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「ベートーヴェンのなんて曲がオススメ?」
野崎さんは悪気も無く純粋な善意(これは俺が贔屓目で見ているからか?)から坂本紅葉にオススメの曲をたずねる。
ていうか演歌と民謡を好んで聴く坂本紅葉にクラシックなんて語れるのか?
そりゃあベートーヴェンの曲ぐらい学校の音楽の授業で誰だって聴いたことがあるさ。
だけども突っ込んだ話をすればボロがでる。
大丈夫か!?
「曲というか、革新性ですよね」
「か、革新性?」
坂本紅葉が口にした予想外の言葉に野崎さんは呆気にとられた。
おいおい、大丈夫か!?
「例えばベートーヴェンの代表曲とも言える『第九』の曲調は擬音を文字化しただけで共有できますよね。耳にしたことのある人同士であれば」
「たしかに、ジャジャジャジャーンって文字だけでも何人かは『第九』を連想するよね」
野崎さんは坂本紅葉の話に納得する。効果音だからBAN対策も万全だ。
クラシックだからそもそも著作権が失効してるか。いや、それ以前に歌詞がない。
「万人に受け容れられる曲調と音楽家を唸らせる完成度の高さ。それを両立させる革新性。まさに楽聖と呼ぶに相応しいと言えます」
なんだよなんだよ、演歌と民謡以外もしっかり聴いてるじゃねえか!
杞憂だったな。
「そう言われると久しぶりに聴いてみたくなるね」
野崎さんは興味深そうに相槌を打つ。
「めっちゃ喋るじゃん」
「坂本さんがこんなに話すの初めてみた」
「野崎さんは聞き上手だなぁ」
ヒソヒソと社員たちが話す。
せめて坂本紅葉の話した内容について語れよ。
それにしても『野崎さんは聞き上手』ってライトノベルの題名みたいだ。
上杉達也の『クラシックは苦手』という宣言に昔は共感したもんだけど、俺も久しぶりにクラシックを聴いてみるか!
「クラシックもいいもんだなぁ!」
バーベキューの後片付けを終えて、俺は坂本紅葉に話しかけた。
今しがたスマホでクラシックを聴いたばかりなので気分が高揚している。
「はぁ……」
坂本紅葉はさきほどとは打って変わり、全く興味が無さそうな返事。
「初めてクラシックを集中して聴いたけど感動したよ」
「あぁ……」
なにか腑に落ちたのか坂本紅葉は苦笑する。
「私はクラシックに興味ありませんよ」
「!?」
俺は予想外の言葉に面食らう。
なんだ? なにを考えているんだ!?
「いや、さっきベートーヴェンについて話してたじゃないか」
「あんなの、本の受け売りですよ」
吐き捨てるように坂本紅葉は言った。
「本の受け売りですよ、って……クラシックに興味が無いのにクラシックの本を読むのか?」
俺は愕然としながら質問する。
「ダメですか?」
「ダメじゃないけど……」