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第5話 揺りかごの安らぎ

 クリームヒルトは眼鏡を外してテーブルに置くと、まずどうしていいのか、という顔をする。


「……レント様、大変失礼いたしますが、一つお願いをさせていただいても……」

「はい、何ですか? 僕にできることなら、何でも言ってください」


 何か立場が逆転しているようで、そうではない。クリームヒルトは懇願する立場であり、レントはそれを満たす側なのだから。


 彼女は上着を脱いで畳み、レントの許可を受けてから机の上に置いた。上着を脱ぐと、一枚の長袖のシャツとスカートという姿になり、想像していた通りの胸の大きさに、少年は声も出せないほど圧倒されてしまう。


(なんて大きさだ……ちょっと動いただけでゆさゆさしてる。こんなに大きくなるのは、やっぱり遺伝だろうか)


 それを尋ねるのは男の仕方のない部分だと自覚しているので、レントは聞かずにおく。しかし、子供ならではの無邪気さに従うなら、その胸に飛び込みたいと思わずにいられなかった。


 それは自分の欲望を満たしているだけで、催眠魔法に必要のないことだ――とレントは思ったのだが。


 その自重を必要ないものだと言うように、クリームヒルトは座っているレントの前に身を乗り出すと、頬を染め、目をそらしながら囁いた。


「……レント様、よく意味が分からないかもしれませんが、抱きしめさせていただけますか?」

「っ……い、いえ。意味は、分かるつもりです」


 そう正直に言わなければ、クリームヒルトに罪悪感を持たせてしまう。ただでさえ彼女は、年の離れたレントと触れ合うことに、かなりの葛藤を持っているのだから。


 しかしそれは、葛藤の結果、気持ちを抑えるということにはならない。第二の詠唱句の影響下にあるクリームヒルトは、すぅ、と深呼吸したあと、レントの頭を抱くようにした。


 ふかふかとした胸に、レントの顔が受け止められる。赤ん坊の頃に体験した、あのすべてに許されているという感覚――この世界が優しいと感じていたあの頃を思い出し、レントは目を閉じてその感触に浸る。


「クリームヒルトさん……すごく安心します。こんなことを言っていたら駄目ですよね、僕はしっかりしないといけないのに……」

「これはわたくしがずっと望んでいたことなのですから、レント様はそれを聞き入れてくださっているだけでございます。わたくしの、わがままで……ああ……ずっと、こうしてさしあげたかった……」

「……僕のこと、いつからそんなふうに思ってくれていたんですか?」


 胸の谷間に顔がすっぽりと埋まってしまいそうになりながら、レントは顔を上げる。眼鏡を外したクリームヒルトは変わらず知的に見えるが、今はこの触れ合いに溺れ始めているということが、その目を見ればわかった。


(これが催眠……とろんとろんになってる。無防備というか、何というか……)


「……貴族のご子息の方々に対して、偏見を持っているわけではないのですが。王都の伯爵位より上の方々は、自分より身分が下の女性を、召使いか何かとしか見ていないようなところがありました。わたくしも、レント様にお会いするまで、そういったお考えでいらっしゃるかもしれない、と思っていたのです。ですが……」

「僕があなたを、そういうふうに扱わなかったから……ということですか?」

「い、いえ……正確にいうと、レント様が、私をお慕いになってくださっているのが、目を見て感じ取れていましたので。お母様とは、幼少のみぎりに触れ合うことが少なくなったとお伺いしていましたから、レント様は、大人の女性に甘えたいのではないかと……その心の隙間を埋めてさしあげたいと思ってしまっておりました」


(これは……催眠をかけなくても、時間をかけたら、こういうことになってたってことかな?)


