいっちゅうことやな」

「俺らが、アニキの代理戦争やるいう話ですね。なんか、前にもこういう話ありましたよね?」

「まぁ、大人のいうこと聞くのは、面白ないかもしれんけど、風船町で悪さするためには、仕方のないことなんや」

「まぁ、事情はどうあれ、俺らには関係ないことですね。「赤」をぶっ潰すだけ・・・ところで、俺を呼んだ理由はなんですか?」

「そうやな。こっからが本題なんやけど・・・俺もそろそろ卒業や。アニキの口利きで、大人の組織に入ることになっとる。そしたら、「黒」の次のリーダーを決めないかん。そこで、お前や。ユウタ。俺は、お前を次の「黒」のリーダーとして任命しようとおもとる」

「ええんですか?俺はまだ1年やし、ほとんど先輩ですよ」

「「黒」には、年齢は関係ない。お前の能力を俺はたこう評価しとる。皆も絶対に賛成するはずや・・・そこでな。引継ぎの前段階として、これから、アニキにお前を紹介しようおもとる」

「これからアニキと会うんですか?」

「そうや。ほら、もう迎えが来とる」

公園の一口に、黒いセダンが止められていた。二人は車に乗り込み、風船町を出た。風船町を出た瞬間、曇っていた空が一気に晴れた。


◆大人たちの世界

ユウタが連行された場所は、風船町の隣の隣の繁華街。

そこは、格式高い店が立ち並ぶ大人たちの世界である。

見るからに高級感漂うステーキ屋さんに、ユウタとボスは案内される。

店の最深部の個室。5、6人の怖そうな黒服が立ったまま、その男を囲んでいる。男は、クチャクチャと汚い咀嚼音を立てながら、ステーキをほおばっていた。


「ご無沙汰とります」ボスとユウタは頭を下げる。

「おお、やっぱり若いのぉ。数カ月会わんだけで、顔つきが変わる。ええ、大人の顔になっとるわ」

「へへ、恐縮ですわ。アニキ」

とボスは、卑屈な作り笑いを浮かべて頭を上げた。


アニキは、小柄で、頬は痩せている。目じりの皺、皮膚の張りからして、40~50代。髪は7:3にがっちりと固めている。クチャクチャと音をたてる口元に、ユウタは嫌悪感を覚えた。

「君がユウタ君か」

「へい」とボスが返事をした。

「いつもお世話になっております。ユウタいいます。」

「おう、トンガッたええ顔しとる」アニキの顔は笑っていない。

「ありがとうございます」

「まぁ、座れや。おい!二人の肉も持って来い!」

 ユウタとボスが椅子に座ると同時に、ウェイターがステーキを二人の前に用意した。

「いただきます」とボス。

「若いんやからぎょうさん食え」

「いただきます」とユウタが、肉をナイフで切らず、フォークを突き刺しそのまま口へ運んだ。

「はっはっは。かわいいの。この街は初めてか?」

「はい。通ったことは、ありますけど、このような店にはいるんは初めてです」

「ええやろ?この街、風船町みたいな殺風景で、さびれた町とは大違いや。大人の世界やな」

ユウタは返事をしない。

「そしたら、そんな高い肉食うんも初めてか。うまいやろ」

「めちゃくちゃうまいです」とボスの方が答えた。

「お前は、何回も食わしとるやろう?はっはっは。せやけど、その肉一枚で、風船何枚武運の価値あるやろうか。ホンマええ肉やろ」

「はい。うまいです」とユウタ。

「こんな素晴らしい大人の世界に、最近、胸糞わるいガキどもが出入りしとるんや。「赤」のクソガキどもや。そいつから聞いとると思うけど、あのガキども、俺の断りなく、勝手にハッパを売りさばいて、ぎょうさんモウケとるらしいわ。むかつくやろ?」

「任せてください。「赤」は、全員、ぶっ殺しますんで」とユウタが、ステーキをほおばりながら言った。

「はっはっは。たのもしいのぉ・・・そうやのぉ・・・「赤」をつぶした暁には、君には許可したってもええで?ハッパの販売を・・・「赤」の販売網をそのまま君に譲るわ」

アニキは、意地の悪そうな顔で笑った。

ユウタは、ぴくッと眉を動かし答えた。

「「赤」は、ぶっ潰しますが、ハッパは遠慮しときます。そういうもんを「黒」は、扱わんつもりです」とユウタは、ボスを見た。ボスは、何も言わず、ステーキをほおばっている。

「「黒」がそういうグループってことは、俺も分かっとる。でも、なぁ、もう硬派なんて時代やないんやで?ハッパを売れば、お前は自分の金で、夜の街のステーキが食える。ええ、女も一杯おる。全部、お前のおもいどおりや。なぁ、オヤジとオフクロにも、ごちそうしてやったらええ」

「お気遣いありがとうございます。せやけど、俺は風船町で満足しとるんです。学校卒業したら、風船工場で働こうともおもとります。それで、十分なんです」

「はっはっは、合格や!ここで、ハッパ売らしてくださいなんてゆうたら、ぶっ殺す床屋ったわ。俺の管轄で触らすわけないやないか!合格や!なぁ!」

「そら、私の見込んだ男ですから」とボス。

「・・・ごちそうさまでした」ユウタは、口をぬぐい、フォークを置いた

「食べるのはやいのぉ。こういうもんはゆっくり咀嚼しながら味わうもんやで・・・まぁ、とにかく、その調子で「赤」をぶっ潰してくれ。そんで、これからよろしくな。おい」

黒服の一人が、小さな紙を、ユウタに渡した。そこには、電話番号(ポケベル番号)が記載されていた。

「なんかあったら、鳴らしてくれ。なんでもええ、うるさい大人はこのオッサンが黙らしたる・・・さぁ、送ったれ」

ユウタと、慌ててステーキを食べつくしたボスが立ち上がり、一礼の後、店を出ようとする。

「ああ、お前は残れや。ちょっと話がある」とアニキは、ボスに言った。

「へい」


ユウタの自宅。下駄箱は、空きがあるのに、すべての靴が散乱している。そんな乱雑な玄関が、ユウタを迎えた。

リビングの向こうで、母は無言でテレビを見ている。

「おやじは?」

「さぁ」と母はテレビに向かって言った。

「そうか。なぁ、なんか俺宛に郵便届いてなかったか?」

「さぁ」


 ユウタは、2階へと上がる。部屋の前には、夕飯が置かれていた。

「メシはいらんてゆうたやろが!」

ユウタは、夕飯をすべて階段の下へ投げつけた。

しばらくして、母が無言で、それを片付け始める。

「ふん」

ユウタは、部屋には入らず、また外出した。

夜の風船町。

ポケベルでサトミツを呼ぼうとするが、電池が切れていた。

「なんやねん」

手持無沙汰になったユウタであるが、彼はまっすぐに、あの高架下へと向かう。


そこに彼はいた。彼は跪き、何かに祈りをささげているようだった。

にやっと薄ら笑いを浮かべるユウタ。

「おい。おっさん」

ニムロドは、すぐに顔を上げ、ユウタの方を向いた。

「あなたは、昨日の・・・」

「せや・・・ユウタや。ニムロド」

「ユウタはん」

「あんたのこと、学校の授業でやっとったで?あんた、でっかい塔を作って怒られたんやって?」

「すんまへん。すんまへん」

彼はまた、謝り始めた。

「謝んな!うっとおしい」

「すんまへん」

「なあ」

ユウタはしゃがみ込み、ひざまずくニムロドを目線を同じにする。

「あんたの作った塔って、日立タワーより高いんか?」

「は?日立タワーでっか?」

「そうや。現代人の英知の結晶、日立タワーや。ほら、見えるやろ?」

ユウタは遠くを指さした。いつもなら、日立タワーが見えるところだろうが、低空を漂う雨雲が、その姿を隠していた。

「見えまへん」

「ほんまや。うっとおしいのぉ・・・最近、雨ばっかや。そうやなぁ。おっさん。暇やろ?」

「は?」ニムロドはあっけにとられたような表情で返事をした。

「いくで!日立タワーに!」

「な、なにゆうてますのん?」と、ニムロドは暗に拒否したが、ユウタは近くに放置されていた自転車にすでに乗車していた。

「ニケツしたる!いくぞ!乗れ!」

ユウタが無理やり創り出す流れに抗うことはできず、ノアの子孫は、自転車の荷台に腰かけた。

「乗ったか!ほら行くで!」


ユウタは力いっぱいペダルをこぎ始めた。そして、違和感を覚える。

「おい!乗れゆうたやろ!」と、後ろを向くと、ニムロドは確かに、乗っていた。

「あれ?」

もう一度、自転車を漕ぐ、そして、止まる。

「あれ?」

後ろを振り向くとニムロドはいる。


ユウタは、不思議な感覚を覚えた。後ろに座っているはずのニムロドの重みを、一切感じない。

「おっさん・・・体重何キロや?」

「さ、さぁ、計ったことありまへん」

ニムロドの身長はユウタと同じくらいだが、胸板が厚く、筋肉質である。こんなに軽いはずがない。

「おっかしいの・・・」

(ほんまに幽霊やないやろうな)と思ったが、考えるのをやめ、自転車を漕ぎ始める。

自転車は光の速度で走り出し、時空を超える勢いで、二人を煙突町まで連れて行った。







◆太陽

無数の煙突がそびえる煙突町。どの煙突からも一切煙は出ていなかったが、今日の煙突町は、曇り空により、太陽から隔離されていた。

「ほら、見えてきた」

ユウタの指し示す方向。巨大な煙突の列の果てに、より巨大な塔がそびえ立っていた。塔には、「日立」という電光掲示板が赤々と光っている。

「バベルの塔ゆうのんは、あれよりでかいんか?」


 日立タワーに着くと、ユウタは自転車を乱暴に放り出し、ニムロドを強引に日立タワーの中へと引きずっていった。

「何もたもたしとんねん。はようこい!」

 日立タワーは電波塔であるが、塔の上方に、展望台が設置されていて、学生なら500円、小学生以下無料で、エレベータでそこまで行くことができた。風船町を含む周囲の学生カップルのデートスポットである。

