第1話 領主の息子、九歳にして夜会に出る
乳母二人との蜜月とも言える期間は授乳期間を過ぎると終わってしまったが、レントは父である現領主・レイリックの跡継ぎとして英才教育を受け、一時は煩悩を忘れて勉学に打ち込み、『神童』と呼ばれるまでになった。
彼は前世での経験を引き継いでいたので、子供の頃の基礎的な勉学はさして難しいものではなく、算術などは前世の方が遥かに進んでいたため、家庭教師に教える機会すらあるほどだった。
しかし、このまま成長して領地を継げば、地位は安泰だと安心することはできなかった。
エドガルド家の十代目当主、父のレイリックはあまりにも人が良すぎ、側近を信頼しすぎていて、内政に疎い――領主として必要な要素が足りていなかったのだ。
レントが父を素直に尊敬できると思う点は、息子である自分の教育に熱心であること、そして嘘をつかないこと、家臣を大切にしていることだった。
しかしそれだけでは、この地方領を維持することができないということも、レントは成長するにつれて理解しつつあった。
ウィズ騎士王国は、エドガルド伯領を召し上げようとしていたのである。
レントの祖先であるランス・エドガルドがウィズ国王から領地を与えられた当時は、何も特産物のない田舎町だと思われていたのだが、山岳部の鉱山で、特殊な鉱物が取れることが発覚したのである。
それを知ったあと、王国はレイリックにことあるごとに無理難題を与えるようになった。要求する税を増やし、優秀な人材を王都に送るように強制させ、エドガルド伯領からは遠い北方の国境まで出兵することを要請し――もはや、衰退させることが目的だと誰もが分かっている状態でも、レイリックはそれに応じ続けた。
このままでは、レントが領地を継いでも、すぐに失うことになる。領地を失った伯爵がどうなるか――どこかの貴族家の領地の隅を借りて、田舎貴族として隠遁するような生活を送るしかない。
そんな生き方も楽なのかもしれないとレントは思うが、ある出会いをきっかけにして、どうしても領地を失いたくない理由が生まれた。
◆◇◆
レントが9歳のころのことである。領主の館で開かれる夜会に、初めて出席した。
ホールで踊る大人たちを見てきらびやかだと思いながらも、レントは夜会に出るために着ている慣れない華美な服が落ち着かず、目立たない隅で退屈を持て余していた。
すると、ホールがにわかに騒がしくなった――どこからか聞こえてくるハープの音に、集まった老若男女全てが耳を傾けている。
「あれは……シルヴィナ姫のハープでございますか」
「心が洗われるようだ……さすが、陛下のご息女であらせられる」
エドガルド伯領などという田舎に、本来訪れることのない貴賓――王女が訪れるなど、本来はまずないことだ。
しかし、この夜会が王国の功労者であるランス・エドガルドの生誕を祝うものであったため、王族が訪れることになったのである。
次期伯爵として音楽、美術などについても審美眼を養ってきたレントだが、今まで聞いてきたどんな音楽よりも、その音色は心を動かした。
その音は、ホールの外のバルコニーから聞こえてくる。王族の使用するハープの音だと気づいている貴族たちは、恐れ多くもということか、バルコニーに近づかず、遠巻きに見ているばかりだった。
どうしても、これを演奏している人物に会ってみたい。ふだん、そこまで直情的に行動することのないレントだが、今夜だけは違っていた。自分の護衛についている若い男性騎士に声をかける。
「リヒテンターク、王女殿下にお目にかかっても良いだろうか。私もランス伯の血を引く者として、彼女の言葉を賜れればと思うのだが」
「あのハープの音を聞いて、ご関心を持たれたのですね。レント様、王女殿下は御年九歳、あなたさまと同じお歳であらせられます。いつものおいたはなさらないものと思って、このリヒテンターク、進言させていただきます。今後のことを考え、ここでご挨拶をされることは、父上もお喜びになられるかと」
「ありがとう、リヒテンターク。では、バルコニーに出てくる」
十歳以上年上の部下に対し、九歳とは思えない風格を見せるレントを見て、来賓たちも注目する。彼に娘を嫁がせてはどうか、そんな声さえ聞こえてくるほどだった。
(俺が次期領主だからなんだろうな……一夫多妻だけに、娘をひとり俺に嫁がせれば、それで太いつながりができる。まあ、娘の気持ちも考えてもらいたいところだが)
九歳にして、レントの才覚は領内によく聞こえている。まだ少年である彼は、すでに領内の豪商、下位の貴族たち、そして領主の館に勤める多くの女性たちから、ひっきりなしに婚約を申し込まれる立場にあった。
もともと女性に対して多大な関心のあるレントが、その状況をただ喜ぶだけでなかったのは、彼がまだ子供であるからだった。
近い将来に領主の地位を継いだあと、領地を盤石にするための準備で忙しく、それどころではないということもあった。
そんな彼が、王女が奏でているというハープの音色には、自分でも理解できないほどに心を動かされた。リヒテンタークが周囲の注目をそらした隙に、レントは緊張しながらバルコニーに出た。