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14-2. 眠れぬ夜と、最後の希望

 同じ頃、北漢(ほっかん)の都では、劉継元(りゅうけいげん)が玉座で深刻な表情を浮かべていた。


呉越(ごえつ)清源(せいげん)が、宋に帰順したそうです」


 重臣からの報告に、劉継元の顔はさらに険しくなった。


 ――先年の戦いは、趙匡胤(ちょうきょういん)が没したことでうやむやになっていた。しかしこうなると、いよいよ宋は本気で北漢を陥とそうとしてくるだろう。


 劉継元の胸に、深い不安が広がっていた。


 もはや北漢は完全に孤立している。周囲の国々がすべて宋に帰順し、残されたのは自分たちだけだった。


(りょう)からの使者は、まだか?」


 劉継元の声に、苛立ちが込められていた。


 遼に援軍を依頼してから、もう一月が経っていた。冬で動きにくいとはいえ、あまりにも時間がかかりすぎている。


 ――まさか、遼が北漢を見捨てたのではないか。


 そんな不安が、劉継元を眠れなくさせていた。毎夜、床に就いても頭の中は心配事でいっぱいになり、安らかな眠りを得ることができない。


 玉座に座りながらも、劉継元は落ち着かず、何度も立ち上がっては歩き回った。


「陛下、お顔の血色が悪うございます」


 侍臣が心配そうに声をかける。


「構わん。それどころではない」


 劉継元が手を振って答えた時だった。


「そんなに青筋を立てると、寿命が縮みますよ」


 涼やかな女性の声が響いた。


 劉継元が振り返ると、三人ほどの従者を連れた女性が立っていた。


 年齢は五十歳ぐらいだろうか。凛とした表情は、彼女の芯の強さを物語っている。美しさの中にも威厳があり、高貴な出自を感じさせる立ち振る舞いだった。


「遼の使者殿!」


 劉継元が安堵の表情を浮かべて立ち上がる。


「お待ちしておりました」


 女性は優雅に一礼した。


「失礼いたします」


 ――この女性は、遼の先帝の妃の一人だった。ここ数年は、遼と北漢の連絡役を務めている。


 劉継元は彼女の存在を心の支えとしていた。宋出身でありながら遼に嫁ぎ、今は北漢のために尽力してくれている。その複雑な立場を理解しているからこそ、信頼を寄せることができた。


「いかがでしょうか。援軍の件は……」


 劉継元が不安そうに尋ねる。


「ご安心ください」


 女性の声に、力強さがあった。


「すでに三万の兵を国境に配置いたしました。私も、ここで戦を見届けます」


 劉継元の表情が明るくなった。


「それは……ありがたい。すぐにお礼の品を御国へお送りいたします」


「いえ」


 女性が手をずいと前に出す。


「北漢が盾となってくれることで、宋からの侵攻を免れております。お礼を言うのはこちらの方です」


 女性の言葉に、劉継元は深く頷いた。


 ――そうだ。北漢も遼も、互いに支え合って宋に対抗している。決して一方的な関係ではない。


 劉継元の心に、久しぶりに希望の光が差し込んだ。


「それにしても」


 女性が窓の外を眺めながら言った。


「美しい都ですね。この景色を守るためにも、我々は力を合わせなければなりません」


「はい。必ずや、宋の侵攻を食い止めてみせます」


 劉継元の声に、決意が込められていた。


 ――三万の援軍があれば、宋軍と十分に戦える。


 女性の存在は、劉継元にとって大きな心の支えとなった。彼女の冷静で知的な雰囲気は、動揺していた劉継元の心を落ち着かせた。


「ところで」


 女性が振り返る。


「宋の新しい皇帝について、何か情報はございますか?」


趙光義(ちょうこうぎ)ですか?」


 劉継元が答える。


趙匡胤(ちょうきょういん)の弟だと言っていますが、詳しいことは分かりません」


 女性の目に、一瞬何かが閃いたが、すぐに表情を戻した。


「そうですか。いずれにしても、油断は禁物ですね」


「はい。しかし、遼の援軍があれば……」


 劉継元の声に、自信が戻ってきていた。


 ――これで北漢も安泰だ。宋がどれほど大軍を送ってこようとも、遼の屈強な精鋭兵がいれば恐れることはない。


 女性は劉継元の様子を見ながら、静かに微笑んだ。


「では、私はしばらくこちらに滞在させていただきます。何かございましたら、いつでもお声をおかけください」


「ありがとうございます」


 劉継元が深く頭を下げる。


 女性が退出した後、劉継元は一人玉座に座り、安堵の息をついた。


 ――ようやく眠れそうだ。


 この一月間、彼を苦しめていた不安が、ようやく和らいでいた。


 遼の援軍という心強い味方を得た今、宋軍を迎え撃つ準備は整った。


 ――来るなら来い、宋軍よ。


 劉継元の目には、久しぶりに闘志の光が宿っていた。



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