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第7話 大将軍ヒルダとの駆け引き

 レントは『王都の役人』が来ると聞かされていたが、衛兵が知らせた来訪者の名は、想定していないものだった。


 ウィズ騎士王国の大将軍、ヒルダ。彼女が直々に、国王の勅使として、辺境伯であるレントの元を訪問してきたのだ。


 ヒルダは手勢だけを連れており、領主の館には単独で入ってきた。レントは領主の館にいる部下たちを集め、一階で出迎える。


「あれが大将軍ヒルダ様……震えがくるほど美しい……しかし、その戦歴を知ってしまえば、とても女性としては見られませんね……」

「リヒテンターク、大将軍に聞こえないようにお願いしますよ。くれぐれも失礼のないように」

「はっ……も、申し訳ありません」


 レントは幼少からの忠実な部下が浮足立つのを制し、ヒルダに相対した。


「初めてお目にかかる、私はヒルダ・カーライル。大将軍の地位を預かる者だ」

「こちらこそ初めまして、私はレント・エドガルドです。伯爵の位を受けております」


 ヒルダは『黒騎士』と呼ばれており、全身を黒い鎧で包んでいる――しかし、セリアと同じように、胸が大きすぎてそこだけは装甲で覆われていなかった。


 彼女は赤みがかった髪を長く伸ばし、サークレットのような頭飾りを身に着けている。王国最強の武人でありながら、その容姿はレントも震えを覚えるほどに美しく、成熟した女性の色香が匂い立つようだった。


 そのヒルダの目が、レントを見て細められる。まるで値踏みでもされるかのようだが、レントは不快には感じない――美女に見つめられるのは、理由がどうであれ、彼にとっては悪いことではなかった。


「聞いていたとおりに、若いな。レント・エドガルド殿……まだ父上から爵位を継いでどれほども経っていないのだから、無理もないか」

「恐れながら、ヒルダ殿。私も父の背中を見て、一日も早く乗り越えたく思っております。若いということが、未熟ということと等価ではありませんよ」

「っ……お兄様……」


 ヒルダの言葉は間違いなく挑発であった。それを聞いても愛想を良くすることしかできない家来たちの中で、レントは堂々と、自分の矜持を言葉にする。


「……そうだな。私も十五の時には、騎士団の一翼を任されていた。そのときは、若い女騎士というだけで好奇の視線を向けられたものだ。その時の屈辱を忘れ、レント殿をあげつらうなどと、趣味の良いことではなかったな」

「い、いえ。こちらこそ……王国の盾と呼ばれるヒルダ殿に、差し出がましいことを言ってしまいました。申し訳ありません」


 素直に謝罪されるとは思っていなかったレントは面食らってしまう。そんなレントを見て、ヒルダは楽しそうに微笑んだあと、打って変わって態度を引き締める。


「回りくどく外堀を埋めるやりかたは、やはり私には合わないようだ。率直に伝えさせていただこう……レント・エドガルド。貴公の領地、エドガルド伯領を、国王陛下はじきじきに接収したいとおっしゃっておられる」


(――いつか来ると思ってはいたが。国王が大将軍を遣わせてきたのは、力で俺の領地をもぎ取るためか……!)


 レントと家来たちの間に緊張が走る。ヒルダは鷹のように鋭い瞳をレントに向けて、さらに言葉を続けた。

「エドガルド伯領からの税収は、我ら王国の監査部が把握している領内産業の状況を鑑みても、あまりにも少ない。先代のレイリック伯爵の寛容さは美徳ではあるが、取るべき税を取らず、領民にいたずらに楽をさせることは、国内の民が受ける待遇に差を生み、均衡を崩すこととなる。この領地を国王の直轄地として、ウィズ王国内の平均的な税率を導入し、商業・産業についても監査を入れる。レント伯爵、貴方にもどうかご理解を願いたい。家来と共に王都に来られれば、伯爵の地位に見合うだけの禄を用意しよう」


 レントの地位、そして家来を含めた生活を保証する。


 しかしそれを受け入れることは、王国に属しているとはいえ、決められた税さえ納めていれば、独立自治が許される状況を捨てることに他ならない。


 領主であり続けるか、それとも王都で与えられた館に住まい、官吏と変わらぬ暮らしを送るか。


(考えるまでもない。俺はこの時のために、ずっと準備をしてきたんだ)


 この世界に魔法があると知り、他の誰よりも高い適性があった分野――催眠魔法。

 どんな力の種類でも構わない。使えるものならば全て使い、欲しいものは全て手に入れる。


 例え相手が大将軍であっても、条件さえ満たせば、確実に従属させられる。そのためにレントは、『三つの詠唱句を別の手続きに置き換える』ところまで、催眠魔法を研究しつくし、完成させていた。


