【上】茶トラと眼鏡とはじまりはじまり
いきなりだけど最初にひとつ、ちょっと面倒な大前提を話しておく必要がある。
この世界の事情についてだ。
ただいま西暦2000+10数年目。この世界にはおおよそ10代のみが罹る『性別が変わる病気』なる奇病がわりと身近にある(具体的には罹患者がそこらの学校に一人いるかいないか程度)。
その内容は簡潔。一度罹れば数日のうちに体が作り変えられ性別が変わってしまい、元の性別には絶対に戻れない。体が変わりきったら完治といえば完治。ある意味では不治の病。
だけどその奇病が初めて確認されてから40年ちょっと。「まぁちょっと体変わるけど、死ぬわけじゃないし」ということで、病気の研究や撲滅よりも羅患者に対する法整備やアフターケアの環境作りを中心に政策が進んでから40年ちょっと。
未だ治療法どころか病気の詳細すら不明瞭ではあるけれど、なんだかんだで「わりと珍しいよねアレ」くらいのもんで落ち着いているのがこの現代である。
さて、それを除けばこの話に必要な前置きなんてそう多くはない。
ひとつ。今の日本はむしっとした嫌な熱さ漂う初夏だということ。
ふたつ。オレはそんな時期の真っ昼間、それもせっかくの日曜だってのに姉貴の使いっ走りとして、おもーい荷物を両手にぶら下げて住宅街の上り坂をだらだら歩いていること。
そんでもって、みっつめ。
オレ、寅泰梓茶17歳の女子歴は、今日でちょうど50日目だ。
◇
なんの変哲も無い住宅街の緩い坂道だって、梅雨時特有のべたつく湿気と天気予報いわく「例年よりも調子こいてる」お天道さまのかんかん照りがあれば、ひとつの地獄へと様変わりする。右手に惣菜屋の弁当を、左手に今日の晩飯の材料をたっぷり詰めたレジ袋を持っていればさらに倍。
たとえ今オレの服装がホットパンツにTシャツといった風通しに隙の無い格好だろうと、谷間が蒸れるほどの胸がなかろうとも、暑いものは暑いし辛いものは辛い。
「あっつ……今ほんとに6月なのこれ? あー、なんだって"私"がこんなこと。あのクソ姉貴、こちとら文字通りピッチピチの乙女だってのに人をまだ男だと思っていやが――いや、やつなら相手が乙女だろうと幼児だろうと躊躇なく顎でこき使うか……」
暑さのせいか人通りが少ないのをいいことに、愚痴を撒き散らしながら歩き続ける。生まれて1ヶ月半近くの乙女の柔肌を不意に大きな汗の雫がつぅと一筋伝った……けれど不快感など微々たるもの。なぜならば、既に滝のような汗をかいているから。
汗そのものも大概ではある。でもそのせいで髪が頬に張り付くのが特に不快で堪らない。
自前の茶髪はまだ肩にも届かない程度のセミショートではあるけれど、それでもこういう日はペタペタ張り付くし、蒸れるし……とはいえ切る気はまったく無いんだけどね。オレは昔から髪の長い女性が好みなのだ。腰まで届くロングは浪漫である。
「でもロングでこんなあっつい中歩くのはなんか頭が蒸れそうだよなぁ……いや待てよ? わざわざ暑い日に外出歩かなきゃいいんじゃ……でも今のままじゃ絶対また姉貴にパシられる! くっそーいつか絶対に積年の恨みを纏めてのし付けて返してやらぁー!!」
恨みを込めてぶんと振った両手の買い物袋。さすがに一度金を払った手前、手加減はしてある。袋自体は振り子のように軽く揺れて戻ってきたけど、計算違いがひとつだけ。振り回したのは、さっきまでひいこら言いながら運んでいた重量物だ。
戻ってきた袋にぐいっと引っ張られる形で軽く後ろへとたたらを踏んで。
それだけなら「ああ危なかった」で済んだけど、バックしてしまったということは上り坂を逆走してしまったということで。
「え、ちょ、うそっ」
上りの逆は当然下り。加速した勢いに足がもつれた。描かれる未来予想図は、ホップ・ステップ・バックジャンプの逆三段跳び。着地点は砂場の代わりに太陽の熱をたっぷり蓄えたコンクリートという、文字通り熱い特別仕様だ。
エントリーしてしまったが最後、乙女の柔肌にはとてもじゃないが耐えられない惨劇必至の極限競技。
「タ、タンマ、待って、わー!」
極限競技にタンマなど甘えである。ゆえに哀れ断末魔を上げながらホップ・ステップをこなして、そのまま0点満点のバックジャンプを無様に決める……はずだったのに。
「へ……?」
背中に響いたのはコンクリの固い感触ではなく、半端な固さで衝撃を吸収したなにかだった。そもそもオレはまだ地面に両足をつけてるし、荷物だって無事だ。
「だ、大丈夫……?」
