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徒然の猫  作者: 目様冬貴
第一部 王都編
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8話 血



「ふーーっ」


 頭が痛いから目覚めたのか、目が覚めてから後頭部に疼痛を覚えたのか、何にせよ意識が回復した私を襲ったのは頭痛だけではなかったのでどちらでもよい。


「ふーーっ…」


吐き気やら目眩やら挙げればきりがないが、気にかけるべきは…


「…ふぅーーっ…」


 …頭を打って昏倒し、目覚めたからといって事態が解決している訳ではない。赤子でない者が泣き喚いても何も変わらない。平たく言えば絶賛生命の危機真っ最中である。


「…ふぅーー……」


 全身に強烈な圧迫感、閉所特有の重く停滞した空気、恐らく複数箇所に裂傷と軽度の出血、視界には失明したのでもない限り光源は無く、それでいて私は五体満足であり、体の上に覆い被さり瓦礫の尖端から身を呈して私を護っているのは小娘に違い無い。


 我々は現在進行形で瓦礫の中に埋っているのだった。



ーーー ーーー



 我々が埋っている空間は、空間と呼ぶのも烏滸がましい程狭く、その狭さは寧ろ我々が瓦礫の一部となっている様な状態に陥っているが、それでも辛うじて、本当にぎりぎりの所で呼吸が出来ているのは小娘の挺身の賜物である事は疑いようも無く、そして手に触れる生暖かいぬめった液体が小娘の血である事もまた疑いようも無いのである。

 暗く狭い空間には噎せ返るような血臭が充満し、私に触れる柔らかい肢体は歪に曲がり、その肉を以て瓦礫の尖端を受け止めている事を肉越しに主張している。先程から聞こえる小娘の呼吸は徐々にゆっくりになり、今はまだ小康状態などでは無い事を本人の呼吸と反比例して強く意識させる。


「あら、起きましたか」

「………」


 意外にも力強い声を発する小娘の声音に危機感は含有されていない。


「…私を見捨てれば…お前だけならば助かったろうに」

「え、いや、勝手に心中しないでください。私は考え無しに埋まったりしませんよ」

「は!?」


 まさか、この状況から脱出出来るとでも言うのだろうか。


「あなたが寝ているうちに済ませようと思ったんですけど、もう少し強く床にぶっつけとけば良かったですね。」

「おい、おい、その、脱出する方法というのは、お前が自らの命を犠牲に〜とか、まさかそういった類いのやり方ではないだろうな…」

「これから起こることは、忘れてください。全て悪い夢だと思って、地上には持ち帰らないで」

「あぁ…」


 これは駄目だ。

 彼女の声は強い意志を持ち、絶対に引かないという頑固な決意が彼女を動かしている。

 私では彼女を止める事が出来ない。

 …そう思い込めば少なくとも自分だけは助かると、打算的な考えで彼女を止める事を諦めてしまう。今私が黙っていれば、彼女がどうなるかは分からないが、自分だけは助かりそうだと、頭の中がそれだけでいっぱいになってしまう。

 私は自分に落胆し、自分に憤慨し、しかし言葉でもって彼女を止めることはせず、まるで自己嫌悪が免罪符であるかのようにただ丸まって自らを責めるだけで、目をぎゅっと瞑って耳を塞いで、罪悪感から逃げ続けて…


 不意に、小娘の頭が触れている左の前腕に熱感を覚える。

 目を開けば、空間には光が充ちていた。小娘が発光でもしているのか?


「今回の騒動は多分、私がいたから起こったんです。私がいなければ、例え姫様が常連でもこうはならなかった…」


 小娘が光っているのではない。これは魔力である。変幻自在な形態を見せる魔力が光と同じ挙動をし、それを目が光と同じ処理をして発光しているように見えるのだ。


「あなたが生きて帰れるように…これから平和に過ごせるようになるために、私は…」


 まるで水が凍るような、若芽が種から成長するかのようなその光景を魔力で見て、束の間自身の醜さを忘失した。


 彼女の裡から迸る魔力に照らされ、その嫋やかな指は硬質の艶やかな甲殻に覆われる。折れ曲がった尾もまた内部から骨格が突き出し白く滑らかな甲殻に包まれた。背からは服を透かして噴出孔じみた突起物が生え、山猫のような耳は寝て半透明の樹枝状の白角が六つに枝分かれしながら前頭部を取り巻く。

 彼女の金色の瞳には焔の色が宿っていた。


 初めて目にするものでありながら、私はそれを一目で竜だと理解した。



ーーー ーーー



 小さな竜は私を小脇に抱えて飛行していた。背の孔から炎を吹き、月の無い夜空を流星の如き速さで飛ぶ。強い風を全身で浴びているにも関わらず、全く寒さを感じない。

 やがて竜は見慣れた広場に降り立ち、辺りをその焔の色の魔力で照らした。竜が石畳をかちりという音を立てて踏むと、その白い爪からは火花が散り、円状に炎の波が広がった。石は溶け、竜の周囲に火の粉が舞う。尾を振れば熱風が大気を焦がし、吐く息で私の髪がくしゃくしゃになった。

 私を地面に降ろすと竜は膝を突き、ゆっくりと、大木が倒れるように地に倒れ伏した。その途中で竜の纏った甲殻は、鱗は、炎は全て火の粉と消え、頬で感じていた炎の気配が冷えていった。そして辺りには冬の寒さと静寂が戻る。


 私は彼女の心臓の上に手を置き、その小さな体の中に眠る莫大な魔力が枯渇していることを知った。魔力を失うと人は、熱を失い、感覚を失い、体が思うように動かなくなり、心臓が止まる。魔力は食事をしてよく眠ればいずれ回復し、内臓から血管に乗って心臓へ集約され、全身を巡る。そして吐息から体表から発散されていく。


 私は塞がりかけていた手首の擦り傷を噛み、血にありったけの魔力を託して彼女の心臓の真上に垂らした。真っ白な彼女の体の中心が紅く染まる。

 長い間そうして血を流し、四肢から寒さが這い上ってくる。膝から下はとうに感覚は無く、腕を持ち上げる力が無くなって彼女の心臓の上に直に手を置いた。寒さで震えていたが、それもやがて収まった。


 辺りには夜明けの光が差し込み、暗い広場に植わった木々から長い影が伸びた。


 私は少し眠くなって、小娘に寄り添って目を閉じた。

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