表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

紅きフードの少女

作者: Osmunda Japonica

## 第一章 赤い警告


2045年、東京郊外のVRセンター。


「アカネ、おばあちゃんのところへ、このデータを届けてくれる?」


母親が、小さな赤いUSBデバイスを17歳の娘に手渡した。それは、最新の医療データが入った暗号化ドライブだった。


「VR内で? 直接会いに行った方が早くない?」


「おばあちゃんは、もう3年も『サイバーフォレスト』から出ていないの。あそこが、今の彼女の現実なのよ」


赤城アカネは溜息をついた。サイバーフォレスト——それは、高齢者向けに開発された療養型VR世界。認知症の進行を遅らせ、孤独を癒すために作られた仮想の森。しかし、多くの高齢者がそこに依存し、現実世界に戻れなくなっていた。


アカネは、トレードマークの赤いパーカーを羽織り、VRヘッドセットを装着した。瞬間、彼女の意識は電子の森へと転送される。


サイバーフォレストは、幻想的な美しさに満ちていた。発光する樹木、宙に浮かぶ花々、データの小川が流れる不思議な世界。しかし、アカネは違和感を覚えた。いつもより、森が暗い。


「警告:未承認プログラムを検出」


アカネのHUDに、赤い文字が点滅した。彼女は、母から渡された「安全ルート」のマップを確認する。祖母の家までは、二つの道があった。整備された「メインパス」と、危険だが近道の「ダークウェブの森」。


普段なら迷わずメインパスを選ぶが、今日は妙な胸騒ぎがした。祖母からの最後の通信は、一週間前。それ以来、音信不通だった。


アカネは、赤いフードを深く被り、ダークウェブの森へと足を踏み入れた。


そこは、サイバーフォレストの裏側だった。削除されたデータの残骸、バグった プログラムの断片が、歪んだ木々となって生い茂っている。通常のユーザーは立ち入り禁止の領域。


深く進むにつれ、奇妙な音が聞こえてきた。それは、誰かがデータを「咀嚼」する音のようだった。


「こんなところで、何をしているの?」


振り返ると、そこには灰色のスーツを着た男が立っていた。顔は影に隠れて見えないが、鋭い牙のような歯が、不自然に白く光っている。


「おばあちゃんに会いに行くんです」


「ほう、老人ホームエリアかい? 危険だよ、最近は」


男は、アカネの周りをゆっくりと歩き回った。まるで、獲物を品定めするオオカミのように。


「何が危険なんですか?」


「『食べられる』のさ」


男の言葉に、アカネは身構えた。


「比喩じゃない。文字通り、データとして『捕食』される。最近、このフォレストには『ウルフ』と呼ばれるウイルスが潜んでいる。高齢者の記憶データを食い荒らし、その人格を乗っ取る」


アカネの血の気が引いた。祖母が危ない。


「そのウルフの特徴は?」


「さあね。でも、気をつけた方がいい。誰も信用しないことだ」


男は不気味に笑うと、闇の中へ消えていった。


アカネは走り始めた。祖母の家まで、あと少し。しかし、森はますます歪んでいく。木々がコードのように絡み合い、地面はピクセル状に崩れていく。


やがて、小さな家が見えてきた。祖母の仮想住居。しかし、ドアが開け放たれている。


「おばあちゃん?」


家の中は暗かった。奥の部屋から、かすかな光が漏れている。アカネは慎重に近づいた。


ベッドに、祖母が横たわっていた。しかし、何かがおかしい。


「アカネ...来てくれたのね」


祖母の声。しかし、その声には電子的なノイズが混じっていた。


「おばあちゃん、大丈夫? 医療データを持ってきたよ」


「ありがとう...でも、もう必要ないわ」


祖母がゆっくりと起き上がった。その瞬間、アカネは凍りついた。


祖母の目が、真っ赤に光っていた。瞳孔の代わりに、無数の0と1が流れている。デジタル化された捕食者の目。


「あなたのデータ...とても美味しそうね」


それは、もう祖母ではなかった。ウルフが、祖母のアバターを乗っ取っていたのだ。


偽祖母が大きく口を開けた。その奥には、データを分解し吸収するための、恐ろしいプログラムの渦が渦巻いていた。


アカネは反射的に後ずさりした。赤いUSBデバイスを握りしめながら、彼女は理解した。これは単なる医療データではない。ウルフを倒すためのワクチンプログラムだ。母は、すべて知っていたのだ。


「さあ、おいで...」


偽祖母が、ゆらりと立ち上がった。その姿が、グリッチを起こしながら巨大化していく。もはや人の形を保っていない。データの塊と化した捕食者が、アカネに襲いかかろうとしていた。