上から降ってきたのは声変わりこそしているものの、ちょっとばかり幼い印象を与える男の声。どうにも記憶の隅に引っかかる声だけど、とにもかくにもオレは誰かに受け止められたらしい。それを自覚すると同時に、直前のピンチのせいか急に心臓が急に激しく脈を打ちだす。
軽いパニックで真っ白な頭にドクドクと響く心臓の音。それに急かされたのか、それともなにかの予感があったのか。なんにせよ「とりあえず振り返らなきゃ」と思って、なにも考えずその直感に従った。
上から声が降ってきたなら、きっとオレより背が高い。
体は倒れかけたままだったので、とりあえず首をひねって肩をよじって。後ろへと振り返りつつ上を見あげる。見えた。
眼鏡を挟んでオレを見つめる、少し垂れ気味で穏やかな目が。細いフレームに囲われた、レンズの奥の黒い瞳が。
眼鏡の向こうとこっち側、ふたつの視線が交わって。
――白一色の頭の中で、ドッ! と一際大きい音が鳴り響いた。
続いて顔全体がカァッと一気に熱くなった。夏の熱気とは違う得体の知れない熱に浮かされて、口からは言葉ひとつろくに紡げない。
「はっ、あ、う……」
「え、えっと……」
オレの視界に映る瞳が、困惑に揺れている。どうしよう、なにか言わなきゃ。なにかってなに? なにも思い浮かばない。目を離せない。ならどうにかしなきゃ。えっとまず、目を、離して、
「ウワー!!」「うわー!」
声を張り上げ、体を跳ね上げ。
最初が極限までテンパったオレの声。次がオレを受け止めた"誰か"の驚いた声である。
弾かれるようにその場から飛びのきそして振り返る。視界が同年代の地味な男子の顔を捉えて、しかし振り返った勢いそのままに踵を返した。あるいは勝手に足が動いた。9割がた本能による行動。べつに顔がどうとかじゃなくて、とにかくその場から立ち去りたかった。
「し、失礼しましたぁぁぁぁぁ!!」
自分でも意味の分からない捨て台詞を口走りながら、火事場の馬鹿力で重い荷物を振り回してとにかく逃走。走った先の曲がり角に飛び込んで、助けてくれた彼の姿が見えなくなった途端、オレはその場にしゃがみこんでしまった。同時にドサリと荷物が地面に投げ出されるが、それを気にする余裕が今のオレには無い。なにせ……
「……なんだったんだ、あれ」
全力疾走のせいなのか、別のなにかが原因なのか……なんにせよ、心臓がうるさいわ息も上がってるわで一体全体なにがなんだか大混乱。それでもはっきりと脳裏に焼き付いている確かなものが、ひとつだけあって。
ほんの僅かに交差した視線。少し垂れ気味の穏やかな目つき。困惑に揺れる黒い瞳。一瞬が焼き付いて永遠となり、心臓が打ち震えるこの衝撃……。
不意に浮かんだひとつの名称。どうやらこの気持ちの正体を、オレは知っていたらしい。
「これってもしかして、恋……?」
チィチィピヨピヨ。どこか遠くで鳴る小鳥の声に身を預けること約10秒……
「――んなわけあるか暑さのせいで頭沸いてんの"オレ"!?」
その場で頭を抱えて叫ぶ。頭についた手が硬質の感触を返した。
髪を留めてるのではなくオシャレとして髪に付けているだけの、茶トラ猫の顔をデフォルメした髪飾り。
オレにとってのトレードマークみたいなものでもあるんだけど、今は地味に刺さって地味に痛くて、ほんの少しだけ頭が冷えた。周りを省みる程度には。
ゆえに顔を上げてみれば、車道を挟んで向かい側。犬の散歩中だったお爺さんはおろかその飼い犬までもが目を丸くしてこっちを見ていた。とりあえず営業スマイルで事なきを得てから、再びその場で考えなおす。
「いや、いやいやいや。だって相手男じゃん。オレまだ女子歴2ヶ月無いじゃん。男時代の秘蔵のお宝だって未だに厳重保管してある程度には男の心を忘れちゃいないよ? 今一番楽しみな授業は体育だよ? は? なのになんであんなパッとしない感じの男に、いやもしあれがイケメンだとしてもだ! あんな、ひ、ひと、一目惚れ、みたいな……」
思考が口から駄々漏れになるのを気にかける余裕すら無い。何気に自慢の二重まぶたがガッとこじ開く。思考の沼にどっぷり浸かる。
つい2ヶ月ほど前まで「やっぱ女の子は髪長い方がいいよな! さらりと風になびいて、手で梳いたら気持ち良さそうなあの感じ……あと胸はやっぱり大きい方がいい。いや厳しくは言わないけどいつだって大は小を兼ねるものじゃないか。あ、さっきから即物的? 足とか鎖骨も見ろ? いやそういうのも大事なのは分かるけど、ほらやっぱ初手のインパクトはなんだかんだで重要だし(以下省略)」とか喜々として同志たちと語り合ってた側のオレが、たった一回助けられたからって、男なんかに一目惚れ?