「おばちゃん、二人乗るで」と、受付らしき女性にユウタは言い放ち、スタスタとエレベータへと向かう。

「あんた、また来たんな。500円払い!」

「俺はまだ4歳や。無料やろ」

「また、そんなあほなこというて!連れのおじさんも幼稚園生なんんか?」

「そうや」


そんな調子で、ユウタは強引に展望台へのエレベータに乗り込んだ。

「いくで!おっさん」

重力に対抗し、エレベータはすぐにタワーの最上部、展望台までたどり着く。

四方はガラス張りで、全方向から周囲の街を見下ろすことができた。

何組かの学生カップルの姿が見えたが、人は少ない。加えて、曇り空が広がっており、物悲しい雰囲気が漂っていた。

「どうや?これが現代人の実力や。人類の発展や!見てみろ!」と、ニムロドに目を向けると、彼は、うずくまって震えていた。

「なんや。感動して立ち上がれんのか?」

「は・・・はよう。降りましょう」

涙声でニムロドは訴える。

「なんや気持ち悪い。ちゃんと見ろや!この景色を」

「無理です」

「なんでや」

「ワテ・・・高所恐怖症なんです」

「はあ?」と、ユウタはずっこけた。


「ほな、お前、なんで塔なんて作ろう思たんや?」

ニムロドは、その質問には答えない。

「とにかく、早う。降りましょう」

「あかん!一目はみいや!我慢せぇ!」

ユウタは無理やりニムロドを立ち上がらせようとした。

「いやどす!!」

ニムロドはユウタの手を振り払い、エレベータへ駆け出す。そして、エレベータをどんどんと叩き。

「開けてください!開けてください!ワテを下ろしてください!」と言って騒ぎ出した。カップルたちが、白い目でニムロドを見る。一方ユウタはというと、ニムロドに振り払われた手を抑えていた。

「いったいのぉ。なんちゅう力や!」









日立タワーの外、タバコの吸い殻だらけの階段で、ニムロドはまだうずくまっている。

「すんまへん。すんまへん」

ニムロドは、泣きそうな顔でユウタに謝っている。

「自分の身長よりも高いとこに上ったんは、500年ぶりなんです。両足が地面から離れるだけで、もう、たまらんのですわ。目ぇなんて絶対開けられまへん」

呆れ顔のユウタは、うずくまっているニムロドを見下ろしている。

「はぁ、もええわ。展望台にいくんはなしや。ちょっと、からかってみたかっただけや」

「ほんまに乱暴してすんまへん」

「もうええ、ゆうとるやろ!」

「すんまへん」

「ふん、ところで、高所恐怖症のくせに、なんでバベルの塔なんて作ろうおもたんや?高所恐怖症のくせに、空の上のお天道様に反抗しようおもたんか?」

「・・・・」

ニムロドは黙り込んだ。

「なんや、気持ち悪い。言えんのか?」

「いいたないです」

「神様ってやつがまだお前を見張っとるんか?」

「神様は関係ありまへん・・・」

「ほな、言えるやろ?なんでや?隠されると余計ききたなるわ」

「いいたくありまへん」

「おい」

「はい」

ニムロドは、顔を上げた。見えたのは、ユウタの額。

ガチッと、鈍い音を上げた。ユウタの頭突きが、ニムロドの頭部を揺らす。

「きっしょいのぉ!何歳やねん!女の腐ったんみたいな態度。きっしょいわ!ええか!バベルの塔は、お前の夢やったんやろ!自分の夢くらい、どうどうと語れや!!」

ユウタはゼロ距離で、ニムロドにタンカを切った。ニムロドは頭を押さえている。ユウタの頭突きが、無敵のニムロドにダメージを与えたようだった。ニムロドは、またうつ向き、そして、口を開く。


「・・・太陽です・・・太陽が見たかったんです」


「太陽?そんなもんいつでも見れるやろ?」

「見たことおまへん」

「2000年間も?」

「そうです。1回も見たことおまへん」

「嘘つくな」

「ほんまです」

「そんなわけないやろ」

「ほんまです。最近、風船町の天気わるないですか?」

「ああ、そうやな。曇り後雨ばっかりや」

「あれはワテのせいなんです」

「はぁ?なんや、天候を操れるんか?」

「操れまへん。でも、ワテのいるところにはいつも雨が降るんです」

「んなあほな」とユウタが笑う。

「なんや、神様が怒って、お前の周りに雨ふらしとるんか?」

「ちゃいます。ワテの体質です」

「はぁ?」

「隔世遺伝ゆうやつです」

「隔世遺伝て、孫の方がじいちゃんばぁちゃんに顔が似てくるいうやつか?」

「そうです。ワテのひいおじいちゃんはノアいいます。知ってはりますか?」

「ああ、聞いたことあるわ。授業で聞いたかな。世界が水に覆われて、でっかい船作ったやつやったかのぉ」

「そうです。どうして世界が水に覆われたか、知ってはりますか?」

「気イ狂うくらい世界に雨が降ったからやろ?・・・お前・・・」

ユウタは何かを察した。ニムロドが答えを言う。

「そうです。ワテのじいさんは、人類史上最強の”雨男”なんです」

「んなあほな」ユウタは腹を抱えて笑い始めた。

「ほなあれか、その雨男が隔世遺伝したゆんか。めちゃくちゃやの」

「笑わんといてください。ワテも1000年くらいそう思ってました。信じたないんですが・・・ほら、これが証拠です」曇り空からポツポツと雨が落ちてきた。

「ワテは生まれた日から、曇り空しか見たことありまへん。太陽はどんな感じですか?すばらしいですか?」

「そうやなぁ、夏以外は、太陽見たらテンションあがるかもなぁ。雨の日よりは」

「そうでしょう?皆そういいます。キラキラして、もんんのすごいパワーもらえるって。小さい頃から、ワテにとっては、太陽はおとぎ話やったんです。太陽を見たくて見たくて、しゃあなかったんです」

「せやったら、飛行機乗ればええやないか。怖くていやなんか?」

「それもあります。過去にダビンチいう人がヘリコプターみたいなんを作ってくれたりしました。せやけど無理でした。飛行機だろうがヘリコプターだろうが、気球だろうが、ワテが乗ろうとすると、故障するか、急に天気わるうなるか・・・とにかく、ワテが乗ろうとすると、とばんようなるんです」

「ほんまか?飛行機なんて、これくらいの雨やったら平気でとぶで?それなら、高い山登ったらどうや?エベレストとか登ったら、雲より高いとこいけるんやないか?乗りもんや塔と違って、怖ないやろ?」

「ワテが上ろうとするたびに、雪崩が起きて、中止になるんです」

「ホンマか?嘘ついてないやろな?ホンマはお前、呪われとるだけやないんか?」

「そうかもしれまへん。でも、とにかく太陽がみれんのです。それは事実です」

「もうあきらめたんか?その夢」

「・・・」

ユウタの問いかけに、ニムロドはまた黙り込んだ。


「あんたら!」

大きく良く通るおばちゃんの声が、響いた。

小さな子供の手を引きながら、異常なパーマのおばちゃんが近寄ってきた。

「あんたら、あかんやないの!ちゃんと、お金払いなさい!オバチャンみとったで!」

「なんやババア」とユウタ。

「ババアなんて、失礼な!どんな教育うけてきたんな!ホンマ親の顔見たいわ!」

「うっさいねん。だまっとれや!」

「あんた許さへんで!」

「なんやねん。うせろや」

「ああ、もう許さへん!」

小さな男の子が、指をくわえながら、二人のやり取りをじっと見つめている。

「いくで、おっさん」

ユウタは、その場から立ち去ろうとする。

「あんた!待ちなさい!」

おばちゃんが、ユウタを追いかけようとする。

「アダチの奥さん!もうええから!」

日立タワーの従業員が、おばちゃんを引き留めた。

「ええことあらへん。ちゃんと教育せなあかんでしょ!」

「もうほっときなはれ!それより、坊ちゃんを探すのが先でしょ!」

「あ!そうや!ホンマどこ行ったんやあの子」

おばちゃんは急に気が変わり、日立タワーへと急ぐ。手を握っている子供は、最後まで、何も言わず、じっとニムロドを見つめていた。


◆青色の少年

「ユウタはんの夢はなんですか?」

煙突町からの帰り、自転車をこぐユウタにニムロドが話しかけた。

「俺の夢?そんなもんないわ」

「そんなことおまへん。人には誰にも絶対に夢があるはずです」

「そんなもん人によるやろ」

「いや、絶対にあるはずです。ユウタはんは嘘ついてます」

「お前に嘘つくわけないやろ。嘘つく理由があらへん」

「そうでっか?・・・」

会話はそこで終わった。いつもの高架下にニムロドを送り返した、ユウタはまた家路についた。


家に帰るとすぐに、郵便ボックスの中を確認する。そして、相変わらずテレビを一人で見ている母に、また同じ質問をする。

「俺にの郵便届いてなかったか?」

「あった」

と、そっけない返しをする母。

机を見ると、確かにユウタ宛の封筒が置かれていた。

ユウタは、それをもってすぐに自分の部屋に入る。そして、封筒を開けようとする・・・が、手を止め、机の引き出しにほおりこんだ。

「はぁ」

とため息を一つつく。

「ほんな、アホやわ。おれ」

着替えもせず、そのままベッドに入った。


ふがいないニムロドの姿にショックを受けたユウタは、それから、それきり、彼に会いに行くのを止めた。変わらない日常が、続いていった。

「赤は、壊滅寸前や!この調子で、今日もぶっ飛ばしにいくで!」

ボスが、激を飛ばす。そして、「ウシ!」返事をする。出動していく黒の少年たち。夜の風船町に、消えていく。


赤の少年を殴りながらも、ユウタの中には、最近の風船町の空模様と同じよどんな雨雲が広がっている。とはいえ、ユウタの心の天気がよどんでいるのは、最近のことではない。ずっと小さなころから、それこそ物心がついた時から、程度の差はあれど彼の心の空模様に晴れマークが点灯したことはない。いうなれば、彼もまた、太陽を見たことがないのだ。

(俺もニムロドと同じだ)その自覚は、ユウタの中にもあった。


陰鬱な日常に拘束されたユウタが出会った非日常。それがニムロドだった。彼は明らかに、今までのユウタの世界線の外の存在。日常を破壊してくれる存在。ユウタは、心の中で、そう感じたのだ。しかし、違った。


血だらけになった赤の少年を、睨むユウタ。気を失っている相手をさらに殴った。

「やりすぎだ。ユウタ」とアキヒロが忠告するが、聞かない。

「うっさいねん」


太陽をみるというささやかな夢を追い求めたニムロドの境遇は、悲惨なものだった。

(夢を追い求めると、ろくなことはない)

酒に酔った風船町の大人たちはよくそんな言葉を口にする。覇気のないニムロドの姿を見た時、ユウタの中でその言葉の信憑性が強調されてしまった。ニムロドの存在は、日常を補強するものでしかなかったのだ。


