108話 桁外れの強さ
「――マジウケルシッ!」
ヤツの怒号が聞こえる。
アジトの壁を一枚隔てた向こうにからくり武者がいる。
その殺気が壁越しにビリビリと伝わってくる。
「来るぞ」
グレイスが身を低くして剣を構える。
「まずは、ワシが一発、盛大にお見舞いするのじゃ」
バカ正直なほど、荒ぶる殺気を放ち続けるからくり武者。
そのおかげで、どこから出てくるのかまるわかりだ。
武術経験のない俺ですら、その殺気を肌で感じられるのだ、グレイスやニコならもっと正確に読み取れるのだろう。
「来るのじゃっ!」
ニコの声をかき消すように、爆音を鳴り響かせてアジトの壁が吹き飛んだ。
濛々と煙を立ち上らせて崩れる瓦礫の中から、からくり武者が姿を現す。
300メートル落下したにもかかわらず、まったくの無傷。
真正のバケモノか、こいつは。
「こやつは危険なのじゃ…………本気でいくのじゃっ!」
ニコの全身から夥しい魔力の奔流が溢れ出す。
間近で暴れ狂う魔力を浴びせられ、一瞬呼吸が詰まってしまった。
ニコ……お前、すげぇな。
魔力の枯渇さえなけりゃ、魔王にサシで挑んで勝てんじゃないか……そんな気すらする。
「魔界に棲む、黒炎のドラゴンを呼び寄せる究極の破滅魔法なのじゃ…………みんな、巻き添えを喰らわぬようにしっかり身を守っておるのじゃっ!」
ニコが、周りに影響を与えかねない魔法を使うなんて、これまで一度もなかった。
本気だ……本気で、からくり武者を仕留める気だっ!
「喰らうのじゃっ!」
容赦なく溢れ出していた魔力が、すべてニコの手のひらへと集結する。
圧縮された高密度の魔力の塊が煌々と真っ白な光を放つ。
網膜を焼き切られそうなほど荒々しい眩さを放ち、魔力の塊はさらにそのエネルギーを増加させていく。
そして、ニコが叫ぶ。その魔法の名を――
「――『黒龍さん、いらっしゃ~い』っ!」
「それ、魔法の名前っ!?」
そんなツッコミの声も一瞬でのみ込み、ニコの手のひらから『夜』が溢れ出した。
いや、違う……真っ黒な炎が、ニコの手のひらから迸ったのだ。
そして、その炎は刹那の間に禍々しい黒龍の姿へと変化して、からくり武者へと襲いかかった。
「あっ!」と、声を上げる暇もない、あっと言う間以前のあっとも言えない間に黒龍がからくり武者をのみ込んで再び真っ黒な炎へと変わり、轟々と夜明け前の空を焼いていく。
すげぇ……これまで見たどんな魔法よりもすげぇ。
攻撃力とか威力とか、そんなもの関係ない。
スケールが違う。
まるで次元が違う。
肌で感じた。あの魔法は、別格なのだと。
なんて魔法だ…………いらっしゃるのが黒龍さんか新婚さんかで、こうまで違うのか。
「今の、凄い魔法でしたね、コーシさんっ」
目を見張って、少々興奮気味にエルセが言う。
分かるぞ。
理解の範疇を超えるものを目の前で見せられるとそうなるよな。
たぶん俺も、おんなじような顔してると思うし。
「ニコさんって、やっぱり凄い魔法使いなんですねっ!」
「あぁ。さすがのからくり武者も、あれをまともに喰らったんじゃ、もう……」
その時――
「――マジウケルシッ!」
――信じられない声を聴いた。
真っ黒な炎の中で、ゆらりと影が揺らめく。
黒い炎に浮かぶ黒い影。
……ヤツの殺気が、その輪郭を俺の脳みそに見せている……そんな気がした。
「……うそ……ですよね?」
エルセの顔が引き攣り、らぐなろフォンをグッと握りしめる。
肩を強張らせるエルセを、スティナがそっと優しく抱き寄せる。
エルセを落ち着かせるためなのか、スティナ自身も恐怖を覚えたのか……
「……しぶとい、というレベルを超えておるな、あのバケモノは」
「うむ……正直、参ったのじゃ」
揺れ、踊るような真っ黒な炎を見つめるグレイスとニコ。
その体が、いきなり吹き飛ぶ。
「ニコッ!? グレイスッ!?」
何が起こったのか、見えなかった。
突然だ。突然二人が後方へ吹き飛んでいったのだ。
「――っ!?」
ニコたちを追うように視線を向け、体を動かしたことを後悔した。
いや、もっと正確に言うなら、……ヤツに背を向けたことを後悔した。
凄まじい殺気を浴びせられて、体が…………動かない。金縛りだ。
「コーシさんっ!」
突然、エルセが俺に駆け寄ってきて、俺に体当たりをする。
「ぉうっ!?」
「きゃぁっ!?」
エルセに押し倒されるような格好になり、地面へと倒れ込む――その間にエルセの体が二度、淡い輝きを放った。
この光は『サンクチュアリ・ベール』か。二度、からくり武者は攻撃を仕掛けてきたようだ。
「エルセ、無事か!?」
「……は、はい。コーシさんのおかげで…………」
「『おかげ』はこっちのセリフだよ。……助かったよ」
「いいえ。…………はぁ……怖かったです」
俺と同じ量の殺気を浴びていただろうに、それを押しのけて俺を助けてくれた。
エルセには感謝しないとな。
「コーシ。グレイスの傷を癒してくるわ!」
言い残して、スティナが走り出す。
先ほど吹き飛んでいった二人も、からくり武者の攻撃を受けたはずだ。
ニコは『サンクチュアリ・ベール』に守られているが、グレイスはそうではない。
……深手を負っていなければいいが。
「スティナ! コイツで何かを言えばいいか!?」
そう言って、首から下げた貝殻を持ち上げる。
コイツに言葉を注ぎ込めば、スティナの貝のイヤリングへと送信してくれる。
「必要ないわ!」
遠ざかるスティナが大声で言う。
「もう十分、あなたにときめいているもの!」
言い捨てて、スティナが走り去ってしまった。
………………照れるっつの。
が、今はそれどころじゃない。
「…………おかしい。おかしいぜ、こいつは」
上家が、顔を歪めて呟く。
固く握られた拳が小刻みに震えている。
「オレの作ったからくり武者は、ここまで桁外れな強さは持っちゃいない! ……何かが、何かが起こってやがるんだ…………ウセロ、何をしやがった……っ!?」
ウセロが何か細工をしたのかもしれない。
それとも、からくり武者の中にのみ込まれているイワシ人のワッシーの能力が上家の計算をはるかに上回ったのか……
なんにせよ、こいつは不測の事態ってやつだ。
そして、起こっちまったもんには、対応を強いられる。
逃げるなんて選択肢は、取れないんだしな。
「エルセ、上家」
俺はこの場に残った者たちに言葉を向ける。
奇しくも、転移者だけがこの場に残っている。
「俺たちでなんとかするぞ」
「あぁっ。オレの発明をこんなことに使わせるのは御免だ。この手でぶっ壊してやる!」
「やりましょう! わたしたち、三人で!」
頷き合い、気合いを入れて、いざからくり武者に向かい合う。
「――マジウケルシッ!」
からくり武者が、すぐ目の前にいた。
俺たちが話している間に、接近していたようだ。
「…………」
「…………」
「…………」
俺ら無言。
が、次の瞬間、俺は条件反射よりも素早い反応で大声を張り上げていた。
「全員逃げろっ!」
その声を合図に、俺たちは一目散に逃げ出した。