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1-2 婚約者と第四王子

 城に来たあの日、案内された部屋で過ごしたメルベールは、数日間をわけのわからないまま過ごすことになった。そして、あの日以来まともに顔をあわせることのなかったラディアスが、部屋にやってきて、開口一番こう言った。


「婚約をしよう」

「…なぜ?」


 森の中であまり人目につかないよう、ひとりでひっそりと暮らしていただけのメルベールが、まったく接点のなかった王子と婚約だなんてどんな状況だというのか。


「都合がいいからだ」

「…なぜ?」


 城に来てから数日、ラディアスとは殆ど話が出来なかった。やはり王子という立場だからだろうが、彼は常に政務に動いていて話す時間が無かった。

 勢いに押されて城まで来てしまった自分が不甲斐ない。目立たないように暮らすことが両親との約束だったのに。


「悪いようにはしない」

(理由を聞きたかったのだけど…)

「い、いきなりそんなこと…言われましても…」


 何なら一刻も早く森に帰りたい。帰ったら王子に見つからないように引っ越しをしたい。そんなことを思いながら、オドオドするメルベール。それを見たラディアスは、ふむ、と相槌をうつと視線を机上に移す。


「形式的なものだ。重く受け取らないでいい」

「でも」

「問題が発生したら言ってくれ。どちらかというとこれは命令だ。エマ」


 ラディアスがそう声をかけると、ラディアスの脇にいたエマという女性が「はい」と返事をする。メイド服を身に着けており、使用人であることは一目瞭然であった。


「誓約書を」


 ラディアスに言われてエマが紙を一枚手渡す。


「ここにサインを」


 この紙はさすがに婚約をするためのものだろう。これにサインしたら最後、婚約が決まってしまう。メルベールが躊躇っているとラディアスが念を押してくる。


「どちらかというと命令だと言っただろう」


 脅迫だ…。目が怖い。処刑は流石にしないだろうけど、逆らっても良い事があるとは思えない。だって相手は王族だ。


「本当に形式的なものなんですよね…?」

「ああ、そうだ」


 ラディアスの言葉を聞いて、ごくりと喉を鳴らす。腹を括るしかなさそう…。こんな小汚い私と王子様がなぜ婚約なんか。

 半泣きになりながらメルベールは紙にサインをした。


城に来てから、用意された部屋でひっそりと暮らすことを求められたメルベールは、外の様子を眺めていた。着替えさせられたドレスは、飾り気のないシンプルなもので、質感は上等なものに感じられた。


(こんな良いものをわたしが着ても大丈夫なの?)


 そんな風に心配してしまう程度には、きれいな服に抵抗を覚える。今まで着ていた服は、使い込んでボロボロだった自覚があったからだ。

 メルベールのお世話係として就けられた使用人のエマが、紅茶を用意しながらメルベールのその姿を見る。エマの栗色の髪は毛がくるくると巻いていて短く、ヘッドドレスがよく似合っていた。小柄でちょこまかとよく動く、働き者という雰囲気だ。

 突然、城に招かれたメルベールの心境を思うと、エマは少し心配だった。エマが問いかける。


「もう、お城の暮らしには慣れましたか?」

「…慣れません」

「あはは…そうですよね」


 苦笑いするエマにメルベールは苦笑いを返す。

 森での暮らしとは違って、確かに不自由はない。でも、窮屈ではある。場違いな自分にとって、ここはさすがに居心地が悪い。綺麗にされたベッドも自分が寝転がったりしたら汚してしまいそうと、メルベールは思っていた。