「ありえない。絶対ありえないけど……でも、もし万が一今の気持ちが"そう"だとしたら……」
沼から浮き上がってきた結論はただひとつ。
「もしかしてオレって、ものすごくちょろいんじゃ……?」
◇
自宅で姉貴に問いかけて、返ってきた最初の一言は「は?」だった。
それも「なにを言っているのか分からない」じゃなくて、「今更なに言ってんだこいつ」という意味の「は?」だった。
人が汗水たらして帰ってきたばかりだというのに冷房の効いたリビングのソファーでだらけ、これみよがしに棒アイスを咀嚼してる口で姉貴は言った。
「そりゃお前はちょろいだろ。むしろようやく自覚したんだ?」
「ざっけんなオレはちょろくないわ!!」
反射的に飛ばしてしまった否定の意。向かい合う大きくて力強い目が、肉食獣のように鋭く光った。
「お? 自分から聞いてきたくせに、答えてやった人の好意を無碍にするとはいい度胸だなぁトラ」
同じ苗字の姉弟……じゃなくて姉妹なんだから、アンタだって『トラ』じゃないか。あだ名で呼ばれる度に思うけど、今更な話なのでそっちはスルー。
燃え盛る炎のようにぼさつき赤みを帯びた茶髪が無駄に似合う横暴な姉に、オレも負けじと張り合う。ちなみに一応こいつも結構なロングヘアーだけど、これは別枠だ。無論、悪い意味で。
「自分でそう考えるのはともかく、人に言われるのは嫌なんだよ! つうか仮にも姉ならもうちょっと気遣いぐらい見せやがれってんだ」
「包み隠さず正直に言ってやるのも年上の甲斐性ってもんだろ。で、相手の男はどうだったよ。イケメンだったか?」
「えっ。べ、べつにそんなかっこよくは。むしろ地味な方というか……って、はぁ!? な、なんで、まさか、見て!?」
「あっはっはっはっはっ! いきなり変なこと聞くもんだからカマかけてみたらマジで当たってたよ! だからちょろいんだよお前は!」
「~~!!」
「どうせトラのことだからちょっと危ない目にあったところを偶然助けてもらっただけでころっとオチたとかそんなんじゃ――おいおい耳まで真っ赤じゃんかあははははマジで当たってんの!? トラ、お前ほんとなんていうか……完璧だなぁ!」
「今すぐ死ねこの完璧なクソ姉貴ぃぃ!!」
握りしめるは足下のクッション。怒りと共にスローイン! だけど姉貴はソファーに据え置きされてた方のクッションであっさりガード。オレの投げたクッションが、ぽてりと虚しく地に落ちた。
一方の姉貴は、その無駄に立派な長身と無駄にでかい胸を揺らしに揺らしてウハウハと遠慮なく笑い続ける。タンクトップにジーンズという薄着ゆえに色々と目立つが、色気余って憎さ百倍だ。
とはいえ男の頃でさえ五分五分だったのに、女になった今じゃ腕力で敵う余地が無い。クッションも片手間に防がれたし……! ならばせめて言い負かされまいと、反骨精神を言葉に乗せる。
「勝手に勘違いすんな! オレは決して男に一目惚れなんてしてないし、まだまだ心はスケベ男子だい!」
「いや。そんなん胸張って言うことじゃあないと思うけど、も……」
姉貴の目がオレの足下に向く。
「な、なにさ……」
目線がオレの足下から、ホットパンツ、Tシャツ、平均より若干控えめな胸へと徐々に徐々にせり上がる。二重まぶたを通り過ぎ、セミショートの茶髪にまで視線が向くと、最終的に髪に付いている茶トラ猫の髪飾りに目が止まり、やがてそこから視線を離して言った。
「前々から思ってたんだけど男だなんだと言うわりに、お前わりと女楽しんでるよな。口調だってたまに素に戻るけど、結構ノリノリで変えてるし」
それを言われると否定はできない。今日も一応外出用に多少なりとも考えた服を着ているし、ぶっちゃけると今の自分はそこそこ可愛いんじゃないかという自尊心もある。口調だって姉貴の言うとおり、誰に強制されたわけでもなく自発的に変えている。だけどまぁ、なんつうかそれって。
「いやだってさぁ、逆に考えてみ? 姉貴がうっかりイケメンなったとしたらさ、イケメンっぽい立ち振舞してみたり男にしかできないことしてみたりさ……したくならない?」
「あー、それ言われると……分かるわぁ。間違いなくあらゆる面で自分好みにカスタマイズするわ……」
「つまりそういうことだよ。だから私が男に惚れる理由にはならないし、従ってちょろくもない――」
「恋に5W1Hなんて関係ないぞ弟よ!」
スパーンッ! リビングから和室に繋がるふすまが派手な音を立てて開いた。姉妹合わせて注目する先、和室から歩いてくる男がひとり。
いわゆるロン毛を金に染めて、ワックスで癖毛風に遊ばせて……着ているアロハシャツ含めていかにも遊び人じみた風体の人物。オレも姉貴もそれが誰だか知っていた。
「ん? 妹か今は。まぁそんなことはどうでもいい、それよりも恋というものはいついかなる時に巡りあうか分からないもの。次から次へと降り注ぐ流れ星の如く……そう、この俺は百戦錬磨の恋を経てその真理を――」
格好に似合わない気取った口調で語りながらこっちに向かってくるその男に、オレたち姉妹は珍しく息を合わせて口々に言った。
「今、というか基本的にお呼びじゃないから来んな兄貴」「万が一お呼びだとしても普通にキモイから来んな青児」
「どうしたマイシスターズ!? 恋といえば俺といっても過言じゃないはずなのになぜ! それと兄に対して呼び捨ては止めろとなんど言ったら分かるんだ美月!」
「いや恋じゃないけどよしんば恋だとしてもなおさら相談しねぇよ! 百戦でも百敗してちゃ練磨の要素がなにひとつねぇだろ!」
「梓茶の言うことももっともだがそもそも青児、礼儀や敬称っていうのは礼のいる相手に対して必要なものであってなんだって兄妹、いや人間のヒエラルキーの最下層に位置するお前にそんな貴重なものを使ってやらなきゃならないんだ?」
「ははは、妹たちは相変わらずツンデレだなぁ。だがそんなところも可愛く思ってるぞ☆」
「なぁトラ。いい加減こいつ埋めようぜ」
「いや私、兄貴の血なんかでこの綺麗な手を染めたくないし……」
オレの特に自慢でもない兄貴、虎泰青児。
