追憶 雪の日
「ただいま父さん」
「おう、戻ったか。どうだ、説得できそうか?」
「それが、母さんの事を話しても『駄目だ』の一点張りで…」
「ふん…俺達の親父や爺いの世代はお前位の歳にゃあとっくに家なんか飛び出しとったのに…あの馬鹿め、そんなに御本尊が大事か。それか、力不足だと思われてんのか。一発殴れば許してくれるかも知れんぞ」
「そんなことしないよ…でも兄さんが帰ってくるのに間に合わなさそうなら、考えるべきかも」
「……もう、今夜出てもいいかもな」
「…いいの?」
「お前が殴るか、俺が殴られるかの違いだ。そう気にするこたぁねぇ」
「でも、それだけじゃあ…」
「…お前が生まれた時にな、家族で話し合って決めたんだ。もしお前が、自分の役目やら立場に関係なくやりたいことができた時は、こっちも自分の立場を捨ててお前にやりたいことをやらせてやるってな。俺も母ちゃんも、まだほんの餓鬼だったお前の兄貴も、それに賛同した。お前は周りに遠慮せずに、自分の願いを優先していいんだ」
「父さん…」
ーーー ーーー
「風邪ひくなよ」
「ひこうと思ってもひけないよ。」
「人間相手の喧嘩は手加減するんだぞ」
「うん」
「金は考えて使えよ」
「うん」
「妙な男に引っかかるんじゃあねぇぞ」
「大丈夫だよ。」
「…辛くなったら、いつでも帰ってきていいからな」
「うん」
「あとな、あと…」
「…泣いてるの?」
「……いい大人は泣かねぇんだよ」
「そっか…それじゃあ、元気で」
「お前もな」
「行ってきます」
「…おう」
ーーー ーーー
一年前、とある初冬の日のこと。
私は自分の店に読みかけの本を忘れ、暗くなる前にそれを回収する為に店の扉を開いた。
やたら細長い店内は既に薄暗くなっており、雪が降ったせいかとても寒い。寒いから雪が降ったのかも知れない。本を懐に入れて戻ろうとした私は、店内の異常に気が付いた。
正確には、店内というよりぎりぎり店外の、店の入口の扉の前に何者かが座っている。座り込んでいる。大荷物を背負っているようだが、動く様子も無いので警戒しつつ扉を開いた。
「何か用かね」
「あっあのっ、ここの従業員の方ですか?」
「店長だ」
大きな背嚢の裏から現れたのは、白毛金眼の小柄な獣人の少女だった。気温や季節感を無視した軽装である。その上背嚢には雪が積もっているにも関わらず、本人はさっぱりと乾いているようだ。
「何故ここに?」
「もう閉まっていたので、朝まで屋根を借りようかと…」
屋根。扉の上の庇とも呼べぬ僅かな出っ張りのことを言っているのならば、彼女は店の入口で一晩明かす積もりだったと云うことになる。いかな獣人でも雪の中に屋外で一晩とはいくまい。
「危ないとか、寒いとか迷惑になるとは思わなかったのかね」
「屋根が狭い店だなとは思いました」
「失礼だな」
「あの、ここで働かせて貰えないでしょうか!」
王都にはその腕っ節を活かしてひと稼ぎしようと上京してきた獣人が大勢いる。この少女もその口だろう。しかし、私の店を軍の施設か何かと思い違いをしているらしい。
「…従業員は募集していない。人手にも困っていない」
「お願いします!どこに行っても断られて、もう他にあたる所が無いんです」
「獣人ならば職には困らないだろう。軍なり用心棒なり傭兵なり、引く手数多の筈だ」
「私は、兵士や傭兵になりたくて王都に来たんじゃないんです」
この時私には二つの選択肢があった。一つはここから最も近い宿を紹介して、そこそこの距離の夜道を少女一人に歩かせること。私が送り届けるのは、獣人一人よりも襲われる確率が明らかに高まるので論外である。格好の餌食にされかねない。もう一つは、少女を信用し、ついでに信用してもらい我が家に一晩泊めること。こちらに関しては、私は職業柄特別な訓練を受けていない者の嘘はほぼ確実に見抜けるため、彼女がその手の者で無い限り危害を加えるような性質ではないと言い切れる。もし何らかの訓練その他を受けているのなら、目を付けられた時点で既に手遅れであるし、名も知らぬ何者かの恨みを買う理由も別段思い浮かばないので、ここは腹を括って後者を選択する。
「今日はもう遅い。君さえ良ければ、家に泊まって行くと良い」
「それは雇ってくれるということですか?」
「明日辞めるのなら今日雇ってもいいが」
「面白い冗談ですね。じゃあお言葉に甘えて今夜はお世話になります。明日以降のことは明日考えましょう」
「あ、あぁ」
言うが早いか、計画通りといった表情をした彼女は大荷物をよいしょと狭い店内へ押し込んだ。
この段階で、この小娘はかなり曲者であると気付いていた筈なのに、微妙に疑わしい境遇に絆されて寝床を貸してしまった。
この日から、腐れ縁とでも言うべき彼女との関係が始まったのである。
その後、驚く程大量の飯を食べて人心地ついた彼女は、様々な理由を付けて我が家に居候した。そしてありとあらゆる手段を用い、口から出任せの詭弁を弄し、私の良心に付け込んで従業員の地位を確立せしめた。
そうやって彼女のいる日々が日常となり、それを平和と捉えるくらいの時間が経ち、やがて一年が過ぎた。
内向的な私にとっては激動の日々であったが、それすらも嵐の前の静けさであったとは、この時の私には予想も出来なかったのである。
初投稿です。諸々至らぬ点があるかと思います。のんびり更新していく予定です。