83話 迎撃準備
偵察から戻った俺を待ち構えていたのはアシュリンだった。
不機嫌さを隠そうともせず、形のよい眉毛が釣り上がっている。
俺はアシュリンの手に握られているものを見て不機嫌の理由を察した。
そこに握られているのは俺が出かける前に隠した下痢止めやら咳止めの薬だ。
(ああ、見つかってしまったか。だがこれは仕方ないだろう)
どう考えても今回の偵察に下痢止めは必要ない。
そもそも腹が痛くて動けなければ偵察に行くはずがないのだ。
案の定というか、顔を見るなりキャンキャンと俺に吠えかかるアシュリンにゲンナリしてしまう。
「な、なんで薬を置いていくんだっ!」
「いやいや、偵察に荷物が多いのはダメなんだよ。そんなことわかるだろ?」
俺だって戦場から戻って文句をいわれてはたまらない。
つい口調もキツくなってしまうというものだ。
互いにエスカレートし、口喧嘩になるまでに時間はかからなかった。
そして、俺とアシュリンが揉めていれば人が集まってきてしまう。
「じ、じゃあ、なんで隠していくんだよっ!」
「いい加減にしろよ、だからそれは気を使ったんじゃないか。いらないっていったらいったで揉めるだろ」
さっきから似たような会話を続けている。
こちらはうんざりしてるのに飽きないのだろうか。
「遊びじゃないんだよ、今は非常時だ。そんなことは後にしろ」
「そ、そんなこととはなんだっ! こ、こっちだって――」
俺とアシュリンがヒートアップしてきたころに、スケサンが「やめぬか」と割り込んだ。
「里長とその妻が人前で罵り合うなどあってはならぬ。フローラ、なぜアシュリンはここまで怒っているのだ?」
スケサンは当事者ではなく、傍らに控えていたフローラに説明を求めた。
フローラは2人目の子供を懐妊しており、柔の稽古はしなくなった。
だが、スケサンが手塩にかけた弟子の一人であり、信頼も厚い。
「はい、これはアシュリンさんがベルクさんに渡した咳止め、下痢止め、熱冷ましなどの薬をベルクさんが持っていかなかったからです」
フローラの言い回しに納得がいかない俺が「いや、少し違うだろ」と口を挟む。
しかし、スケサンに「黙っておれ」と止められてしまった。
「ふむ、だが物見(偵察)は身軽にするものだ。わざわざ熱冷ましや咳止めが必要とも思えぬが?」
「実は里の中に咳が止まらないお年寄りや子供がいるんです。感冒(インフルエンザ)や万年咳の可能性もあります。今はわずかな兆候ですが、女衆は皆で警戒しています」
感冒はわかるが、万年咳は知らない病だ。
スケサンが万年咳について訊ねると、フローラはよどみなく説明を始めた。
曰く、万年咳とは名前のとおり咳が止まらなくなり、重症化すると息がつまり命取りになる流行り病らしい。
はじめは風邪のように発熱や下痢を引き起こし、そのうちに咳が長期間止まらなくなる。
初期にしっかりと治療すれば重症化することは稀だそうだが、1人かかるとあっという間に拡がるらしい。
「アシュリンが怒る理由は理解した。アシュリンよ、里の中に病が蔓延する前に対策したオヌシは正しい。だが、今は人間が軍を率いて森に現れたのだ。今はそちらに注力したい」
「わ、わかった。男衆に館へ集まってもらうことにする」
アシュリンも少しだけ不満げだが大人しく引き下がった。
なぜか彼女は昔からスケサンの言葉には素直なのだ。
「ベルク、オヌシのいいたいことは分かるつもりだ。だが、ここは控えよ。戦の前に中で争う危険は承知しているであろう?」
「ああ、その通りだ、すまなかった。つい、な」
スケサンに指摘されてゾッとした。
古今、内部の揉め事で戦に敗れた例は数限りない。
俺とアシュリンがそこまで対立するとは考えたくないが、男社会と女社会の対立になってはまずいのだ。
争いの芽を摘んでくれたスケサンには感謝だ。
「気を使わせたな。軍議の前に情報をまとめるとしようか」
「うむ、数は少なくとも800だな。多ければ1000は超えるが、半数は非武装、もしくは軽装と見たがどうかね?」
おおむね俺も同じ意見だ。
トラ人たちは「もう少し少ないのでは」「いやもっといた」と意見をいっていたが、とりあえずは真ん中くらいのスケサンの見積もりで納得したようだ。
「次に作戦だが、俺は先ほどの戦いが主流になると思う。なにせこちらは少数だ」
「うむ、森での小規模な迎撃だな。こちらには疲れ知らずのスケルトンも、夜目の利く者もいる。間断なく薄く仕掛けるのがよかろう。敵を休ませてはならぬ」