今の一連の会話が示す通り、兄貴の特徴はとことん空気を読まないことと桁外れたポジティブシンキングにある。愛の探求者を自称しており、髪型や色、格好、はては喋り方に至るまで迷走を続けながら、暇があれば合コンを中心に出会いの場へと頻繁に出没しているけどその成果は散々なもの。それを証明するには一言で事足りる。兄貴は現在独り身だ。
ちなみにさっき兄貴が呼んでいたが、姉貴の名前は美月だ。名前詐欺にもほどがあるっていっつも思ってる。口に出したらなにされるか分からないから言わないけど。
「うんうん。照れ屋で謙虚なジャパニーズ・マインド、それもまた美徳だ」
それはそうと兄貴は謙虚さの欠片も無い誤解を抱いたまま勝手に喋り続けていた。
「だが己の心にまで謙虚になってはいけないぞトラ。さっきも言ったが恋に5W1Hは関係無い。それどころか性別さえも! 実際俺は一度だけだが男の友人に告白したことがある!」
「いやだー! なんでこの人ノーモーションで爆弾投げてくんのやだー!!」
「なぁそのケの人らにどうこう言うつもりは無いが、それはそれとしてお前は死んでくれ頼むから」
「まぁ落ち着け、これには深い訳があるんだ。もう1年も前になるんだが、当時1周間で10回フラれた俺はさすがに自信をなくしてな。『もしかして俺は気持ち悪いのだろうか』とらしくない悩みを抱えたものだ」
「「もしかしなくても気持ち悪ぃよ!!」」
敵の敵は味方。結束のツインツッコミは、しかし己の世界に入り込んだ兄貴には届かない。こういうところが駄目な要因だとなぜこの人は学ばないのか。あ、そっか。駄目だから学ばないのか……。
「そんなこんなで自信を喪失して大学の庭で一人黄昏れてたとき、同級生である友人が不意に肩をそっと叩いてきてな……『元気出せよ。お前の突き抜けたポジティブさと空気を読まずに我を通すその逞しさ、俺は結構好きだぜ』と。それを聞いた瞬間、思ったんだ。『あぁ、こいつがもしかして、俺の運命の人……』で、その場の勢いで告ったんだ。詳細は話すと10分くらいかかるから省くが、あれはここ近年でトップ5を争う情熱的な恋だった……」
「ねぇ慰めてくれる友だちがいただけでも奇跡みたいなものなのに、なんで恩を仇で返す真似しちゃったの? 人としてどうなの?」
「もうなんでもいいから死ねよ」
「結局その場で『俺、男は無理だわ』という簡潔な理由でフラれてしまったがな! しかしちゃんとフラれたおかげで俺も『やっぱ女子の方が可愛くていいな……』って思い直し、後腐れなく元の友人関係にばっちり戻れたから、ふふっ。今ではあれもいい思い出だな……」
「戻ったの、戻れたの!? 『同性の友人慰めたら突然詳細語るのに10分かかるような告白された』ってオレだったらTPOによっちゃマジでトラウマになりそうなんだけど、その友人なに地上に遣わされた天使!?」
「実際単なる真人間よりも、実は人外である可能性に掛ける方がオッズ低いのやばいな。つうか長々とキモい話して結局なにが言いたいんだよお前はよ」
姉貴が本気で嫌そうな顔をしながら促すと、兄貴はふふっと無駄に意味深な含み笑いで返した。なぜかオレの背筋にぞくりと悪寒が走る。なぜだ、兄貴がキモいからか? だけどあとから思えば、それは一種の虫の知らせあるいは乙女の勘というやつだったらしい。兄貴の口が再び開いた。
「つまり無類の女好きであるこの俺でさえ、うっかり男にときめいてしまうことがあるのだ! 今肉体的に女であるお前が男に一目惚れしてなにがおかしい! そうなにせ俺とお前はいわば同類なのだから!」
「最悪な人に最悪な形で同類認定されたぁ! 一目惚れがどうとかって前にその事実そのものが最悪なんですけど!?」
「うはははっ! 確かに、青児にしちゃ一理あるかもな!」
「はぁ!?」
突然兄貴の肩を持ちだした姉貴に向かってオレは目をひん剥いたけど、それを見て姉貴は一層大きな笑いを上げやがった。
「あはははは!! あー、腹いたっ……んでなんだっけ。そうそう、お前ら二人、他はともかくちょろいって点じゃ大差ないってことが言いたかったんだ。なにせえーっと、もう3年前だっけなぁ」
あ? 3年前? いきなりなにを……はっ、まさか! 気づいて止めようとするも、もう遅い。すでに姉貴の口からその"黒歴史"は現世へと解き放たれていた。
「――トラが知り合って一週間も経たない同級生の女子に趣味の手作り菓子を貰っただけで、なにを勘違いしたのかその3日後に告白して見事フラれたのはぁ! ふはははは!」
「よし決めた、今ここで相討ちになってでも積年の恨みを晴らしてやらぁぁぁ!」
今分かった、オレに足りなかったのは腕力でも言葉でもなくてこの決意だったんだ! ジャパニーズ・カミカゼ・マインドを胸に秘めて姉貴と闘いぬく決心を、しかして横から余計な兄貴が邪魔立てしてくる。
「待て梓茶、いいか! 今の話は俺も当然知っている、だからこそお前を同類だと確信したんだ。お前はちょろい、間違いなくちょろい! だがちょろいという真実を認めることから人は始まるんだ!」
「もう終わってるやつに人が始まるとか語られたくないわぁ!」
「あーはははははやばい腹痛いちょろいちょろい連呼すんの止めろなんか変なツボに入ってふっへへへへ!!」
加速する。ド畜生な兄姉どものテンションが加速する。
「昔の人はこう言った、恋は盲目と! つまり人は恋の前ではすべからくちょろくなるのが道理! むしろ人はちょろくて当たり前。ちょろくないやつはそう、言うなれば本能に反している! ちょろいis人類! ふっ、またひとつ真理を見つけてしまったか……」
「うほひひひひ! ひーひひひほへぇー!」
「…………」
トチ狂った発言が止まらない兄貴とトチ狂った笑いが止まらない姉貴。おかしい、室内はちゃんと冷房効いてるはずなのにまるで熱中症みたいに頭がくらくらしてきて…………ぷっちーん。
唐突に、堪忍袋の、緒が切れた。
ソファーの側に置いてある、折りたたみ式の小さな丸机に視線を向けた。手で叩くには背が低すぎる。だから右足をそっと上げて、
ガンッ!!