「ああ、なんやむかつくのぉ」

「どうや?今日もホームレスいじめるか?」とサトミツ。

「いや、今日は帰るわ」

「なんや、そっけないのぉ」


ユウタは、ふと、一カ月ぶりにニムロドに会いに行くことにした。そこに、彼がいる保証はないが、この曇った心模様を変える可能性があるのは、やはり彼以外に思いつかなかった。一人、高架下へと向かう。何やら、騒がしい。

「はっはっは!このオッサン。おもろいなぁ!殴りがいあるわ!」

数日前の自分たちと同じ声。ユウタは走った。案の定、ニムロドは非行少年たちに殴られていた。

「オドレらなにしてんねん!」

「ゆ、ユウタはん」とニムロドが顔を上げる。

「なんや貴様」

「俺は黒のユウタや」

「おお、黒か。それやったら、俺らが何もんかは分かるよな?」

人数は3人。全員、青色のブレザーを身に着けていた。

「青か」

「おおそうや。それが分かったんなら、さっさと失せろ!」


〈青〉

それは、風船町の5つのカラーギャングの中でも、ほかの4チームとは一線を画す存在である。構成員こそ黒と同様に多くはないが、風船町において絶対的な権力を持っており、戦闘力、資金力あらゆる面で、他のチームの追随を許さない。これはひとえにケツモチの力による。彼らのケツモチは、風船町、いや、この国の中枢とも言うべき存在なのだ。


青の少年たちは、またニムロドを殴り始めた。

「はっはっは!あ?」

ユウタが、青の肩をつかみ、思いっきり頭突きした。その少年は、吹き飛んだ。

「なんや貴様!青に歯向かうゆうんか!」

「お前ら、青かなんか知らんが、俺はお前らのことはしらん。ただの雑魚やろ?関係あらへん。このオッサンに用がある。邪魔すんな」

「なんだと!」三人の少年たちが一斉に、ユウタに襲い掛かる。しかし、返り討ちにされる。

血をぬぐいながら、少年のうちの一人が、ブレザーの内ポケットに手を突っ込む。取り出したのは、小さな折り畳み式のナイフ。

「俺ら「青」に逆らったらどうなるか、教えたるわ!」

ナイフ片手に、ユウタに襲い掛かろうとした瞬間、三人の背後から、声がした。


「「青」に逆らったらどうなるんや?気になるわ。俺にも教えてくれ」


「ああ?なんだてめ・・・え?」

「青」を名乗る少年たちが声の主を確認した瞬間、時が止まる。そこには、青いブレザーを着た少年が立っていた。目鼻立ちがくっきりとして、サラサラの髪を流した、清潔感のある見た目。

「赤」が持っていたナイフがカランと地面に落ちる。

「随分、質の悪いブレザーやなぁ。どこでこうたんや?うちの学校じゃ手に入らん代物や」

その少年は笑っていた。彼が何者であるか、自称「青」の少年たちは分かっていた。

「あ、あんた。ヒトシさんや、ないですか・・・どうしてこんなところに?」

少年たちの表情が強張る。

「最近、「青」を名乗る偽もんがおるゆう話でなぁ。パトロールを増やしとるんよ。すぐ見つかったわ・・・おどれら・・・「白」やな?」

「す、すんまへん」

少年たちはナイフを地面に落とし、ヒトシに土下座し始めた。

「土下座?ええねん。そんなことせんでええ」

少年たちは、恐る恐る顔を上げる。ヒトシは、顔を近づけていった。

「金や。「青」を名乗ったんや。使用料払いや。土下座は一銭にもならへん」

「い、いくらでしょうか?」

少年の一人が、ポケットの財布を取り出しながら言った。

「100万でええで?」

「ひゃ、ひゃくまん??そんな金、もっとるわけありまへんがな・・・」

少年は絶望的な表情を浮かべる。

「払えんのか?それやったら、ドロドロにして、風船工場の燃料にするけど?それでええか?」

「す、すんまへん。親にゆうて、準備してきます」

「あかんあかん、そんな親不孝は許されへん。ただでさえ、非行少年なんやから、これ以上迷惑かけたらあかん・・・そうやな・・・ちゃんと、汗水たらして、自分の力でしっかり稼ぐんや」

一台の白いリムジンが、道沿いに止まる。中から、3人の「青」メンバーが現れた。

「タイガ!」

ヒトシは、その中の最も体の大きい男、タイガを呼んだ。

「お前んとこの工場で、こいつら働かせてやれ。人手足りんやろ?」

「無理や。風船町の工場は、ほとんど稼働してへんねん。今年中に、閉鎖するらしいわ」

「なんでや。お前んとこのバルンアート用の風船は、えらい売れとるっておれのオヤジゆうとったで?」

「外国に工場できたんや。今は、そっちがメインでやっとる。えらい安い金で人を雇えるらしいわ」

「どこの国や?」

「ようしらん。なんや南の方の国や。アッツイ国らしいわ」

「おお、せやから。お前んとこのオヤジあんな黒うなっとたんや?ホンマ、黒人や思たわ」

「せやろ?人件費やら、資金繰りやら御託ならべとったけど、正味な話、あのおっさん遊びたいだけやで?」

「はっはっは。それ間違いないで。ホンマ遊び人やからな。そや、前に寿司屋で若いタレとマグロくうとったわ。俺のオヤジを見た瞬間、ほんま滝みたいな汗かいて言い訳しとったで、キャバ嬢やない新人の秘書で仕事の相談にのっとるって」

タイガ以外の「青」全員が、腹を抱えて笑った。

「そっちのほうが問題やっちゅううねん」タイガが、ため息をつきながら言った。

「若い頃の遊び癖がまだ抜けとらんのかって、オヤジがキレとったわ。はっはっは・・・はぁ、ええとなんやったっけ?」

ヒトシは、正座したままの「白」の少年たちを一瞥する。

「おおそうや。タイガ。その外国の工場で働かせたらええやん。風船町の人間なら大歓迎やろ?」

「せやな。ただ、外国やから給与やっすいで?100万稼ごうおもたら、年単位で働かないかんのやないか?」

「ええねんそんなん。なぁ?お前らもそう思うやろ?」

「白」の少年たちは、青ざめた顔を見合わせる。

「い・・・いや。それは・・・」

ヒトシの表情が一瞬、鬼のように険しくなる。そして、一言。

「返事は“はい”や!」

「はい!」ヒトシの圧に押され、「白」は承諾した。ヒトシは笑顔になる。

「外国行けるなんて、ホンマうらやましいのぉ。南国やってなぁ。ホンマ楽園やないか」


リムジンの後ろに、一台のハイエースとまる。運転席から、とっぽい中年男性が、顔を出した。

「若様!(※ヒトシのことである)見つかりましたか?」

「おお、おやっさん。3人もおったわ。すまんけど、こいつら、連れてってくれ。タイガのとこで働いてもらうことになったんや・・・ほら、お前ら、さっさとあの車に乗れ」

「すんまへん。勘弁してください」

「ごたごたゆうな!乗れ!」

「すんまへんすんまへん」「白」は頭を地面にこすりつけて懇願するが、ヒトシは聞かない。こんなやりとりが、何度か続き、ついにはハイエースから数人の大人が下りてきて、泣きわめく「白」の少年たちを連れて行った。消えていくハイエースを見送った後、ヒトシは、呆然とやりとりを眺めていたユウタとニムロドを睨んだ。


◆空洞

「さて・・・ええと、これはどういう状況や?車から一部始終みとったんやけど、「白」のガキどもが、その外人ホームレスをいじめとるとこに、「黒」の君が現れた。不思議なんは・・・どうも、君、そのおっさんを助けようとしとらんかったか?どういうことや?ホームレス狩りは、「黒」の専売特許やろ?ホームレスを助ける?・・・わからん。教えてくれんか?ああ、そや自己紹介や。「青」のリーダーやっとるヒトシや。君は?」

「「黒」のユウタいいます。ヒトシはん」

「ユウタ・・・で?これは単純に俺の興味や。そのホームレスとどういう関係なんや?不思議でしょうがないねん」

ヒトシ以外、タイガを含む三人の「青」がユウタの周りを囲んだ。好戦的な表情を浮かべている。ユウタは正直に答える。心配そうな表情で、ニムロドはユウタを見ている。

「こいつは、ホームレスやない」

「ほう。ほな、なんか仕事しとるんか?そうは見えんがな。寒いのに、布切れ一枚で、原始人みたいやないか」

「そうや、原始人や。旧約聖書の創世記って知りまへんか?」

ヒトシは、タイガと顔を見合わせる。

「何ゆうとんや?」

「バベルの塔って話知りまへんか?」

「おお、最近の授業で先生がなんか話しとったわ。高い塔を作って神さんにキレられるはなしやな」

「そうえす。その高い塔を作ってキレられたんが、この男です。ニムロドいいます」

 ニムロドはヒトシにぺこりと会釈した。

「はっはっは!こいつアホや」

「青」は、腹を抱えて笑う。

「大昔のおとぎ話の人間が、なんで風船町におって、しかも、ガキにボコされてんねん」

「ニムロドは、悪い事したせいで、呪いがかかっとんです。こいつは不死身で、死なん。そして、こいつがおる町には、雨が降り続く。こいつは、各地を放浪して、風船町にたどり着いただけです」

これが、ユウタのニムロド解釈である。彼は、ニムロドの雨男遺伝説を信じてはいなかった。

「ほう。で?お前が、その呪いをといたろうとしとんか?」

「彼の夢を叶えたりたいんです。ニムロドは、太陽を見たことがないんです。彼のその夢を叶えたりたいんです」

「はっはっはっは」

ヒトシはひときわ大きな高笑いを発した。

「決まりや。やっぱし、こいつハッパやっとる。「黒」は黒や。おいタイガ!」

タイガが、ユウタを羽交い絞めにする。

「なんや!離せ!」

ユウタの力では、タイガはびくともしない。

「何すんねん!」

続けて、ニムロドも同じように、別の「青」の少年に拘束された。

「すんまへん。すんまへん」

ニムロドは、癖で謝る。

「おい、こいつ、ペラペラやないか。おもろいコンビやな。芸人なったらどうや?」

ヒトシは、おもむろに地面に落ちているナイフを手に取る。

「あかんやないか。ハッパはお前らの商品やろ?商品を勝手に使ったら、怒られるんとちゃうか?」

「ハッパ?なんの話や?ハッパをうっとるんは「赤」や」

ヒトシが、ナイフをニムロドに向ける。

「ニムロドさん。あんた、不死身らしいのぉ。ほな、このナイフ突き刺しても、死なんのやろ?ちょっと、試してみてもええか?」

「何する気や!やめろや!」

「「赤」は、自分たちの中でつかっとっただけや。商売はしてへん。ケツモチのヤンキーから買っとった購入者や。「赤」みたいなカスの集まりが、内輪で使う分には一向にかまへん。興味ないわ。でもなぁ貴様ら「黒」みたいにホームレス使って商売しだすんは、アウトや。ホームレスを通じて風船工場の従業員にもハッパが広がりつつある。重要な労働力がなくなる。何より、風船の品質に影響が出る・・・俺はこの街が好きなんや」

