1-4.梅の宴と婚約者(1)
それから四年後。
——開封
五代十国の動乱期、後梁・後晋・後漢・後周と、幾つもの王朝が都を置いた中原の中枢。黄河と大運河が交差し、汴河を通じて南方の物資が昼夜問わず運ばれていた。
政庁や高官の邸宅が立ち並ぶ一方、商家や屋台が軒を連ね、水路網を縫って人と物が行き交う。人口は五十万を超え、異国の旅人や商人も多く、多様な文化が共存する繁栄の都市であった。
梅の花がほころびはじめた都には、春の気配が色濃くただよう。
その朝、趙家の滞在する開封の屋敷では、姉妹が支度に追われていた。
「お姉さま、梅の宴ってどんなもの?」
鏡に顔を近づけながら、翠琴は櫛で髪をとかす手を忙しく動かす。けれど、その様子はどこか落ち着かない。髪を整えるというよりは、緊張をかき消すような仕草だった。
その隣で、姉の燁華は淡々と身支度を整えていた。黒地に金の糸が織り込まれた礼装を身にまとい、すでに帯まできちんと締められている。むだのない所作と静かな空気が、彼女の緊張感の強さをきわだたせていた。
「まあ、ただの宴会だな」
燁華は鏡ごしにちらりと妹を見る。
「ただの宴会って……主催者は皇帝よ?」
「確かに皇帝主催ではあるが、本当の目的は“誰が呼ばれたか”を見ること。顔ぶれを確認し、今後の関係を探る。つまり、政治の場だ」
「へぇ……なるほどね、顔見世ってことか。じゃあ、美味しい料理は出るの?」
「出るだろう」
「甘味も?」
「あるはずだ」
翠琴はぱっと顔を明るくした。
「じゃあいい宴ね!」
まるで花が咲いたような笑みを浮かべて、軽くスキップでもしそうな勢いだった。
燁華は小さくため息をつく。
「おまえは気楽でいいな……」
「うん、お姉さまがいればね」
翠琴はさらりと答えると、再び鏡に向き直った。
しばらくして、燁華がふと思い出したように言った。
「そういえば、おまえの婚約者も来るそうだぞ」
「えっ……?」
翠琴はぴたりと手を止め、まるで時が止まったかのように固まった。
「高懐徳。知っているだろう?」
燁華はくすりと笑う。
「知ってるも何も、名前しか知らないわよ!」
翠琴は椅子の上でくるりと回り、ぱっと立ち上がって姉の正面に立った。
「ねえねえ、どんな人? まさかすごく老けてたりしない?」
翠琴は身を乗り出しながら、真剣な眼差しで姉を見つめた。
「いや、それはない。というか、私の一つ年上だぞ」
「じゃあ、無口で仏頂面で、ずっと眉間に皺を寄せてるような人だったり……」
翠琴は眉を寄せ、まるで鬼でも真似るかのような変顔をしてみせた。
燁華はこらえきれず、ぷっと吹き出した。
「ぷっ。どうだろうな。父上の話だと軍での評判はいいらしいが、どんな男かは自分の目で確かめてみろ」
「えぇぇ……なんだか緊張してきた……」
翠琴は鏡に映る自分の顔を覗き込みながら、両頬をむにむにと押してみる。
「どうしよう……お姉さま。婚約者に初めて会うのに、何を話せばいいの? “こんにちは、ご飯は硬めが好きですか?” なんて聞いたら変な子って思われるよね!?」
「……そんなこと聞くやつはいないだろうな」
「じゃあ、どうしよう? 『あなたの趣味は?』とか? 『どんな剣が好き?』とか?」
真面目に悩んでいるのか、ただふざけているのか──燁華は思わず肩を揺らして笑った。
「はは、聞いてみろ。おまえの婚約者は案外、そういうのが好きかもしれんぞ」
「ほんと?」
「いや、知らん」
「もう! お姉さま!」
翠琴は頬をぷぅっと膨らませ、抗議の目を向けた。
「ま、宴でじっくり観察するといい。おまえが一生付き合う相手だからな」
「うぅぅ……」
そのまま椅子に座り込み、ぐったりと背もたれにもたれる翠琴。
「なんだか、急にお腹が痛くなってきたわ……」
「宴の料理が楽しみと言っていたやつが、何を言っている?」
燁華は、すっと手を伸ばし、妹の額を指先で軽く弾いた。
「痛っ! もう、お姉さま、意地悪!」
「ほら、早く支度を終わらせなさい。遅れたら印象が悪いぞ」
「も〜〜〜……わかってるってばぁ……」
翠琴はむくれたように起き上がりながらも、どこか楽しげに笑っていた。
部屋の障子の隙間からは、梅の香りがふわりとただよってくる。
宮中では、すでに宴の準備が進み、春の宴が静かに始まろうとしていた。