 レントはそう考えるが、クリームヒルトの真面目さを考えれば、催眠魔法なくしては彼女の本心を聞くことはできなかっただろうと思い直す。


 人の心を知ることは、何よりも難しい。催眠魔法の強みはそこにもあり、今後心の読めない相手と相対したときにも、必ず役に立つだろうとレントは確信する。


「へ、変ですよね……わたくし、勝手に想像を膨らませて、そんなことを……レント様はしっかりなされていて、お母様に甘えたいなんて、思っていらっしゃらないのに……」

「……母に甘えるのは、もうずっと前に卒業してしまいましたが。実を言うと、クリームヒルトさんの言う通りなんです」

「……それは……わたくしの、言う通りということは……」

「恥ずかしい限りなんですが、僕はその……赤ん坊のころ、乳母の方々に優しくしてもらったことを、今も覚えていて。そのとき嬉しかったというのを、今でも思い出すことがあるんです」


 クリームヒルトはレントを抱きしめたまま、じっと見つめる。レントはいくら催眠をかけていても、おっぱいを吸っていた時期のことが懐かしいなんて、と怒られそうで、言ってしまってから緊張する。


 しかしクリームヒルトはふっと微笑み、もっと大胆にレントの顔を胸に押し付け、頭をかき抱くようにした。


「ふもっ……ふ、ふりーむひるとふぁん……」

「お母様の御身体のこともあって、乳母の方々に育てられたとうかがっておりましたが……わたくしが、もっと早くレント様のところに来られていれば、そのお役目も、わたくしがお務めすることができましたのに……」


 レントは抱きしめられ、顔を包み込む柔らかさと甘い匂いにくらくらとしながら、ようやく自覚した。


 今のクリームヒルトは、レントの全てを肯定してくれる。彼女の願望と、レントの欲求は一致しているのだ。


「ぷはっ……」

「……お苦しかったですか? わたくしの胸は、乳母の方々とくらべて、お気に召しませんか……?」


 アンナとレイラの二人は今でも伯爵家に仕えており、今はレントの母の従者となっている。レントとも屋敷で顔を合わせることはあるが、彼女たちはレントが子供の頃のことを懐かしむことすら、伯爵家の跡継ぎに対して気安い行為だと自重しているところがあった。


 だがそういったことは関係なく、彼女たちと比べても、クリームヒルトの胸にはレントを夢中にさせるだけの魅力があった。もっと遠慮なく飛び込みたい、そう思う気持ちをずっと抑え続けている。


 催眠を解くことができる最後の分岐点を過ぎて、レントは進むことを選ぶ。クリームヒルトの願望を満たしたあと、第三の詠唱句が効果を現したとき、何が起きるのかを見てみたい。


 何よりも、彼女と願望が一致しているのだから、進むことをためらう理由がなかった。


「僕は、もっと、クリームヒルトさんに甘やかしてほしいです」

「……はい。レント様のお許しをいただけるのでしたら……それでは、参りましょうか」

「勉強のあいまに、休憩に使って良いと言われている部屋があるので、そちらに行きましょう」


 レントはクリームヒルトの腕から離れ、彼女の手を取ってエスコートしようとする。


 その姿を見て、クリームヒルトは自分から彼の手を握り返した。


「わたくしに、少しだけお導きする役目をお譲りください。レント様……」

「……はい。そうでしたね、クリームヒルトさん」


 レントを愛でたい、その思いを叶えるために、レントは彼女に連れられて休憩室に向かう。仕事をしているメイドとすれ違って挨拶をするが、クリームヒルトは何でもないように会釈をしながらも、その手はしっとりと汗ばんでいた。


 ◆◇◆


 休憩室にはお茶を飲むためのテーブルと、休むためのベッドが置かれている。


 この部屋は、レントが十歳になってから新たに改装されていた。レントの父レイリックが若い頃に使っていた休憩室は、母との逢瀬に使われていた部屋でもあり、レントに同じ部屋を使わせるわけにいかず、別に用意されたのだった。


