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その一 路頭に迷ってこんにちは!

「別にお前は何も悪くないんだよ」

「……はい」

 ディララは神妙に頷いた。

「そりゃ見た目は変わってるけど、綺麗な顔立ちだし、踊りの技は群を抜いてる」

「それは自信があります!」

「でもね、うちの店は殿方に女の色を提供するところなんだよ。

 夜に二人きりでお前と過ごすのは気味が悪いんだって、お得意さんみんながね」

「……」

「黄緑の眼が光って精気を吸われそうで抱きたくないって断られちまったよ。

 もっと普通の白い肌の可愛い娘を相手したいってね

 いや、精を吐き出しに来てなに言ってんだ、とはあたしも思ったけどもね?」

 楼主の妻はわずかな小銭と先程食べた朝ご飯の残りを雑にまとめて小さな包みを作り、無言のままのディララの胸に押しつけた。

「そういうわけで、仕方がない。

 お前にはそれなりの金をかけてきたけど、誰も欲しがらないならうちではもう面倒は見れない。

 お前はたくさん努力してきた良い娘だから、場末の店に叩き売るのはやめてあげるよ」

 じゃ、達者でね、と言うのと同時に彼女の鼻先で妓楼の裏口の扉を勢いよく閉めてがちゃり、と鍵をかけた。

「………………うっそ、馘首(くび)?」

 ディララ、18歳。

 妓女見習い改め、無職。

 所持品、餞別の小銭と残飯。

 着物、見習い妓女の半分透け透けひらひらのお仕着せ(紅)。

 行き先、未来、不明。

 ディララはその場で頭を抱えて絶叫した。

「どーしよー⁈ そんなのひどいー!」

「うるさいね! 朝から騒ぐんじゃないよ!」

「あっ、ごめんなさいー!」

 妓楼の上の階からの怒声に彼女は素直に謝った。 客が帰還後の貴重な睡眠時間を妨害して悪いことをした。

 騒ぎを聞きつけたのか彼女が気づくと、周りの楼の階の窓もいくつか開いてそこから女の顔がのぞいている。

 そのいずれも不快そうな表情をしていることにディララは顔を引きつらせた。

「移動しよ……」

 胸にぎゅっと小包を抱きかかえ、姿勢を低くして彼女はその場を脱出した。



「ああ、ほんとどうしよう……」

 とぼとぼと道を歩く。

 夕方の王都のそれなりに大きい通りの一つ。

 朝からあてもなく歩き回り、行くところがなくてこんなところまで来てしまった。

 

 追い出された後のしばらくの間、彼女は10年以上暮らした建物を未練がましく眺めていたが、朝の掃除をしに来た若衆の男にうっとおしそうに追い払われた。

 慌ててその場を離れ、ふらふらとさまよううちに気がついたら花街の唯一の出入り口の大門までやって来ていた。

 見習い妓女の格好をした彼女は追い払われるかも、身を固くしたディララだったが、見張りの男は彼女を見てにやりと笑って言った。

「彩玉苑のディララだな。

 なーるほど、こりゃ売れねえわ。

 ほら、行っていいぞ」

 太い腕を花街の外の通りに差し伸べられ、彼女はきょとんとした。

「……通っていいの?

