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※虫描写注意。
豪華な部屋に一人残された私は、途方に暮れてめそめそしていた。
すると、またノックの音が響いてすぐにドアが開き、アレクさんが入ってくる。
このノックはどうやら入っていいかの問いかけではなくて、入るぞという合図だな。
って、そんなことはどうでもよくて。
「さて、ヤモリを飼ったことがありませんので、気に入ってくださるかはわかりませんが……」
そう言って、アレクさんは水槽のような四角い形をしたガラスケースを持ってきた。
その中にはさらさらの土が入っていて、木の枝もある。
たったこれだけの時間でここまで用意してくれたんだ。
すごいな。嬉しくないけど。
「確か、ヤモリは夜行性のはずですから、あまり日が当たらない場所がいいでしょうね……」
誰もいないのに、アレクさんは一人で呟きながら、置き場所を考え、窓から一番離れた棚の上にケースを置いた。
それをぼうっと見ていた私は、近づいてきたアレクさんに捕まえられてもなされるがまま。
いや、暴れる必要もないっていうか、ラルス様よりすごく優しく扱ってくれるから。
大きな手が心地いいくらいだよ。
「殿下は図書室ですかね? まったく。学ぶことはよいことですが、今のように図書室に籠もってばかりでは、根暗王子との呼び名も返上できませんよねえ?」
ええっと……。独り言、だよね?
どきどきしながら、私は黙ったままでいたら、アレクさんは何かに気付いたかのように、私をそっとひっくり返した。
いやー。恥ずかしい! お腹見られたー!
わたわたとしていたら、アレクさんはそっと私を棚の上のケース横に置いた。
はっ! でも、ガラス張りの壁面を登っている時は丸見え……。
「ちょっと待っててくださいね」
今さらな事実に悶えていた私に対して、アレクさんはまるで人間相手のように話しかけてくる。
だから私は素直に待った。
すると、戻ってきたアレクさんは何か小さな壺を持っていて、その中に指を入れて薄緑のクリームみたいなものをすくい取る。
それからぼうっと見ていた私をまた掴んで、ひっくり返し、両前足後ろ足に塗ってくれながら、何かを呟いた。
途端に、ひりひりしていた足のひら? から痛みが消える。
「火傷によく効く薬と呪文です。もしまだ痛むようなら、夕方にもう一度塗ってあげますね」
そう言って微笑むアレクさんはまるで天使のようだった。
いや、救いの神だ。
本当はお礼を言いたかったけど、もし発言してドS王子にばれたら、何をされるかわからない。
火あぶりはもう嫌だ。
だから、小さく頭を下げるだけにした。
気付かれたかはわからないけど。
それにしても、あのドS王子、根暗王子って呼ばれてるんだ。ぷぷ。
アレクさんはまた私を手のひらにそっと乗せると、ケースの中に手を入れ
た。
その好意を無碍にはできなくて、仕方なく私は恐る恐る手のひらから砂へと移動する。
うん? 意外と砂も悪くないかも。
そんなことを考えているうちに、アレクさんはまたどこかへ行ってしまい、またまたすぐに戻ってきた。
手に何か瓶のようなものを持っていて、アレクさんはその瓶をひっくり返して、ケースの中に何かを入れた。
すぐ隣でぼたっと音がして、そちらを見ると黒い虫。
『ぎゃあああああ!!』
声にならない悲鳴を上げて私はケース内を駆けまわり、黒い虫もパニックに陥ったのか、駆け回る。
いやだあ! こっちくるなあ!!
どうにか逃げようと、ガラスの壁面にジャンプしてへばりつく。
そうだ! こんな時にこの足はあるんだ!
あせあせと必死に壁面を登ると、未だに虫はごそごそしていた。
無理! 何の嫌がらせなの!
ううう、とケースの縁にへばりついて泣いた。
悲鳴が声にならなかったのは幸いだけど、もう嫌だ。
ヤモリでも何でも、私はここを出る!
そう決意したけど、アレクさんは少し屈んでじっと私を見た。
な、何?
「まさか……泣いているんですか?」
「……」
「生餌は苦手でした? そういえば殿下も特殊だとおっしゃってましたし……ひょっとして、死んでたほうがいいのかも……」
無理です。生きてようが死んでようが虫は無理です。
いや、人間だった時はあのくらいの虫、手で追い払ってたよ?
だけど、ヤモリになった今、大きいんだもん、すごく。
アレクさんはすっと起き上がると、瓶を摑んでケースに手を入れ、虫を簡単に捕まえてしまった。
うわ、素手で掴むとか。
追い払うことはしても、あんなふうに掴めたのは子供の時ぐらいだよ。
引いてる私には気付かず(当たり前だけど)、アレクさんは虫を瓶に入れ、部屋から出ていってしまった。
どうしよう……。今度は虫の死骸がくるのかな?
そう思うと怖くて、私はケースを離れ、壁を伝って本棚の中に隠れた。
壁と棚の間は、別の虫――蜘蛛とかいそうで嫌なんだよね。
部屋はさすがというか、きちんと掃除がされていて、本棚に埃もないし。
本棚の上をペタペタ歩き、背の高い本が数冊並べられた場所にたどり着く。
あ、棚と本とのこの微妙な隙間が良い感じ。
何となく落ち着いて、そこでじっとしていたら眠くなってきた。
昨日の夜は全然眠れなかったもんなあ。
「――リラさん?」
うとうとしてたら、いきなり呼ばれて、びくっと跳ね起きて、ゴンッと棚に頭をぶつけた。
痛い。
「ああ、こちらでしたか。リラさんの食事ですけど、リラさんの体の大きさから考えて、ひとまずはこれが良いかなと思い、持ってきました」
アレクさんは優しく微笑んで、私の目の高さに右手を持ち上げた。
何かを指先で摘まんでいるようで、よく見れば虫の足。
驚いた私はまた飛び上がって、棚にゴンッと頭をぶつけた。
「今はお昼ですからね。活動は夜のようですし、食欲がないのでしょう。これはお家に入れておきますね」
違う、違う。
そんなものケースに入れないで! というか、お家とか違うし!
ああ、でもせっかくアレクさんが用意してくれたのに申し訳ない気も……。
でも、無理!
私は何もなかったふりをしてそのまま目を閉じた。
痛む頭が現実だなんて、教えてくれているようだけど認めない。
これは夢。
きっと目が覚めたら、お父さんお母さんがいる家なんだ。
絶対に。




