66話 防がれた悪意
ネストル一行を迎え、俺たちは里へ向かうことになる。
彼らは舟を守るために数人残るらしいが、これにスケサンが物言いをつけた。
「ここに残った者が武装してオオカミ人の里や他の拠点を襲撃しては問題になるぞ」
この指摘に俺は「なるほど」と頷いた。
舟に積まれた荷物の中に武器があれば荷運びも戦力になる。
たしかに警戒は必要だろう。
「よし、ヘラルド。続けて悪いがオオカミ人の里へ伝令だ。ここに人間が到着した、警戒を怠らぬように。そして可能ならこの場に何人か出してもらうように。俺からガイへの伝令だ。これは大任だぞ、復唱してみろ」
「はい、里長。里長からガイどのへ、人間がここに到着しました。警戒をするように。可能ならこの場に応援を出すように」
俺が「よし」と頷くと弾かれたようにヘラルドが駆け出した。
彼は大事な役目を果たすのが嬉しくてたまらないのだ。
「うむ、いい指示だ。一皮むけたか?」
スケサンが俺の方を見てニヤリと笑う。
これの表情を見て確信した。
先ほどの要領を得ない伝令はわざとである。
「スケサン、ヘラルドへの伝令でイタズラしたな」
「いや、本当はヘラルドへの課題だったのだがね。思わぬ効果があったようだな」
どうやらスケサンも伝令を育てることは考えていたようだ。
こんな緊急時にやることかといってやりたいが「緊急時だからこそ訓練になるのだ」とかいわれそうだからスルーしよう。
(まあ、今は人間たちだな)
さすがに彼らの前でスケサンと口喧嘩はできない。
「スケルトン隊を何人か残してくれ」
「うむ、ホネイチ、ホネゾウ、ホネゴ、ホネロクは残れ。状況に応じて交戦も許す」
スケサンの言葉に人間たちが色めきだち、コスタスが慌ててそれを制した。
どうもスケサンは人間に対して当たりがキツい。
単純に嫌いなのだろう。
そういえば、前回は窃盗事件もあったはずだ。
それを裁いたスケサンが人間に悪感情を抱いていても不思議ではない。
「すまんな、スケサンは里の安全を守るのが仕事なんだ。気を悪くしないでくれ」
俺はネストルに軽くことわるが割って入ったコスタスが「いえ、当然の用心かと」と愛想笑いをする。
こちらはこちらで前回の失態があるから必死らしい。
彼らは少し多めに留守番を残すようだ。
20人ほどが俺たちに同行する。
コスタスはしきりに「害意はない」と伝えてくるが、総勢30人近い武装集団を無警戒に受け入れるのは正直こわい。
無差別に暴れられたら俺やスケサンはまだしも、弱い種族は何人も死んでしまうだろう。
平気で盗みを働くヤツらが殺しをしないとはいえないからだ。
その懸念を伝えると、ネストルが「盗みとは?」と怪訝な顔をした。
「前回、コスタスどのの部下が里で盗みを働いた。里では人間に対する不信感が強いのだ」
スケサンが淡々と口にすると、ネストルが驚きで片眉をグッと吊り上げた。
どうやらコスタスのやらかしは知らなかったようだ。
護衛たちもコスタスに厳しい視線を向けている。
「それは……申しわけのしようもありません。ホネカバ卿の我らへの不審も当然のことです」
ネストルが頭を下げ、コスタスは縮こまっている。
もう少し誤魔化してもよさそうだが、コスタスの態度は『間違いありません』と白状しているようなものだ。
なかなか正直な男らしい。
「どうせ調子のいいことばかりいったんだろ? まあいいさ、里に行こう」
里へ向かうと、いつもは賑わっている広場がガランとしていた。
館を見ると防壁の上にズラリと男衆が並び、櫓の上ではエルフのバーンとフィルが弓を構えている。
皆がそれなりに武装しているのが見てとれた。
「ははっ、なかなか壮観じゃないか」
「うむ、稽古の通りにしているな」
俺とスケサンはのんびりしているが、人間たちはそうもいかない。
無人の里の中を落ち着かない様子で歩み、広場で向かい合った。