思いきり踏んで、音を立ててみた。
兄貴も姉貴もさすがに驚き、オレに注目する。しっかりと確認してから、オレは口を開いた。
「アンタらがオレのことをどう見てるのか、よーく理解したよ……」
「マ、マイシスター? あまり机は乱暴に扱わない方が……」
「あ゛あ゛?」「ひぃ」「あー、こりゃちょっとからかい過ぎたかなぁ……」
お行儀悪く机に右足を乗っけたまま、怯える兄貴と顔を引きつらせる姉貴を見回して。
「やっと分かった、オレがなにをすればいいのか……」
怒りに濡れる中で掴んだ、たったひとつの天啓。ちょろいちょろいと馬鹿にされるなら、それをひっくり返してやればいい。オレは頭にクソが付く兄姉たちに向かって堂々と、ビシッと指を突き付けて宣言してみせた!
「要するに、オレがちょろくないってことを証明すりゃいいんだろ!!」
「「……は?」」
姉貴も兄貴も、この妙案に目を丸くしてる。ふふん、いい機会だから教えてやろう。末っ子だってやられてばかりではないということを!
「もし証明できたら、金輪際オレをちょろいって言うんじゃねぇぞ! 分かったな!」
「いや、まぁ、それはいいとしてだな……」
「なぁトラ、そもそも『ちょろくない』って証明できるもんなの?」
「ふんっ、できるに決まってんだろ! 要は一目惚れなんかじゃないって分かればいいんだから――」
◇
吊り橋効果、という用語があるらしい。要するに焦りや危険に対するドキドキを恋のそれと勘違いしてしまう、という現象なんだけど。
思い返せば昨日のそれも正しく吊り橋じゃないか! と救われた気分にはなったものの、あの兄姉どもを見返すにはまだ足りない。やつらにはぐぅの音も出させないレベルで完全勝利しないと、オレの溜飲が下がらないのだ。
ゆえにオレは翌日の月曜日、早速ある作戦を実行することにした。場所はもちろん、オレが通う平凡な市立高校。なにせオレは現在青春真っ盛りの高校2年生なのだから。ブレザーにチェックのスカート。おまけにいつもの髪飾り。女子の制服だって余裕で着こなし、今日も今日とて華の高校生活というやつである。
ついでに言うと姉貴は大学1年生、兄貴は同大学の3年生だ。二人ともあんなんだけど、実のところ大学はそれなりにいいとこ行ってるわけで。あんな姉でも入れるしあんな兄でも留年しない辺り、本当にいいとこなのかは甚だ疑問だが、それはひとまず置いといて。
午前中は普通に授業を受けて過ごし、待ちに待った昼休み。オレは地味な黒髪の"あいつ"が出て行ったことを確認する。少しだけ間を開けてから自分のクラスである2-Aの教室を抜け出した。チェックのスカートをひらりとなびかせ、目的地へと小走りで向かう。
あいつの行き先の検討はついている。この学校で昼休みに立ち寄る場所なんて、特別な用事が無い限り精々二択しかない。ひとつはB棟1階の購買、もうひとつは……
「ビンゴ、やっぱり来たな」
木陰から顔だけ出して、あいつの行動を伺う。そう、文字通り木の陰から。うちの高校には唯一の自慢である、ちょっとした広さを誇る中庭があるのだ。
まずうちの校舎はA棟とB棟に分かれている。そのふたつを繋ぐ渡り廊下から、互いの棟の間にある中庭へと入ることができるのだ。両棟と渡り廊下によって中庭が囲まれているとも言える。
基本的に出入り自由だけど、庭には2,3メートル規模の木々が数本立っており天然芝まで地面に植えられているという結構な本格仕様なので、立ち入るには靴に履き替えなければいけない。
そんな中庭へと学校指定のブレザー姿のあいつはやってきた。その手には購買で買ったと思わしきパンの包みをぶら下げている。購買で昼食を買ってそのまま中庭で食べる……外で昼食を取る場合の王道パターンだ。
ちなみに渡り廊下のそばには簡易的な下駄箱があり、脱いだ上履きは一時的にそこへ置いておける。そんなわけでオレもあいつも靴に履き替えてこそいるが、だからといって手に上履きを持っていることはない。
話は戻って。あいつが教室を出た時点で中庭に来るであろうことを予測していたオレは、あらかじめ裏庭に回り込んであいつが来るのを待っていた。そんでもって、あいつが手にパンだけを持っているならばこの先の行動も大体分かる。
A棟とB棟を繋ぐ渡り廊下から素直に入ってきたあいつは、やっぱり裏庭の一角にある自販機へと向かっていく。飲み物が欲しいならそりゃあそうするよな。
木陰からそろりと抜け出し、その後ろを小走りについて行く。あいつが自販機の前に立つと同時、その背をポンと軽く叩いてみた。
「うわっ」
つい昨日聞いた声がした。すかさず回りこんで、挨拶しながら今一度じっくりと顔を拝む――ある、確信と共に。
「やぁ、乾くん」
「と、虎泰さん!? な、なんでここに……」
あいつ……この乾とオレの関係は一言で言えばクラスメイトだ。だから互いの名前くらいは知っている。だけどクラスメイトだからといってろくな接点があるとは限らない。実際こうして真正面から話したのは初めてで、乾はオレが話しかけてきたその事実に驚いているのだろう。だけどその一方、オレはオレでひとつの確信を事実に変えていた。
