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22話 森の殺し屋

 雨季が来て1ヶ月ほどが経過した。


 この季節、雨は2日と空けることなく断続的に降り続ける。

 森が一気に蒸し暑くなり、不快極まりない季節だ。


「じめじめして蒸し暑いが思ったようなどしゃ降りじゃなくてよかったよ。春にすごいのあったろ?」

「あれは返しの雨だ。祖霊が雨季に向けて、そ、空の水瓶(みずがめ)を1度ひっくり返すんだ」


 今日の俺たちは狩に出ている。

 アシュリンと2人の森歩きだ。


「なんでご先祖さんは水瓶をひっくり返すんだ?」

「う、雨季に使う新しい水を溜めるんだ。古い水を1度捨てて水瓶をキレイにしてくれるから、空からの水は常に清らかなんだ」


 エルフの言い伝えなのだろう。

 しかし、あの長雨は毎年のことらしい。

 考えるだけでウンザリしてしまう。


「雨で動物も隠れてるのか? あまりいないな」

「うん、みんな濡れるのは嫌だから。で、でも木のウロとか、岩かげとかを狙えばいるぞ」


 アシュリンが岩に手をついて岩の裂け目をのぞき込んだ。

 その様子は尻をつきだしてこちらを誘っているようにも見える。


(なるほど、そう来たか)

 

 俺がそのままアシュリンの背中にのしかかると、彼女は嬉しそうに顔を上げた。


「こ、こらっ、なにしてるんだっ!?」

「エルフはこんな風に男を誘うのか?」


 少し意地悪をいうとアシュリンは形ばかり抵抗してみせた。

 本当に口で嫌がるだけだ。

 彼女は『俺からちょっかいをかけた』形にしたいときはよくこれをする。

 狩の最中でもよおしたが、恥ずかしくて自分から誘えなかったのだろう。


(まあ、素直に口でいわれたほうが戸惑うか)


 俺だって嫌いではない。

 互いに求めあい、キリがないからと1回戦で身を離した。


「も、もう。ベルクと一緒だといつもこうだ」


 アシュリンはぶつぶつと文句をいっているが、彼女は基本的に『いやだ、やめて、もっとして』なのである。

 1度サインを無視したら1日機嫌が悪かったので大変だった。


「でも見てくれ。岩の裏にカタツムリがたくさんいるぞ。こ、これは食べられるんだ」


 アシュリンが嬉しそうに摘まみあげたカタツムリを籠に放り込んでいく。


「おいおい、こんなの食べるのか?」

「うん、た、食べられるぞ」


 こんな気持ち悪いもの食べたあとでキスできるだろうか?

 愛が試されそうだ。


「あっ、ス、スモモだ。この木の実はおいしいからとりたい」

「そうか。肩車してやろう」


 こんな感じでイチャイチャしながらも食料を集めていく。

 この森はかなり豊かだ。

 少数で暮らしていくのは決して難しくない。


「そういえばエルフの里は50人くらいいただろ? 食べ物は大丈夫だったのか?」

「うん。あちこちに植えた木が食べ物をくれるし、た、食べれなくなったら分封するんだ」


 分封とは聞きなれない言葉だ。

 よくよく話を聞いていると、集団が増えすぎたら遠征隊のようなものを組織して離れた場所に新しい里を作ることのようだ。


「でも、今回は皆で逃げただろ?新しい土地であの人数は厳しいだろうな」

「うん、た、たぶん血族(バンド)単位で近いとこにバラバラになると思う」


 アシュリンの爺さんが生まれる前に何らかの危機があり、拠点を移したこともあったらしい。

 ワイルドエルフはその時その場所の都合にあわせて集散離合をくりかえすものらしい。


「じゃあ、里の他にもエルフの集落はあるのか?」

「あるぞ。あまり交流はないけど、ち、血が濃くなりすぎないように遠くの里と結婚したりするんだ」


 ここで言葉を溜め、アシュリンはじっとこちらを見つめる。

 その目は『なにかしらの言葉』を期待しているようだ。


(うわ、めんどくさいな……えーと、理屈じゃなくて感情だったか)