「ホームレスを使って商売?どういうことや?」

ヒトシは、ナイフを強く握る。

「カスどもが、風船町をケガすなや!」

ナイフの切っ先が、高速でニムロドの腹部へと走る。

「やめや!」という、ユウタの声が響くと同時に、ニムロドの腹部に、ナイフが突き刺さる。

「何やっとんや!」ユウタは、反乱狂になって叫ぶ。が、一番、驚いているのは、ユウタでもニムロドでもなく、ヒトシだった。

「な、なんじゃこりゃ」

ニムロドの腹に突き刺さったナイフは、ナイフ自身の重さにより、カランと地面に落ちる。ほか全員も、異常事態に気が付く。ニムロドの腹部に確かに開いた傷口からは、血は流れず、即座にふさがっていく。彼の不死身を信じていたユウタでさえも、目の前の光景に衝撃を受けていた。

「これで、ユウタはんのゆうたこと・・・信じてくれますか?」

ニムロドが、ヒトシに訴えた。

「も、もっかい・・・もっかいやってみてええか?」ヒトシは、ナイフを拾い、またニムロドに向けた。

「かまいまへん。気のすむまで切り刻んでください」

ヒトシは、一文字に彼の腹を切り裂く。そして、中を除く。タイガが嘔吐する。

「なんにもあらへん。空洞や」とヒトシは、ニムロドの体の内部について解説した。やはり、傷はすぐにふさがった。

「あんた、何もんや?お化けか?」

「名前は忘れてしまいました。ユウタはんを含めて、皆はワテのことをニムロドいいます」

「名前はさっき聞いた。何者やきいとんや」

「ワテはニムロドです。昔、悪い事したせいで、罰を受け取ります。それ以上、説明できることはおまへん。すんまへん・・・ああ、でも、一つ夢があります。太陽を見たいんです」

「太陽か・・・それも聞いたわ・・・俺はヒトシや。よろしく」

「さっき、お聞きしました」

「ああ、そうやな」


◆風船マン

白いリムジンの中。

「いやぁ、すまんかった。ニムロドはんとユウタはん。ホンマに申し訳ない。ほなけど、なんも知らん人間が聞いたら、ただのポン中や思うやろ?」

「気にすることありまへん。何千回も似たようなことがありました」とニムロド。

広々した車内、「青」がニムロドとユウタを囲んで座っている。運転しているのは、タイガ。


「ヒトシはん。「黒」の話してはりましたよね?詳しく聞かせてくれまへんか?」と、ユウタが眉間にしわを寄せて、ヒトシに話しかける。

「なんや。お前、全く知らんのか?「黒」が、ホームレス使ってあくどい商売はじめた話。チームからハブられとるんか?「黒」は結束が強いおもとったんやけどなぁ」

「ヒトシはん。俺は、「黒」の次期リーダーにボスに指名されてる男です。その俺が、いうんやから、ホンマです」

「次期リーダー?ホンマか?まぁ、ユウタ。お前は、信用できそうな人間や。まぁ、確かにガセ情報かもしれんなぁ。ちゃんと、裏も取れとらん。まぁ、ええわ。それより、ニムロドはんあ。あんたにめっちゃ興味あんねん。いろいろ教えてくれや」

これは、当然の反応である。

「なんでも聞いてください」

「ええとなんにしようかな・・・太陽が見たいゆうとったな。なんでや?」

「ワテの周りには、いつも雨が降るんです。生まれてこの方、チャンと太陽をみたことがおまへん。つまり、伝説上の存在なんです。太陽の伝説は、どの話も希望に満ちてて好きなんです。そんな伝説上のものにあこがれてしまったんです・・・」

ニムロドは、ユウタに話した内容と同じことをヒトシに告げる。

・・・

「飛行機に乗れば一発やないか」

・・・・

これも同様のやり取り。

「あかんのです・・・」

・・・・

ニムロドの夢がいかに困難なものかが、一同に共有された。

・・・・

「むずいのぉ」

「そうなんです」うつ向く、ニムロドとユウタとヒトシ。

うーん、とうなった後、ヒトシがひらめく。

「お、そうや。ニムロドはん。あんた体重なんぼや?」

「体重でっか?さ、さぁ、分かりまへん」

「10キロないんやないか?・・・というのも、さっき体の中見た時、ニムロドはんの体の中にはなんにもあらへんかった。皮一枚や」

ニムロドを自転車に乗せた時の違和感を、ユウタは思い出す。

(あの時の違和感は、そういうことか)

「10kgない思います。前、ニケツした時、一切の重さを感じまへんでした・・・えーと、それがなにか?」

「ニケツって仲ええのぉ・・・ユウタここはどこや?」

「ここは・・・風船町です」

「そうや!風船でとばすんや!」と、キラキラした目でヒトシが言った。

「なにゆうとんねん。突っ込んでまうわ」と会話を聞いていたタイガが、笑った。

「何わろうとんねん。ええアイディアやろ?一週間後は風船祭りや。ちょうどええ、大量の風船が集まるで!」


〈風船祭り〉

それは風船町で年に一度開かれる、世界最大の風船の祭典。只々、大量に風船を集め、空に放つだけのこのイベントであるが、風船町の住民は、これを神聖視し、大事にしている。


「いや、ありかもしれまへん」とユウタが口をはさむ。

「昔おれのオヤジがゆうとりました。丈夫な風船町の風船は、雲の遥か上までたどり着く。何なら月まで行けるゆうとりました。そして、飛行機みたいにきっちりとしたもんやない。風に流されようが、墜落するわけやあらへん。風船に欠航はあらへんのや。いつ、いかなる時でも、ただ上へ上へと飛んでいく、それが風船やと自信満々にゆうとりました」

「あほか、チャンと学校の授業を受けろや。風船は、空気があるから浮力を得るんや、大気圏外って言葉知っとるか?空気ないんやぞ?」とタイガはユウタの言葉にも突っ込む。

「せやけど、雲の上にはいけるんやないか?どうや?」とヒトシ。

「そ・・・それは、分からんな」ヒトシの指摘により、タイガはあっさりと白旗をぶった。自らに関するやり取りをニムロドはじっと、無言で見つめていた。

「タイガが分からんくらいやったら、やる価値はあるってことやな?タイガ、どうおもう?今年から、お前のオヤジが主催者になったんやろ?ニムロドを風船祭りの風船で飛ばす案は?」

「まぁ、風船マンのお前がええゆうんならええけど、どうやるんや?」


〈風船マン〉

風船マンとは、風船祭りのメインイベントの際、大量の風船を空へと開放する役目を担う・・・いわば、祭りの主役である。基本的に、主催者が地域の少年を指名することで決まる。実質的には、「青」のリーダーが歴代その役目を担ってきた。

「町中の風船が、俺の手に集まった瞬間、そうやなぁ・・・ニムロドはんがぶら下がれるように、取っ手みたいなんを取り付けて・・・そこで、おもむろに俺の前に来てくれや。ニムロドはん。そしたら、風船渡したる」

「祭りが滅茶苦茶にならんか?見てる人は、何が起きたんや?このオッサン誰や?って感じやで?」とタイガ

「他人の目なんか気にすんなや。なんもできんようなるで?失敗を恐れたらあかん。成功したら、そら見ものやで?そう思わんか?」

「うーん。まぁ、おもろい光景ではあるな」とタイガ。

「せやろ?決まりや。ニムロドはん。風船祭りの日、中央公園に来てくれ。」

「は、はぁ・・・」ニムロドはどうもはっきりしない返事をした。

「よっしゃ!あのクソおもんない祭りが、楽しみになってきたわ・・・ところで、ニムロドはん?あんた宿はどこや?」

「宿はありまへん」

「ほんまか?いくらか工面したろか?それとも、俺の家くるか?」

「お気遣いありがとうございます。せやけれども、ワテは、数千年も外で寝泊まりしてきました。何かの建物のなかで、寝るという習慣がありまへん。その辺の路上におろしてもろうて結構です・・・」

白いリムジンが止まり、一礼の後、ニムロドは夜の路地へと消えた。


その後、リムジンはユウタの家まで向かった。

「ほな。風船祭りであおうや・・・ああ、「黒」は「青」と会っとるとこみられたらなんかまずいんかのぉ」

「そうなんです。ほかのグループとの接触は、硬く禁じられとります。」

「頭の固いグループやのぉ。そんなとこおっておもろいんか?」

「「黒」は、その頭でっかちな規律のお陰で結ばれとるんです。おもろないグループなんかもしれんけど、信頼できます」

「ほう。そうか。それはええな。しかしなぁ。ユウタ。きいつけよ。人を疑うゆうことも、そろそろ覚える年頃やぞ?」

「どういうことですか?」

ヒトシは、リムジンにまた乗り込んだ。そして、「ほなまた」といって去っていった。


◆色気づく黒

ヒトシ達と別れた後、去っていくリムジンを眺めながら、ユウタは、すっきりとしない、ベタベタとした嫌な感情に襲われた。

ニムロドのことではない。彼が引っかかっているのは、「黒」のこと。

(「黒」が商売しとる?ハッパを?・・・そんなわけあらへん)

ユウタの中に芽生えてくるわずかな疑いを、否定するユウタ。しかし、すぐにまた芽生えてくる。


次の日、学校に行っても、ユウタの表情はすっきりとしない。

(しかし、「青」のリーダーが、ガセの情報に騙されるなんてことがあるのか?火の何ところに、煙は立たない・・・)自問自答を繰り返す。しかし、その問いの答えはすぐに出た。


「なぁ、サトミツ。次、いつ寿司につれてってくれる?」

金髪の女子が、サトミツにボディタッチをしながら、そう言った。

「まぁ、待っとれ。どうや、明日でもええで!」

「ほんまに!ほんまかっこええわ」いつも、ぞんざいに扱うサトミツへの女子たちの態度が全く変わっていることに、ユウタは気が付いた。

「ホンマすごいわ。昨日の寿司のお任せコース。ごっつ高かったんちゃうん?風船何枚分?」

「そんなもん数えられるわけあらへん。飯だけやなしに、今度はカバン買いにいこや」

「ホンマ!?めっちゃすきやわぁ」金髪は、サトミツに抱きついた。


「お前んとこそんな金もちやったんか?なんで急にはぶりようなった?」

ユウタはサトミツを睨む。

「遺産や。じじいが死んで、莫大な遺産が入ってきたんや。じじい一人で貯めこんどったみたいやな。所謂、守銭奴やな」

「そうか」

「そうや」

「え、そんなぎょうさんお金が手に入ったんやったら、風船町からもでていけるんやないの?」

「そうやな。まぁ、完全に相続するんは、なんやえらい時間かかるそうや。それから、オヤジの借金を完済させてやから・・・結構時間はかかるけるけど、まぁ、卒業と同時に位には、この町からは出ていけるようなるやろな」

