12-2. 盗賊の襲撃
茶館の扉が開いた瞬間、入ってきたのはいかにも盗賊風の柄の悪い男たちだった。
三人組の先頭に立つ男は、鋭い目つきで店内を見回し、燁華と趙普を見つけると薄く笑みを浮かべた。
「ああ、いたいた。美しい夫婦さんじゃないか」
その声に、茶館の他の客たちがざわめき始める。
燁華の全身に緊張が走った。
――やはり狙われていた。
――しかし、ここで騒ぎを起こすわけにはいかない。茶館の無関係な人々を巻き込むことは避けなければならない。
「お話があるなら、外でお聞きしましょう」
燁華が立ち上がると、盗賊たちは意外そうな顔をした。
「ほう、素直じゃないか」
「ただし、他のお客様に迷惑をかけないという条件で」
燁華の毅然とした態度に、茶館の主人が安堵の表情を浮かべる。
「賢明な判断だ。さあ、外へ」
盗賊の一人が扉を開けて待つ。
「行きましょう」
「……ああ」
趙普は不安そうな表情を浮かべながらも、妻に従った。
◇
茶館の裏手、人気のない路地に連れ出された二人。
夕暮れの薄明かりの中、盗賊たちの人数は想像以上に多かった。茶館の中にいたのは三人だったが、外には更に五、六人が待ち受けている。
「随分と大所帯ですね」
燁華の落ち着いた声に、盗賊たちは警戒を強めた。
「妙に落ち着いてるじゃないか」
「商人のくせに、変な奴らだ」
その時、盗賊の頭らしき男が燁華の腕を掴んだ。
「大人しくしてもらおうか、美人さん」
同時に、別の男が趙普を取り囲む。
「動くなよ、旦那。奥さんがどうなってもいいのか?」
脅しの言葉に、趙普は苦笑いを浮かべた。
「妻は大切ですが……私は、あなたたちの方が心配ですよ」
「なに!?どういうことだ!?」
盗賊たちが戸惑った、その刹那――
燁華の身体が電光石火のように動いた。
シュッ!
腰に隠していた短剣を抜き放ち、盗賊の頭の喉元に刃を突きつける。形勢逆転。一連の動作は、まさに一瞬の出来事だった。
「動くな」
燁華の声は、店内での柔らかな女性のそれとは打って変わり、戦場で鍛えられた軍人のものだった。
「だから言ったでしょう。妻は強いんです」
趙普が肩をすくめる。
「こ、こいつ……ただの商人じゃないな!」
盗賊たちが慌てふためく中、燁華は冷静に状況を分析していた。
――八人。全員武器を持っている。一人ずつなら問題ないが、趙普を守りながらでは――
その時だった。
「旦那の方を捕まえろ!」
別の盗賊が叫ぶと、三人がかりで趙普に飛びかかった。
「あ!」
燁華が振り返った瞬間、趙普は既に縄で縛り上げられていた。
「おい!」
燁華が拍子抜けしたように声を上げる。夫は武術ができないため、あっという間に捕らえられてしまったのだ。
「ご……ごめん」
「ほら、今度はこっちの番だ」
盗賊の頭が余裕の笑みを浮かべる。
「剣を捨てろ。さもないと、旦那がどうなるか……」
燁華は歯噛みした。趙普を人質に取られては、迂闊に動けない。
「分かりました」
短剣を地面に落とす。
その瞬間、背後から別の盗賊が忍び寄り――
ゴツン!