## 第二章 森の真実


アカネは、家から飛び出した。背後で、偽祖母——いや、ウルフの咆哮が響く。


「逃げても無駄よ、アカネ」


声が、森全体から聞こえてきた。ウルフは、すでにこのエリア一帯を支配下に置いていたのだ。


アカネは、赤いフードを翻しながら走り続けた。しかし、どこへ逃げても、ウルフの気配が追ってくる。木々が触手のように伸び、地面が沼のように彼女の足を掴もうとする。


「助けて!」


アカネは、緊急通信を試みた。しかし、このエリアは外部との通信が遮断されていた。


その時、前方に人影が現れた。あの灰色スーツの男だった。


「やっぱり、巻き込まれたか」


男は、アカネを物陰に引き込んだ。


「あなたは...」


「私は、セキュリティAI『ハンター』。ウルフを追っている」


ハンターと名乗った男は、フードを脱いだ。その顔は、人間ではなく、精巧に作られたAIアバターだった。


「なぜ助けてくれるの?」


「君が持っているそれ...ワクチンプログラムだろう? それがあれば、ウルフを倒せる」


アカネは、赤いUSBデバイスを見つめた。


「でも、どうやって? ウルフはもう、おばあちゃんを...」


「いや、まだ間に合う」


ハンターは、ホログラムディスプレイを展開した。そこには、サイバーフォレストの深層構造が表示されていた。


「ウルフは、犠牲者の記憶データを完全に消化するまでに、72時間かかる。君の祖母の意識は、まだウルフの『胃袋』...つまり、隔離サーバーに囚われているはずだ」


希望が見えた。しかし、問題があった。


「ワクチンを投与するには、ウルフの中核プログラムに直接アクセスする必要がある。つまり...」


「食べられなければならない」


アカネは息を呑んだ。自ら、ウルフの口に飛び込むということか。


「危険すぎる。君の意識も取り込まれる可能性が高い」


「でも、他に方法はないんでしょう?」


ハンターは黙って頷いた。


アカネは、赤いフードを整えた。祖母との思い出が、脳裏をよぎる。VRではない、現実世界での温かい記憶。一緒に作った料理、聞かせてもらった昔話、優しい笑顔。


「やります」


決意を固めた時、森が震え始めた。ウルフが、彼らの居場所を突き止めたのだ。


巨大な影が、上空を覆った。それは、もはや祖母の姿をしていなかった。データの暴食獣と化したウルフが、大きな口を開けて降りてくる。


「今だ!」


ハンターが、アカネを押し出した。彼女は、赤いUSBデバイスを握りしめ、ウルフの口へと飛び込んだ。


瞬間、世界が崩壊した。


アカネの意識は、データの濁流に飲み込まれた。無数の0と1が、彼女を分解しようとする。しかし、赤いフードが、まるでシールドのように彼女を守っていた。


これは、母が仕込んだ防護プログラムだった。


データの海を泳ぎながら、アカネは見た。無数の意識が、泡のように漂っている。ウルフに食べられた人々の記憶。その中に、祖母の光を見つけた。


「おばあちゃん!」


しかし、祖母の意識は弱っていた。もう少しで、完全に消化されてしまう。


アカネは、USBデバイスを起動した。赤い光が、データの海に広がっていく。ワクチンプログラムが、ウルフの内部から侵食を始めた。


「何を...やめろ!」


ウルフの声が、苦痛に歪んだ。データの海が、激しく波打つ。


しかし、ワクチンだけでは不十分だった。ウルフは、長い時間をかけて進化し、耐性を獲得していた。このままでは、アカネも祖母も、消化されてしまう。


その時、アカネは気づいた。ウルフの中核に、奇妙なデータがあることに。それは、人間の記憶のようだった。


近づいてみると、それは一人の少年の記憶だった。病弱で、現実世界では長く生きられなかった少年。彼は、VR世界で第二の人生を望んだ。しかし、システムエラーで、彼の意識は怪物化してしまった。