「レント様、お見苦しいものをお見せいたしますが、服がしわになってしまうと、メイドの方に一目で知られてしまいますので……」

「知られてしまっても、黙っていてもらうようにお願いはできます。でも、クリームヒルトさんがそう言うなら……わっ……」


 レントは思わず声を出してしまう。クリームヒルトは上着を脱ぎ、シャツのボタンを外して、下着だけの姿になってしまったからだ。


 彼女が何をしようとしているのか。それもレントにとって由々しき問題だったが、下着に収まりきらない双子の山の迫力に、目が離せなくなってしまう。


「も、申し訳ございません、こんなはしたないことを……」

「い、いえ。クリームヒルトさん、これから何をするんですか?」

「さきほどまで勉強をされていて、お疲れになったと思いますので……お昼寝をなさいませんか?」


 『お昼寝』のために服を脱ぐ。その意味は、彼女も添い寝してくれるということだ。レントはそう理解する。


「……僕も服がしわにならないようにしないとだめですね」


 クリームヒルトは何も言わず、座っているレントの上着を脱がせる。彼女恥じらいつつもレントへの興味を隠し切れず、視線をさまよわせていた。


(少年好きのお姉さん……すごい人に家庭教師になってもらってしまったな)


「……ズボンも、しわになってしまいますので……」

「は、はい。あっ、クリームヒルトさん、それは自分で……」


 そう言いかけるが、それもクリームヒルトの願望を満たすことなのだと気づき、レントは彼女のするにまかせる。


 裸ワイシャツに近い姿を、自分がすることになるとは思っていなかった。少年ならばいいが、大人はしてはいけない格好だ、とレントは自己評価する。


 クリームヒルトはレントの手を引いて、ベッドに横たえる。そして自分も横に寝そべり、レントに毛布をかけ、何も言わずに見つめる。


 初めは緊張していたレントだが、クリームヒルトと目が合うと、どちらともなく笑ってしまう。先ほどまで真面目に勉強していたのに、今していることとのギャップが大きく感じていた。


 しかしクリームヒルトの胸元を見てしまい、レントの心臓が跳ねる。先ほどはシャツの上から顔を触れさせただけだが、今はブラジャーのカップに収まりきらないほどのバストが、目の前に晒されている。


「……す、すみません。じっと見てしまって……」

「……乳母の方々と同じように、というわけにはいきませんが。レント様、こちらにいらしていただけますか?」

「えっ……こ、こちらにって……」


 クリームヒルトはレントを見つめながら、彼の顔の前に自分の胸が来るようにして距離を近づける。


「……わたくしの胸で眠っていただくというのは……いかがでしょうか……?」


 レントは顔を上げ、クリームヒルトの顔を見る。


 切実極まりないその目を見つめたあと、レントは何も言う必要がないと感じ、自分から動いて彼女の胸に顔を埋めた。


 直接触れる肌の感触は、服越しに触れたときとは比べるべくもなかった。最初は痛くさせないように顔を浮かせていたが、クリームヒルトはその必要はないとばかりに、レントの頭をそっと引き寄せ、力を抜かせる。


「……ゆっくりと、お休みください。お昼寝の時間が終わりましたら、起こしてさしあげます」

「……はい。ありがとうございます、クリームヒルトさん……」


 髪を撫でられ、それを心地よいと感じながら、レントは微睡みに落ちていく。


 とくん、とくんと伝わってくる鼓動。柔らかく、甘く、包み込まれるような優しさの中で、レントは昔を思い出し、全てを忘れてクリームヒルトの胸で眠った。


 ◆◇◆


 レントはその日を境にして、今までの剣術と学問の他に、魔法を鍛錬する時間を設けるようになった。鍛錬の場は、主に休憩室であった――屋敷の人々は、レントが勉強疲れをいやすために昼の休憩をしているのだと解釈し、水を差すようなことはしなかった。


 その後、クリームヒルトは家庭教師の務めを終えたあと、レントの魔法学顧問として、領主の屋敷に部屋を与えられて同居することになる。


 のちに地方領主にとどまらぬ歴史的評価を受けることになる、レント・エドガルド。彼に多大な影響をもたらした家庭教師であり、私的にも彼を支えた人物として、クリームヒルトの名前も史書に残ることになるのだが、彼女はまだそれを知らない。



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