 妓女が一人で街の外に出ちゃいけない決まりなんじゃなかったっけ。

 あと、なんでわたしのこと知ってるの?」

「なんだお前、女将さんに何も訊いてないのか」

 男はディララの顔を面白そうに覗き込みながら腕を組んだ。

「大店、彩玉苑が昔拾った異国人の孤児。

 濃い栗色のくるくる髪に浅黒い肌、黄緑の眼。

 相当な踊りの名手の見習いだって有名だったぜ、お前。

 で、いざ色を売る年頃になって水揚げ相手を探したらどのお大尽もヤりたくないって拒否したってな。

 まあ、しゃーない。

 花街で金使うような男は商売女に癒やされに来てるからな。

 お前みたいな顔は綺麗だが何でも見抜いちまいそうな眼の女と寝たくないってことだろうさ」

「……うん、みんなにそう言われた」

 ディララはしょげて眉を大きく下げた。

「まあ、そう落ち込むもんじゃない。

 色好みの爺に身を売ってもそんないいもんじゃねえよ。

 で、彩玉苑の楼主夫婦は金にならないお前を店から追い出すことにした。

 ――つまり、花街からの開放だ。

 と、言うわけでお前はもう一般の素人娘だ。

 ここから出て行って自由に暮らせ」

「……それっていいことなのかな。

 ずっと頑張ってたのに、それでも誰もわたしを欲しがらなかったのに」

「いいことだ。

 じゃ、もう行け。

 通行許可はもう出てる。

 もう戻って来るんじゃないぞ」


「て、言われても実際困るんだけど……」

 ディララは道ばたの端、大きな屋敷の軒先に座り込んで朝のことを思い出していた。

 見習い妓女の飾り靴でずっと歩き回って、さすがに足が痛い。

 時折通行人が奇妙なものを見るように彼女の様子を伺うが、ひたすら無視をした。

「お腹空いた……」

 餞別としてもらった残飯はもう食べてしまった。 平たい腹がくぅ、と小さい音を立てる。

「そろそろ姐さんたちは仕事かな……」

 先輩の妓女たちには時折意地悪もされたが、たまに甘いおやつをもらったりしたし、何年も一緒に暮らした家族みたいなものだ。

 ディララは家族というものが本当はどういう存在か知らないけれど。

「姐さん……。女将さん……」

 彼女の大きな薄い色の瞳から大粒の涙が盛り上がった。 

 小さな嗚咽が我慢できずに口から溢れて、もういいや、と彼女は大きな声で泣き始めた。


「おいおい、お嬢さん。こんなところで座り込んで大泣きしないでくれよ」

 すぐ近くで聞こえた声にディララが涙と鼻水でぐちゃぐちゃのまま顔を上げると、立派な着物をきたおじさんが腰に手を当てて彼女を見下ろしていた。

「どうしたんだい……ん? その格好、お前、妓女かい? もしかして足抜けしてきたのか?

 ……困ったなあ」

 ふっくらとした人の良さそうな顔が問題だ、と言わんばかりに大きく歪む。

 ディララは鼻を啜ってひらひらの袖で濡れた顔を拭うと首を横に振った。

「足抜けじゃないです。……妓楼を馘首になりました。

 全然売れないからって。

 わたしのせいで、仕方のないことだけど……」

「妓楼を、馘首⁈ そうかい、それで困っているのかい……」

 おじさんは大きく眉を下げて悲しげな顔をした。 話が早い。

 見た目通り人の良いおじさんのようだ。

「家族はいるのかい? 

 お前を受け入れてくれる知り合いは?」

 ディララは首を大きく横に振った。

「わたし、孤児なの。

 見た目がこれでしょ? 