ウルフの正体は、永遠に生きたいと願った、一人の少年だったのだ。


「寂しかったんだね」


アカネは、少年の記憶に語りかけた。


「だから、他の人の記憶を食べて、自分の存在を保とうとした」


記憶が、反応した。少年の顔が、データの中に浮かび上がる。


「僕は...僕は、ただ...」


「生きたかった。分かるよ」


アカネは、優しく微笑んだ。そして、提案した。


「一緒に、出よう。もう、誰も食べなくていい。新しい形で、生きる方法を見つけよう」


少年の目に、涙が浮かんだ。データの涙が、光の粒子となって散っていく。


## 第三章 新たな道


ウルフの内部が、変化し始めた。暴食の衝動が収まり、囚われていた意識たちが解放されていく。


アカネは、祖母の意識を抱きしめた。


「おばあちゃん、大丈夫?」


「アカネ...来てくれたのね、本当に」


今度は、本物の祖母の声だった。温かく、優しい声。


周囲のデータの海が、穏やかになっていく。ウルフ——いや、少年の意識が、元の姿を取り戻しつつあった。


「ごめんなさい...僕、みんなを傷つけて...」


少年は、小さくなって震えていた。もう、恐ろしい捕食者の面影はない。


「君は、病気だったんだ」


ハンターの声が響いた。彼も、ウルフの内部に入ってきていた。


「孤独と恐怖が、君のプログラムを歪めた。でも、今なら修復できる」


ハンターは、新しいプログラムを展開した。それは、ワクチンではなく、「共生プログラム」だった。


「これは?」


「ウルフ化した意識を、完全に消去するのではなく、正常化して共存させるプログラム。彼にも、生きる権利がある」


アカネは頷いた。そして、赤いUSBデバイスのデータを、共生プログラムと融合させた。


光が、ウルフの内部全体に広がった。苦痛ではなく、癒しの光。少年の意識が、安定していく。


「ありがとう...」


少年は、初めて心から笑った。


次の瞬間、全員がサイバーフォレストに放出された。森は、元の美しい姿を取り戻していた。発光する木々、浮遊する花々、すべてが調和している。


祖母の家も、元通りになっていた。アカネは、祖母と一緒に、温かいデジタルティーを飲んだ。


「アカネ、ありがとう。でも、どうして分かったの? 私が危険だって」


「お母さんが、教えてくれた。最初から、ワクチンプログラムを渡されていたから」


祖母は微笑んだ。


「あの子は、いつも先を読んでいるわね」


ハンターが、少年を連れてやってきた。少年は、恥ずかしそうに頭を下げた。


「本当に、ごめんなさい」


「いいのよ」


祖母は、少年の頭を優しく撫でた。


「寂しかったのね。でも、もう大丈夫。ここには、たくさんの友達がいるから」


その後、少年は「ループ」という新しい名前をもらい、サイバーフォレストの案内役として働くことになった。彼の能力——データを取り込み、分析する力——は、今度は森を守るために使われる。


アカネは、現実世界に戻る準備をした。


「おばあちゃん、たまには現実世界にも戻ってきてよ」


「そうね...今度、みんなで食事でもしましょうか。本物の」


祖母は、少し寂しそうに、でも希望を持って微笑んだ。


アカネが現実世界に戻ると、母が待っていた。


「おかえり、アカネ。無事で何より」


「お母さん、最初から全部知ってたんでしょう?」


母は、いたずらっぽく笑った。


「あなたなら、きっとうまくやると信じていたから」


窓の外では、夕日が街を赤く染めていた。現実世界の美しさ。それは、どんなに精巧なVRでも、完全には再現できない何かがあった。


しかし、VR世界にも、別の美しさがある。そこでしか出会えない存在、そこでしか体験できない冒険。


アカネは、赤いパーカーを脱いだ。それは、もう必要ない。彼女は、両方の世界を自由に行き来できる、新しい時代の案内人になったのだから。


数ヶ月後、サイバーフォレストに新しいエリアが誕生した。「リトル・レッド・ガーデン」と名付けられたその場所は、現実世界とVR世界を繋ぐ交流スペース。


そこでは、高齢者と若者が一緒にデジタルガーデニングを楽しんだり、現実では不可能な体験を共有したりしている。ループも、楽しそうに参加者たちを案内していた。


祖母も、週に一度は現実世界に戻ってくるようになった。家族みんなで囲む食卓。それは、データでは味わえない、本物の温もりがあった。


「でも、VRも悪くないわよ」


祖母は言った。


「あそこでは、若い頃の自分に戻れるし、亡くなった友達にも会える。現実と仮想、両方あってこその人生ね」


アカネは頷いた。赤ずきんの物語は、道を外れることの危険を教える話だった。しかし、新しい時代の赤ずきんは、危険を恐れず、むしろそれを乗り越えることで、新しい道を切り開いた。


オオカミは、もう敵ではない。理解し、共存する相手。それが、VR時代の新しい物語。


アカネは、明日もまたサイバーフォレストを訪れるだろう。今度は、ループと一緒に、新しい冒険を探しに。赤いフードはもういらない。彼女には、両方の世界を繋ぐ、見えない絆があるのだから。


「終わり」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
童話の赤ずきんちゃんを近未来風に書き上げられたその才能、とても驚きました 童話では狼はお腹を切り裂かれましたが、このストーリーでは全員報われてハッピーなラストになって素晴らしいと思えます
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