「ついていってええ?わたしもこの町から出たいねん」

猫なで声で、金髪は、サトミツに甘えた。

「あたりまえや。一緒に、都会にいこうや」

「ホンマかっこええわ」と金髪はサトミツに抱きついた。

その様子を、ユウタはじっと見ていた。

「ちょっと、トイレ行ってくるわ」サトミツは席を立った。

その後を、ユウタは追う。


学校のトイレ。

用を済ませたサトミツが、「大」の個室から出てくる。それを、ユウタは待ち構えていた。


「おお、ユウタ。なんや?隣開いとるやんけ?和式はいやなんか?」

ユウタの目つきに、サトミツは何か良からぬものを感じた。

「どうした?」

「サトミツ。お前、俺に何か隠してないか?」

「な、なんや?いきなり、隠し事?何いっとんのや?」

「サトミツ。正直にゆうてくれ」

「なんや。わけわからんわ」

サトミツはその場を立ち去ろうとするが、ユウタが行く手を遮る。

「なにすんや!」

サトミツが、ユウタにガンを飛ばした。ユウタは、サトミツを抱え込み、彼を思いっきりトイレの床に叩きつけた。サトミツのポケットから、ハッパの入ったジップロックが、零れ落ちた。

「それはなんや?」ユウタが眉間にしわを寄せて、サトミツを睨みつける。

「これは、あれや、昨日ボコした「赤」のやつが持っとったんや。け、警察に届けるためにもっとんや!」

「あほか・・・見え見えやないか。それ、ホームレスつかって売っとるんか?」

「そんなわけあらへん」

「目ぇみぃ。俺の目を見て言え!」

ゼロ距離でにらみ合う二人。ユウタをよく理解しているサトミツは、逃げられないことを悟る。

「何が悪い?」

「この町は、広いようで狭い。こんなもん流したら、すぐに広まってまう。町が汚れてまう」

「風船町なんぞ。もうとうの昔に、汚れ切っとる。こんな町、どうでもええやないか。親の借金さえなかったら、すぐにでも出ていく」

「俺らは「黒」やぞ?こんな町にも、守らないかんもんはあるはずや」

「・・・めっちゃもうかるんやで?・・・親の借金も返せる。女にもモテる。そして、こんな町から出ていける!お前も、古臭いプライドなんて捨てろや!」

ユウタは、サトミツの胸倉をつかみ、彼を持ち上げると同時に、頭突きを彼に放った。サトミツは、鼻血を流して、また床に倒れこんだ。

「いってぇ」

「ボスにゆうたらどうなるか。わかっとんやろな?・・・ヘリウムガス吸うくらいではすまへんで・・・」

「ゆうんか?俺を見捨てるんか?」

「出ていけ。お前の望みを今すぐ叶えろ・・・この風船町から出ていくんや。それしかあらへん。ただし、ハッパも金も女も、家族も・・・そして、友達も・・・いままでの人生、すべてを置いて出ていけ。それがお前の望みでもあるんやろ?煙突町に親戚がおるんやろ?そこに引っ越せ。あと数日、風船祭りの日までは、だまっといたる。その間になんとかせぇ」

サトミツは、床に落ちているハッパを拾い、ユウタを睨んだ後、逃げるようにトイレから出ていった。

「なんかあったのか?」

ちょうど同じタイミングで、アキヒロがトイレに入ってきた。

「なんもあらへん。エロ本見てたら、興奮して鼻血が止まらんなったらしい」

「馬鹿ゆうな」

「ほんまや。今のはボケちゃう」

「そうか、それなら俺もなにもいわない」

アキヒロは、何があったか、察していた。ユウタの表情の奥に、感傷的な感情を見て取ったアキヒロは、気を使って、明るい話題を振った。

「そういえば、もうすぐ風船祭りだな」

「そうやな」

「盛り上がるかなぁ」

「むりやろ。どうせ雨や」

「そうか?」

「そうやろ?この数週間、太陽が見れたことあったか?」

「ああ、昨日まではそうだったが、今日の天気を見てみろよ。太陽がこれでもかってくらい顔を出してるぜ。久しぶりの太陽は、やっぱり気分がよくなるよな」

ユウタに戦慄が走る。

「なんやと?」

ふと、窓から外を見る。確かに、雲一つない快晴であった。

「どういうことや!あいつ!・・・くそ!なんやねん!」ユウタは駆け出した。


ユウタは、学校の自転車置き場から誰かの自転車をパクり、光の速度であの高架下へと向かった。自転車を漕ぐ間にも、ユウタは一人で叫び続けていた。

「ああ!くそ!なんも・・・なんも上手くいかへん!どうなっとんや!」


晴天。

これは、今のユウタにとっては嬉しいニュースではない。

これは、つまり、ニムロドが町から出ていったことを暗示していた。予想通り、高架下に彼はいなかった。


「ボケが!夢がかなうかもしれへんのになにやっとんねん!どこいった!」


光のスピードでもって自転車を漕ぐ。

探す当てはほぼない・・・ことも無かった。


ユウタは、空を見た。彼は確認する・・・雨雲の方向を。

「日立タワーだ」


◆世界はバラバラ

煙突町に入り、日立タワーへ向かうニムロドをすぐに見つけることができた。

「おい!ボケ!どこ行く気や!」

「あ、ユウタはん!」

逃げ出そうとするニムロドだったが、光の速さのユウタにはかなわない。

ユウタは、ニムロド追いつくと、自転車を捨て、彼の首根っこをつかむ。

「どういうつもりや!風船祭りは、もうすぐやぞ!!飛べるかもしれんのやぞ!太陽が見れるかもしれんのやぞ!」

「ユウタはん。行かせてください!あかんのです。もう風船町におられへんのです!」

「なんでや!ゆうてみい!自分の夢より大事なことってなんや!回答次第では、ぶっ殺したる!」

ユウタは、ニムロドを乱暴に地面に叩きつける。

「なんで、なんで、そないに怒るんですか?ユウタはんには関係ないことです」

「あほいうな!関係あるわ!」

「どう関係あるゆうんですか?」

ニムロドは、顔に着いた泥を拭きながらそう言った。ユウタは即答できなかった。確かに、ニムロドと自分は、何の関係のない人間である。無理やりに、理由を絞り出した。

「「青」のリーダーと、約束したやないか」

「ワテには、関係ありまへん。ワテは、「青」とか「黒」とか、どうでもええことでなんです」

ユウタの顔が真っ赤になる。

「嘘か・・・太陽を見たいとゆうたんは嘘やったんやな!ホンマに呪われとったんやな。ホラ吹きの呪い。いや、お前は呪いよりもタチ悪いわ。」

「嘘やないです。ホンマです。死ぬほど太陽をみたいです・・・今でも」

「あほらしい。じゃあなんで、風船町をでたんやって聞ぃとんのや!」

ニムロドは、ゆっくりと話し始めた。

「ユウタはん。なんで、ワテが命かけて造ったバベルの塔が、崩壊したかききましたか?」

「雷やろが?なんや?神さんが現れてぶっ壊したんか?」

「ちゃいます。天気でも、ハタマタ、神様が現れたわけでもありまへん・・・めっちゃ普通です。普通に、崩壊しました。皆、作るんをやめた・・・皆、塔を忘れていった・・・それだけです」

「ああ、そうか・・・で?それがどないしたんや?どうでもええわ」

「塔が崩れたあとどうなったか聞きましたか?」

「一つになった言語がバラバラになって、ニムロドは地獄にいってしまいや」

「そうです。私は今も地獄におります。それは正解です。でも、その一つ前・・・一つになった言語がバラバラになったんは、嘘です」

「また、訳のわからんこと言いよるわ。ホンマ、呆れるわ」

ニムロドはおとぎ話の真実を話し始めた。

「最初。皆、ワテに同情して、親戚が一同に会し、太陽を見るための塔づくりを手伝ってくれました。皆、仲ええですから、そら楽しかったです。でも・・・塔が8割くらい完成した時・・・異変が起きました。きっかけは分かりません。どうせ大したことないです・・・皆、仲悪うなっていったんです」

「そらそうやろ。親戚が何か月、何年も同じとこおったら、イライラもしてくるわ」

「そうです。気まずい雰囲気は、感染病みたいに伝染して、皆、自らを隔離していきました。あいつとは話したない、こいつの話は聞きたない・・・と。そして」

「そして?」

「皆、嫌いな相手の言葉を分からんふりし始めたんです」

「・・・」

「塔づくりがとん挫して、皆バラバラに散っていきました。言語を分からんフリしたまま・・・それから時間がたって、ホンマに分からんようなったんです・・・めちゃくちゃショックでした。怖かった。元はといえばワテのせいなんです。洪水が終わって、みんな各々、好きなところで、気ままにくらしてたんを、一か所に集めてしまいました。みんなを一つにしてもうた・・・全部・・・ワテのせいです」

(そんあわけあらへん・・・)という言葉を、ユウタはニムロドに伝えることができなかった。


 ユウタは、ニムロドに初めて会った時、彼に頭突きした時に感じた不思議な感覚を思い出した。そして、その正体が明らかになった。彼に頭突きをした衝撃で、ニムロドの記憶の一部がユウタに伝わったのだ。それは、一瞬で、無意識的に認知した程度であったが・・・今、はっきりと映像となってユウタの脳内に現れた。

ユウタの脳に現像された映像それは、未完成のバベルの塔から、バラバラに散っていく仲間たちを眺める太古のニムロドの姿であった。


彼の感情も、ストレートに感じ取ることができた。悲しみ、口惜しさ、寂しさ・・・それらの感情が、高所恐怖症による圧倒的恐怖と交じり合い、ニムロドの心を蝕んだ・・・その時、彼は呪われたのだ。ユウタはそう確信することができた。


「世界は一つになってはあかんのです。バラバラの方がええんです。昨日、ワテの話で、盛り上がっているユウタはん達を見て、ワテはバベルの塔を建てようとしていたときの自分を思い出しました・・・あきまへん、皆が一つになろうとしたらあきまへん。また、呪いが増えるだけです」


ニムロドと初めて会った時。

彼が必死に謝っていた理由、そして、対象が明らかになった。彼は2000年以上、散っていった仲間たち・・・ユウタを含むノアの子孫すべてに謝っていたのだ。彼の呪い・・・後悔から・・・罪悪感から・・・。

「自分勝手ですいまへん。とにかく、もう・・・ワテのことは忘れてください・・・」


(くそ!)


