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SAD MEMORY -悲しみのない世界-  作者: 藤原崇文


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第二章:回収局の『ハコ』

この世界では、悲しみは存在しない。


そう“処理されている”だけだ。

地下二階、管理専用駐車場。  蛍光灯の青白い光の下、車体に大きく『感情管理部 回収局』と刻印された改造した白い商用バンが、無機質な塊として鎮座している。ハコと読んでいる。


ハコの重たいスライドドアを開けると、消毒液とオゾンのような乾いた匂いが、エレベーターの中の淀んだ空気を上書きした。


「……乗れ。次のポイントまで453秒しかない」


エナは遠慮がちに助手席に潜り込み、膝の上で予備のシリンダー達をぎゅっと抱きしめた。  

システムを起動させると、車底の高圧電磁トランスが「ブゥゥゥン……」と内臓を揺らすような低い唸りを上げ、静かに駆動を始める。


地上へと続くスロープ。

街の人工光が、防弾仕様の厚いフロントガラスに歪んだプリズムを落とす。

信号待ちのわずかな時間、隣の気配がふと止まった。

横目で盗み見ると、エナは俺に背を向けるようにして、ジャケットの裾に隠したシリンダーを覗き込んでいた。  

必死に、震える指先で。  

その透明な筒の中には、さっきの女性が捨てたはずの、淡く、震えるような「薄青色の液体」が、まだ波打っている。


「……はぁー」


俺は、意識的に大きく、そして心底めんどくさそうに溜息を吐いた。

エナの肩が、弾かれたように跳ね上がる。


「……出せ」

「え、えっ……何が、ですかレイ先輩……」

「白々しい真似すんな。そのシリンダーだ。……質量が計算と合わねえ」

俺は片手でハンドルを握ったまま、もう片方の手を無造作に少女の方へ差し出した。  

エナは真っ青な顔で俺の手を見つめ、それから震える手で、隠していた青いシリンダーを差し出した。


「……いいか。管理AIを舐めるなよ」

俺はシリンダーをひったくるように受け取ると、ダッシュボードの影、安全システムという名ばかりのの監視カメラの死角へと押し込んだ。


「回収したリキッドの総量は、このバンの重量センサーと直結してる。0.1ミリグラムでも狂えば、次のチェックポイントでアラートが鳴る。……バレればお前、即座に『欠員補充』の対象だ。足を引っ張るなと言っただろう。」


「……すみません。でも、あの人の悲しみが、あんな風に捨てられるのが、……どうしても……」

エナの声が、湿り気を帯びて震える。

俺は正面を向いたまま、吐き捨てるように言葉を継いだ。

「いいか、感情なんてのは、抜いちまえばただの廃棄物だ。……回収局の鉄則を教えてやる。……余計な感情を増やすな。……感情を抜いて、捨てて換えを打つ。それがこの街の『定常』なんだよ」


