親子の亀裂
ヨハンの寝室から締め出しを食らったユウリはテラスへ出て夜風に当たりながら星を眺めていた。広々と屋敷の南側に作られたテラスは全面大理石、月明かりを反射して柔らかい光がテラスを包む。それはまるであの日見たアルレラント城のようで、地下牢で聞いたヨハンの言葉を思い出した。
テラスに作られた二人掛けの椅子にゆったりと腰掛けるユウリは、柱の向こうに人影を見つけて背筋を伸ばした。目を細め、それが誰なのかを見極める。それは、急に部屋を飛び出し、どこかへ消えてしまったウィルであった。
「浮かない顔ですね。」
よほど思いついていたのか、ユウリが声をかけるとウィルは飛び上がった。自分とそれほど変わらないはずなのに自分よりもずっと落ち着いた顔つきのユウリにウィルは口ごもる。人を愛すという事は、こんなにも人を大人にするのだろうか。そう思うとウィルはまともにユウリの顔を見る事ができなかった。
「……何でもありませんよ、お気になさらずに。」
気にするなと言われても、悲しげな表情で空を見つめるウィルをユウリが放っておけるわけがない。ユウリはウィルの隣で手すりに肘を乗せた。
言葉に反し、ウィルはどこかホッとしたように、そしてゆっくりと口を開く。
「貴方は、あの方を心から愛していたのですね。」
唐突なその言葉にユウリは微かに目を大きくする。
「カイラのことですか?」
ウィルは頷いた。
「今も、心から愛しています。」
ユウリは遠くに見えるアルレラント城を見つめ、呟いた。ユウリの横顔を見つめるウィルは泣くのを我慢する幼い子供のようだ。それに気付かないふりをするユウリはさらに続ける。
「貴方が思いつめる事はありませんよ。」
その言葉にウィルは驚きに目を見開いた。
「カイラを襲ったのはヨハン様の兵士たちです。そしてカイラを見殺しにしたのはリラだ。貴方が思いつめる事はありません。」
「……恨んでいますか? 父の事を。」
ユウリは少し違和感を感じた。何かを恐れるようにウィルは肩を震わせていた。何をそんなに恐れているのか、確かにヨハンがカイラの死のきっかけを作ったかもしれない、しかし直接手を下したのはリラであって、ウィルがそこまで怯える事が理解できないでいた。
もしやウィルはリラの正体を、あの時治癒魔法を使うわけにはいかなかった状況を知っているのかとも思ったが、それを口に出し、ウィルに確かめる事はユウリには出来ない。
「確かにカイラの死のきっかけを作ったのはヨハン様かもしれません。でも直接手を下したのはリラです。先ほども言いましたが、貴方が思いつめる事はありませんよ。」
そして、ウィルはゆっくりと口を開いた。
嘘をつくということは、こんなにも苦しい事なのだと初めて知った。それは、相手が自分のことを思っていくれているほどに辛いものだ。相手の紛れもない優しさが伝わるほどに、いばらのようにウィルの体に巻きついて行く。
「違うんです。」
「何がですか?」
ウィルのいきなりの言葉に、意味が分からなかったユウリだったが、口ごもるウィルに優しげな表情を向けた。
リラが血を引く者ではなかったら、出会うことのなかった人々が何人いるのだろう。カイラに出会っていなければ、悩むことさえ知らなかった苦悩がいくつあるだろう。それはウィルにとっても同じなのかもしれない。ユウリは、つかの間、この青年の兄のように、俯くウィルを見つめていた。
しかし、それは次のウィルの一言に崩れ去ってしまう。いとも簡単に、そして、ユウリを激しく動揺させた。
「私なんです。父の貴族兵たちが帰った後、あの小屋を襲撃させ、貴方の――――……!!」
顔を跳ね上げるウィルは、目の前に佇むさっきとは別人のようなユウリに言葉を詰まらせた。そこから感じるのは怒りではない。言葉では言い表せないような、まるで、何もかもを飲み込んでしまうようなオーラに言葉がでない。