「うっ……」
首の後ろを鈍器で叩かれ、燁華の意識が遠のいていく。
「燁華!」
趙普の叫び声が遠くに聞こえる中、燁華は地面に崩れ落ちた。
◇
気がつくと、燁華と趙普は薄暗い倉庫のような場所で、背中合わせに柱に縛り付けられていた。
縄は丁寧に巻かれ、手首も足首もがっちりと固定されている。
「趙普、怪我はないか?」
「ああ、大丈夫だ。君は?頭を打ったようだが……」
「少し痛むが、問題ない」
――燁華の頭の中で、さきほどの出来事を反芻していた。あの瞬間、趙普を見捨てて逃げることもできた。しかし、それはできなかった。
「すまない。私がもっと早く動けていれば……」
「何を言ってるんだ。君は十分すぎるほど頑張った」
趙普の声は優しかった。
「それより、久しぶりに燁華の立ち回りが見れて、ワクワクしたよ」
「……バカ言うな」
燁華は呆れて、小さく答える。
盗賊たちは倉庫の入り口で何やら相談している。
「あいつら、どうする?」
「女の方、ただの商人じゃないぞ」
「軍人かもしれん」
「だったら厄介だ」
燁華は必死に縄を解こうと試みたが、なかなか上手くいかない。
「この縄……」
「ああ、丁寧な仕事だな」
その時、背中で何かがするりと動く音がした。
「え?」
「あと少しで抜けるから。ちょっと待って」
趙普の声が聞こえる。
「抜けるって……まさか」
振り返ろうとすると、趙普の腕が自由になっているのが見えた。
「!?……」
「こういうの、実は得意なんだ」
趙普は両手をヒラヒラさせ、ひょいと立ち上がる。縄はもうほとんど解けていた。
「そんなに簡単に抜けられるなら、もっと早く解いてくれたら良かったのに」
「いや、縄が胸元に食い込んでるのが色っぽくてさ。一生懸命抜けようともがいてるのも……」
燁華の顔が、みるみる真っ赤になる。
「今度その話をしたら、本当に怒るぞ」
燁華の警告に、趙普は慌てて口をつぐんだ。
「ごめん、ごめん。すぐ解くよ」
趙普が燁華の縄に手をかけた時、倉庫の扉が開いた。
「おい、様子を見に……って、なんで立ってるんだ!」
盗賊の一人が驚愕の声を上げる。
「縄はどうした!」
「ああ、これ?ちょっと窮屈だったから」
趙普が床に落ちた縄を拾い上げる。
燁華も既に自由になっていた。縄抜けは趙普の方が上手だったが、解いてもらった後なら自分でも何とかなる。
「今度は私がやる」
燁華が立ち上がると、その瞬間から雰囲気が一変した。
――戦場で鍛えられた殺気が、倉庫を満たす。
「化け物か、こいつらは!」
盗賊たちが慌てて武器を構える。
「下がってて」
燁華の声が冷たくなった。
次の瞬間、燁華の姿が一瞬かき消えた。
ザシュッ!ザシュッ!
盗賊たちが武器を構える間もなく、次々と倒されていく。燁華の動きは、まさに舞うように美しく、そして致命的だった。
あっという間に八人全員が床に転がり、燁華が何事もなかったように立っていた。
傷つけられたのは手足だけだったが、全員戦意をなくし、唸りながらうずくまっている。
「お疲れさま」
趙普が拍手をする。
「まったく……」
燁華が振り返ると、趙普がそっと近づいてきた。
「君が無事で良かった。また腕を上げたんじゃないか?」
「毎日鍛えてるから。これくらい、当然です」
燁華の頬がわずかに赤らむ。彼に褒められると、なぜか照れくさい。
◇
倉庫から脱出した二人は、人目につかない路地を選び、小走りで宿へ向かった。
「それにしても、君の剣術……本当に見事だった」
趙普が振り返りながら、手で剣を振り回す真似をする。
燁華はフッと笑みを漏らす。
夜風が頬を撫でる中、二人は気配を消して宿への道を走り抜ける。
――今日は危険な目に遭ったが、趙普と二人で乗り越えることができた。なんだかそれが、嬉しかった。やっぱり自分は、体を動かしている方が性に合っているのかもしれない。
市井で盗賊相手に立ち回るのは、洛陽で紅蓮隊を率いていた若い頃を思い出す。
「趙普」
「ん?」
「……ありがとう」
素直な感謝の言葉に、趙普の表情が和らいだ。
「こちらこそ。君がいてくれて心強かった」
二人は互いに視線を交わし、微笑んだ。




