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第2話 バルコニーの王女と、慎ましやかな妹

 異世界ローデシアにも月はあり、黄色みを帯びた満月が淡く輝いていた。


 その月の光を浴びて、二人の少女がそこにいた。


 ひとりは黒いさらりとした長い髪を持つ、凛とした空気をまとう少女。彼女は異世界人というよりも、懐かしい『大和撫子』という言葉を連想させる容姿をしていた。


 彼女こそが、レントの異母妹セリア・ラムズワースだった。


 彼女は妾の子であるため、エドガルドの姓を名乗ることを認められておらず、夜会に出ることも許されない。しかし、父レイリックはセリアの母を今も寵愛しており、特例として許可した。


 セリアが夜会に出ても、セリアの生まれを知る人々の集まるホールに居場所はない。そんなことにも気付かない父を無神経だと感じつつも、レントは曲がりなりにも父に簡単に意見できる立場にはなく、今日という日を迎えた。


 そしてもう一人は、銀色の髪を持つ、儚げな美貌を持つ少女。彼女が持つハープが、レントに彼女の方が王女なのだと気づかせた。


 そのころには、レントは屋敷に務める女性や、貴族の子女と話したりする機会があり、女性への接し方は慣れていた。


 そんな彼が、自分でも驚くほど、二人の少女を前にして緊張を覚えた。


 妹も美しいことに変わりないが、もう一人の少女は、それに勝るとも劣らない。今まで会ったどんな少女にも似ていない、神秘的だと感じるほどの美しさだった。


「レントさまでいらっしゃいますか? お耳汚しをして申し訳ありません。私はシルヴィナと申します」

「あ……こ、こちらこそすみません。演奏の邪魔をしてしまいましたか」

「いいえ、父上から皆様に披露するようにと言われていたのですが、私の我がままで、こちらで弾かせていただいていたので……こちらこそ、お耳汚しをいたしました」

「そ、そんなことは決してございません。シルヴィナ殿下のハープに、ホールの皆が感動していました。レイリック伯爵……僕の父も、来賓に王女殿下のハープをお聞かせいただいたと知ったら、とても感激すると思います」

「そうおっしゃっていただけると嬉しいです。まだ、人にお聞かせするほど練習できているか不安だったので……セリアさんに聞いていただいて、感想を聞こうと思っていたんです」


 夜会の場では、音楽の演奏、礼節に従った踊りを見せることが、貴族としての風格を示すことにもなる。シルヴィナのハープは、王女としての気品を示すには十分なものだとレントは思った。


 しかし王女の横で、レントの妹であるセリアは、所在なさそうにしていた。彼女はそういうところがあって、兄であるレントに過剰に遠慮してしまうところがある。


「……レント様、申し訳ありません。王女殿下のお傍に勝手に行くようなことは、もう二度としません」


 セリアは本当に申し訳なさそうに言う。

 謝ることなど何もないのに、とレントは思うが、この異母妹は生まれた時からずっと、自分を誇ることができず、謝ることばかりを繰り返してきた。それをレントは何とかしてやりたいと思い続けているが、なかなか状況を変えられていない。


 だが、妹の意識を変えるために、レントが努めて彼女に言い続けていることが一つある。


「俺はセリアの兄なんだから、もっと肩の力を抜いて接してくれていいんだ」

「あっ……は、はい。申し訳ありません、お兄さま……」

「謝りすぎるのも良くない。あまり、遠慮しないで欲しいんだが……」

「セリアさんは、レント様の妹だったのですね。私と同じように、賑やかなところが苦手で、バルコニーで話し相手をしてもらっていたんです。それで私、緊張がとれて、ハープを弾いてみる気になって……」

「そ、そうだったんですか。セリアが、殿下の話し相手を……」


 レントは妹に対しては家族らしく、王女に対しては、家臣としての忠義を示すために敬語を使う。本来ならセリアにも敬語で接するべきだと思うのだが、セリアはレントが丁寧な言葉を使うと、ますます恐縮してしまう。それゆえに、レントはセリアには今のところ、素の少年らしい態度で接していた。


 セリアはレントと共に剣術を学んでいるのだが、レントがまだ年長である分、彼女より力量は上回っている。

しかしセリアは、時折ひやりとさせられるほど鋭い太刀筋を見せることがある。それだけでなく、レントはセリアが『妾の子』として母に恥をかかせないよう、陰で努力を重ねていることを知っていた。


 そのため、レントはセリアが同年代の子供と親しく話すところを見たことがなかった。一つ年上のシルヴィナ王女と初対面で仲良くなったというのは、レントにはとても意外なことだと思えた。


