招待状
―――― 魔力を持つものを貴族と呼ぶ世界。
そんな世界で繰り広げられる激動の歴史。
ほんの60年前、アルレラントで起こった事件。
時の国王・イアン=アルレラの処刑。
激動の時代から早、60年が過ぎた。
過去の激動など、とうに忘れ去ってしまったかのように平和な時を過ごしていた。
あの男が現れるまでは。
「我は血を引く者! 今ここに、王家の復活を宣言する。」
自分たちの都合のいいように作り変えられた60年間が
今、音を立てて崩れ去ろうとしていた。――――
朝のまぶしい日差しが、茅葺の屋根を照らす。 澄んだ空気に鳥のさえずりが良く響いていた。 そして、いつもと変わらない一日が始まる。……はずだった。
「リラに、舞踏会の招待状が届くなんて信じられないわ。」
一人の女性が、食卓の上に置かれた小さな封筒を見つめながら言った。封筒には確かに我が子の名前があり、差出人が貴族であることを証明する貴族印(貴族一人ひとりに与えられている紋章をかたどった印)が押されている。
それは間違いなく最高位貴族(アルレラントの最高権力者に与えられる称号)ヨハン=サノバスから届いた舞踏会の招待状であった。
「奴ら、いったい何を考えてんだ? 今更リラに何の用があるってんだよ。」
弟のレオは、姉に届いたその手紙を睨みつけ、吐き捨てるように言った。 レオの貴族嫌いは今に始まったことじゃない。 ことの発端は一年と少し前。 リラに突然、魔力が宿ったのだ。
それはリラたち家族がサノバスに来たばかりの、まだ寒い頃。
舗装もされていない道を馬車が通るたびに立ち込める土煙がまるでリラたちを拒むかのように舞っていた。
「あら。新入り?」
石畳の道を下りてきたリラたち家族に、井戸端会議をしていた婦人たちが声を掛けてきた。
「はい、これから挨拶に伺おうと思いまして。」
そう言って、軽く頭を下げるリラの父、ジョンに婦人の一人が顔をしかめた。
「ふん、よく言うわよ。貴方たちなんて、誰も相手にしないわ。」
リラたち家族は顔を見合わせた。
しかし、その婦人の言うとおり、どの家を訪ねてもリラたち家族は、あまり歓迎されなかった。
舗装された石畳の道が延びる町の中心には、最高位貴族のヨハン=サノバスをはじめとして、政治の中枢を担う貴族たちが屋敷を構え、その他の住民たちは町の隅に追いやられるようにして暮らしていた。それでも貴族たちから申し分ないほどの食糧や生活用品の配給があったし、豊かな土地のおかげで住民たちの耕す畑も豊作続きだった。
そんな中、リラたち家族の家は、小さいながらも町の中心にほど近い場所、石畳の坂道を登った場所にあったから、反感を買うのも無理はない。
リラの父、ジョンは武芸にたけた男で、拳銃を扱うこともできる。その屈強さを買われ、ヨハンの屋敷に警備兵として雇われていた。母のシーナはこの国では珍しい医学の知識を持った才女だったから、皆が妬む気持ちも分からなくはない。
行く先々で感じる妬みと、憎しみの視線に耐えられなくなったレオは、一人で森の散策に出かけてしまった。
一通りの挨拶回りを済ませたリラたち家族はレオを探しに森の中に入ったとき、森の奥からレオの叫び声を聞いた。足を滑らしたレオは今にも谷底へ落ちてしまいそうな、そんな状況だった。レオの体を支えているのは、なんとも頼りない枝一本。その枝もミシミシとしなり、今にも折れてしまいそうだ。
崖の上から手を伸ばしても、レオの手を掴むことは出来なかった。
「レオ、もっと手を伸ばせ!」
ジョンが懸命に救助を試みるが、枝のしなる音がだんだんと大きくなっていく。
その音に焦るレオは、体をばたつかせ必死に父親の手を掴もうとする。
「バカっ――――!」
ジョンが叫んだのもつかの間、重みに耐えきれなくなった枝があっけなく折れてしまったのだ。
「レオっっ!!」
両親たちの叫び声が辺りに響く。ジョンもシーナもレオの最期を覚悟した。
しかし、レオは落ちなかったのだ。
レオはまるで羽を持つ鳥にでもなったかのように宙に浮かんでいる。自らの体が浮いていることに目を丸くするレオは、両親の背後に立つリラに目を向ける。
目の前にいる我が子にも気づかず悲しみに顔を伏せる両親たちの後ろで、リラだけがまっすぐとその光景を見つめていた。
「もしかして……、リラが?」
まるで別人のような鋭い視線で自分を見つめているリラの足元で青白い光を放つ何かにレオは息を飲んだ。彼女はまるで動じず、顔色一つ変えず、まるで自分に魔力がある事を以前から知っていたかのようにも見える。
谷底に落ちたはずのレオの声にジョンとシーナは驚き、顔を跳ね上げた。背後に立つリラに目を向ける。
「リラ……。」
シーナもまた、娘がまとう近づく者を切り裂いてしまいそうなほどの鋭い雰囲気に息を飲む。このまま娘が自分たちの知らない世界に消え去ってしまうような恐怖にも似た、そんな漠然とした不安が胸をかすめた。
シーナの声に、さっきまで涼しげだったリラの顔が恐怖の色に変わっていく。同時にレオの体がゆっくりと浮遊し、無事、崖の上へと降り立った。
