第四章:欠落の再構成
この世界では、悲しみは存在しない。
そう“処理されている”だけだ。
ハコのハザードランプが、酸性雨に濡れたコンクリートを不規則に赤く染めていた。
レイは動かなくなった右腕を抱え、錆びついた重厚な鉄扉を、左拳で力任せに叩いた。
「……開けろ、カイ。……客だ」
数秒の沈黙の後、防犯カメラのレンズが機械音を立ててレイを捉える。
重苦しい金属音と共に扉が数センチだけ開き、そこから安物の電子タバコの煙と、脂ぎった男の顔が覗いた。
カイはスナック菓子の袋を脇に挟んだまま、電子タバコをくわえ直し指についた油をズボンで拭いながら、面倒くさそうに顔を出す。
「……ひでぇツラだな、レイ。執行官様ともあろうお方が、ハコごとドブに落ちたか?
ふんっ!… これは傑作だ。今日の合成酒は美味くなりそうだぜ」
「……デカンタがイカれた。……直せ。今すぐだ」
レイが差し出した、黒ずんだ真鍮の筐体。カイはそれを一瞥し、スナック菓子の油がついた指で、面倒そうに鼻を掻いた。
「直せ? 冗談だろ。……悪いが、回収局のお上の御用聞きは廃業したんだ。
二度と俺の視界にその『白いハコ』を入れないでくれ。反吐が出る」
「……カイ」
「まだヒーローごっこしてるのか、レイ? 誰かを救ったつもりになって、笑わせるなよ。
お前がいつも言ってたろ。……感情なんてのは、抜いちまえばただの廃棄物、ゴミなんだろ?」
カイの言葉が、レイの脳裏でエナに言った自分の声と重なった。
——『いいか、感情なんてのは、抜いちまえばただの廃棄物だ。……余計な感情を増やすな。それがこの街の定常なんだよ』
エナを突き放したあの時の言葉を、カイは嘲笑うように、一字一句違わずに投げ返してきた。
「ゴミを拾って、英雄にでもなれると思ったか? ……廃棄物を抱えて、泣き言を言いに来たのか? だったら場所を間違えてるぜ。
ここはジャンク屋だ。ゴミの葬取場じゃねえ」
レイは、反論できなかった。
自分がエナに突きつけていた「正論」が、今、自分自身の逃げ道を完璧に塞いでいた。重苦しい沈黙。ハコのアイドリング音だけが、不規則なリズムで空間を震わせる。
「帰ってくれ」
「……いや……」
それでも、押し殺しきれずに漏れる。
「……おまえとの喧嘩はもう飽きてるんだ」
目は合わせない。
「……帰ってくれ」
錆びついた重厚な鉄扉が閉じられる。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
もし「悲しみを消せる」としたら、
あなたはそれを選びますか?