「レント様のお話もしていたんです。伯爵家の跡継ぎとして、小さなころから、すごく勉強をされているそうですね。私も父に多く習い事を申し付けられていますから、勝手ですが、共感を覚えていました」

「い、いえ。僕は父に恥ずかしくないようにと、必死で……王女殿下と比べたら、僕のしていることなんて大したことではないです」


 九歳にしてこの聡明さを見せられれば、レントは感嘆せざるを得なかった。自分は異世界の経験を経て今の立ち振る舞いだが、王女殿下は本当に九年の経験しか持っていないのだから。


 しかし恐縮するレントを見て、シルヴィナは微笑む。


 見る者全てを恋に落とすような、可憐な佇まい。

レントは王女について、公の場に姿を見せることは少ないが、未婚の貴族の多くがシルヴィナの夫になりたいと、父親である国王に申し入れるほどであると聞いていた。国王はシルヴィナを溺愛しており、ますます人目を避けさせるようになったという。


 その彼女が、辺境とも言えるこのエドガルズ伯領を訪問したことは、奇跡といえる出来事だった。


「……レント様は、私のハープをお聞きになって、その……どう、思われましたか」


 他の人々の感想ではなく、レントの感想を聞きたい――王女はそう言っている。レントは素直に、思ったままを口にした。


「とても繊細で、美しい音色だと思いました。それは、王家に伝わる楽器だそうですね。楽器も素晴らしいですが、やはりシルヴィナ様の演奏で、良さが引き出されているのだと思います」

「これは、母から受け継いだ『月女神のアルテミスハープ』です。心を伝えたいという気持ちに応じて、音がどこまでも届くのだと言われていますが……私はまだ、そんなに上手く弾きこなすことができません」

「……そんなことはありません。お近くで聞いていて、震えがとまりませんでした」


 セリアがそんなふうに、自分の気持ちをはっきりと口に出すのは珍しいことだった。レントが引き出せなかったセリアの知らない一面を、シルヴィナは同年代の少女ということもあり、会ったばかりで引き出してしまった。


 この少女は、特別なのだ。王の血を引いているからというだけではなく――この領内では一人もいない銀色の髪といい、神秘的に感じられてならない。


 彼女はもう数年もすれば、もっと輝かしいほどの美貌に成長していくのだろう。まだ九歳にして、ドレスの胸はなだらかながらも確かに膨らんでおり、後の成長の豊かさを感じさせる。それは若干八歳のセリアも同じなのだが。


(……貴族が姫を娶りたいなんて、大それた夢だと思っていたが。お互いにまだ九歳なのに、俺は……この子を、手に入れたいと思ってしまっている。こんな俗人の俺を、彼女が選んでくれるはずなんて……)


 彼女が示してくれている、淡い好意めいたものを、レントは過剰に解釈してはいけないと思った。


 それよりも、もう会うこともできないかもしれないシルヴィナと、話しておくべきことがあるのではないか。そう考えた矢先、セリアが兄の考えを読んだように口を開いた。


「……王女殿下。先ほどの曲のつづきを、お聞かせいただけないでしょうか?」

「はい、私もそろそろ弾きたいと思っていました。レント様、よろしいですか?」

「は、はい。では、僕はこれで……」

「……近くで聞いていていただけると、嬉しいのですが。せっかくお会いできたのですから、これでお別れはさみしいです」


 シルヴィナの言葉に、レントは心を揺らされずにはいられなかった。


 ただ何となしにバルコニーに出て、いくつかの言葉を交わしただけで、運命という言葉を連想するほどに惹かれている。


「ありがとうございます、王女殿下。これほど近くであなたのハープを聞けること、光栄の至りに思います」


 兄に倣い、セリアも王女に頭を下げる。王女と家臣の子息――親交を深めることに問題のない間柄ではあるが、王女に護衛もなく、子どもたち三人だけで話ができるという自体が、重ねて奇跡といってもいい出来事であった。


 シルヴィナの白魚のような指先が、彼女が持つ小型のハープの弦の上を滑る。レントには、彼女がどうやって曲を奏でているのか、間近で見てもわからなかった――シルヴィナはただ、指を滑らせているだけに見えるのに、ポロン、ポロンと弦が弾かれて、流れる音色が耳を優しくくすぐる。


 ――ホールにいる人々が再び、シルヴィナの演奏を聞いて、感嘆のあまりに言葉をなくす。レントは目を閉じて、音色に身を委ねていた。


 そんな兄の姿を、セリアは直立したままで、じっと見つめていた。その瞳を、わずかに切なく潤ませながら。


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