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1 聖女イリーナ・その後

 ぐるるぉぉぉぉ……おおおおおおおお……んんっ……!


 夜闇に雄たけびが響く。


 魔獣が荒野をさ迷っていた。


 鎧のような甲殻に覆われた体と、虫のような節足。


 かつて聖女と呼ばれ、絶世の美貌を誇った女──イリーナ・ヴァリム。

 彼女はクロムの復讐により魔獣へと姿を変えられていた。


 そして『魔王軍の残党と戦え』という命令のままに、各地で魔族と戦った。

 攻撃力は低く、再生能力が異常に高いタイプのため、戦うたびに傷を負い、苦痛を負いながらも生き延びてきた。


 もうこれ以上戦いたくない──。


 毎日のように苦悩しながらも、イリーナはクロムの命令からは逃れられない。


 命を救ってもらうことと引き換えに、彼女はクロムの『従属者』になったからだ。

 主であるクロム・ウォーカーの命令は『従属者』にとって絶対である。


 イリーナは命令に従い、今日も魔王軍の残党を探す。


 ……が、最近はその残党があまり見当たらない。

 どうやら人間側と魔王軍残党との大規模戦闘があったらしく、その際に魔族の大部分は滅ぼされたようなのだ。


 だから、最近のイリーナは戦闘の頻度が減っている。

 ありがたいことだった。


 人間だったころは、さまざまな男を誘惑し、利用し、この世の権力の頂点に立とうと野心を燃やした。

 だが今は、生きているだけでありがたい。


 とにかく一日でも長く生き延びることだけを考え、イリーナはほとんど思考停止状態で日々を過ごしている。


 生きていながら、死んでいるような人生──。


(それでも……生きていけるだけで十分よ……)


「見つけましたわよ、魔獣!」


 凛とした声とともに、一人の女が目の前に立ちはだかった。


 黄金の髪を足元まで伸ばした美女だ。

 年齢は二十代前半くらいか。

 気品のある雰囲気に白いドレスがよく似合っていた。


(あの女は──)


 イリーナも見知った相手だった。


 七勇者の一人、ファルニア・リビティア。

 リビティア王国の姫であり、星属性の聖剣『ヅィルム』に選ばれた勇者である。


「この一帯の魔王軍残党はほぼ狩り尽くしました。後はお前だけ──」


 ファルニアが聖剣を抜く。


(ひいっ……)


 まさか勇者が出張ってくるとは。


 イリーナは恐怖に後ずさった。


(待って! 殺さないで! 私は人間よ! 聖女イリーナなのよ!)


 必死で訴えかけるものの、魔獣と化した彼女には人の言葉を発することなどできるはずもない。

 代わりに口から出たのは、どう猛な雄叫び。


「死になさい」

(ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!)


 イリーナは背を向けて逃げ出した。


 幸い、彼女に与えられた命令は『魔王軍の残党と戦うこと』。

 相手が勇者なら逃げることも許される。


「逃がしません!」


 背後からファルニアの放った衝撃波が、イリーナの体を傷つけた。


(ぐ、あぁぁぁっ、痛い! 痛いぃぃぃっ……!)


 激痛が走るが、スピードを少しでもゆるめれば追いつかれる。


 追いつかれれば、殺される。

 イリーナは必死に走った。


「待ちなさい! くっ、速い──」


 ファルニアがなおも衝撃波を撃ってくる。


 全身を傷つけられ、激しい苦痛を覚えつつも、イリーナは走り続けた。


 魔王軍がいなくなったところで、今度は魔獣として人々から狩られ、追い回されるのだろう。

 イリーナに安息の時が訪れることはない。


(どこで間違えたの……私は……)


 走りながら、イリーナは過去に思いを馳せる。


 もしも──クロムとあのまま結ばれていたら。

 彼を裏切らずにいたら、違う未来があったのだろうか。


 だが、時は戻らない。


 るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああっ……!


 後悔と絶望の雄叫びを響かせながら、魔獣イリーナは走り続けた。

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― 新着の感想 ―
[一言] まあ、そうなりますわな。 無事に逃げ延びたのやら。 ある程度、経過したら、犯罪奴隷のしてでも使役してやれば良いんでは主人公。
[一言] もしかして、イリーナvsユーノもあり得るのかな?と思いました。 どうなるか楽しみです。
[一言] イリーナのその後を描いてくださりありがとうございました、まだ命尽きてないようなのでまだまだ後日談出てくるのかなと期待せずにはいられません。楽しみにしてます
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