エナはそれ以上、何も言わなかった。  フロントガラスに映る彼女の横顔は、まだ青いリキッドの残響に当てられたまま、震えを隠しきれずにいた。



ハコは、上層区——街の人工光が最も眩しく輝くエリアの、一等地にそびえる高級マンションの前に滑り込んだ。  

オートロックのゲートを抜け、ホテルのようなロビーを横目にエレベーターを上がる。

「ここ嫌いなんだよな」レイがボソッと


「??……レイ先輩。ここ、さっきの場所とは全然違います」


エナが、緊張した声でシリンダーを抱きしめる。

消毒液とオゾンの匂いは、ここでは高級なフレグランスの香りに隠されていた。


「……ああ。……最上階だ。感情管理部の幹部やら、企業のトップやらが住んでる『完璧な幸福』の象徴みたいな場所だ」


チーン、と無機質な音がして扉が開くと同時に、黒スーツのガードマンに立ち塞がれる


「止まれ。ここから先はα級管理区域だ。どこの所属だ、お前ら」

黒スーツの一人が、威圧的に俺の汚れた作業着をなめる。


俺は心底めんどくさそうに溜息を吐き出し、胸ポケットから使い古した黒い身分証を突き出した。

「……あー、これ。……確認しろ」

カードに刻まれた、漆黒の紋章と赤い文字。

それを見た瞬間、ガードマンの顔から血の気が引いた。


『感情管理部  回収局・剥離(C.D.E.)特別 執行官 レイ』


黒スーツの男が、俺のカードに目を落とす。

——ほんの一瞬、動きが止まった。


次の瞬間、男は何事もなかったかのようにネクタイを直す。

だが、その指先はわずかに震えていた。


「……失礼しました」


声のトーンが、さっきとは別人みたいに落ちる。

「……な、失礼いたしました! 執行官殿とお呼びすれば……!」

「……いい。……レイでいい。……肩書きで呼ぶな。舌を噛むだろ」



俺はひったくるように身分証を引っ込めると、呆然と立ち尽くしているエナの背中を、工具箱で軽く小突いた。

「……おい、何ボサッとしてる。……あと122秒だぞ。……急ぐぞ、エナ」

「……あ、……はい! ……し、執行官……先輩?」


エナの脳内は、さっきまでの「ちょっと怖いおじさん」と、目の前の「伝説の特殊部隊員」という情報が混ざり合い、フリーズしたような状態になっていた。


「……ただの古い席だよ。……籍を抜くのがめんどくさくて残ってただけだ。……それより、中の『ヤツ』の心配しろ。……ひどい匂いだぞ」


俺は重たいドアを蹴破るようにして開き、狂気とフレグランスが混ざり合った地獄へと足を踏み入れた。

部屋に入った瞬間、鼻を突くのはフレグランスの香りじゃない。


焦げた電子回路と、何かが腐ったような、不快な「感情の腐敗臭」だ。


「———た——す……あ、あ、あぁぁぁぁガァぁぁあッ!!」


部屋の中央で、一人の少年が床を転げ回っていた。

まだ十代半ば。

絹のようなシャツは破れ、瞳は完全に濁り、口からは言葉にならない叫びを上げている。

部屋中に散乱しているのは、空のシリンダー。


だが、それは俺たちが使う正規のものではない。

闇ルートで流通している、粗悪な「デカンタ」を逆流できるように改造した物だ。


「……何、これ……」

エナが立ち尽くす。


 「……ドラッグだよ」


俺は床のシリンダを蹴った。


『初恋』『葬式』『いじめ』


「上の連中はな、退屈すると——人の人生を飲む」


「——っ!!飲み干す……? 人の悲しみを、……娯楽として??」

エナの声が、恐怖で凍りつく。



 少年は、自分の胸をかきむしり、闇ルートで買った「感情」のオーバードーズで発狂していた。

「……あいつ、改造デカンタで感情の滓が逆流して、精神がバグってる。……このままだと、一時間以内に自我が崩壊するぞ」


「……助けなきゃ!レイ 先輩、シリンダーを!」



「……おい、ガキ。……ちょっとイテェかもな、恨むなよ。」


俺はデカンタの「逆流防止弁バイパス」を解除し、マニュアル違反の強制吸引を開始した。


「ブゥゥゥン……!」


高圧電磁トランスが激しく唸りを上げ、デカンタのシリンダーに、ドロドロに濁った、無色の不気味な液体が逆流してくる。  少年の狂気、恐怖、快楽……。闇ルートで混ぜ合わされた、グチャグチャな感情の滓が、俺のデカンタへと吸い込まれていく。


「……ガァァァァッ!!」


少年が、最後の一叫びを上げて動かなくなった。  

デカンタのシリンダーは、見たこともないような「透明」に満たされている。

俺は荒い息を吐きながら、デカンタを少年の首筋から引き抜いた。



少年は、瞳の濁りが消え、虚ろな顔で天井を見つめている。

……「空っぽ」の、正常な廃人に戻った。


「……チッ。……回収効率、最悪だ」


吐き捨てた瞬間、指先に残った感触が、わずかに遅れて蘇る。


――柔らかい皮膚。

――震えていた呼吸。

――「レイもこれで楽になるね」と、確かに言った声。


一瞬だけ、視界が揺れる。


「……っ」


奥歯を噛み、無理やり意識を引き戻す。


「……はぁ……」


わざとらしく息を吐いて、肩を回す。


「……あー、今のログ残ってたら怒られるかもな。効率悪すぎって」


誰に言うでもなく、軽くぼやく。

それで全部、なかったことにするみたいに。


俺は何事もなかったかのように、エナを振り返った。

エナは、俺の背中を、言葉もなく見つめている。


「エナ……何を見てる」



「……さっさとシリンダーを準備しろ。……次は下層区だ」


ここまで読んでいただきありがとうございます。


もし「悲しみを消せる」としたら、

あなたはそれを選びますか?

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