突然の訪問者
その夜、リラは嫌な夢を見て目を覚ました。
「眠れないのか。」
両親の寝息だけが響く中、夜風に当たりながら窓の外を見ていたリラの背後から声が聞こえた。
「ちょっと、嫌な夢を見ただけ。大丈夫よ、レオ。」
リラは振り向き、笑顔を作った。しかしレオは心配そうに窓辺に置かれた椅子に座るリラの元にゆっくりと歩み寄る。そして身を乗り出すように窓枠に手をかけた。
「ばか。リラの『大丈夫』はあてにならないから心配なんだ。たまには『大丈夫じゃない』って言えばいいのに。」
その言葉にリラは「ごめん」と謝った。それはまるで、私が貴方を頼ることは一生ありませんと言われているようでレオは目を伏せた。リラの透き通るような横顔は、このまま夜の闇に消えてしまいそうなほど繊細でレオは心配になる。
「また、あの城を見てたのか?」
話題を探すように目を泳がせるレオの視界にふと、月光に照らされたアルレラント城が見えた。
丘の頂上に建つ純白の城は、六十年間変わらぬ輝きを放っていた。
「レオ、なんであの城は今もあそこにあるんだと思う?」
その問いに一瞬、戸惑うレオであったが城を眺めながら答えた。それは王政の歴史に興味があるレオならば知っていて当然の事実であった。
「壊せないからだろ。歴代の王達が城の周りに何重にも結界をはったんだ。それを解けるのは王家の血を引く者だけ。他の人間は近づく事さえ許されない。」
「そう。あの城は壊せない、壊してはいけないのよ。国王一人ひとりの願いが幾重にもなって、あれだけの強固な結界を作っているんだわ。」
「願い……?」
レオは怪訝な顔つきで聞き返した。その表情を愛おしそうに見つめていたリラだったが、レオの問いに答える事はない。自分のベッドへと踵を返す。
「リラ!」
意味深なリラの言葉に、レオはリラを引きとめるように名前を呼んだ。
「さぁ? もうそれを知る人はいないけれど……。そうね、噂にいう、あの『王家の生き残り』さんなら何か知ってるかもしれない。」
リラは冗談交じりに言うと、自分の部屋へと姿を消してしまった。 あとに残されたレオは訳も分からないまま、その場に立ち尽くしていた。
「なんだよ……、それ。」
扉越しにレオのそんな言葉を聞いていたリラは力なく扉にもたれかかると、悲しげに俯いた。
「王家の生き残りなんていない。」
そしてそれはどこか決意のこもったような言葉だった。
「……もう、いないのよ。」
翌日、蒸し暑い真夏の昼下がり。外に一歩出ればその熱気にむせ返りそうなほどで、石畳に照りつける日差しにリラは目を細めた。虫の声が頭にまで響いて、立っているのもやっとなほどだ。
「こんな時間にどこ行くんだよ? もう昼飯の時間だ。」
リラについて家の外に出てきたレオが、心配そうに言った。家の中で昼食の用意をしているシーナに気付かれないように静かに戸を閉めると、戸を背にしたまま、少し口調を強くして問いただすように言った。
「俺達に、何か隠し事してないか?」
「隠し事?」
リラは振り返り尋ねた。
「とぼけたって無駄だ。昨日、あの招待状が届いてから、様子が変じゃないか!?」
「とぼけてなんかないわ。本当に隠し事なんてしてない。」
一貫してしらを切りとおそうとするリラに、レオは少し苛立ちを覚えた。自然と声も大きくなる。
「じゃぁ、どこに行くんだよ!?」
焦るリラの腕をレオが掴んでいる。リラは仕方なく、口を開いた。
「夢を見たのよ。」
それはレオがいつも見ている姉の雰囲気とはどこか違って、レオは言葉を詰まらせた。
「……夢?」
「ええ。とても不吉なね。ついて来たいならついて来ればいい。でも……、勝手な行動はしないで。」
それだけ言うとリラは、レオの手を振りほどき走り出した。全速力で石畳の細い道を走り、広場を駆け抜けた。走っても走っても追いつくことのできない姉の背を、それでもレオは必死に追いかけた。
しばらく走り続け、着いたのはカイラの住む小屋。
「ここは?」