「返答を求めているのではない。これは、陛下がすでに決定したことなのだ。抵抗せずに領地を引き渡せば良し、そうでないならば、私はこのエドガルド領を接収するため、一万の兵を率いて戻ってこよう」

「っ……例え大将軍といえど、そのようなことが許されるものか……!」


 ずっと黙ってレントの側に控えていたセリアが、ヒルダの言葉に憤りを抑えきれず、腰に帯びた剣に手をかける。

 レントは手を上げてセリアを制する。そして、何でもないことのようにヒルダに告げた。


「陛下の命とあれば、すぐにでもこの領地を明け渡すのが家臣の忠義というものでしょう。それでも、無理を承知でお願いさせていただきたい。このエドガルド領を、私は一年で改革し、ウィズ騎士王国に必ず大きな利益をもたらします」

「そのために猶予が欲しいというわけか。その発言自体が、陛下の勅命に意見する無礼を犯していることを、承知で言っているのだな?」


 理性的に話していながらも、ヒルダの言葉はもはや脅迫に他ならなかった。

 国王の命に逆らうならばどうなるか――ヒルダはそれをちらつかせ、レント側の反応を、圧倒的な優位に立って見ているのだ。


 セリアは義憤に震えている。それは、レントの思いを知っているからでもあった――レントは、父レイリックに、このエドガルド領の繁栄を約束していた。


 兄が領主になったときに開かれた祝宴に出席し、兄の晴れ舞台を見て、日頃感情を見せない彼女が、心から喜んで微笑みを見せていた。


 レントは妹の思いを気遣うが、今は何よりも、ヒルダから温情を引き出さなければならない。言葉を一つ間違えれば、ヒルダは兵を引き連れて領内に侵入し、瞬く間に領主の館を包囲して、レントを反逆者として捕らえるだろう。


 家来たちの顔からは血の気が引き、何も言えずにいる。

 しかしレントは絶望などしていなかった。穏やかな笑みを変えることなく、ヒルダはその落ち着きを虚勢だと思っていたが、どうやらそうではないらしいと気づいた。


(この男……この若さで、私の威圧をものともしていない。はるかに年上の家来たちは、私の方を見ることもできていないというのに……)


「ヒルダ殿。私は決して、陛下に逆らうつもりはございません。ただ申し上げたいのは、私にとってこの領地、そして領民は、血肉にも等しい存在です。それを守るためならば、どのようなことでもする」


 ヒルダは何も言わずにレントの話に耳を傾ける。そのレントの言葉に少なからず勇気づけられ、俯いていた家来たちが、弱々しい表情ながらも顔を上げる。


「……どのようなことでも、と言ったな。それは、私の率いる軍と戦うということか。田舎の騎兵では、常に国境守備のために訓練をしている我が部下たちに勝つことなどできない。甘く見ないことだ」

「いえ、決してヒルダ殿と剣を交えることはしません。ただ、お願いをしているのです。一年では長いとおっしゃるのなら、それより短い期間でもいい。私に今しばらく、この領地を預けていただけませんか」

「これは勅命であるのに、それでも頼むか。言っておくが、私の一存でこの領地の接収を中止できるわけではない。全ては国王陛下の御心次第だ」


 会話の中で、レントは決定的な機会を探す。

 研究を重ね、辿り着いた催眠魔法の極意――それを使えば、相手は催眠をかけられたことに決して気付かない。


「……では、一日だけ返事を留め置いていただきたい。ヒルダ殿のために、最高の宿をご用意いたします」

「一日で、何が変わる。そんなことで誤魔化そうというのは、往生際が悪いな」

「ただ、長旅の疲れを癒やしていただきたいだけです。『どうか身構えずに、私どもにおもてなしさせていただけませんか。ご要望などお気づきの点がございましたら、ご遠慮なくお伝えください』」


 ――『其の心、我が心に通ず。なにごとも秘匿せず、我に明かせ』――


 その催眠魔法の詠唱句を、レントは口語に置き換え、会話の中で発動させていた。誰もそのことに気付かない――レントは膨大な魔力を持ちながら、その魔力を隠蔽する術を磨くことも怠っていなかった。


 詠唱句を別の言葉に置き換えて隠蔽する――その極意に達しているものは、この領内においてレントしかいなかった。


 彼が伝え聞く分には、呪文を動的に作り変えるなど、歴史上の魔法士ですらなしえていない、まさに神のみわざに等しい行為であった。


 ヒルダの返答が、催眠魔法の可否を決める。彼女が今レントの願いを聞き入れるということは、彼女が今後『なにごとも秘匿せず』レントに話さなければならなくなることを意味していた。


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