何も言えない自分がふがいなかった。しかし、ユウタは、去っていくニムロドを引き留める気にはなれなかった。


◆エロ本

ニムロドが去ってから、風船町には、晴天が続いた。ユウタは、一縷の飲みもない、完全な日常に戻り、毎夜、「赤」の殲滅作戦に従事していた。


「サトミツは、今日も休みか」

「黒」が「赤」をボコボコにしている風景を眺めながら、アキヒロはユウタに話しかけた。

「おお、そうみたいやの」

ユウタはぼーっと、聞いているか聞いているのか、よくわからない返事をした。

「ほら、これのめよ」

アキヒロはユウタに、缶コーヒを渡す。

「いらん。ブラックはのめんのや」

「ああ、そうだったな」

アキヒロは、自分でそのコーヒーを飲んだ。

「明日は、風船祭りやのぉ」

元気のない声で、ユウタがつぶやいた。

「なんだ?行くのか?風船祭り」

「行くわけないやろ。「青」の祭りに」

「本当か?何か知らないが、気をつけろよ。あいつらと何かトラブルになったら、風船町にいられなくなるぞ?」

「風船町に居られなくなる・・・か。俺の唯一の居場所やからなぁ・・・ここに居られなくなるんは困るわ・・・せやけど、アキヒロはどうなんや?お前は、10歳の時に都会の綺麗な町から、こんなごみ溜めに来た時・・・終わったって思ったんやないか?」

「そうだね。絶望したよ。皆、下品な言葉遣いだし、雑な性格だし、道端はタバコだらけで汚いし」

「お前も不幸な子供やったのぉ。株で大損こいたせいで、一家離散・・・借金取りから逃げて、たどり着いたのが、風船町ってか?友達は、一人もおらへん。孤独な少年。ほんま全然笑えんコントの設定やで?」

「俺は笑えたよ。めちゃくちゃ面白いボケが、風船町にいたからね」

「人が虐められとるのを見るのっておもろいもんや」

「あんなに元気ないじめられっ子見たことなかったからね。斬新なボケだよ。ほんとに」

「お前に助けられてなかったら、どうなっとったんやろうなぁ。今も、いじめられとったんやろか」

「そんなことないさ。お前は自分自身で克服してたさ。俺なんて必要なかった」

「謙遜せんでええ。俺は、めっちゃうれしかったんや。仲間がおったってな」

「お前は、自分が思っているよりもずっと強い。いろんな意味でな。俺なんて必要なかったさ」

「えらいネガティブなこというなぁ。どうした?」

「助けられたのは、俺の方さ」

「なにいうとんねん。意味わからへんわ」

「風船町に来る前も、友達なんていなかったんだ。家は裕福だったけど、親は仕事でほとんど顔を見なかった。俺は、ずっと一人だった」

「ほう、そうか」

「そうさ。あの時、助けようとしたのは、僕自身さ。ユウタよりもずっと必死だった。新天地で、ダメダメな自分の現状をどうにかしようと足掻いていたんだ。ユウタを助けたら、友達になってくれるんじゃないかって、そんな打算的なことを考えていた。必死だった。助けられたのは、俺の方だよ。ユウタは、俺の初めてのダチ・・・やな」

「ハズい。ハズい。」

二人は、優しい声で、笑いあった。そして、この瞬間、ユウタはあることを決心した。

「なぁ、アキヒロ。明日、風船祭り終わったら渡したいもんがあるんや」

「何?」

「ええもんや」

「なんだよ気持ち悪いなぁ」

「安心せい・・・エロ本とちゃうで?」

「一体なんだ?今言ってくれ」

「あかん。お楽しみや。せやな。風船祭りの始まる前の昼の2時。いつもの公園に来てくれ。学校ではわたしたない。明日は俺は学校休む予定やしな」

「分かった」

「エロビデオちゃうで?」

「分かった分かった」

「せやけど、そんなもんより、もっと興奮するもんや」


家に帰ると、ユウタはすぐに二階の自室に向かう。そして、机の引き出しから、あの封筒を取り出し、ハサミで切り開く。中から、書類を取り出す。

〈NSC入学願書〉

お笑い学校であるNSCの入学願書が、2枚入っていた。

「よし」

ユウタは、中身を確認するとすぐに書類を封筒に戻し、大事そうにカバンに入れた。


◆風船祭りの始まり

次の日、風船祭り当日。ユウタは登校しなかった。

NSCの入学願書をしたためて、学校に行くのは、恥ずかしかったのだ。そして、そ知らぬふりをして、アキヒロと目を合わせることもなんだか恥ずかしかった。


ブラブラと風船町を歩く。

あの高架下へ向かう。

全く知らないホームレスが、ニムロドがいた場所を占領していた。


ピピピピピ


突然、ポケベルが鳴る。

「なんや?タイミング悪いのぉ」

これは、「黒」集合の合図である。午前中に集合するのは、珍しい。

ユウタは、いつもの公園へと向かう。



「お兄さん!リンゴ飴かっていきなよ!」

風船祭りのメインイベントは、夕方の日没前だが、フライング気味に、今日の風船祭りに向けて、準備を進める屋台の姿が見えた。

「いらんわ!」

「赤い風船も一緒にどう?」

ポップコーンやリンゴ飴や、色々な屋台があるが、全店決まって風船がおまけでついてくる。

「いらんわ!俺は風船町の人間やぞ!風船なんぞ、家に履いて捨てるほどあるわ!」


公園が近づく。

「黒」のメンバーは、ほとんどそろっているようだった。

「めずらしいのぉ。だいたい俺が一番やのに」

そして、もう一つ珍しいことが起きていた。

メンバーは整列せずに、公園の中央に、円形に固まっている。何かを囲んでいるようだ。


「おお!ユウタ!来たか!」

メンバーの一人が、ユウタの存在に気が付いた。

「おお!ユウタ!ほらこっちこい!」

円形の真ん中に、ユウタは誘われた。メンバーたちが道を開け、彼らが囲んでいる”もの”が明らかになった。


それは、ボコボコに殴られ、血だらけで地面に倒れているアキヒロだった。


「なにやっとんや!貴様ら!どういうことや!」


メンバーの狭間から、小柄なサトミツが姿を現した。その横には、ボスの姿も見える。

「ユウタ。こいつ、裏切りもんや。「青」の回し者やったわ。俺らの情報を「青」に流しとったらしい」

「サトミツ。何でここにおるねん」

「なんで?そら、「黒」やからやないか」

「貴様。町からでていったんやないんか?」

「ああ出ていくわ。親の借金ぜんぶ返したらな。なぁ、お前らもそうやろ?」

「黒」のメンバー全員が、意地悪そうな笑顔を浮かべた。

唯一、ユウタのブロックのメンバーだけは、バツの悪そうな顔で、円陣の一番外でたたずんでいた。

「全員で、「黒」の掟をやぶるゆうんか!」

「「黒」の掟?やぶっとんは、お前やろ。ユウタ。ボスと時期ボスである俺が決めた方針。ハッパのバイヤーとしての仕事を放棄しとんやぞ?」

「なんやと?時期ボスは俺のはずや!ボスどうなっとんや!」

「なにゆうとんや、そんなんゆうた覚えないで?」とボスが、円陣の外から、現れる。

「時期ボスはサトミツや。お前にもゆうたはずやがのぉ。まぁ、掟を破ったんがお前なんは明らかや。お前ら!お灸をそえたれ!」

金に目のくらんだ「黒」い少年たち。思考をなくしている彼らは、一斉にユウタに殴り掛かる。


(なんや、これ?どういうコントや?ホンマにおもんないわ。センスないわ)


多勢に無勢。

ユウタの顔面は、瞬く間に血に染まる。

アキヒロと同様に、地面に打ち付けられた。


ユウタを見下ろし、サトミツが言う。

「ユウタ。俺はお前のこと嫌いやない。一言、俺に対する扱いをあやまってくれたら、「黒」として、またお前を迎え入れたるわ。そんで、ハッパのバイヤーとして、活躍してくれや。なぁ」