眉を隠すか隠さないか、耳にかかるかかからないかの適当な長さ。一切弄った気配のない黒髪は地味の一言で、細いフレームの眼鏡と少し幼さを残す顔つきが地味さに拍車をかけている。だけどその中で、妙に印象に残る物がふたつばかり、レンズの奥に潜んでいる。
少し垂れ気味で穏やかな両の目が、"あの時"と同じように困惑に揺れていた。
――やっぱり、こいつか。
どうも助けてもらった時から引っかかるものはあったけど、その予感は当たっていたらしい。あの坂道でオレを助けてくれたのはこの地味なクラスメイト、『乾 草太』だったようだ。
オレは予感の手応えに目を細めつつ乾に答えを返した。
「なんでって聞かれると……強いて言うなら昨日のお礼かな。坂道でこけそうになった私を助けてくれたから」
「あ……やっぱりあれって、虎泰さんだったんだ……」
「まーね。あの時は倒れる寸前だった驚きみたいなのでテンパッて逃げちゃったし、改めてお礼くらいしておこうかなって。乾くん、自販機に用があったんでしょ? どれ飲む? 奢るよ」
「え? い、いいよそんな! こっちが勝手にやったことだし……」
「それなら月並みな言葉だけど、私も勝手にやってることだから。恩を返さないと締りが悪い感じするし、なんなら私のワガママに付き合うとでも思って遠慮せずにさ」
言いながらオレが小銭を自販機に食わせれば、乾はようやく観念して飲み物を選び始めた。
「そ、そういうことなら……」
よしよし。作戦は予定通りに進んでいる……けど、実はこの奢り自体に大した下心は無い。強いて言うなら乾と話すきっかけアーンド、昨日のお礼を兼ねているくらいか。とはいえ乾には悪いけどお礼はついで。
大事なのはそのあと……そう、オレは昨日助けてくれた人物、つまり乾と直接話すことで昨日の一目惚れが単なる勘違いだったことを証明しなければいけないのだ!
「えっと、選んだよ。ありがとう虎泰さん」
どうやら草太が飲み物を買い終えたらしい。さて、なにを選んだのか。話の種くらいにはなるかな……
「お?」「え、なんかまずかった?」
「や、そうじゃなくて……」
その率直なネーミングに偽りなし。シュワっと爽快、とろける甘さのそのドリンクは。
「私も好きだからさ、その『爽快微炭酸フルーツミックス』」
ふと見つかった意外な接点、話すきっかけにはちょうど良い。
「そ、そっか。虎泰さんもなんだ……美味しいんだけど、意外と売ってないんだよね。僕、たまにここでお昼食べるんだけど、理由の半分くらいはこれなんだ」
「あー分かるー! 私も結構飲むんだけど、ここ以外じゃ本当にたまにしか見ないから、ここで買い貯めしたこともあってさーって、自販機の前で立ち往生もあれだね。ちょっとそこに座って話そっか」
「あれ、でも虎泰さん弁当持ってきてないんじゃ……」
「そこら辺は大丈夫、だって4限目前の休み時間で食べちゃったし」
そう言って自販機の近くに置かれているベンチに座る。乾はなにやらためらっていたようだけど、オレが視線を向けると慌てて隣に座った……隣は隣でも、若干の空白を感じる"一応の"隣に。ちょい勘ぐってみれば、さっきからどことなく忙しない気もする。
総じて若干の挙動不審。すぐにピンと来た。ピンと来て、男としての共感から軽い笑みがこぼれた。まぁオレぱっと見それなりに女子やってる自信あるし、こいつはこいつで女子に慣れてるタイプでもなさそうだしなぁ。とはいえ、
「……こんなんでも1ヶ月とちょっと前まで男だったんだから、そんなかしこまらなくてもいいんだよ?」
「へっ!? あ、ご、ごめんそういうつもりじゃ……!」
「なんで謝るのさ。いいっていいって、元男の身としてそこら辺よく分かる。女子は別世界の生き物って感じするもん。特に可愛い子は。そんでもって私、まぁまぁ可愛いしね!」
茶化しがてらドヤ顔で自慢すると乾は目をぱちくりさせてから、しかしすぐに「ふふっ」と小さく笑った。穏やかな印象の瞳に似合う、ふんわりとした笑顔だった。
「あれっ? ていうか私が元男だって知らなかった系? まぁ病気で倒れたのが春休みで復学したのが始業式のあとだったし、1年じゃ乾くんとは別のクラスだったから知らなくても仕方ないのかも」
「あっそういうのは、大丈夫だから。病気のことは虎泰さんが復学したときに説明あったし、というか、あの……一応おんなじクラスでした……影薄いから、覚えてなくても、仕方ないけど……」
「え!? そうだったっけ。そういえば乾くんっぽい男子がいたような、いなかったような……」
「ははっ。大丈夫だよ虎泰さん。どうせ僕なんて、眼鏡でしか記憶に残らないモブなんだから……」
「ああ落ち込まないで乾くん! だいじょーぶ人生みな自分が主人公!」
