疑惑を向けられたリラ
「男の向かった場所が分かったとは、本当ですか!?」
シュルドが言った。自分たちの失敗を挽回するチャンスが早々に巡ってきただけに、その顔は晴れやかだった。
「是非、このシュルドにご命令を。」
貴族兵として数々の戦場を潜りぬけてきたという自信が、シュルドの声を生き生きとしたものに変えていた。貴族兵として十五年、隊の中でもシュルドが一番の年長者であり、実力者だった。
「アルレラント城だ。」
ヨハンは葉巻を灰皿に押し付けて言った。ソファーに大柄な体を預けるとシュルドたちに、向かいに腰かけるようにと促した。
「なぜ、アルレラント城に男が向かったと?」
「あそこには何がある?」
その言葉にウィルは思い出したように口を開く。
「結界……?」
ヨハンは息子の言葉に頷いた。そして、重い腰を上げると窓辺にかかる深紅のカーテンを豪快に開けた。そこからは月夜に照らされたアルレラント城が見える。
「あの結界は、歴代の国王たちが幾重にも重ね合わせ作った鉄壁のバリケード。あれを解除できるのは王家の血を引く者だけだ。」
「なるほど。城の結界を解除することで私たちに自分が王家の血を引く者だと証明できるわけですね。」
じっと話を聞いていたキーシュは不思議そうに首をかしげた。
「でも、なんでヨハン様は私たちに『殺せ』とご命令にならなかったんですか?」
その言葉に、ヨハンは驚いたように振り返った。
「馬鹿! 尋問して誰の差し金か調べるために決まってるではないか!!」
シュルドはキーシュをしかりつけるように言った。最高位貴族・ヨハン=サノバスにこれだけ軽口が叩けるのはアルレラント中を探してもこのキーシュ=カリヤウトぐらいなものだ。
「でもさ。殺しときゃぁ逃げられる事もなかったわけだし、殺さないまでも地下の牢獄に閉じ込めとけば、逃げられる事もなかっただろ? あそこは魔法が使えないようになってんだから。」
シュルドは言葉に詰まった。キーシュの言うことにも一理ある。でも、貴族兵である自分がヨハン以外の者の意見に賛同するなどもってのほかだった。それがヨハンと相対する意見ならばなおの事。きっとヨハンならキーシュの愚問にも答えてくれるだろうと、シュルドはヨハンを見つめた。
「なるほど。お前の意見も一理あるな。しかし私がそうしなかったのにはわけがあるのだ。」
その言葉に、シュルドは少しの安堵の表情を浮かべた。
「わけ?」
「あぁ。まず一に、なぜ私が男を殺さなかったのかだが……。」
ヨハンは少し考えるように息子を一瞥した。
「私が、王政派の人間だからだ。」
キーシュもシュルドも驚いて言葉が出なかった。長年ヨハンのもとで貴族兵として働いてきたシュルドでさえも、いや、長年ヨハンのそばにいたシュルドだからこそ、そんなこと考えたこともなかった。
「最高位貴族の私が王政派の人間など示しがつかんからな。表向きは保持派を謳っているのだ。」
ヨハンの言葉を呆然と聞いていたシュルドは何かを思い出したようにハッと我に返った。ウィルはこの事を知っているのだろうか。
振り向いたそこには、悔しげに唇をかみ、怒りに肩を震わせるウィルがいた。シュルドの脳裏に、遠い昔の光景が浮かぶ。
初めてサノバスの屋敷にやってきたウィルはまだ九つだった。物陰に隠れ、震えていた幼い日のウィルの姿が今のウィルの姿と重なった。徐々にサノバス夫妻や屋敷に仕える者たちと打ち解け始めたウィルをシュルドも実の弟のように接してきた。
ヨハンの後を継ぐために必死だったウィル。自分に家と家族を与えてくれた父の期待にこたえるために、必死に勉強した。そんな矢先、ウィルは知ってしまったのだ。父が自分より、いるかどうかも分からない裏切り者の血を引く人間に期待を寄せている事を。
「それと、なぜ男を牢獄に入れなかったかという事だが――――。」
ヨハンは、まるで息子の変化に気付いていないかのように続けた。その時、部屋の戸が勢い良く開いた。
「ダメ!!」
そこには、髪をふりみだし、肩で息をするリラの姿があった。
「結界を壊したりなんかしたら、大変な事になるわ!」
リラの声に、ウィルも顔をあげる。急に室内に流れ込む、ひんやりとした外気に、心なしか呼吸が楽になったような感覚があった。
「リラ……殿……?」
「どちら様かな?」
ヨハンはまるでリラを知っているように、冗談めいた口調でにやりと笑った。
「先ほど言っていた少女です。」
シュルドが言う。
「ほう。それにしても可笑しな事を言う娘だ。あの男は結界を“壊す”のではない。“解除”しに行くのだ。」
ヨハンは勝ち誇ったように言った。そんなヨハンにリラは言葉を詰まらせる。シュルドは恐ろしくなった。長年ヨハンのもとで働いてきた彼だったが、こんなヨハンはみた事がなかった。
それはどこか、焦っているようにも感じられる。それを相手に気取られぬように必死につくろっているように見えた。ヨハンに、そこまでさせているのが、あの少女だということが信じられなかった。
「まるで、お前はあの男が偽物だと知っている口ぶりだな。それは――――。」
「彼女が本物だから……。」
シュルドは呟いた。
「はぁ!? 何言ってんだよ、シュルド殿。」
「考えてもみたまえ。あの男は一度も魔法を使ってはいない。それに、あの男には……、刻印がなかったのだ。」
ヨハンが鷲を紋章としているように、魔法を使う者は皆それぞれに違った紋章を持ち、それは魔法陣にもあらわれる。そしてそれは使い手の体の一部に生まれつきの痣として刻まれ、生涯消える事はない。
「でも、それはあいつが偽物ってだけで、彼女が本当の血を引く者って事にはならないぜ?」
「あの魔力は尋常ではない。それに彼女は金の髪をしている。今までキーシュ殿は会った事があるか? 金の髪の人間に。」
「あ、いや。それはないけどさぁ……。」
その言葉を最後にキーシュは押し黙ってしまった。
「とにかく止めたければ早くするんだな。じゃないと手遅れになる。ただし、そんな事をすればここにいる全員がお前を本物の血を引く者と認識するが、構わんよな。」
ヨハンは、微笑みながら顎をさすった。まるで、リラの表情の一つひとつを観察し、それを楽しんでいるようだった。
「勝手にすれば?」
そう言い残し、リラはドレスの裾を翻し、その場を去って行った。
彼女の金色の髪が名残惜しそうにウィルの視界から消えて行く。ウィルは何かに操られるように立ち上がるとリラを追い、部屋を後にした。