ユウタは、顔を上げ、サトミツの顔に血の混じった唾を吐いた。

「アホゆうな。相変わらず、気っしょいのぉ・・・ちなみに、教えといたるわ。お前のタレ。あれ、あんなナリして、マグロやで」

「ぶっ殺す!」

サトミツは、反乱狂になってユウタを殴った。地面に倒れるユウタに馬乗りになって、何度も拳を打ち付けた。

「くそがぁ!」

すぐに息が上がり、殴るのを止めたが、サトミツのコメカミには血管が浮出たままである。

「おい、これ見てみい」

メンバーの一人が、他のメンバーに向かって声をかけた。彼は、ユウタのカバンをまさぐっていた。

「なんや!いま忙しんや!」

「いや、ちゃうねん!これみてみい」

彼が取り出したのは、NSCの入学願書だった。

「こいつ、お笑い芸人になるきやで!傑作やろ!」

「まじかおい!」

入学願書が、ぐちゃぐちゃになりながら、「黒」い少年たちに廻される。

「ほんまや!しかも、2枚!2人でコンビ組もうとしとったんやないか!」

「あほや。お前ら二人でわろうたこと一度もないで!」

「いや、いまの二人みてみい。これなら、芸人になれるやろ!」

「あかんあかん、出オチや。すぐ飽きられる」

思い思いの言葉で、ユウタの夢を馬鹿にした。

「きっしょいのぉ。二人デキとんやないか」

サトミツもまた、意気揚々と会話に参加した。


意識を取り戻したアキヒロが、その声を聴いた。

「ユウタ」

ただ、ユウタに呼びかけただけだったが、その言葉は、ユウタに力を与えた。

「おもんないわ」とユウタは言い放った。

「ああ?」

「全然。おもんないわ。何がおもろいねん。ツボ浅すぎやっちゅうねん」

ユウタは、朦朧とする意識のなか、全力で大地を踏みしめ・・・そして、立ち上がった。

「お笑いのセンスのないやつらに、ホンマにおもろいことはなんか・・・教えたるねん!」

「なんや。まだ立ち上がれるんか?おい!お前ら、立ち上がれんように骨おったるで!」

再度、臨戦態勢に戻った「黒」が、ユウタを囲む。しかし、ユウタの目は死んでいなかった。

「さあ、こいや!」

ユウタは、近づいてくる「黒」のメンバーを、誰彼構わず殴り、得意の頭突きを繰り出した。無傷であった時よりも、数倍の攻撃力が彼の頭突きには宿っていた。

バタバタと気を失っていくメンバーたち。

「なんや!こいつ!」

「黒」の少年たちが、狼狽し始めた。

「さぁ、こんかい!センスのないやつら!」

その気迫に押され、ユウタの周りからメンバーが離れていく。

サトミツの前に迫るユウタ。

「く、くるな!」

さっきまでの威勢は消え去り、怯えた目で、サトミツが言った。

「人の夢を笑うな!」

「くそが!」サトミツがユウタにパンチを繰り出すが、頭突きで拳を止められた。サトミツの拳が破壊され、ひ弱な悲鳴が風船町に響く。


と同時に、大人たちの声が、公園に響いた。

「お前ら!全員動くな!」

公園の前に、数台のパトカーと一台のバスの様な護送車が止まった。

「お前ら、今すぐ手を頭に廻して跪け!」

「なんや!貴様ら!」とサトミツ。

「見て分からんのか!警察や!ガキども!」

巨大な大人の腕力で、警官たちは、「黒」のメンバーたちをどつき始める。

「大人のいうことは、だまってきけや!ガキ!」

警官たちの腕力の前に、「黒」は、ひれ伏した。

「ボ、ボス!」とサトミツを探す。ボスは、警官側に立ち、「黒」をニヤニヤと眺めていた。

「ど、どういうことでっか!ボス!」

サトミツは、怯えた目で、訴える。

「サトミツ。お前、やられたんや。ボスに裏切られたんや」

血だらけの顔で、ユウタがサトミツに告げた。

「あいつです!あいつがリーダーです。あいつのポケット探ってみてください。ブツだらけです!」

ボスは、サトミツを指さし、警官に言った。サトミツの目から、涙が流れた。そして、子供のように大声をあげて泣き出した。

「黒」は、崩壊した。









◆赤いリンゴ飴

風船祭り当日。

ニムロドは、煙突町にいた。

風船町の隣町。いつもなら、もっと遠くの町へと”引っ越す”ところだが、なぜか、風船町から遠ざかる気になれなかった。

トボトボと煙突の間を当てもなく歩く、同じ場所をぐるぐると回る。

ふと、上を見る。

目の前には、日立タワーがそびえ立っていた。

(バベルの塔は日立タワーより、高いんか?)というユウタの言葉が、頭をよぎった。そして、数百年ぶりの好奇心という感情が、彼の中にこみ上げた。(バベルの塔・・・どれくらい高かったっけ?)彼の足は、自然と日立タワーへと向かう。


ユウタと来た時と違い、今日、日立タワーは込み合っていた。皆、日立タワーの展望台にいった後、風船祭りへ行く予定なのだ。

「はいはい、てきぱきと動いてください!」

行列を効率よくさばくため、係員のお姉さんが、群集へ向けて叫んでいる。ニムロドは、行列に紛れ込む。

「はいはい、皆さん!券を持って並んでください!」

皆、券売機でエレベーター利用券を購入しているが、無一文のニムロドは、当然、券を購入していない。

「おじさん!券は?」

「え、えと買ってまへん」

「買ってから並んでや」乱暴に店員に言われた。

「ワテわ、4歳です」とユウタの方法を試してみた。

「あほいうな!警備員さん!このオッサンほおりだして!」

屈強そうな警備員が、この日は配備されていた。ニムロドは、逃げ出そうとする。

「す、すいまへ・・・」

「この子は4歳や!」

脇から、急にあの時のおばさんが現れた。彼女の右手は、あの時と同じ子供の手を握っていたが、差し出した左手には、2枚の券が握られていた。

「ほら行くで!」

「あ、ありがとうございます」

券を渡し、空になった左手で、ニムロドの手を握り、おばちゃんはニムロドをエレベーターと導いた。


上昇するギュウギュウのエレベーターの中で、ニムロドは激しく震えていた。

「なんや?さむいんか?」

ニムロドは何も答えない。


展望台。

人々は、景色を眺めるため、エレベーターの扉が開くと同時に、四方に散らばっていたが、ニムロドはエレベーターの前で、ぶるぶると震えてうずくまっている。

「せっかく、お金払ったったのみ!人の親切をなんやおもてるん?」

「すんまへん・・・でも、怖いんです」

「あんた、高所恐怖症か?」

ニムロドは、コクッと渦向いた。

「あほやな、この子なんて、ケロっとしとるで?」

おばちゃんの子供は、テンションが上がることもなく、静かにニムロドを見つめている。

「ほら!これ食べ!」

おばちゃんは、カバンの中からビニール袋を取り出し、中に食べかけのリンゴ飴を取り出した。

「いや、え、遠慮しときます」

周りの人たちは、白い目でそのやり取りを見ていた。おばちゃんは、半ば無理やりに、食べかけのリンゴ飴をニムロドに渡す。ニムロドは、うずくまりながらもしょうがなく、リンゴ飴を口に含む。その瞬間、彼の恐怖がふっと和らいだ。

「ほら、元気になった」

「は、はい」

ニムロドはゆっくりと立ち上がり、目を開けた。ガラス越し。遥か眼下に、風船町が見える。

「どうや?絶景やろ?」

「・・・はい・・・でも」

「でも、なんや?」

「いや・・・なんでもありまへん」

彼の中に、一つの観念がこみ上げてくる。

(・・・そんなに高くない)

それは日立タワーに対してだけの思い出はなかった。

(バベルの塔はもっと低かったんやないか??)

そう思うと、なんだかすべてが馬鹿らしく思えてきた。ニムロドは、ふっと小さく笑った。

「思い出し笑いは気持ち悪いで?」

とおばちゃんが、言った時、館内放送が流れた。

「お客さまにお呼び出しがございます。足立えわ様、足立えわ様、迷子のお子様が一階、お客様センターでお待ちです・・・」

「ああ、やっと見つかった。ほなまた。ほら、あんたもおじちゃんにバイバイし。ほら、カイ!バイバイってしなさい!」

カイは、表情を変えず、ゆっくりと、ニムロドに手を振った。ニムロドもまた、それに返すように手を振った。


ニムロドはまた、眼下の風船町を見る。

風船町の中央公園へ向けて、色とりどりの風船が集まっていっている様子が見て取れる。そして、数台のパトカーが、風船町の端の小さな公園へと向かっている様子も見えた。その公園には、黒い少年たちが集まっていた。


◆最近の若者

警察署。

地下の牢屋に、手錠をつけたままの「黒」い少年たちが集められる。無駄口をたたこうものなら、警官に殴られた。そして、一人ずつ、少年課の事務所へと連れていかれ、取り調べと呼ばれる折檻を受けていた。ユウタの順番が来た。

六畳程度の部屋に、机と椅子。小さな窓には鉄格子が設置されたザ・取調室に座らされるユウタ。

「怪我しとる未成年を、こんな扱いしてええんか?」

「怪我?お前ピンピンしとるやんけ。気イ失うくらい痛めつけられとったら、いったん、警察病院にいかせるけど、かすり傷程度やったら関係あらへん」

不愛想な声で、若い警官は、タバコをふかせながら言った。

「かすり傷?これがかすり傷か?」

「そうや。現に今しゃべれとるやないか。」

「俺以外にボコされとったやつはどこに言った?」

「お前以外は、傷がひどいさかい、病院に行かせとるわ」

「おれに、なにするきや?」と、ユウタが聞いたところで、取調室のすぐ外から、談笑する声が聞こえてきた。

「えらいぎょうさん捕まえたんやのぉ!ほんま、風船祭りの日は、クソガキどもがよう捕まる。しかし、お前、ようやったなぁ」

聞き覚えのある声。

「ありがとうございます」

そう答えたのは、ボスの声だ。


ガチャリと取調室のドアが開き、一人の男が入ってきた。アニキだった。

「課長。お疲れ様です」と若い警官は頭を下げた。

「そういうことか。てっきり、ヤクザや思てたけど、逆側の人間か」

アニキはタバコに火をつけ、ユウタの目の前に座った。

「ヤクザみたいに、周りに部下を立たせて、肉食うとったんか?きっしょいのぉ」

「あいつらはヤクザや。警官はおれだけや」

腐敗した風船町・・・そういうことだった。アニキは続けた。

「お前の名前は覚えとらんけど、俺に生意気な口きいたんは覚えとる。あの場で、ぶっ殺しても良かったけどなぁ。グッと我慢したんや。大人やろ?」

「大人やったら、もの食う時、ガキみたいにクチャクチャいわすん辞めたらどうや?ほんまキモイで?吐きそうやったけど、グッと我慢したんや?大人やろ」

「ふん、ガキが・・・せやけど、あかんやないか。仲たがいなんかしたら・・・非行少年グループが、集団で麻薬を売買。一斉摘発。グループのリーダーは、金銭トラブルでメンバーと仲たがいし、暴行を受けていた・・・ホンマかわいそうや」

「大人は汚いのぉ」

「ふん。かわいそうに、仲間から暴行を受け重傷・・・そうやな、腕くらい折っとくか・・・おい、こいつ押さえつけろ!」

若い警官は、タバコの火を消し、ニタニタと笑いながらユウタに近づいてくる。

「触んなボケ!」

若い警官は、ユウタの手錠をはずし、彼を羽交い絞めにする。アニキは、ニタニタと笑いながら、ユウタの右腕をつかみいびつな方向に捻り始めた。

「離せや!」

ユウタの靭帯が、ぶった切られる寸前。


「おい!誰やお前!」

扉の外で、叫ぶ声が聞こえた。


「なんや?そうぞうしい」とアニキ。

騒々しさは、急激に加速する。

「なんや!お前!」

「おい!止まれ!」

「離せ!」

「何すんねん!ああ!!」

「こいつ、ヤバいやつや!」

「おい!撃て!」

パンパンと乾いた銃声が聞こえた。

「なんやこいつ!バケモンや!」

1分か2分。事務所からそんな声が飛び交ったが、いくつかの衝撃音が響いた後、静寂が訪れた。


取調室内の若い警官と、アニキは固まっている。

「おい・・・お前、見てこい・・・」

「はい」

怯えた顔で、若い警官が、ゆっくりと扉の前に立った瞬間。

鋼鉄製の扉が、高速で開き、警官を押し潰した。彼は、扉と壁の隙間から、死んだように地面に倒れこんだ。

「あら?すんまへん」

取調室に入ってきたのは、ニムロドだった。

「ニムロド!」

「ユウタはん。風船祭りが始まります。はよいかんと、間に合いまへんで?」

「お前、ここがどこやおもてるんや?」とアニキは、青ざめた顔で言った。

「ここでっか?風船町ですわ」

ニムロドは、アニキの胸倉をつかみ、軽々と持ち上げた。

「えらいやられましたなぁ、ユウタはん」

真っ赤に膨れ上がったユウタの顔を見ながら、ニムロドは言った。

「こんな汚いおっさんにやられたんちゃうわ」

「は、離せ・・・」

アニキは暴れ、必死にニムロドを蹴るが、びくともしない。アニキは懐に仕込んでいた銃を取り出し、ニムロドに向けた。

「ユウタはん。大人は皆こう言いません?最近の若者は貧弱やと・・・昔はもっとすごかった・・・昔の人はもっと強かった・・・同感ですわ」

パンッと、ニムロドの額に弾丸が放たれた。

弾丸は、跳弾し、天井へと突き刺さった。

「ああ!!」

アニキは、恐怖で叫んだ。

「なんでこんな貧弱なもんが、武器になっとるんか全然わからへんのです。昔はもっと、人間の体は強かったんですわ。どんどん貧弱になってまう・・・おっさん。あんたも、ワテから見たら子供や。親戚の子供やな。粗相した子供を叱るんが、おっさんであるワテの役目や」

