11-4. 血を流さぬ併呑と、次なる標的
秋。
開封の大殿に、劉鋹が引き据えられた。南漢の皇帝とは名ばかりの、みすぼらしい中年男性がそこにいた。
燁華は玉座から、この元皇帝を見下ろしていた。
「劉鋹」
呼ばれた名前に、劉鋹はびくりと肩を震わせた。
「お前の自分勝手な行動は全て知っている」
燁華の声は静かだったが、威厳に満ちていた。
「二万人の宦官を登用し、文官を殺害し、民を苦しめた罪……数え上げればきりがない」
劉鋹は震え上がっていた。処刑されるものと覚悟していたのだろう。
「しかし」
燁華は立ち上がり、玉座の前の階段を降り、劉鋹の前に立つ。
「私はそれを許す」
大殿にどよめきが起こった。
劉鋹も、信じられないという顔をしている。
燁華は近くの文官から酒の入った盃を受け取った。
「さあ、飲め」
劉鋹に盃を差し出す。
しかし、劉鋹の手は激しく震えていた。
この男は、酒を通じて邪魔な忠臣を殺してきた。毒が入っているのではないかと疑っているのだ。
「飲めないのか?」
燁華の問いに、劉鋹は答えることができない。
手が震えて、盃を持つことすらできない。
「ワハハ!」
燁華が突然、豪快に笑い出した。
劉鋹から盃を取り上げると、一気に飲み干してしまう。
「美味い酒だ」
燁華は空になった盃を見せた。
「今日から私たちは同じ国の民だ」
その言葉に、劉鋹の全身から力が抜けた。
へたへたと座り込み、頭を床につけて泣き出した。
「陛下……ありがとうございます……」
「国に尽くすことを誓います……何でもいたします……」
劉鋹の感謝の言葉に、燁華は満足した。
恐怖で支配するのではなく、恩恵で心を掴む。
これこそが自分の目指す統一の形だった。
「劉鋹を彭城郡公に封ず」
燁華の宣言に、劉鋹は更に深く頭を下げた。処刑されると思っていたのに、爵位まで与えられた。この恩は一生忘れないだろう。
「南漢の宦官については、希望者は開封に呼び、官職を与える」
この寛大な処置に、大殿の空気が和らいだ。血を流さない統一。
燁華の理想が、また一つ実現された瞬間だった。
◇
高家の庭では、雲瑶と徳昌ほか高家の子どもたちが無邪気に遊んでいた。
懐徳と翠琴の姿が見えると、子どもたちは二人に走り寄っていく。
「お父様、お母様、おかえりなさい!」
小さな子たちは、帰宅した二人に思い切り抱きついた。
背後から、燁華と趙普が見守る。
南漢征討の間、この家で過ごした日々は、まさに至福の時だった。
「翠琴、懐徳、お疲れさま」
「ただいま帰りました、お姉さま」
翠琴の無事な帰還に、燁華は安堵した。
「南漢はどうだった?」
「完全に降伏しました。もう抵抗する力は残っていません」
懐徳の報告に、燁華は頷いた。
「それで……」
燁華の表情が引き締まった。
「次は、いよいよ南唐だな」
南唐――詩人皇帝李煜が治める、文化的に洗練された国。武力だけでは抑えることが難しい相手だった。
「南唐の情勢はどうなっている?」
「李煜は詩作に没頭し、政治には関心が薄いようだ。ただ、文化的な影響力は絶大で……」
趙普の分析に、燁華は考え込んだ。
「これまでのようなやり方では、あの文化大国を御すことは難しいだろう。何か別の方法を考えなければ」
その時、翠琴が思いついたように声を上げた。
「お姉さま、いっそのこと偵察を兼ねて南唐に乗り込んでみては?」
「南唐に?」
「ええ。お姉さまと趙普で、商人か何かに化けて」
翠琴の提案に、趙普の目が輝いた。
「それはいいな!夫婦の行商として行こう!」
「しかし、政務が……」
「大丈夫、姚玲璃や優秀な文官がいる。ちょうど俺も干されたところだったし」
燁華はキッと趙普を睨む。
懐徳も、意外にも偵察に前向きだ。
「いや、悪くない考えだ。敵地の様子を直接見ることができれば、攻略法も見えてくる」
「でも……」
「決めた。準備を進めよう」
趙普の決断に、燁華は苦笑いを浮かべた。
「本当に大丈夫だろうな……」
「大丈夫、夫婦水入らずの旅行だと思えば」
「呑気だな……おまえは」
夫婦の会話に、翠琴と懐徳も笑った。




