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第8話 兄妹の境界と迎賓館への訪問

 ――そしてヒルダは、きわめて無警戒に、レントの言葉をそのままの意味で受け取り、頷いた。


「日が落ちぬうちに王都に戻るつもりだったが、そこまで言うのならば、レント殿の言葉に甘えるとしよう」


(……かかった……これでヒルダは、俺の質問に必ず答えなければならない)


 まだヒルダは、自分に起きた変化を自覚していない。

 しかし彼女の身体は、高位の魔法使いでも容易には見破れないほど、高度に隠蔽されたレントの魔力を帯びている。それはレントだけが確かめられる、催眠魔法が効果を奏している証明だった。


「ヒルダ殿、では侍従に案内させます。私も後ほど訪問してもよろしいですか?」

「ふふっ……やはり、私が滞在するうちに何か仕掛けるつもりか。改めて二人で話したところで、私は懐柔などされんぞ。明日になれば、この領地は明け渡してもらう」


 ヒルダはそう言い、踵を返す――サラリと揺れる金色の髪を美しいと思いながら、レントは同時に心に決めていた。


(大将軍を、俺に従属させる。第一段階が済んでしまえば、あとは第二段階、第三段階に進むだけだ。何も難しいことじゃない)


「……レント様、ヒルダ殿のところを訪問されるのであれば、私も……」


 セリアは皆の前ということもあり、レントを兄としてではなく、名前で呼ぶ。レントは微笑み、妹の気遣いに感謝しながら、それでも首を振った。


「いえ、一人で大丈夫ですよ。僕に任せておいてください」

「……はい。それでは、私は家で待機しております」


 セリアは子供の頃は、レントと周囲の女性との関わりについて察することはなかったが、十二歳のときに、レントにクリームヒルトが寄り添っているところを見てしまった。催眠をかけてクリームヒルトの願望を引き出してから、レントは折を見て、それを叶えることにしていたのだ。


 それからセリアの態度が変化したことに、レントは責任を感じている。しかしセリアはそのことを、自分は知らないという態度を貫いていた。


(それは、クリームヒルトさんが俺を甘やかしてるところを見てしまったんだから、気まずいよな……)


「……あ、あの……お兄様、私は何も考えておりません。お兄様がヒルダ殿のもとを訪問されることを、邪推してなどは、決して……」

「え、ええ……分かってますよ、セリア。僕は何も疑ってません」


 しかしセリアは、基本的には嘘をつくことができない性格だった。兄と他の女性の関わりに、ただならぬ関心を持っていることが隠せていない。


 それを自分への好意だと受け取ることはできない。半分とはいえ、血が繋がった妹であるのだから――それでもレントは、当面は妹と他の男性の交際を許せそうな気はしなかった。例え、妹に対して過保護すぎると自覚していてもだ。


 ◆◇◆


 ヒルダは領内の迎賓館に案内され、一泊することになった。


 大将軍の訪問を歓待するべきではと進言する家来もいたが、レントから領地を剥奪しようとしているのに、何を言っているのかと反論する者もいた。


 彼らにとっては、国から俸給を得ることと、レントから俸給を得ることには大差がなく、国王の勅命ならば仕方がないという考えの者も、半数はいたのである。


 執務室に戻ったレントが席に着くと、セリアは淹れたばかりの湯気の立つ茶を出す。今はクリームヒルトがレントの秘書官となっているが、彼女はレントの密偵を束ねる役割も担っており、護衛のセリアが私服に着替えて、秘書の代わりをしていた。


「ありがとう、セリア」

「……陛下の勅命を、甘んじて受け入れようという人も多いようですね」

「その気持ちはわかります。僕はまだ領主になったばかりで、善政を敷けるのかどうかは未知数と思われている。それよりは、王都で官吏として働き、国王や上流貴族の覚えを良くしたいと思うのは当然ですから」

「代々続いてきた伝統あるこの領地を、手放していいと思うこと自体が、私にはエドガルド家への裏切りであると感じられます」


 セリアは騎士ではないが、騎士のような誇りを持っている。彼女の正義感を未熟ゆえと評する者もいたが、レントは好感を持って見ていた。


「僕には時間が必要です。領主になる前に、もっと根回しをしておくべきだった……そうすれば、王都からけちをつけられることもなかったんですから」

「……父上は、お兄様に家督を譲るまでは、統治に口を出すなとおっしゃっておられましたから」

「それはそうですね。僕もそれに甘えて、好きなことをしていた……その分を取り返すためにも、ヒルダ大将軍には、理解者になってもらわなければ」


 レントは裏にある考えを伏せているつもりだが、それでもセリアの顔は、兄が考えていることを見透かしたように朱に染まっていく。


「……セリア、僕がヒルダ大将軍と懇意になると想像しているんですか?」

「っ……そ、それは……」


 セリアは思い切り動揺して言葉に詰まる。ひとたび剣を握れば凛とした剣士の顔に変わる彼女が、兄の前では、十四歳の少女相応に恥じらい、淑やかな姿を見せる。


 こんなギャップを日常的に見せられていたら、兄と妹という間柄でなければ、気持ちを抑えられていた気がしない。そんなレントの心中を知らず、セリアは黒い髪をかき上げ、しきりに耳に触りながら、必死に言葉を探していた。


「……お、お兄様は……どんな女性もとりこにしてしまうと、皆さん言っておられます。レント様とお会いすると、他の男性が目に入らなくなってしまうと……い、いえ、皆さま、お兄様との詳しい関係については、固く秘密にされていますが……」