 だからもし、家族がどこかにいたとしてもずっと遠い異国の人だと思う……。

 頼る人なんて、いない」

 また眼から涙が溢れ出して浅黒い色の頬を伝った。

 彼はたぷたぷとした顎に太い指を当てて考え始めた。

「うーん……。

 お嬢さん、君、何かできることはある?」

「できること?」

「料理とか、金勘定とか」

 ディララは黄緑の眼を大きく瞬きして素直に答えた。

「踊りが得意です」

「うん」

 おじさんが頷いた。

「それから?」

「楽器もそれなりにできます」

「なるほど」

 ディララは涙を引っ込めた。

「……詩歌も少しなら」

「……家事は?」

「できません」

「妓楼のお会計を手伝ったことは?」

「ないです」

「薪割り」

「無理です」

「そうか……」

 おじさんは空を仰いで大きく深呼吸をした。

 ディララはそれを黙ったままじっと見つめた。

「……まあ、もう夕方だからね。

 若い女の子が遅い時間に道ばたに座り込んでいたら危ない。 

 とりあえず、今夜はうちの屋敷に泊まりなさい」



 ご飯がすごく美味しい。

 食後の冷たい果物なんて初めて食べた。

 ディララは限りなく満ち足りたお腹を撫でてうっとりとしていた。

 あのあとおじさんは大きな屋敷に入れてくれて、彼女に温かい湯殿を貸してくれた。

 彩玉苑にもお風呂はあったが、こんなに大きくて立派ではなかったし、姐さんたちの残り湯を他の見習い妓女たちとのお湯の争奪戦、時間制限付きだった。

 今日は広い、良い匂いのする木の浴槽をディララが独り占めだった。

 身体の隅々まで暖まったあとはつるつるの感触の着物を貸してくれた。

 そのあとに見たこともないくらい色々な種類のおかずが並んだ膳を差し出されて夢中で食べた。

 もちろん、妓楼で教育された優雅で可愛い食べかたはきちんと意識して。

(すっごい経験だったな)

 使用人のお姉さんが、もうすぐ主人が参ります、と言う言葉に頷き、ディララは艶々とした円卓に触れて指紋を残さないように気をつけながら置かれたお茶を啜った。

 今夜はおじさんがお屋敷に泊めてくれる、でも、明日からはまた自分の身の振り方を考えなくてはならない。

 それを忘れないように意識しながらも、彼女は

感動する気持ちを抑えられなかった。

(お金持ちって、すごい)

 ディララが朝まで暮らしていた彩玉苑は富裕層を相手にしている妓楼だ。

 もちろん、彼らが不快に思わない程度のしつらえはなされている。

 だがその空間を使うのは楼の中でも高級な妓女だけだったし、見習いディララが立ち入ることは許されなかった。

 だから、このお屋敷での経験は何もかもが初体験だ。

「おや」

 開いた窓の外から、聞いたことのない声がした。 ディララはどきりとして素早く振り返った。

「うわ」

 立派な着物に簡素な革の鎧を着て、腰に立派な剣を提げた若い男だ。

 彼は笑って言った。

「悪かったな、邪魔をした。

 知人を訪ねて来たのだが、人違いだったようだ」

「えっと……」

「君はどちらの令嬢だ? 

 文礼殿の知己の娘君か?

 ……おや、不思議な眼をしているな。

 とても綺麗だ」

 ディララは慌てて顔を袖で覆った。

「あ、私は」

「これは失礼をした。

 見知らぬ令嬢に対する行いではないな。

 ――わたしは、陸家の第二子、明遠と申す者。

 お名前をお聞きしてもよろしいか?」

「陸家……」

 そしておじさんの知人で、武人で、陸。

 ディララでも妓楼で何度か聞いたことのある名前だった。

 確か、この国の軍の指揮をする、上級の家門の貴族の名前だ。

 つまり、お金持ち。

 彼女は無言でじっと男の顔を見つめた。

 彼は愛想良く笑って彼女を見返してくる。

(顔が良い。礼儀正しいし、多分性格もそんなに悪くなさそう。

 その上、わたしにちょっと好意的)

 ディララの頭の中はかつてないほどの回転を始めた。

(……つまりこの人に気に入ってもらえれば、奥さんか愛人にしてもらえる……⁈)

 つまり、衣食住確保、今夜の極上体験が毎日続く可能性⁈

 ディララは妓楼で叩き込まれた華やかな笑顔を浮かべて可愛らしく小首を傾げた。

「明遠さま……」

「明遠さま!」

 彼女のいる部屋に繋がっている廊下の奥から、軽い足音と共に若い娘が走ってやって来た。

 艶やかな黒髪をなびかせた美女はディララの前を通り過ぎ、窓の外で大きく両腕を広げた明遠の胸に飛び込んだ。

 ディララは即座に笑みを消して真顔になった。

 魅了作戦中止。

「もう。こんなところにいらして。

 わたくし、使用人から聞いて、あなたを捜し回ってしまいましたわ」

「すまない、雪鈴。

 君を驚かしたくてね。

 外から君のいる部屋を探したら間違ってしまったのだ。

 それで、彼女……、名前はまだ知らないが、話していたんだよ」

「まあ、ひどい。

 わたくし、さっきまであなたがいらしてくださるのをじーっとお部屋で大人しく待っていたのよ?