息を切らしながら、レオは言った。しかし、リラがその問いに応えることはなかった。レオに見向きもしないリラは、ただ一言「レオはここにいて。」と言い残し、小屋の中へと入って行く。
結界の迷路を抜け、辿り着いた先ではカイラがワイングラスを片手に外の景色を眺めていた。
「どうしたの? そんなに慌てて。」
カイラはここにリラが来る事を知っていたかのような穏やかな笑顔で、慌てた顔のリラに振り返った。
「こんな昼間から、お酒?」
そんなカイラの笑顔にリラはホッとしたように、その顔にも笑みがこぼれた。
「恰好だけよ。中身はただの水だもの。それよりどうしたの? 昨日の私の言葉を聞いていなかったのかしら。貴方は私に依存しすぎてる。」
カイラの鋭い視線に、リラは頬を赤くし、慌てて反論する。
「違う! ただ、不吉な夢を見て……。それで、心配になって。」
「ほら、やっぱり聞いていないじゃない。」
「え?」
窓際にスッと立つカイラは、隣にあった小さな机にグラスを置くと、ゆっくりリラに歩み寄る。そしてリラの頭を抱き寄せながら言った。
「人なんて、いついなくなってしまうか分からないのよ……?」
その言葉はまるで、リラの見たあの不吉な夢をカイラ自身が知っているようで リラは恐ろしくてたまらなくなった。
「カイラ…。」
カイラの胸に自分の顔をうずめるリラは、瞬時にその異変を感じ取った。カイラも同じ異変を感じ取ったようで、慌ててリラを自分から引き離す。
「誰かが結界の中に入り込んだんだわ。」
扉の向こうにいる敵を射るように凄い形相で扉を睨みつけるカイラに、リラの顔は蒼白だった。
「まさか、レオ……?」
「だとしたらヤバいわよ。すぐに結界を解いて、彼を迎えにいかないと!」
カイラはそう言って、素早く魔法を詠唱した。カイラの足もとに青く輝く魔法陣が現れ、それはものの数秒で消えてしまった。
「今、無理やり彼の居る場所とつなげたわ。これで一本道よ。」
扉を次々と開けていくカイラの後に続くリラ。四つ目の扉を開けると、そこには怯えたように佇むレオの姿があり、リラは安堵のため息をついた。
「リラ、大変だ! 表に変な奴らがっっ。」
胸をなでおろしたのも束の間、リラとカイラは顔を見合わせた。
「変な奴ら?」
真っ先に口を開いたのはカイラたっだ。レオは戸惑いながらも深くうなづいた。
「誰か知らないけど、とにかく大勢!」
「カイラ、とにかく結界を!」
「無茶言わないで。私達がいるのは無理やり一本道にした迷路のど真ん中。今、結界を戻せば、私達も帰れなくなるわ。」
焦りを押し殺すように、不敵な笑みを浮かべるカイラにリラは弱々しい声を漏らす。
「そんな……。」
いつもとは違う弱々しい姉の姿に動揺を隠せないレオ。 いったい何が起こっているのか想像もできなかった。
「手ならあるじゃない。私達がここで奴らを食い止めるのよ。」
その言葉に、頼りなく目を伏せていたリラも驚きに顔をしかめた。
「無茶はそっちじゃない! 敵の数も戦力も何も分からないこの状況で、そんな賭けみたいなこと……。第一こっちには、レオがいるのよ!」
「大丈夫。敵は姿を見せる前に、その存在を魔力を持たない彼に気付かれてしまった。そんな相手なら彼の一人や二人、後ろに居ても敵じゃないわ。」
「カイラ! 私が言ってるのは――――っ!!」
その言葉を遮るように、扉の向こうから何十人もの人の足音が聞こえる。
「来るわよ!」
これ以外に選択肢はないと覚悟を決めたのか、震えているレオの手を取り、叫ぶ。
「レオは私の後ろにいなさい!」
その声の直後、微かな魔法詠唱の声が聞こえ、前方の扉が爆発音とともに木っ端微塵に吹き飛んだ。
大きな爆音が部屋中に響く。
現れたのは、歳も背格好もまばらな貴族兵(魔法を駆使して主を守る兵士)たち。貴族兵たちの着る紺色の兵士服の肩には金の糸で鷲の絵が刺繍されていた。 それは彼らが、鷲を紋章とするヨハン=サノバスの部隊である事を示していた。
「……お目当てはリラ、かしら。」
カイラは身構えながら貴族兵たちに問う。