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 夏が終わろうとしているが、俺の夏で暑いのは通勤と帰宅時だけだ。

 家では冷房が利いているし、会社でも冷房が利いている。

 取り引き先におもむく事もあるが、取り引き先でも冷房は利いているのだ。


 俺の夏は暑くない。


 熱中症などどこ吹く風だが、不満が無いとは言い切れなかった。

 なぜか?

 上司が嫌な奴だからだ。

 自分のミスは他人のせい。

 他人の手柄は自分のもの。

 劇場版が無いからジャイアンよりも嫌な奴だ。

 

 そしてその嫌な上司のターゲットにされる事が多いのが他ならぬ俺だ。

 断わっておくが俺は自分の手柄がそんなに多いと自画自賛するほど若くは無い。

 まあ、手柄が無いとは言わないけどね。

 とにかくミスが起きると俺に押し付ける事が多い。

 関係無いミスまで押しつけてくる。

 

 とにかく俺はその上司、課長の村山が嫌いだった。


「根岸くん、今度の社員旅行楽しみだね」


 俺にそう微笑みかけたのは社内のマドンナ(廃れた表現か?)の野崎春香だった。

 ちなみに根岸ってのは俺の名字ね。

 根岸純也、独身、彼女募集中!

 

「そうですね」


 野崎さんはどうかって? 無理無理、社内の独身男性全員がライバルだもの。

 

「おい根岸! お前まだ仕事終わってないだろ!」


 村山は俺を怒鳴りつける。

 仕事が終わって無いのは俺だけじゃないのに。

 野崎さんと話をしていると、たいがい村山の邪魔が入る。

 俺と野崎さんは会話を切り上げ(始まったばかりだったが)仕事に取りかかった。



 それにしても、社員旅行は行くべきか否か。

 俺の務める企業は『ナックス』と言う名前だ。ガイナックスでもイナックスでも無い。

 こんな名前でも、業界内では大手だと言える。

 マスコット・キャラクターまで作られている。作られているというか、会社自ら作った。

 いや、それが普通か。

 その名もズバリ、『ナックスくん』。

……なんのヒネリも無い。

そのまま。安直。

こんなマスコット・キャラクターでもストラップなどのグッズになっている。勿論自社製。

ストラップは社員全員に配布されたらしいが、未だに着けている人を見た事が無い。

スマホにも鞄にも着けていない。俺だってそうだ。

包みから出す事も無く、押し入れにしまってある。

それでも、業界では大手だ。

 俺も大したもんだろ? 俺が務めているのは支社だけどね。

 

 で、なんで社員旅行の参加に二の足を踏むのか?

 課長の村山が嫌な奴だから。

 勿論それもある。

 でもそれだけじゃあ無い。

 

 俺の務める支社の社長は感化されやすく、自己啓発本やエッセイ、セミナーなどから『インスピレーション』を受けると社員にもそれを強要してくる。

 強要してくるというか、穏当な表現をすれば共有しようとしてくるってところか。

 で、今回は自然豊かな山奥で森林浴フィトンチッドって訳。


 まあ、悪くは無いかな。

 夏も終わりかけだし、せっかくだから汗をかくのも良いかもしれない。

 前々回のマラソン大会参加は地獄だったけれど、森林浴なら虫除けスプレーを持参すればそれほど嫌な事も無いだろう。

 そもそもマラソン大会参加は社員旅行でも何でもないが。

 

 結局、俺は社員旅行に参加する事にした。

 セミって儚いよね。

 一夏で相手を見つけなきゃいけないんだから。

 俺もセミに敬意を表して恋人づくりに励むとしますか!

 

 相手は誰かって?

 決まってるじゃん!

 野崎春香さん……!

 えっ? 無理無理って言ってたじゃないかって?

 まあ、そうだけど……ね。

 わりと好感触だと思うのよね、俺は。


 



 社員旅行の日。


 今日は野崎さんに自分から声をかけて、話題を提供する。

 事前にこの夏の流行をチェックしてきているから準備は万端だ。

 この夏の俺は一味も二味も違うぜ~っ!!!


 

 集合場所に行くと、すでに社員は大方集まっていた。

 すぐに分かる。

 野崎さんを中心に人の輪が出来ているからだ。

 ……邪魔だよ……。

 自然に話しかけようと思っていたのにさぁ、囲まれてるじゃん。

 囲まれているのに周囲の社員を無視して野崎さんに話しかけたら露骨すぎるし。

 一人ひとりに話しかけていたら新幹線の発車時間が来てしまう。

 

 まあ、俺はデスクが野崎さんと隣で常日頃から交流を深めているから一歩も二歩も他の男性社員と比較してリードしている訳だから。

 勝者の余裕で高みの見物と決め込みますか!

 まだ勝者になってないけど、予定ね。暫定一位。

 

 ……ん?

 なんだ?