「みんな秘密にしてくれているんですね。それは良かった、セリアが僕のことを嫌いになっては困りますから」


 レントは催眠を悪事と考え、それを使って周囲を支配していることについては、セリアには知られたくないと考えていた。しかし、今の状況では、隠し通そうとする方が不信を抱かせることになる。


 妹を護衛として近くに置きたいと思いながら、妹の信頼を失うことをしている――そんな思いもあったが、セリアはレントに対して、存外に寛容だった。


 彼女が気にしていることは、兄が他の女性と関わっていることもあるが、それだけではなかった。


「……私も、いつまでも、子供扱いされては……その、不満なのですが……」

「っ……こ、コホン。でも僕にとっては、セリアは可愛い妹ですから。年長者としての態度は、なかなか変えられませんよ」

「……意地悪です」

「セリアがそこまで言うなら……大人の女性に対する気持ちで、忠告しますよ。身体の線が出るような服は、たとえ僕しか見ていなくても、あまり着るべきではないです」

「……クリームヒルトさんは、お兄様の秘書をしているとき、身体の線を出されています。そのときは、秘書とはそういうものなのだと教えてくださいました。私は、それにならっているだけです」


 セリアは淡々とした口調でレントを論破しようとする。レントは妹が視線を気にして恥ずかしがりながら、それでもクリームヒルトに教えられた、身体の形が出る扇情的な服装を続けていることを理解していた。彼女は執務室を出るときは剣士の服装に着替えるのだから、兄に見せるためだけにそういった服を着ているのだ。


 大きすぎる胸の形、白くすべらかな足が見える短めのスカート。妹だと分かっていても、ふとした拍子にきゅっと形よく上がった豊かな尻が目に入ったりすると、レントはじりじりと欲情を煽られてしまう。


(僕が常に勃起しながら執務しているということを、妹が知ったらと思うと……むしろ興奮してしまうのは、僕が駄目人間だからだろうか)


「……その『秘書の心得』を、クリームヒルトさんに申しつけられたのは、お兄様です。そううかがっています。自分で言ったことは忘れないでもらいたいものです」

「い、いや、それは……実の妹である貴女に申しつけようという意図はないですよ」

「……半分だけですが」

「えっ……セリア、何て言いました?」

「半分だけです……お兄様と私の、血のつながりは。ですから……い、妹というだけではなくて、半分は、ひとりの女性であるというか……」


 セリアは細い指を突き合わせながら、何かを訴えようとする――いや、全て伝わっているのだが、レントは急な展開すぎてついていけず、目を白黒させる。


(このままセリアの話を聞いていたら、俺は妹に告白されてしまうのでは……?)


 血のつながりが半分とはいえ、レントにはそれは超えてはならぬ境界線だった。セリアは兄の当惑を察しながらも、言葉を撤回することはなかった。


「……で、ですから、半分ということです。お兄様、それよりも、大将軍の元を訪れるならば、今日の分の執務を終えてからにしてください」

「あ、ああ。セリアは、この領地を取られるのなら、仕事をする意味もない……とは考えないんですね」

「お兄様が、この領地を守ろうと言っているのなら、私はそれを信じます。それだけのことですが、何か問題でも?」


 本当に不思議だというようにセリアが言う。彼女の信頼は裏切れない、とレントは嘆息し、彼女の補佐を受けて執務をこなし始めた。書類を出され、中身に目を通し、判を押す。その繰り返しだが、兄妹の呼吸はぴったりと合っていた。


 レントはその日の夜、予定通りにヒルダの元を訪ね、彼女の宿泊している客室に通された。しかし、肝心のヒルダの姿がどこにもない。


(……まだ滞在して数時間だろうに、何だこのいい匂いは……いい女の条件ってやつを、あの大将軍は満たしすぎてるぞ)


 それはフェロモンと言っても良いようなもので、レントは覚悟を決めて乗り込んできたつもりが、戦意をいくらか削がれてしまう。


 しかし頬を叩き、顔を引き締める。異性を意識していることを悟られたら、その時は目的を果たすどころか、ヒルダに付け入る隙を与えることになる――それくらいのことを想像するだけの理性は残っていた。


 ――その時、背後でドアが開く。そして振り返ると、バスローブを羽織り、まだ濡れた髪を布で拭きながら入ってくるヒルダの姿があった。


「……大将軍殿、入浴されていたのですか?」

「ああ、風呂を使わせてもらった。この田舎ではろくな風呂にも入れないと思っていたが、なかなか大したものだ。水の質も良いし、湯の加減もちょうど良かった」


 本当に気持ちよかった、という顔でヒルダが言う。鎧を着ているときは武人らしい威圧感を感じさせた彼女だが、脱いでしまうと一回り小柄に見え、閉じきれずに開いたバスローブの袂から双子の山麓が覗いている。


(このつやつやの肌……王国最強の騎士といっても、鎧を脱ぐと綺麗な女性としか言いようがないな。眼光の鋭さは変わらないが……)


「レント殿は、怒らないのだな。訪問すると分かっているのに風呂に入るなど、侮られていると思われるところだろうが……勘違いしないでもらいたいが、私は常にこんなことをしているわけではない。もてなしたいというレント殿の好意を、素直に受けさせてもらっているだけだ」

「は、はい。そうしていただければ、俺も……いや、僕も光栄に思います」


 動揺のあまりに敬語が抜け、素のレントが顔を出す。それを見たヒルダはくすっと口元に手を当てて笑う――女騎士というよりは、それは若き貴婦人の仕草だった。


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