本物と偽物
リラが目を開けると、そこは見慣れない天井だった。ベッドに寝かされていたリラはゆっくりと起きあがる。大きな窓の外はまだかすかな月明かりに照らされていた。
部屋にはリラの他に誰もいない。ベッドの脇の机には、温かいお茶の入ったティーカップが置かれていた。
「あの人の部屋……?」
リラは呟いた。なんで自分がここのベッドで寝ているのか分からなかったが、とりあえず、外の様子が気になったリラは、お茶には口をつけず、部屋の外に出た。
リラがいた部屋は二階の奥の部屋だった。廊下の向こうからは、一階の大広間にいる貴族たちの騒ぎ声が聞こえる。
とにかくあの男と話がしたかった。
王家の血を引く者だと名乗り、保持派の貴族たちの集うこの場所にやってきた怖いもの知らずの男。リラはあの男の行方を捜し、屋敷の中を歩き回る。たどり着いたのは吹き抜けに沿って廊下を歩いた奥から二つ目の部屋。ここの扉にだけ結界が張られている。小屋全体に結界を張り、外敵を惑わすカイラの結界とは違い、これは魔力消費が少なく済むものだ。
しかし魔法で無理にこじ開けるわけにもいかない。中に入るには室内にいる結界を張った本人がリラに気付く必要があった。
しかし、室内に結界を張った人間がいる気配はしない。
扉の前で首をかしげるリラに、グランが近寄ってきた。
「お加減はいかがでございますか?」
その時、分かった。この部屋の扉に結界を張ったのはこのグランに違いない。
「もう大丈夫です。」
リラが言うとグランはホッとしたように微笑んだ。
「それはようございました。何しろ、ローブの男が取り押さえられた後に、すぐ気を失ってしまわれて……。きっと男が捕まり気が緩まれたのでございましょう。」
優しく語るグランに、リラは戸惑いながら口を開いた。
「あの……。」
「あぁ、申し遅れました。わたくしヨハン様よりウィル坊ちゃまのお世話を仰せつかっております、グラン=バルティと申します。」
恭しく頭を下げるグランに、リラは両手を顔の前で振りながら言った。
不思議な事に、このグランという老人を見ていると、とても落ち着いた気持ちになる。おそらく彼自身のまとう雰囲気が周りをそうさせるのかもしれない。
「あ、そうじゃなくて。私もこの部屋に入りたいんです。」
リラが言うとグランは、扉をまじまじと見つめ不思議そうに言った。
「おそらく、今はウィル坊ちゃまたちがあの男を尋問なされてる最中で御座います。入っていかれても……。」
「尋問?」
その言葉にリラは背筋が寒くなった。それが表情にも出てしまったのか、グランが微笑んで言った。
「お優しいのですね。」
「え……?」
「確かに尋問と聞いて、良い顔をなさる方は多くはないかもしれませんね。」
そう言って、グランは扉に向き直った。
「貴方は貴族には向いていない。でも、貴方のような方こそが貴族という称号を持つに相応しい人間なのかもしれません。」
扉をノックしたグランは、中から声がしたのを確認すると扉を開けた。
「坊ちゃま、先ほどの女性がお見えになりました。」
その言葉にリラは、まだ自分の名前を名乗っていないことに気が付いた。
「リラ=ヒュースと申します。」
そんなリラにウィルも、その場にいた二人の貴族たちも微笑んだ。そしてウィルも改めて自分の名前を口にした。
「ウィルです。ウィル……」
しかし、ウィルは言いにくそうに、視線をそらす。そんなウィルを見かねたように、隣にいた男性が口を開いた。
「俺は、キーシュ=カリヤウトだ。で、こっちの黙りこくってるのが、我がアルレラント希望の星、ヨハン=サノバス様のご子息、ウィル=サノバス様だ。」
キーシュがウィルの肩を叩く。
「ウィル……サノバス…?」
リラはあまりの驚きに声も出せなかった。さっきまで肩を抱かれていたこの人が……
リラは、自分の肩を掴んだ。
「あいつの息子?」
リラが呟いたその言葉に、そばにいたグランだけが気づいていた。