 もしも外から呼びかけられたら心の臓が止まってしまいますわ」

「それは困るな」

 ぴったりと抱き合った二人が至近距離で笑い合った。

 離れた位置からでもわかる、美女の、雪鈴の長く癖のない艶やかな黒髪、真っ白で柔らかそうな肌、優しげな黒い大きな瞳。

 それを無言で見ていたディララに気づいたのか、美女――雪鈴は優しく微笑んで円卓の椅子に座ったままのディララにゆっくりと歩み寄って来た。

「お父さまのお客さまね。

 明遠――恋人がお邪魔してしまってごめんなさい。

 びっくりなさったでしょう?」

「いや、本当にね。

 明遠の悪戯好きにも困ったものだ」

 今度は廊下からゆったりとした着物に着替えたらしいおじさんが呆れたように言いながら現れた。「お父さま」

「文礼殿。こんなところから失礼いたしております」

「全くだよ」

「…………」

 似ていない父娘と、その恋人の一幕をディララは無言で見つめた。

 その視線に気づいたのか、明遠が彼女を示しておじさんに質問した。

「文礼殿、先程こちらの令嬢に無礼な行いをしてしまった。

 謝罪したいのだが、ご紹介いただけるか?」

「ああ……」

 おじさんは少し困ったように太い顎を撫でた。

「彼女は夕方に保護した元妓女の子だよ。

 大泣きしててね。

 どこにも行く当てがないっていうから、とりあえず今夜は泊めたんだ」

「妓女……」

 明遠が少し困惑したように呟いた。

 ディララは、彼らのやりとりを全て無視して迷いのない足取りで大きく進んだ。

 窓際に佇む雪鈴の元に。

 それを見て取ったのか、明遠が雪鈴の細い肩を掴んで自分に引き寄せるようにした。


「あの!」

ディララは大きな声できょとんとした雪鈴に言った。


「初めまして! 

 わたしディララ!

 ねえ、あなた、とっても綺麗!

 彼氏も多分お金持ちで格好よくてとても羨ましいの!

 どうしたらわたし、あなたみたいになれるの⁈

 教えて!」

「……」

「……えっとね、お嬢さん」

 その場にいる男二人が対処しきれないように停止したのをよそに、雪鈴はディララをじっと見つめた後、愛らしく微笑んだ。

「とっても大好きな男性に愛されることが秘訣よ?」

 雪鈴は窓越しに隣に立つ明遠の二の腕をそっと抱きしめて控えめに寄り添った。

「この人は私にとって国で一番偉くて、強くて、素敵な男性なの」

「雪鈴……」

 明遠は感極まったように彼女の腰を片手で抱いて見つめ合った。

 ディララは勢い込んだ体勢のまま固まっていた。


 一番偉い。

 強い。

 素敵。

 とは何?

 そんな男どうやって探す? 

 かつ、愛されなければならない?


 再び頭を高速で回し始めたディララをよそに、おじさんは自分の娘を見てうんざりしたように言った。

「またお前はそんなことを。

 素敵かどうかはともかく、国で一番偉いのは王、陛下だろう?」


「おうさま……」

 国で一番偉い。

 ディララは俯いた。

「王さまなんて……どうやって会ったら」


 明遠が、ふと思い出したように顎に手を当てた

「そういえば、後宮の人員募集、まだやってたな」


 後宮。

 ディララでも知っている。

 王さま専用の妓楼だ。

 後宮に行けば、王さまに会える。

 超お金持ち、衣食住確保、国で一番偉い人のところで最高の生活確保の可能性あり。


 ディララはかっと眼を見開いて叫んだ。

「王さま!! 手に入れる!!」






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