オレが励ます合間も、花が枯れるようにみるみる項垂れて意気消沈していく乾。どうしたものかと思った矢先、乾は突然呟くように言った。
「あれ……それって、初代『鬼面バスター』のエンブレム……?」
下を向いた乾の顔。その視線の行く先は、オレのブレザー下部のポケットからはみ出たスマホのストラップだった。
金属製のメダルに掘られているのは、鬼の面を模したエンブレム。その初出はもう15年も前。知らない人には単なるかっこいいエンブレムにしか見えないが、見る人が見れば分かる闇を払い魔を撃つ正義の象徴。そして乾はどうやら見れば分かる側にいるらしい。知ったオレは、一も二もなく飛びついた。
「え、『鬼面バスター』知ってるの!?」
「あっ、いや、その……たまたま昔すこーしだけ見たことがあって、みたいな……」
「あ、そうなんだ。そうなんだ……」
「ごめんなさい嘘つきましたシリーズ全部視聴済みのファンです!」
「そうなんだ! しかも結構ガチ勢だ!」
「あ、はいガチ勢で……あ、いやシリーズ制覇程度でガチって言うのもおこがましいような……あの、なんかごめんなさい高校生にもなってこんなんで……」
「へ? なんで謝るのさ、いいじゃん鬼面バスター。闇に生きて闇を払い、魔となりて魔を撃つ仮面の鬼人!」
鬼面バスター。
時は平成20XX年。古来より伝わる伝説の魔物、『邪鬼』の力を現代のテクノロジーによって埋め込まれた一人の改造人間が生まれた。しかし訳あって己を改造した悪の組織を命からがら抜けだした彼は、やがて正体と涙を隠す鬼の面を被って『鬼面バスター』を名乗る。そして組織への復讐と彼らに脅かされる平和を守るため、裏の世界で切った張ったの大活劇を繰り広げる和風ダークアクション……という初代に端を発した、もう15年も続く長寿シリーズの特撮だ。今は15作目の『鬼面バスター武神』が日曜朝8時より放映中である。
元々"そーいうの"が好きだった父さんに刷りこm……教育を受けたせい……おかげで、幼少期のオレもすっかりハマってしまった。それから歳が上がるにつれて周りがそういうのを卒業するようになっても、オレにとって鬼面バスターはまだまだ現役のヒーローである。無論、年齢だけじゃなくて性別が変わっても、そのかっこよさがオレの中で色褪せることは無い。
というわけでビシっと上半身だけでポーズを決めつつ初代鬼面バスターのキャッチコピーを諳んじてみせたオレを見て、乾はおそるおそる……といった様子で尋ねてきた。
「もしかして……虎泰さんも鬼面バスター好きなの……?」
「もしかしてもなにも、好きじゃなきゃこんなストラップ付けないよ。もちろんシリーズは一通り踏破済! にしてもこんなところで同士に出会えるとは思わなかったなぁ、高校入ったらだーれも見てないって言うし。実はこのストラップ、こういう時が来ないかなって思って付けてたんだ。今日の今まで成果なかったけど!」
「あはは……そうだね。僕も鬼面バスター見てる同級生が身近にいるなんて思ってなかったからずっと隠してて……でも虎泰さんがファンだって聞いたら、なんていうかちょっとホッとしたかも」
「そうだね。私も一人じゃ楽しめないってわけじゃないけど、ちょっと寂しかったから……なんかさ、さっきのジュースといいこれといい、意外と気が合うのかもね。私たち」
ふと思ったことを素直に言ってみれば、乾はおっかなびっくり目を見開いて。
「へ!? えっと、その、こ……光栄です!」
「いやだからそんなかしこまらなくても。なんていうか、意外と面白いね乾くんは」
「えっと……あ、ありがとう、ございます?」
「そこでお礼と来たかぁ。やっぱちょっと変わってるね」「あはは……」
お互いそれなりに落ち着いた感じになってきたけど、乾の挙動自体はなんというかまだ若干怪しい。うーむ、やはり中身が男と分かっていても……といったところか。女として意識されてる? そう感じるとなんともいえない気恥ずかしさがなくもないというか。
うーん、でもだな。オレと同じ境遇の人らをどうこう言うつもりは無いけど、それはそれとしてある種の好みの問題というか、変わったあとの姿が初見ならともかく男時代の姿を知ってるやつを女として意識しろというのは結構難しいんじゃなかろうか。
そこら辺を顧みればこの挙動不審も時間が解決してくれるだろう。今は単に女子慣れしてないがゆえ、そう思えば可愛いもんじゃないか。特に兄貴辺りと比べると実に健全な青少年って感じで親近感すら覚える。そうだ、オレは元男としてこいつの気持ちを汲みとってやるべきではないのか。
んでもってもひとつおまけに、オレ自身も乾のことが気に入ってきた。だからそんなことで一々邪険にするつもりも出てこない。気が合うし、話していて楽しいし…………トクン……トクッ……意識すると、胸の鼓動が少しずつ高鳴り始めt
「って違うだろオレェェェェェ!!!」
「ひぃごめんなさいなんかよく分からないけどとにかくごめんなさい!!」
「あ、いや違う違うこっちの話! 乾くん関係無い大丈夫!」