グランは、何事もなかったように一礼すると静かに部屋を出て行った。グランが去った部屋に残った三人の貴族たちは、今のこの状況には不釣り合いなほど、あっけらかんとしていた。
「キーシュ殿。そんな言い方をしては、またウィル殿が拗ねてしまわれるではないか。」
かけた眼鏡を中指で押し上げながら、呆れたように言うのは、シュルド=ハイト。
シュルドは、強い魔力を持っていた。その強力な魔力を隠そうともしない。彼はよほどの自信家で、ナルシシストだ。そして、ヨハン=サノバスに忠誠を誓う貴族兵の一人。
「あの男はどうしたのですか?」
リラが言う。
その場にいた全員が顔を見合わせた。あまりにもリラが焦った表情をしていたのだろう。
「どうもこうも、こちらにいますよ。」
キーシュが自分の体を半歩左へと動かした。そこには椅子に縛られ、眠ったようにうなだれるローブ姿の男がいる。
「さっきまで起きていたのだがね。何を聞いても、まともに答えてはくれないので、もう一度ウィル殿の魔法で、眠ってもらうことにしたのだ。こちらもずっとこの部屋にいては気が滅入ってしまう。」
「これから大広間に下りて、大騒ぎしてる貴族様たちをどうにかしなくちゃいけないし。まっ、どちらにしても気が滅入っちまうよ。」
キーシュが肩をすくめた。そんなキーシュにシュルドもこの状況に思わずため息が漏れる。
「なんせ、前例がない。皆も慌てるさ。ヨハン様はこれをどう切り抜けられるおつもりなのか……。」
「さー。とにかく俺たちに、出来ることをやるしかないですよ。」
そう言って、部屋を後にするキーシュとシュルド。
「ほら、ウィルも行くぞ。」
「あ、あぁ。」
キーシュに急かされ、慌てた様子で部屋を出るウィルは、すれ違いざまに、リラに言った。
「貴方も、戻った方がいい。」
低く、今まで聞いたことないような男の人の声。怒りを抑えたような、悲しくて辛そうな、その声にリラはしばらく動くことが出来なかった。
三人が部屋を出ると、まるで魔法が解けてしまったように部屋は静まり返った。リラはその場に泣き崩れた。
「助けて……。カイラ。」
思わず漏らしたその言葉にリラ自身が驚いた。いや、驚くことでもなんでもない。この薄紅のドレスを着て、ここにやってきたのだって、リラの意志ではなかった。カイラが死ぬ前に見せてくれた未来に、自分が舞踏会で踊る姿があったから、それがカイラが残してくれたものだったから、レオに恰好の良いことを言っておいて、結局自分はすがっていただけなのだと、リラは打ちのめされていた。
「また、泣いているのか?」
突然頭の中に響いたその問いかけは、柔らかくてとても澄んだ声だったような気がする。リラは顔を跳ね上げ、部屋を見渡した。目に入る人物といえば、椅子に縛られた男ぐらいだが、男はまだ眠っている。
その時、男が小さなうめき声をあげた。フードに顔が隠れていては男が起きているのかを見分けることも容易ではない。
しかし、男はリラを見つめるように頭を動かした。
「……泣いているのか?」
「え?」
さっきと全く同じセリフだった。でも、その言葉は静まり返った室内にさっきよりも冷たく響いていた。
「おまえは、私に『何で、ここに来たのか』と聞いたな。」
「ええ、聞いたわ。」
涙をぬぐいながら、リラは立ち上がった。そして、男を睨みながら言う。
「だからなんだって言うの? 貴方、何者?」
リラは警戒していた。この男が一体何をたくらんでいるのか、見当もつかない。
「王家の血を引く者。」
淡々という男にリラは眉をひそめた。
「ふざけないで。」
「ふざけてはいないさ。」
何かを含んだように意味深な笑い方をする男はすっと立ち上がった。いつの間にか男を縛っていたはずのロープがほどけている。
ゆっくりと歩み寄る男は、身構えるリラの顎に手を添えた。
「でも、そうだな。本物がいらっしゃるのに、偽物がでしゃばる必要もないか。」