スケサンは少しだけ間をおき「もう1つばかし提案があるが乗るか?」とイタズラっぽく笑う。
俺も骨の表情がすっかり分かるようになったのだ。
余談だが、最近ではホネイチも感情表現をするようになった。
「なんだ? 教えてくれよ。聞かなきゃ判断できないぞ」
「うむ、うむ、それもそうか。敵を迎撃しつつこちらに引き込むのだ。ごちゃ混ぜ里で仕留めるぞ」
スケサンの提案は大胆なものだ。
普通は本拠地には近づけないように工夫するものだが、真逆の作戦である。
このことを指摘すると、スケサンは嬉しそうに「うむ」と頷いた。
心底、戦が楽しみで仕方がないらしい。
「森の中では決定的な打撃を加えることは難しいだろう。薄く疲れさせるだけでは敵も引き際を決めかね長期戦ともなりかねぬ。そうなれば数の多い人間は恐ろしい。ここに誘い込み、決着をつける」
「なるほど、長期化したら後続の危険もあるか……こちらに引きつければ他の里への被害も減らせるしな。それに、この里なら人間ごときが1000人では攻略は不可能だ。よし、こちらの戦力を見せてやるさ」
俺はわざと口に出して考えをまとめた。
これはトラ人たちに聞かせる意味もある。
彼らも驚いていたが、考えを聞いて頷いているようだ。
そうこうしているうちにバラバラと男衆が集まるのが見えた。
皆が自前の防具で身を固め、得意の武器を持つ。
ある程度統一された武装のスケルトン隊はよく目立っている。
俺とスケサンは指揮官用の目だつオリハルコンの鎧兜に装備を改めた。
指揮官が目だつ格好をするのは伊達や酔狂ではなく、味方に位置を知らせる意味もある。
そして集まった皆の前で事態の説明をし、エルフが戦闘していたことも含めて交戦の手応えを語った。
トラ人はあまり喋りが得意ではなく頷いているのみだ。
集まった男衆は140人と少し、増強されたスケルトン隊を含めて200人ほどだろう。
中には戦闘が得意でない種族もおり、1000人と聞いて不安げな表情を見せている。
「人間の目的は明らかに征服だ。エルフも必死で抵抗している、これは大森林全体での防衛戦だな。だが、人間を怖がることはないぞ。数こそ差はあるが、あちらの半数はロクに武装すらしていない。戦力は勝ってるぞ!ずうずうしい人間どもを蹴散らしてやれ!!」
俺は「他の里も戦っている」「敵は弱い」と繰り返し伝え、気の弱い者の不安を和らげる。
油断も生まれるかもしれないが、怯えているよりはるかにましだ。
「うむ、里長からもあったように森の中で戦うならば戦力差はさほどでもあるまい。編成だが全体を4つに分ける。弓など射撃に長けた者、夜目が利く者、留守を守る者、そしてスケルトン隊だ。昼間は射撃を中心とし、夜間に襲撃する。私が率いるスケルトン隊は常に援護に回る」
スケサンの指示で皆が分かれ、何となく4つの塊となる。
全体訓練はほとんど積んでないのでガヤガヤした雰囲気だ。
弓が得意なグループはエルフのバーンとフィルが、留守はコナンとケハヤがまとめる。
夜目が利く者は俺が率いることになった。
「隊はホネサンジュウニまでは私が率いる。ホネイチは残りのホネシジュウシチまで率いて防衛に勤めよ」
スケサンもスケルトン隊を分け、練度の低い者は留守番に回すようだ。
人間がたびたび侵入したのでスケルトンの人数は増えたが、少し練度にバラつき
が出てしまったのだろう。
ちなみに今の隊員はスケサンを除いて47人である。
「よーし、やるぞ! 準備はいいか!?」
俺が全体に声をかけると「おー」とか「よし」みたいな返事がパラパラと漏れ聞こえた。
だが、無言の者が大半だ。
「こういうときは『準備はいいか』と訊ねたら『応』と大きな声で応えるようにな」
俺が改めて「準備はいいか!?」と問い直す。
すると全体からワッと喚声があがった。
盾をガンガン叩くもの、足踏みで音をたてる者もいる。
小勢だが士気は高い。
「よし! 留守番を除き、出陣だ!」
かくして、皆が出陣する。
目標は森、戦いの幕は切って落とされた。
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自前の武具
ごちゃ混ぜ里では武器や防具は基本的に自弁である。
これは種族ごとに体型などが全く異なり、統一が難しいからだ。
また、リザードマンのように金属の武具を好まない種族もいる。
しかしながら自分では用意できない者は裸で戦えというわけではなく、スケルトン隊のものが貸与されているようだ。
あくまでも自分に合った道具を使おうというだけの話である。