14-3. 中華統一の夢
979年春。
翠琴と高懐徳は、ついに北漢との国境に到着した。
丘の上から敵陣を見下ろす高懐徳の目が、険しくなる。
「三万ほどか……」
「やはり、遼の援軍が来ていましたね」
翠琴も双眼鏡を手に、敵の陣容を確認していた。
――北漢が遼に援軍を依頼し、遼から援軍が南下してきたことは調べがついていた。しかし、軍容までは分からなかった。
遼軍の旗が風にはためき、騎馬隊の威容が遠目にも分かる。決して侮れない相手だった。
「懐徳、やれますか?」
翠琴が振り返って尋ねる。
「ああ」
高懐徳の声に、迷いはなかった。
「こちらは五万の兵を連れてきている。それに、敵のあの士気では、話にならないだろう」
高懐徳が遼軍の様子を見つめながら続けた。
「こちらは、中華統一のための最終戦だとかなり鼓舞してきたからな。兵たちの意気込みが違う」
翠琴は頷いた。
――確かに、宋軍の士気は高い。長年の統一事業がついに完成するという興奮と誇りが、兵士たちの顔に表れている。
「では、明日の朝一番に攻撃を開始しましょう」
翠琴の命令に、高懐徳が深く頭を下げた。
「御意」
◇
翌朝、宋軍の攻撃が始まった。
高懐徳の予想通り、遼の援軍との戦いは一日で決着がついた。
遼兵の士気は予想以上に低く、宋軍の激しい攻撃の前にあっけなく崩れ始める。彼らにとって北漢の戦いは所詮他国の争いであり、命をかけて戦う理由が薄かった。
司令官の首を取った瞬間、遼軍は完全に瓦解した。
「撤退だ!撤退!」
遼兵たちが我先にと逃走していく。
北漢の自国軍も脆弱で、遼軍が敗走した後は進軍を阻むものは何もなかった。
翌日、宋軍は北漢の都を包囲した。
◇
数日後、翠琴は高懐徳を連れて北漢の宮廷を訪れた。
玉座には、劉継元が力なく座っている。その表情には、もはや戦意も希望も見えなかった。
「劉継元陛下」
翠琴が静かに声をかける。
「降伏してください。そうすれば、あなたの民は傷つけません」
劉継元の肩が大きく震えた。そして、ゆっくりと顔を上げる。
「劉の姓が……途絶えるとは……」
劉継元の声は、絞り出すようだった。
劉継元は玉座を降り、翠琴の前に立った。
その時、遼の女性使者が粛々と劉継元に近づき、母が子を慰めるように、そっと肩に手を触れた。
「さあ」
女性の優しい声が、劉継元を励ます。
劉継元は深く息を吸い、ゆっくりと口を開いた。
「北漢は……宋に降伏し、併呑されることを……受け入れます」
翠琴はその言葉を確かに聞き、静かに頷いた。
隣では書記官が、この歴史的瞬間を記録している。
――ついに……中華統一が成った。
翠琴の胸に、深い感動が湧き上がった。
姉と私の悲願だった、中華統一。
それが今この瞬間、叶ったのだ。
その時、ふと横の女性を見た翠琴の目が、大きく見開かれた。
――見間違えるはずがない。
そこには、幼い頃に生き別れた王雲瑶が立っていた。
年を重ね、シワも増えていたが、大好きな従姉妹の顔だ。あの優しい目、凛とした立ち振る舞い。すべてが記憶の中の雲瑶と一致していた。
「雲瑶……姉さま?」
翠琴の声が震えていた。
女性——雲瑶が翠琴の方に体を向ける。
その瞬間、二人の目が合った。
雲瑶は、柔らかく微笑む。
「よく頑張りましたね」
その優しい声に、翠琴の目から涙がこぼれ落ちた。
次から次へと流れる涙に、目の前が曇り、肩が震える。
「はい……姉、燁華はやりきりました」
嗚咽の混じる声で、翠琴が答える。
「あなたもね」
雲瑶は微笑み、一歩近づく。
「本当に、よく頑張りました」
雲瑶は、涙にしゃくり上げる翠琴を、柔らかく抱きしめた。
――お姉さま……雲瑶姉さま……
翠琴の心に、幼い頃の記憶が蘇ってくる。三人で過ごした幸せな日々。燁華と雲瑶に挟まれて、安心して過ごした時間。
宮廷に響く翠琴の嗚咽を、誰も止めようとはしなかった。
◇
雲ひとつない青い空が、まるで永遠を約束するかのように、どこまでも澄み渡って広がっている。
なだらかな緑の丘の上、柔らかな若草に、三人の少女がゆったりと腰を下ろしている。
中央に座る若き日の王雲瑶は、一冊の古びた書物を大切そうに膝の上に広げ、その美しい指先でページをそっとめくりながら、澄んだ声で物語を読み聞かせている。
燁華と翠琴は雲瑶を挟むように寄り添い、いとこの優しい声に、静かに耳を傾けていた。
三人の頬を、初夏の風がそよそよとなでていく。
世界が三人だけのために止まっているかのようだった。
そんな中、風に溶けるような柔らかな声が響く。
「争いのない、平和な世界を実現したいわね」
その願いは、初夏の風に乗って青い空へと昇り、遥か未来へと響き渡っていった。




