6話 暮色蒼然の日
「まず何故この家を見つける事が出来たか、それを教えて貰いたい」
「…姫様が城下の書店に通っていることを知らぬ者は城には居ないでしょう。厳戒態勢が敷かれてから、もしも姫様がまた城を脱け出す素振りを見せたら、追って連れ戻す算段になっていました。しかし」
「失敗した、と云う訳か」
彼らも難儀な事だ。
「姫様を捜して城の外まで捜索の手を広げましたが、刺客にそれを勘づかれてもならない。当然、捜索は難航し…」
まさか姫相手に猟犬を放つというわけにもいくまい。いよいよこの男の胃が心配である。
「我々が途方に暮れていると、隊長がこの辺りで"手応え"を感じたと言うのです。他を隊員に任せ、隊長と私が調査する事になったのですが…」
副隊長がそこまで話すと、それまで姫を撫でくり回していた隊長が説明を代わった。
「副隊長は仕事はできるけどにぶちんだからさ、『私には分かりかねます』とか言って、そんでもって捨て犬みたいな顔するんだ!もう…しっかりしてよね?」
「面目無いです」
私はこの女性、というかどう見ても少女だが、とにかく隊長が苦手であるようだ。彼女と会話していると尽く調子が狂わされる。
「あー、この家をどうやって見つけたのか、それをどうかお聞かせ願いたい」
「うーん、周りと比べてこの家だけさぁ、なんて言うか、気にならないといけないのに全然気にならない感じ、かな」
「………」
にわかには信じ難いが、隊長は認識に齟齬をもたらす系に対して、というよりも恐らく魔法魔術全般に対して耐性があるのかもしれない。そも人間や生き物に影響を及ぼす魔法魔術を使ってはならないのだが、制度によって縛る事が難しい技術であるため軽視されがちである。
尤も、受ける効果は不完全だった様だが、だから破られるという程私の護りは甘くはない。『若くして隊長位にまで上り詰めた人物は一味違う』のか、『若き近衛隊長にはその地位に見合う奥の手がある』のか…少なくとも目前の二人に魔術の心得が無い事は確かである。森の人でもない限り、意識が"意図的に防御されていない"事は、魔術師でない事とほぼ同義である。となれば、やはり姫と同種の人間であるというのが一番短絡的で、しかし真実に近いのだろう。
「…有難う。済まないな、時間を取らせてしまって」
「いいよ。それじゃ姫様、戻りましょうか。忘れ物とか無いですか?」
「大丈夫。今日は突然押し掛けてすまなかったね。また遊びに来るよ」
「ああ、いつでも」
「んー?なんか晴れやかですね姫様。かわいいなぁ。いい事でもありました?」
「ふふふ…」
先程からやたら目に付くが、隊長は姫に対して距離が近すぎやしないだろうか。言動もそうだが、物理的に距離が近い。というか、常に密着している。姫も副隊長も隊長の異様な振る舞いを視界に入れないようにしているし、平素からこうなのだろう。
私としては回避出来る面倒は回避し、徒に眠る竜の尾を踏む事の無い方向性で話を進めたい所存なのだが、眠っていない方の竜がそれを許さなかったのは不覚ながら計算外であった。
「姫様と隊長さんって、とっても仲良しですね!」
言わずもがな、小娘である。つまらない話に飽いて茶菓を齧っていたが、それが終わるや否や首を突っ込んで来る。
そして私は本日二度目となる隊長の尋常ならざる踏み足を目にする。その人外じみた振り向き方に姫はびくりと身動ぎし、私と副隊長は不穏な雲行きを察して硬直する。一方小娘は目の前に隊長がぬるりと迫っても眉一つ動かさない。
「ほんと?そう見える?」
「はい。とっても。」
他愛ないやり取りだが、肝が冷える。
そして隊長の口から耳を、延いては正気を疑う衝撃の発言が飛び出した。
「君みたいなかわいい子が妬いてくれるのは嬉しいけどね、ぼくは姫様一筋なんだ。だから君の気持ちには応えられない」
「え?は、はい」
副隊長は頭を抱えていた。私もまた名状し難い気分になったが、窓の外を凝視して吹き出しそうになるのを堪えた。
長らく降り続いていた雪は収まり、雲の切れ目から久しぶりの晴れ間が遠くの空に見えた。
ーーー ーーー
日が暮れる前に城へ戻るべく姫一行は手早く帰り支度を済ませた。折角来たのだからと本を買おうとする姫を意外にも隊長がやんわりと窘めていた。
「姫様、今は非常時ですし、手ぶらの方がいいんじゃないかなぁ〜と思うんですけど」
「ここに来た時はいつも本を買っていたし…」
「今度来た時にすれば良いだろう」
「今、今買っておかないと無くなってしまうかも…それに、次に来られるのがいつになるかも分からないんだ」
「あー、一冊取り置きするくらい何と云う事は無い。まだ賊がその辺りに居るかも知れないのだから、今度にしておきなさい」
「そうですよ姫様。これで本は逃げなくなりましたし、早く出ないと暗くなっちゃいますよ」
隊長と二人で姫を説得している筈だが、なんだか隊長に認識されていないような気がする。文字通り眼中に無いのか、比喩表現でなく姫だけを見ているのだろうか。
「んん…次に来た時は必ず買うから、だからちゃんととっておいてね?」
「無論だ」
こうして、姫にまつわる厄介事は一時鳴りを潜めるのだが、すぐにまた動きを見せる事になるとは思いもしなかった。それがまさか今日のうちに起こるとは、ちらとも想像だにしなかったのである。想像していなかったからこそ、その事件は起こり得た。
ーーー ーーー
姫は無事に城へ辿り着いたろうか。しかし初めに襲われたのは城内だったらしいので、城が即ち安全圏と云う道理は通らない。いや、侵入されただけで襲われてはいないのだったか?
そういったことをつらつらと考えながら夕食の片付けをしていると、裏口の方から破砕音がした。続いて子供の呻き声。
私は物語の主人公のように善人でも正義漢でもないが、手の届く所に助けを求める者がいて、それを無視する程人間が腐っている訳でも無い。大層な御託を並べてはいるがつまりは普通に善良な一般人というだけであって、要するに裏口へ様子を見に行った。
外はすっかり雪も降り止み、鮮やかな夕焼けが西の空を彩っている。南北に抜ける路地なので西はよく見えないが、建物の隙間から差し込む夕日は薄暗い路地の雪だけを照らし、そこには子供どころか人の影形など無い。
その瞬間、私は恐ろしい可能性に思い至った。
今現在、護りは機能しているのだろうか?
簡易的な実験は何度も行っていたが、費用面から家を覆う規模の護りを起動したのは初めてであり、その上隊長に侵入されたことで何らかの不具合が生じていると見ていい。
つまり今この家は全く無防備であり、そこからのこのこと出てきた私は、存在しない子供に釣られて…
「くそっ」
慌てて振り返り、裏口の戸をくぐろうとした途端に、突然石畳が急勾配になってせり上がってきた。何度か見たことのあるその光景に、『ああ気絶するのだな』と頭で理解し、そして世界は暗転した。
少し短いですが、きりがいいので更新。
気絶したことのある人なら分かるはず…