そういうと、ニムロドは思い切り、アニキに頭突きを食らわした。

「イテェ!」

ニムロドが手を離すと、アニキは地面に倒れこんだ。


「ほないきましょ」

「お前!すごいやないか!頼りないやつやおもとったけど、めっちゃ強いんやな!」

ニムロドの雄姿にユウタはテンションが上がっていた。ニムロドは得意げだ。

「ワテはニムロド・・・ニムロドは反逆者って意味です。神さんに喧嘩売るる男が、貧弱なわけないやないですか?」

「そらそうや」

ユウタは、部屋を出るニムロドの後ろについて行った。事務所の中は、崩れ落ちたバベルの塔を創造させる、悲惨な状況であった。倒れこみ、唸っている警官は数人程度だったが、曲がるはずのないものが曲がり、崩れるはずのないものが崩れていた。

残骸のなか、うずくまり泣いているボスの姿があった。

「おい、ボス」

「ゆ、ユウタ・・・ああ、助けて・・・」

ボスは顔を上げ、ユウタに助けを求めた。ユウタは、思い切り頭突きを食らわし、事務所を後にした。


二人が警察署を去ってから、最初に目を覚ましたのは、あの若い警官である。そして、目に入ったのは、頭から血を流し、ぼーっと天井を眺めるアニキ。

「課長大丈夫ですか?」

アニキは、怯えた目で、若い部下をみて、こういった。

「היי, על מה אתה מדבר? דבר יפנית כמו שצריך!מה לעזאזל קורה כאן」

(いったい何を言っているんだ?ちゃんと日本語をしゃべれ!一体どうなっているんだ)

「課長?一体なにを言っているんですか?ちゃんと日本語をしゃべってください。しっかりしてください?」

もちろん、部下は全く聞き取れない。

「課長?」

同じ怯えた表情で、二人は見つめ合う。

「אני לא מבין. אני לא מבין. אין לי מושג על מה אני מדבר. אני לא מבין」

「分かりません。何も分かりません。何を言っているのか分かりません。分からない」

「מה קרה לי? מה עליי לעשות?」

「課長はどうなったんですか?私は何をすればいいんですか?」

かみ合わない会話が続いたのち、絶望したアニキの聞き取れない叫びが、警察署にこだました。


◆空へ

風船祭り。

町には屋台が立ち並び、柄の悪いおじさんが、道行く子供たちにやさしく声をかけている。子供たちは、親から渡された少額の小銭で、リンゴ飴やポップコーンなどの出し物を買い。おまけの風船を受け取る。そして、中央公園へ向かう色彩の一部となる。


黒、赤、緑、白、青、黄、橙・・・世界中のすべての色が、風船町中央公園へと向かい、集積されていく。透明色の太陽光線は、すべての色を均等に照らし、色とりどりの風船の存在感を際立たせている。


突然、快晴だった空模様が一変した。空は瞬く間に雲に覆われ、光線を遮断。薄暗く、色彩に乏しい、均等な世界に、風船町は様変わりした。


「・・・開会のご挨拶をいただきます」と、公園内にアナウンスが響く。

「本日は、風船祭りに参加いただき、誠にありがとうございます」

公園中央の特設舞台の周りに、ぞろぞろと観衆が集まっていった。そして、数百、いや、数千の風船を手にした中年男性が、挨拶を始めた。

「ご紹介にあずかりました。風船町町長の松本でございます・・・風船町風船祭りは、この町が誕生してから代々続く大切な行事であります・・・」

長々と、常套句を並べはじめる。

「・・・かくゆう、私の息子も、小さい頃から、毎年この風船祭りを楽しみにしているんです。なあ、タイガ」

中年男性は、大柄で真っ黒に日焼けしている。舞台の目の前には、ふてくされた顔のタイガの姿。その横には、ヒトシ。

「今年もこんなに盛大に風船祭りを開催できたのも、私の先輩である長谷川先生のお陰であります」

タイガの父は、ヒトシに笑顔を送る。ヒトシもまた、大人向けの笑顔を返す。

「先生のご子息であるヒトシ君は、息子の親友でもあり、また、栄えある第100代目の風船マンでもあります。さぁ、ヒトシ君壇上へ」


「おい、やるで」とヒトシはタイガに耳打ちする。

二人が壇上へ上がると同時に、「青」のメンバーが数人、一緒に壇上に上がる。

「お、友達もしっしょかい?」

予想外の事態に、松本町長が、疑問を投げかけるが、全員無視する。ヒトシが、町長から風船を無言で奪う。「青」のメンバーは、薄めの布を取り出し、その両端に、風船を均等に結び付けた。即席のブランコのようなものができた。

「ど、どういうことだい?一体、どうしたんだ?」と松本町長。

「黙っとれ」

「いや、町民の見ている前なんだ。ほら、皆、顔がはてなマークだ」

「黙っとれ。ほら、きたで。主役の登場や」


遠く、公園の向こう、地平から、ユウタとニムロドが走ってくるのが見えた。

同時に、二人の背後にパトカーの姿も見えた。


「止まりなさい!止まりなさい!」

巨大なサイレンを鳴らし、繰り返し警告する声が響いてきた。民衆たちは、異常事態に気付き、ざわざわと騒ぎ始める。一番騒いでいたのは、松本町長である。

「なんやなんや!なんなんや!中止や!中止!ヒトシ君!ほら、逃げて逃げて!」

「黙っとれや!」


「ニムロド。見えてきたぞ。心の準備はOKか?」

「OKです」というニムロドの足は震えているし、空は雲で覆われているが、目はまっすぐに太陽の方向へと向けられていた。

二人は走ったが、パトカーのスピードはそれ以上だった。公園の入り口に辿りつくタイミングは、パトカーと同じで、3台のパトカーから、ぞろぞろと拳銃を握った警官が現れた。 風船祭りに来ていた一般市民から叫び声が上がる。

「皆さん!その二人はテロリストです!速やかにこの公園から逃げてください!」と警官が叫ぶ前に、人々が散り散りに走り去っていく。

「ユウタはん!先行っといてください。一旦、わしがぶち飛ばしますわ!」

ニムロドの二の腕が膨れ上がる。ユウタが、ニムロドの頭をパシッと叩いた。

「ユウタはん!何しまんねん!」

「あほか!俺が風船貰いに行ってどないすんねん!主役はお前や!早く行け!風船祭りが中止になったらしまいや!」


風船ブランコを両手で持ち、二人をじっと待ち構えるヒトシ。そして、事態に気が付きうろたえる松本町長。

「ヒトシ君!危ないで!風船祭りは中止や!さぁ、その風船はなして逃げよう!」

「あほか!やっと主役が来たんや!帰りたいんやったら先帰っといてもらえますか?」

「そ、そんな。いや、ヒトシ君になんかあったら、オヤジさんにどやされるんや。たのむ」

「うっさいわ。オッサン!だまっとらんと、あのタレと寿司くっとったこと、おばはんに言うで!それでもええんか?」

松本町長は、腰を抜かし、地面にしりもちをついた。

「そ、それだけは、堪忍してくれ!頼む!」

土下座をして、頼み込む父をタイガはため息をついて見ていた。


警棒を持った警官がユウタとニムロドのすぐ背後まで迫っていた。

「ユウタはん!ワテがやったります!下がっといてください!」

「アホいうな!はよ行けゆうとるやろうが!」

「せ、せやけど!」

ユウタはニムロドの頭をまたはく。そして、しっかりと彼の目を見た。

「飛ぶんやろ!まさかお前、ビビッとんのか?いけや!太陽をみるんやろうが!もう目の前やないか!俺を守るとかあほぬかさんと、さっさと見てこい!太陽を!そんで、神さんによろしくいっといてくれ!こんなクソみたいな町を・・・俺らの風船町を、作ってくれてありがとうってな!ほら!いけや!」


ニムロドの背中を乱暴に押すと同時に、振り向きざま、駆け寄ってくる警官を殴った。

「さぁ、おっさんら!俺とおもろいことやろうやないか!」

ニムロドは振り向かなかった。ユウタの力強い突っ込みを追い風にして、全速力で風船の中心、ヒトシの元へと走る。

「さぁ、ニムロドはん!乗りやすいように、ブランコにしといたで!座って紐をしっかり握れ!」

「ありがとうございます」

ニムロドはブランコに座り、風船紐を両手でしっかりと握りしめた。一瞬、時が止まった後、ニムロドの足が、地面から離れる。


「おお!浮いた!」

ヒトシが叫ぶ。ニムロドは、数千年に及ぶ地面の束縛から解放される。


ゆっくりとだが、確実にニムロドは空中へと向かっていく。視線の先、警官たちともみ合うユウタの姿が見えた。得意の頭突きを繰り出しているが、大人たちには通用せず、すぐにぬかるんだ地面に体全体を押し付けられる。ユウタは必死に、泥だらけの顔を上げ叫び続けた。


「いけぇ!いけぇ!見るんや!太陽をみるんや!」


突風が吹き荒れ、無重力のニムロドをさらっていく。ニムロドは、最後に何かを叫んだが、ユウタもヒトシも内容を聞き取れなかった。色とりどりの風船に身を任せ、反逆者ニムロドは、風船町から遥か遠く、遥か高みへと消えていった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] とても面白かったです まるで映画を一本観終わったような満足感があります 作者さんがお話を通じて表現したかったこともよく伝わってきました。 [気になる点] それを踏まえた上でストーリーとして…
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