君と見た空
あの日、僕は傘を差して公園に一人、佇んでいた。
雨なんて降っていなかった。でもなんとなく、体が湿る、そんな天気だった。
「ごめん、待った?」
ベンチで、何処を見るでもなくぼんやりとしていたら、急に声が聞こえたから驚いた。
目を丸くして顔を上げたら、君は「驚きすぎだよ」って笑ったね。
本当に驚いたんだよ。だって君は、気配もなく僕に近付いて、急に声をかけるから。
いつだったかそう言ったら、僕の驚いた顔が好きなんだもん、と悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。
そんな笑顔で言われたら、僕は何もいえなくなってしまうと分かっていて言うんだ。君のそんなところも、僕は好きだった。
「ところで、話って何?」
「……うん」
嬉しそうに笑う君を見上げてそう問えば、君は少しだけ言葉を濁して、そっと目を逸らした。
ああ、なにか悪い話なんだな、と僕はその時直感した。
だって君が目を逸らすのは、話したくないと思ってる時。言いたくない、と思っている時の癖だと、僕は知っている。
「……座る?」
重くなった空気を払拭するように、僕は、自分の座っているベンチの隣を指差した。
君は「うん」と頷いて、そっと僕の隣に座る。傘の下に、相合傘みたいにして座る君に、少し嬉しくなる。
べたべたと下品にくっつくわけでもなく、けれど離れすぎない、微妙な距離感。それが心地良い。
それから暫く、僕らは何も言わずに公園の中を見ていた。
昼過ぎなのに静かなのは、きっと今日が平日で、住宅街から少しはなれた、寂れた小さな公園だから、だろう。
置いてあるのは、錆びてきいきいと音が煩いブランコに、ペンキの剥げたジャングルジム、誰かの忘れ物なのか、汚れてボロボロになったジャケットが掛けられた鉄棒と、僕らが座っている古ぼけたベンチ。たったそれだけの、酷く侘しい公園。
でもここが、僕たちの大切な場所だった。
「……あの、ね」
「うん」
重くて心地良い沈黙を、そっと破ったのは、君の声だった。
僕は振り返らない。きっと君も、公園を見つめていると思ったから。だから僕も、公園を見つめ続けたまま、返事をした。
「……ここで、初めて会ったんだよ、ね」
「……小学校の頃、だったね」
酷く言いにくそうに言う君に、僕は少しだけ目を細めて、答えた。
忘れもしない、あれは小学校の頃。君と僕が、初めて出会った公園。
あの時は空が抜けるくらい晴れていたね、といえば、君が少しだけ笑ったのが、空気で分かった。
「怖いくらい、綺麗な青空だった。二人でベンチに座って、何時間も空を眺めたね」
「うん――」
不意に、君は空を見上げた。ベンチの背もたれに頭を乗せて、そうして空を見つめる君が、なんだか消えてしまいそうなくらい、儚く見えた。
だから、僕もあわてて空を見上げる。君と同じように、背もたれに頭を預けて、足を投げ出して、傘の上にある曇り空を二人で眺める。
「……晴れないかなぁ」
「青空が、見たいの?」
ぽつりと呟いた声に、君を見ないまま問えば少しの間を開けて「うん」と返事が帰って来た。
君の望みならかなえてあげたいけれど、出かけ際に見た天気予報では、今日は一日中曇りだった。せめて今の一瞬だけでもいいから、青空にならないかな、なんて思う自分が少し、可笑しくて口角を上げる。
「また、二人で青空見たかったんだけどなぁ」
「……晴れたら、また見に来ようよ」
ね? と君の方を見る。
君は真っ直ぐ空を見詰めていた。その瞳に、表情に、僕は息を飲んだ。
傘の下で、じっと空を見つめる瞳は真剣そのもので、でもその表情は儚くて、悲しげで、辛そうで。
だから僕は何も言えなくなってしまって、君をただ見つめるしかできなかった。
そんな僕に気付いたのか、君は急に体を起こすと、両手を上に伸ばして傘に手をぶつけた。
その動作一つで、君の「存在」が形を成す。
「それじゃ、そろそろ帰ろうかな」
「……そう」
君の行動はいつも突然で、唐突。
来るのも、帰るのも。
――そして、君がいなくなったのも、突然だった。
ベンチから見上げた空は、どこまでも透き通った青空だった。
ゆったりと雲が流れて、優しい風が頬を撫でる。時々鳥が横切って――ほら、あの時、君と初めて出会った、あの時見たいな青空が、今僕の目の前に広がっていた。
「ねぇ、綺麗な青空だよ。君も一緒にみようよ」
小さく告げた声は、虚しく響いて消えるだけだった。
声が空気となり風となるなら、この場所にはいくつの風が吹いているんだろう。そんなことを考えて、小さく息を吐く。
あの日から、君は僕の傍からいなくなってしまった。
僕に何も言わずに、本当に風のように。
あれから何度も公園を訪れて、こうして空を眺めているけれど、君も今、どこかでこうして空を眺めていたらいいな、と思う。
君が見たいと言っていた青空、君も見ていたら、幸せだな。そう、願わずにはいられない。
……あの青い空に、君がいると信じます。