 俺はスケサンのアドバイスを思い出し「アシュリンが遠くに嫁がなくてよかった」と伝えた。

 多少、棒読みなのは勘弁してほしい。


「ほんとか?私と結婚して嬉しいか?」

「ああ、もちろんだ。アシュリンはどうだ?」


 こんな会話を他の誰かに聞かせることなんかできやしない。

 その後も「私も好きだ」「どれくらい好きだ?」みたいなどうでもいい会話をしていたが、ふとアシュリンの足が止まる。


「どうした?」

「この糞を見てくれ」


 アシュリンが盛り上がった土を弓の先で崩す。

 すると動物の糞がでてきた。


「土をかけて臭いを消すのはヤマネコの仲間の習性だ。こ、これは大きいぞ。ヤガーだっ」


 アシュリンは地面を這うようにヤガーとやらの痕跡を探る。

 普段の言動で忘れがちだが、彼女は立派な狩人なのだ。


「まずいな。あ、足跡が複数あるぞ」


 その表情からかなり緊張しているのがうかがえる。

 先ほどまでの弛緩した雰囲気はどこにもない。


「よくないのか? ヤガーとはなんだ?」

「や、ヤガーは森の殺し屋だ。大きなヤマネコみたいな姿で、音もなく忍び寄って一撃でイノシシをも噛み殺すんだ。見ろ――」


 アシュリンが示す泥には足跡がついている。

 たしかにヤマネコに似ているが大きさが尋常ではない。


「ほ、誇り高いヤガーは決して群れない。例外は子育てだけだ。子育て中のヤガーは気がたっていて危険だ」


 アシュリンがいうには里を襲うことはないが、単独で行動する狩人や子供が狙われることもあるらしい。


 エルフの里ではヤガーが現れたら狩人総出でヤガーの巣穴を探しだし狩りをしたそうだ。

 アシュリンが参加したヤガー狩りは3度。

 そのうち1度は子育て中のヤガーに逆襲され、何人も犠牲者をだしたらしい。


「こ、ここには足跡があるから、たどれば行けると思うけど……」

「雨季だからなあ。雨が降れば消えるか」


 ここで少し考える。

 まず、俺とアシュリンでヤガーを仕留められるかだ。

 ただでさえ子育て中のヤガーは狂暴だという。

 バケモノみたいな獣相手に俺の槍とアシュリンの弓だけでは少々心もとない。


(だが、子供や弱者が襲われるのなら放置はできまい)


 目が見えないウシカや、利き腕の上がらないコナン、生まれたばかりのウシカの子やそれを守る女ウシカ……彼らがヤガーに襲われてはひとたまりもないだろう。


「アシュリン、ヤガーの居場所に見当はつくか?」

「うーん、明るいうちは巣穴にいると思う。これだけの大きなヤガーなら木のウロは無理だ。ほ、洞穴や岩だなのかげを巣にするはずだ」


 アシュリンは巣穴の見当をつけて「あっちに岩場がある」と弓で示した。

 そこは俺とスケサンが出会った洞穴がある岩場だ。


「こうして糞をするのは縄張りを主張しているんだ。子育て中のヤガーは気難しい」

「わかった。だが、今は準備不足だ。1度戻るぞ」


 たしかに足跡が消えてしまうのは惜しいが、命あっての物種だ。

 巣穴の見当がつくのなら無理をすることはない。


 彼女は未練げにヤガーの足跡を見つめたが「わかった」と頷いた。


 俺たちは近くの木を削り目印をつけて拠点に戻る。

 行きと違い、口数の少ない歩みとなった。


「おや、お早いお戻りですね」

「や、ヤガーだ、ヤガーの糞と足跡を見つけた。子供がいるぞっ!」


 出迎えてくれたコナンもアシュリンの説明を聞き、顔色を変える。

 やはり危険な事態のようだ。


「バーンとスケサンは戻りませんが、方向が違うので大丈夫でしょう」


 コナンはアシュリンを落ち着かせるように語りかけ、カタツムリを受け取った。

 その様子に少し波立っていた俺の心も鎮まってきたようだ。

 彼の落ち着きぶりがありがたい。


「こ、コナン、なめしが済んだ革があったな?」

「いまやってるのは仕上げがまだですけどね。これはできてますよ」


 アシュリンは引ったくるようになめしが済んだ革を受け取り、なにか作り始めたようだ。

 その様子にコナンも肩をすくめる。


「じゃあ、カタツムリを水に入れときましょう。しばらくすれば粘りけがでますから1度水を捨てます」

「ほう、我らと調理が違うな」


 コナンとウシカも慌てた様子はない。

 彼らに危機感がないわけではないだろう。

 ウシカはよく分からないが、コナンの顔には緊張の色がある。

 いま騒いでも意味がないことを理解しているのだ。


(肝が太いやつらだな)


 2人とも体を壊す前はひとかどの狩人だったのだ。

 その冷静さが頼もしい。


 しばらくすると、スケサンたちが戻ってきた。

 猟果もあったようだ。


 その無事な様子を見て、俺は深く息をついた。




■■■■



ワイルドエルフの革なめし


文字通り、皮を柔らかくするから(なめ)しである。

獣から剥いだ生皮はそのままだと腐ってしまう、それを防ぐなめしの技術は古くから存在したようだ。

作中で裏すきした皮をアシュリンが灰水に浸けていたが、あれはアルカリ性の水につけて毛穴を広げ、毛を抜きやすくする工程(毛皮にする場合はこの工程はない)。

ちなみにワイルドエルフたちが行うのは脳漿なめしといわれる方法である。

ぬるま湯に同個体の脳を溶かした液を皮にしっかりと刷り込み、浸けることで皮を滑らかにすることができるのだ。

なめしが終わると煙で燻し、棒などでブラッシングをして完成(細かい工程は省略)


注※脳漿なめしはバクテリアを繁殖させ皮を柔らかくする方法のため、衛生上の問題があり健康被害があるとの説もあります。

古代からの伝統技術ではありますが、この作品は決して脳漿なめしを推奨するものではありません。


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