レオは自分の身に起こったことを必死に理解しようとしていた。自分の肉体が今ここにある事を確認するように自分の手のひらを見つめ、次にリラを見た。
そこにいたリラは青ざめた顔をしている。その表情にジョンもシーナも、そしてレオも、今日の出来事は決して不用意に口にしてはならないのだと、心に誓ったのだった。
「あの時は、リラに見向きもしなかったくせに。」
弟のテーブルの上の拳がわなわなとふるえている事にリラは気付かないふりをしていた。自分を思うからこそ口をついて出た恨みの言葉にも。
当時、リラが魔法を使えるという事実を最高位貴族であるヨハンの耳に入れていいものかとジョンとシーナは決めあぐねていた。魔力を持つ者を無条件に貴族として迎えてくれるアルレラントでも、庶民がら貴族になった者は存在しない。それは本来魔力というものは親から子へと受け継がれるもので、親が貴族ならば子も貴族、親が庶民ならば子も庶民、ジョンもシーナもそれぞれの両親からそう教わっていたし、ジョンもシーナの家系も魔法を使える者は一人もいない。自分の娘が、今までの常識を覆すような、そんな人間である事がどうしても受け入れられないでいた。
そんな中、レオだけがこの出来事を前向きにとらえていた。リラが貴族になれば、周りから嫉妬の視線を向けられる事もなくなるのではないのかと思ったからだ。
リラはこの事に関して口をつぐんでいたし、自分の事だというのにどこか他人事で興味のないようなそぶりだった。しかし、もしかしたらヨハン本人に直接お目通りが叶うかもしれないという話になると、リラからいっさいの迷いや不安の色が消えていた。それは貴族になることを望んでいるというよりも、その心は一生に一度でさえ会える事のないはずの最高位貴族ヨハン=サノバスに向けられているようだった。
結局、リラは貴族になることはなかった。
ヨハンの屋敷まで出向き、ヨハンに直訴したが、ヨハンは一瞬驚きの表情を浮かべたものの、終始、穏やかな表情で、恰幅の良い体をソファーに預け、葉巻をふかしていた。
それからというものレオは、自分のせいでリラに嫌な思いをさせたのではないかと、自分の軽率な行動を後悔し、貴族と聞くと、激しい怒りを表すようになっていった。
あの時は、まるで関心がないかのように自分たちと目も合わせようとせず、パイプをふかしていたヨハンが今さらになって姉に送ってきた招待状。それをビリビリに破り捨ててしまいそうな勢いのレオにテーブルの向かいでミルクの入ったカップを手にしたシーナは静かに口を開いた。
「でも、母さんはね。正直、リラが貴族にならなくてホッとしてるのよ?」
シーナはコップの縁を指でなぞりながら悲しげな表情で言った。あの時の自分たちの選択が間違っていたと悔いているように呟く。
「ここ数ヶ月、嫌な噂を聞くわ。王政を復活させようとする王政派の貴族達と、このまま自分達が国を動かしたいと望む保持派の貴族達で小競り合いが続いてるそうじゃない……。そんな所に娘を行かせたいと思う親はいないわ。」
家の中に流れる重々しい空気。 どちらかといえば冷静な母親が見せる不安に顔を曇らせた表情にリラもレオも表情をこわばらせた。
しかし次の瞬間、シーナの発した言葉に、二人は背中に電流が走るような感覚を覚えた。
「おまけに王家の血を引く人間がいるなんて……。」
六十年前、途絶えたはずの王家の血。その血を受け継ぐ者、つまり六十年前、処刑をまのがれた生き残りがいて、どこかにひそみながら再びこの国の王に返り咲く好機を今か今かと舌なめずりをして待ちわびているのではないかという噂が、どこからともなく広がって、今やアルレラント中を駆け巡っていた。
「裏切り者の血を引く人間がいるなんて考えたくもないよ。」
レオはそういって立ち上がると、壁際に置かれた本棚から赤い背表紙の本を取り出し、それを机の上に置いた。
リラは妙な胸騒ぎを覚え、固唾を飲む。
「このアルレラントにも、ほんの六十年前までは王がいたんだ。アルレラント最後の国王イアン=アルレラは表向きは国民の事を第一に考える慈悲深い王だったんだけど、裏では気にくわない城の人間は躊躇なく殺すような奴だったんだ。」
レオンは、本の隅に載せられたイアン=アルレラの肖像画を指さした。その肖像画は殆ど燃えカスになってしまった物をどこかの貴族が魔法で復元させたらしい。そのせいなのか、輪郭はぼやけ人相すらはっきりしない。
「イアン=アルレラは金の髪をなびかせ、颯爽と闊歩するがごとく、城に仕える執事や兵士たちを虐殺し、国民をその精悍な顔立ちでだまし続けた――――。」
シーナは本に書かれた一文を読み上げた。
アルレラントでまず見かける事のない金色の髪は、王家の象徴のひとつだと忌み嫌われていたが、六十年の歳月がそんなくだらない考えを風化させ、今ではイアンが金髪であった事を知る人間も数少なくなっていた。
「金色の髪なんて珍しいわね。ねぇ、リラ?」
「う、うん。」
リラは鼻先までかかりそうな長い前髪を気にするように、しきりに髪をなでながら頷いた。
「私、友達と約束があるの。遅くなるかもしれないから夕食はいらない。」
リラは何やら慌てたように席を立った。鮮やかな金色の髪がふわりと揺れていた。