「あ、はい……でもそれはそれで、むしろ虎泰さんが大丈夫……?」
「も、も、も、もちろん大丈夫、ダイジョウブ……」
そうだオレはダイジョウブなはずだ「あ、あの……」策士策に溺れてないしこのちょっとした高揚感は恋なんかじゃない「と、虎泰さん。ちょっといいかな……」そうこれは言うなれば、言うなれば……「あのっ」なんだろう……
「と、虎泰さん!!」「ひゃい!?」
乾の声でようやく正気に戻ったオレは、彼の方を向き直す。乾はまるで、偉い人と向かい合うかのような激しい緊張を隠すことなく表に出していた。
え、なんで今そんな顔を? というかこれはもしや偉い人への対応というよりも、
「あ、あ、あ、あのっ、お願いがあります!」「え、お、お、お、お願い!?」
あれ、なんでオレまでこんな緊張してきたの? オレこの状況からなにを連想したの? 自分でも分からないけど、とにかく顔に熱が集まる感覚と押し寄せてきた緊張の波に混乱してしまう。
「ぼ、ぼ、僕と!」「オ、オ、オレと!?」
ちょ、ちょっと待ってまだ心の準備ができてないってだからなんの準備!?とにかくちょっと待って待ってまって――
「と――友だちになってください!!」
「とっとっともっ!? ……………………トモ、ダチ?」
「はい、あの、ここでこうやって話してるのもなにかの縁っていうか、せっかく鬼面バスター知ってる人に出会えたのとか、そ、そんな深い意味はなくて単純になんか」「それだ」「へ?」
ドンと来て、ピシャっとはまった、その名称。それがあったな、いやそれしかない。
導き出された最高のエクスキューズ。高ぶるテンションのままに乾の両手をガシっと掴んでぶんぶんぶんぶん振り回す。
「天才だな乾! そうだよオレたち友だちなんだよこの気持ちを友情と言わずしてなんと言う!? YES、オレタチトモダチコワクナイ!」
オレの浮かれポンチなテンション任せの行動に驚いたのか、オレの顔と繋がれたオレたちの手を何度も見比べては目を白黒させる乾。だけどしばらくすると事態を飲み込んだらしく、どこか困り顔にも似た笑みを浮かべて。
「えっと、とりあえず……友だちになってもらえた。ってことでいい……のかな?」
「もちろん!」
オレの前のめりな意思に呼応して、握るその手に力が込もる。
「ひゃっ」
それと同時に乾は、男のくせに生娘みたいな声を上げた。やっぱり女慣れしてないらしいけど、まぁ友だち付き合いしてれば向こうもそのうち、少なくともオレには慣れるだろう。それに無類の女好きたる兄貴の存在を顧みれば、むしろこれはこれで一種の美徳じゃなかろうか。なんにせよ、
「今までもクラスメイトではあったけど……これから改めて、よろしくな。乾!」
◇
その日の夜。
「――というわけで、例のやつとは友だちになったから! これはれっきとした友の情であって恋だのなんだのってのは全くもって皆無だし、つまり昨日のは単なる吊り橋効果! ゆえにオレはちょろくない! 分かったな! 分かったなら金輪際それ系のネタでオレを馬鹿にすんなよ!」
昨日と同じ1階のリビングで、昨日と同じく頭にクソが付く兄姉たちに今日の成果を一気に纏めて放り投げた。オレが喋っている間、ぽかんと間抜け面を晒し続けていた二人の表情は言い終えてからも変わらない。その光景にオレはこの上ない爽快感を感じながら、2階にある自分の部屋へと戻った。残された二人の会話を聞くこともなく……。
「……なぁ妹者よ」
「キモい呼び方すんな死ね兄者」
「なんだかんだで乗ってくれる辺りやはりツンデレだなほぅ! ……中々、腰の入ったいいパンチだ。知らない間に健やかになって……」
「要件はなんだ。介錯なら喜んでしてやるけど」
「その必要は無い。まだ見ぬ運命の人のためにも俺は死ねないからな……それはそうとだな、『友だちからお願いします』というのは……恋愛の常套手段じゃないのか? もっともこのマイスターからしてみれば、そんな日和ったワンクッションなど二流でしかないがな!」
「そうだな三流のお前よりもずっとマシだもんな。ま、しかしあながち的外れでもないか。なんにせよ場合によっては今後一生に渡ってあいつをからかえるネタができそうだし……よし! そのうちちょっかいのひとつでもかけてやるか!」
◇
オレを助けてくれた男、乾とはめでたく友だちになったし兄姉たちとの決着もつけた。さて、これにて話は全て丸く収まって終了! …………の、はずだったのに。
それは乾と友だちになってから、3週間と1日後のことだった。
場所は高校、正確に言えばA棟入り口の下駄箱。今そこにいるのはオレたちふたりだけ。着ている服はふたりとも半袖半パンの体育着。ありふれた場所。ありふれた高校生ふたり。ありふれた服。
だというのにオレは今、ごくありふれて……いない格好をさせられていた。具体的には"草太"にお姫様抱っこをされていて――なんで、どうして、こうなった!?
まだまだ話は終わらない。中編へ、続く!