「すいません。とりみだしました。」
そう言って、ユウリは恥ずかしそうに軽く下を向いた。そんなユウリにウィルは少し戸惑いながら話し始めた。話さなければいけないと感じたのだ。
「父は最高位貴族でありながら、王政の復活を願う王政派の人間です。父が最高位貴族になった辺りから国内が二派に分かれたと聞いています。私が幼いころから父は王政のことになると目の色が変わりました。いつか、血を引く者があらわれてこの国は変わる。変わらなければいけないのだと、それが父の口癖でした。今思えば父は知っていたのかもしれません。血を引く者の存在を、確信していた。」
「どういう事ですか?」
ウィルの話に、冷静を取り戻しつつあったユウリは怪訝な表情をした。ウィルはテラスから見えるアルレラント城に視線を送る。
「あの城を壊す事に反対だった父は、裏で城を守るための活動に尽力していました。」
リラが結界を解き、時が流れ始めた城は今も月の光に輝きを放っている、東の空が徐々に白み始める夜明けを心待ちにしているように、濃紺の空に浮かび上がる城はとても美しかった。
「一度だけ、父に聞いた事があるんです。なぜ自分を偽ってまで最高位貴族であろうとするのかを。裏でこそこそとする父は父らしくなかった。」
「……それで、ヨハン様はなんと?」
ユウリは息を飲んだ。
「『これぐらいしか、私にはないのだ』と。」
「どういう意味ですか?」
「父はリラ殿が血を引く者だという事を知っていました。」
その言葉にユウリの眉が動く。
「だから、貴方が血を引く者を語って屋敷に現れた時、牢に入れず、わざと貴方を逃げるように仕向けた。リラ殿が貴方を追ってアルレラント城へ向かうように。」
「リラを世間に知らしめるために自分は最高位貴族であり続けなければならない、そうもとれますね。」
ウィルは力強く頷いた。
「なぜそこまで、リラにこだわるのでしょう?」
考えるように俯くユウリにウィルは言った。
「私は、父のそういう所が嫌いでした。私などよりも、いるかどうかも分からない血を引く者にに期待を寄せる父が……。だから、あの日、父が湖畔の小屋に送った兵が無残にも帰ってきた姿をみて、私がやらなければと思ったんです。私を見ようとしない父の鼻をあかすんだと。でも、先日、森の中を歩く父の後を追って、分かりました。父は始めから殺す気なんて、なかったんだと。」
あんな嬉しそうな父をを見たのは初めてだった。自分には見せた事のない“父親の顔”にウィルは、自分の犯してしまった罪の重さを理解した。
「貴方にとっても、リラ殿にとっても、あの女性がかけがえのない人だったのに……。私のくだらない勘違いのせいで、私はとんでもない事を……!」
「そうですか。」
ただ一言呟いたユウリはゆっくりとその場を去っていく。
「待って下さい! 許されない事をしたと分かっています。しかし、父にはどうか黙っていてもらえないでしょうか!?」
その言葉に、ユウリは立ち止まり振り返る。どんなに冷たい目を向けられるかと覚悟したウィルは、ユウリのあまりにも優しげな表情に拍子抜けだった。
「ヨハン様はちゃんと貴方の事を思っていますよ。」
「え……?」
一瞬の出来事にウィルの思考は追いつかない。すでに姿を消したユウリの言葉がウィルの頭に深く響いていた。父が自分の事を思っているなど信じ難かったが、嬉しくないといえば嘘になる。
ウィルは半信半疑のまま、テラスを後にした。
地平線が、朝の光に白み始めていた。
夜が明けようとしている頃、リラは一筋の涙を流していた。ベッドの上でぐったりと横たわるヨハンの顔はとても穏やかで、初めて見るその顔は“父親の顔”に見えた。
誰を思っているのだろう、どんな夢を見てるだろう。
リラは、気持ちの整理がつかないまま、ずっと重苦しいカーテンの隙間から昇る朝日を見つめていた。