人間は20人。
こちらは俺とスケサン、それにコナンとスケルトン隊だ。
適当なツボをひっくり返して腰を下ろすと、人間たちの荷物が並べられた。
ネストルとコスタスはそれぞれ木箱を椅子がわりにして座っている。
「以前の無礼にもかかわず、このような席を設けていただき感謝いたします。偉大なる里長。我々は――」
ネストルが長々と口上を述べはじめた。
正直面倒くさい。
「前置きはやめよう。それで、なにが用件だ?」
俺が先を促すと、ネストルはゆっくりと、だがハッキリと「布教の許可と交易」と口にした。
「ふうん、布教ねえ。どんな神だ?」
「はい、我々が崇めるのは聖天の神です。神は唯一であり、その福音を――」
重ねて訊ねると、待ってましたとばかりにネストルが語りだした。
イマイチ理解できんが、聖天教ってのは人間に利益を与える神のようだ。
正直、人間以外が崇める意味は薄い気がする。
問題は『他の神々を認めない』ところだろう。
ここさえクリアできれば人間が人間の神を崇めるのは勝手にやればよい。
「この里は誰がなにを信仰するかは自由だ。そこに神殿がある。オマエたちの神も他の神々と共存できるのなら問題はない、そこに祀れ」
許可もなにもいつも通りだ。
だが、ネストルは俺の言葉を聞き、難しい顔をした。
「我々の信仰は唯一無二の神と共にあります。粗末でも構いませんので、別に神の家を作ることはできませんか?」
「ダメだ、特別扱いはしない。この神殿に祀ること。それに訊ねられたとき以外に信仰を語ることは原則で認めない。この神殿に祀られた神々と共存し、求める者に伝えるのは許可する」
人間の神も他の神々と同列に扱う……当たり前の話だと思うのだが、人間たちは不満のようだ。
他の生き物と人間を比べ、人間を特別扱いする神のみを祀れとはいささか乱暴な話だろう。
「人間の神とやらはずいぶん傲慢らしいな。まあ、いいさ。なにを信じるかは個人の勝手だ」
「……少々誤解があるようですが、このもつれた糸をほどくには少々時間がかかります」
ネストルは無表情のまま「これは時間をかけて説明をしなければなりませんが」と俺をチラリと見る。
さすがに面倒くさいので俺は「間にあってるよ」と手を振り断った。
「少し残念ですが、それならばこの話はやめにしましょう。こちらをご覧ください」
ネストルは会話を切り上げ、俺を促した。
見れば荷物の中身が並べられている。
荷運びたちが会話の最中に整理したのだろう。
「こちらは我々からの献上品です。交易の許可をいただければ、こちらの品々を持ち込むことになるでしょう」
「交易は構わないが、オリハルコンはそちらの希望通りに渡せないだろう。それでも構わないなら献上は必要ない。今回から交換することにしよう」
俺はコナンに「一緒に見てくれ」と声をかけ、並べられた交易品を眺める。
どれも珍物、よく分からないモノもあるようだ。
「これは……堅焼きのパンのようですね」
「うーん、この液体は酒だな。火酒か? かなり強そうだ」
俺とコナンの反応を見て、ネストルが「お試しください」と勧めてきた。
パンは驚くほど甘く、酒は喉を焼く強さだ。
「ケホッ、これは強いですね!」
「北の方で好まれる火酒だな。パンは蜂蜜じゃないな、砂糖か?」
コナンが酒精の強さにむせる。
火酒は火がつくような強い酒のこと、これは鬼人の里でも好まれたので知っているが、砂糖を食べたのははじめてだ。
砂糖の甘さを話に聞いたことはあったが非常に高価なものだし、贅沢を嫌う鬼人の嗜好には合わなかったので流通していなかった。
感動的な旨さだ。
「そうです、里長は博識でいらっしゃる。こちらは火酒と砂糖菓子です。次はこちらをお試しください」
ネストルはお世辞を口にしながら、煙の出る筒をこちらに差し出した。
「ん? これはなんだ?」
