14-1.未完の地図と、二人の決意
978年春。
呉越と清源が、ついに宋に帰順した。
翠琴は、両国から送られてきた賄賂をすべて返却し、代わりに二国の皇帝とその家族を開封に招いた。そして彼らに適切な役職を与え、厚くもてなした。
――お姉さまなら、きっとこうされたでしょう。
武力ではなく、寛容と信義によって人々の心を掴む。それが燁華の教えてくれた統治の道だった。
◇
翠琴は皇宮を使わず、住み慣れた高家で過ごしていた。
この屋敷には、思い出が詰まっている。燁華と共に過ごした日々、子どもたち、そして燁華が最期を迎えたあの部屋も。
夕暮れの書斎で、翠琴は地図を広げて眺めていた。
宋の領土は、この数年で飛躍的に拡大していた。南唐、呉越、清源……かつて分裂していた中華の地が、一つずつ統一されていく。
「あとは、北漢だけになったわ」
翠琴が静かに呟く。
地図の北方に残された最後の一片。そこだけが、まだ宋の色に染まっていない。
――北漢は、お姉さまの亡くなる少し前に、侵攻していた。
翠琴の脳裏に、あの日のことが蘇った。
燁華が亡くなり、急遽軍を撤退させたのだ。
しかし、もう躊躇している時ではない。
――いよいよ、統一を完成させる時が来た。
翠琴は大きく息を吸い込み、隣に控えている高懐徳を見上げた。
「懐徳」
高懐徳が一歩前に出る。
「さあ、最後の大仕事よ!」
翠琴の声に、強い決意が込められていた。
高懐徳は深く頷いた。
「必ずや、燁華の悲願を成し遂げよう」
――お姉さま、もうすぐです。もうすぐ、あなたの夢が実現します。
翠琴の胸に、静かな興奮が湧き上がっていた。
長い道のりだった。燁華の死という大きな試練を乗り越え、自ら皇帝として立ち、一つひとつ課題を解決してきた。
そして今、ついに中華統一という偉業の最終段階に立っている。
「懐徳、北漢の現状はどうなってる?」
「遼からの援軍を期待しているようだが、確実な情報はまだ」
「ただ、皇帝・劉継元は相当に動揺しているようだ。呉越と清源の帰順により、完全に孤立してしまったから」
翠琴は頷いた。
「そうでしょうね。これも、趙普の言った通りになったわね。でも、油断は禁物ね。追い詰められた獣ほど、危険なものはないわ」
――それでも、やり抜かなければならない。
翠琴は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
庭園には、美しい花々が咲いている。燁華が愛した花たちが、今も変わらず季節を彩っている。
「お姉さま、見ていてください」
翠琴が小さく呟く。
「必ず、あなたの意志を継いで、この国を完成させてみせます」
夕日が翠琴の横顔を照らしていた。その表情には、皇帝としての威厳と、姉への深い愛情が同時に宿っていた。