 なんか……いる。

 いや、幽霊とかじゃなくて。

 ボッサボサの髪をした奴が突っ立っている。

 こんな奴いたか? と一瞬思ったが、よく見ると後輩の坂本紅葉だった。

 普段から影の薄い奴だが、業務と関係無い状況だと尚更だな。


 あ! あれは!!

 坂本の荷物に取り付けられているストラップは幻のストラップ『ナックスくん』!

 まさか活用している人間がいようとは……世界は広いぜ。


 坂本は社員の輪に入っていかず(いけずに、か?)、他の社員も坂本に話しかけたりしない。自分から誰かに話しかければ良いのに。

 幼稚園児じゃあるまいし、社会人にもなって人見知りなんて擁護のしようも無い。

 とは言え俺自身、良い気はしなかった。

 皆が皆、陽気な美女の野崎さんの方を向き、陰気で野暮ったい坂本には見向きもしない。

 勿論、俺だって坂本よりも野崎さんと話がしたいさ。

 でもね、良い気はしないのよ。天の邪鬼なだけかも知れないけどね。


「おはよう、坂本」


 そう言う訳で俺は坂本に挨拶をした。

 せっかくの社員旅行なのだ。みんなで仲良くした方が楽しいに決まっている。

 

「あっ、おっ、おはようございます」


 挙動不審な挨拶が返ってくる。

 あんまり関わらない方が良いかな?


「最近ウチの会社業績イイよな」


 ホントはウチの会社の業績がどうだかなんて一々チェックしてなんかいない。

 給料がもらえればそれで良いんだ、俺は。

 

「そうですよね! 不祥事も起きてないし、このままいけば業界のトップ3に割って入る事が出来るかも知れません!」


 先ほどのボソリとした挨拶とは違い、一気に捲くし立ててくる。

こう言うやつ、たまにいるよな。新歓とかで浮く奴。

 そして実際に坂本は社内で浮いている。影が薄いから浮き具合も分かりづらいが。



 出発時刻になり会話を切り上げると、視線を感じた。

 視線の先を見ると野崎さんがこちらを怪訝な目で見ている。

 俺が野崎さんを見た途端、野崎さんは俺から視線を切った。

 あれ? なんか失敗したかな?

 悩んでも仕方が無い。

 新幹線での移動中に新密度を高めよう。




「いやぁ、野崎くんのような美女と一緒の職場だと仕事にも張り合いが出るってもんだよ!」


 この不愉快な声は課長の村山。お前の仕事は部下イビリだろうが! 張り合いを出すな!


「いえ、そんな……」


 迷惑そうに答える野崎さん。


「まぁたまたぁ~、謙遜しちゃってぇ!」


 謙遜と言うか、拒絶しているだろ。


「やっぱりエリートと美女の会話は絵になりますねぇ~!」


 この生ゴミよりも悪臭のする下劣なセリフを吐いているのは村山の取り巻き、後藤だ。

 村山のどこがエリートなんだ?

しいて言うならイビリのエリート・村山とオベッカのエリート・後藤だな。


 そう、そしてこの会話から分かるように、俺は野崎さんと離れた座席にいる。

 俺の隣には坂本。

 なんなんだ、この夏? ……いつも通りか……。


「いやぁ、野崎くんはわが社のマドンナですねぇ!」

「後藤くん、マドンナじゃ古くて可哀想だ、わが社のスウィフトと言って上げなさい」

「わははははははっ! さぁ~すが村山課長! 一本取られました!」

「ははは……」


 困った顔で笑う野崎さん。

 下らないギャグで野崎さんを困らせるんじゃねえ!!


「今の、どう言う意味なんですか?」


 隣の座席の坂本が俺に訊ねる。


「スウィフトってガリバー旅行記の作者ですよね?」


 声をひそめて俺に話しかけてきた。あるいは声をひそめているのでは無く、ただ声が小さいだけなのかも知れない。


「ああ、そう言えばガリバー旅行記の作者もスウィフトって名前だっけ?

 でもそっちじゃなくて。

 アメリカにマドンナって言う名前の歌姫がいたんだ。いや、今も現役か?

 で、アメリカの音楽シーンを席巻している最近の歌姫の名前がテイラー・スウィフトって言うんだ」


 説明していて耳が赤くなるぐらい下らない冗談だ。


「そうだったんですか」


 納得する坂本。と言ってもボサボサの前髪で表情がほとんど読み取れないが。


「坂本はどんな音楽を聴くんだ?」


 本当は興味も無いが、俺が先輩だから率先して会話を続ける。

 バンプかラッドなら話を広げられるぞ。ユグドラシルは名盤。


「……演歌と民謡のCDしか持ってません」


 坂本は言った後に赤面した。


「……渋いね」


 他に言葉が見付からなかった。

 っていうか、CDかよ。

 まあ、俺もその世代だけど。坂本が社会人になる前にはすでにアイチューンだかアイポッドだかが普及してなかったか? どうでも良いけど。




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