「これはタバコです。我々の国では鎮痛剤や気散じにこれを吸います。吸い口よりゆっくりと煙を吸い込んでください」
ネストルは筒の先を咥えるような仕草を見せ、俺に勧めた。
そして、俺が受け取ろうとした――その瞬間、骨の手が妨げた。
スケサンだ。
「これは阿芙蓉の毒だ。吸ってはならぬ」
スケサンは衝撃的な言葉を口にし、その筒を遠ざけた。
「スケサン、毒とは?」
「阿芙蓉はたしかに気散じにはなる。だが、強い依存性があり、癖になればそれなしでは生きていけない体になる。治療法はない」
スケサンは強い口調で「砂糖も火酒もそうだ」と吐き捨てる。
「砂糖、強い酒、阿芙蓉……全て強い依存性があり、この森では手に入りづらいものばかりだ。このようなモノが蔓延すれば里がメチャクチャになるだろう。いや、それこそがコヤツらの狙いなのだ。心の弱いものを嗜好品でいいなりにし、徐々に里への影響を強める。これは侵略だ」
スケサンの声は静かだが怒りに満ちている。
この剣幕には驚いたが、怒りを向けられたネストルもさすがに無表情ではいられない。
「……誤解です、この品々は我々の輸出品、それに間違いはありません」
「ならばオヌシらが火酒を飲み、阿芙蓉を吸え。その姿を見せ里の者への戒めにしよう」
この言葉を受け、ネストルは数瞬ほど悩んだのちに筒の中身を捨てた。
その姿はスケサンに降参したようにも見える。
「これらは癖になればやめ難い。そうしたころに供給を止め『欲しければ宗教を受け入れろ』と人間に都合のよい価値観で洗脳する……大方、そんなところだろうさ」
スケサンの言葉が本当ならば恐ろしいことだ。
いや、本当なのだろう。
その策略にスケサンが気づかなければ里は崩壊していたに違いない。
「その誤解は残念です。我々はごちゃ混ぜの里との友好を望んでいます。それは間違いありません」
「ふん、どうだかな。武器を持って現れ、図々しく信仰を強要し、毒を勧める。人間とは野蛮な種族だ」
スケサンの言葉はあくまで辛辣。
だが、俺も同感だ。
止められなければ毒を飲まされたのだ……スケサンが怒らなければ俺が怒っただろう。
交渉は決裂し、人間たちは荷をまとめて引き上げた。
その帰りしなに黙っていたコスタスが俺に近づき、頭を下げる。
「どうした? 今回のことは残念だったな」
「はい、いえ、あの……まことに厚かましいのですが」
コスタスは遠慮がちに俺に数枚の布切れを差し出した。
なにやら細かな模様が入っているが小さく、賄賂や献上品にしてはささやかすぎる。
「これはモリー嬢にお渡しください。彼女は人間の意匠を知りたがっていました。次に会う機会があればと、なにか見本をお渡しする約束をしたのです」
「そうか、それなら渡しておこう。すまんな」
この布切れからは阿芙蓉の臭いなども感じないし、問題ないだろう。
「また来いよ、今度は個人でな」
「はは……無茶をおっしゃる」
コスタスは顔を引きつらせるが、俺はわりと本気だ。
人間という種族は信用できないが、2度も顔を合わせたコスタスには親近感もある。
個人的な付き合いをするのなら問題はない。
スケサンが「オヌシがついてきてはまずい」というので、俺は里でコスタスを見送った。
「では、失礼いたします」
「うん、気をつけてな」
人間は俺たちに悪意を持って接したが、彼はモリーとのささやかな約束を果たしたのだ。
(……人間か、複雑で不思議なやつらだな)
ぼんやりと、俺は森に消える彼らを見つめていた。
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阿芙蓉
アヘンのこと。
ケシの実から採取した果汁を集めて乾燥させたものである。
精製しなくても鎮痛や鎮静に薬効があるために古くから薬として用いられてきた。
だが依存性があり、濫用による健康被害も深刻。
もちろん日本でも規制されている。