「紅茶のご用意が出来ました」


 エマに促されて椅子に着く。


「エマさんも椅子に座ってもらえませんか?」

「え? それはさすがに」

「私が落ち着かないのでぇ…」


 ふにゃふにゃで頼りのない顔をしたメルベールのお願いに、苦笑いしながらエマは従った。


「きっと紅茶を飲めばいつものように落ち着きますよ、メルベール様」


 差し出された紅茶に口をつける。ここに来てから毎日出される紅茶は今まで飲んだお茶のどれよりも美味しかった。


「ああ、美味しいぃ…」


 それを聞いたエマがにふふっと小さく笑った。メルベールが紅茶をしっかり味わっていたその時、窓の外から複数人が騒いでいる声が聞こえた。


「何か騒がしいですね」


 言いながらエマが席を立ち、窓の外を覗く。


「また…エルダイナ様か…」

「エルダイナ、様?」


 エマの呟きに対してメルベールが問いかけると、エマは首を振って腕を組む。


「第三王子のエルダイナ様です。多分、武術の稽古中ですね。度々ああして騒ぐのですが…」


 呆れた様子で話をしていたエマがそこではっとして口を噤んだ。


「エマさん?」

「…失礼いたしました。お忘れください」

「気になります。エルダイナ様とはどんな方なんですか?」


 エマは少し迷ったあと、メルベールに向き直った。


「メルベール様、エルダイナ様にはお気をつけくださいませ。ラディアス様とは違って、少し難しい方なので」


 エマの緑色の丸い瞳は真剣に訴えてくる。それはさておきメルベールは首を傾げた。


(ラディアス様もわたしにとっては、易しいと思えないのだけれど…何を考えているのかわからないし)


 そんな感想を抱きながらも、エマの話を聞く。


「とはいえ、このお部屋にいらっしゃれば大丈夫だとは思います。お城の中を不用意にお歩きになられませんよう」

「そんなに?」


 エマの神妙な様子に少し身構えつつも、エルダイナという王子が厄介そうなことは理解できた。


「私は別の仕事がありますので、一度退室させて頂きます」


 そういうとエマはさっと身を翻して扉の外へ行ってしまった。

 騒がしい声はまだ聞こえる。エルダイナ王子がどんな人物なのか気になり、そっと窓の外を見てみた。


 窓の外には中庭が広がっており、そこに数人の人影がある。その中心で声をあげているのが、恐らくエルダイナ王子だろう。周囲の人間とは身なりが違って豪華に見えた。

 何を話しているのかは距離があって聞き取ることは出来ないが、あまり楽しそうな雰囲気ではないようだ。エマの様子からしても慕われている王子ではないのだろう。


 メルベールがエルダイナを注視していたら、急に視線を上にあげた。メルベールは慌てて身を屈める。


(まずい。ここにいるのがバレた?)


 しばらく身を潜めて待つ。それから、確認のためそっと窓の外を覗き込んだ。先ほどと同じように数人に囲まれた王子が、目の前の恐らく従者に声を荒げている様子が見えた。


(よかった…。バレていないみたい…)


 一安心したメルベールは再び席に着き、紅茶を一口飲んだ。そして考え込む。


(エマさんはあまりこのお城の内情は話さない。ラディアス王子からそう仰せつかっているのかも。あまりにもわからないことだらけ。なんで私はここにいるんだろう。いつかラディアス王子から理由を話してもらえるのだろうか)


 メルベールが城に来た時、日が暮れきって辺りは真っ暗だった。誰もランタンを持たず、それこそひっそりとこの広い部屋までやってきた。


(私の存在は秘密ってことだよね…呪われているし、ラディアス様は呪いを警戒しているんだろうな…)


 居心地の悪さは日に日に増していくばかり。メルベールは早く森に帰りたいと、そのことばかりを考えていた。


 お茶の時間を終えて、テーブルについたままぼんやりとしていたら、扉の外からエマの声が聞こえてきた。


「メルベール様、失礼いたします」


 断ってから入室をしたエマだったが、何やら慌てた様子だった。扉を開けるやいなや体を滑り込ませるようにさっと入室すると、すぐに扉を閉めた。


「何かありましたか?」


 メルベールが問いかけるとエマはすぐに距離を詰めた。


「メルベール様、すぐにこの部屋を出ます。急いでください」

「え?どういうこと?」

「理由は後からお話致します」


 エマのただならぬ様子に戸惑いながらもメルベールは席を立った。エマが先に扉へとたどり着き、ドアノブに手をかけようとしたその時、扉がガチャと音を立てて開いた。


「隠れている女はここかあ?」


 扉の奥から顔を出したのは先程中庭で騒いでいた男だった。


「エルダイナ様…」


 エマがそう口にすると、エルダイナはエマの顔を見てにやりと笑う。

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