6-1.趙普、謝罪する
数日後──
文官たちが慌ただしく行き交う、執務室。
その片隅に、虚ろな目で宙を見つめる男がひとりいた。
頬はこけ、目の下にははっきりと隈が浮かび、書簡をもつ手も脱力している。
──趙普である。
その向かいに座っていた男が、じれたように声をかけた。
「……ねえ、趙普! 聞こえてる〜?」
「はああっ……」
思いきりため息をついたその瞬間、韓珪が机をぐるりと回り込むと、肩にぽんと手を置いた。
「もう、今日は帰りなさいよ。どうせ匡胤と何かあったんでしょ? ──恋煩いの相が、全身に出てるわよ」
趙普と趙匡胤(燁華)の関係は、周囲にはすっかり"黙認"されていた。
趙普は、ぼんやりと韓珪の方を見てから、ふらふらと立ち上がった。
「……ああ……そうだな……」
「ちょっと……大丈夫かしら」
その背を見送りながら、韓珪は本気で心配そうに呟いた。
◇
皇帝直属の親衛軍である禁軍の指揮官となった燁華には、専用の広々とした個室が与えられていた。
その日も、燁華は机に向かい、淡々と報告書を整理していた。
──コツン。
扉を叩く音がして、顔を上げる。
「誰だ……?」
返事はない。
不審に思いながら立ち上がると、扉が、ゆっくりと開いた。
現れたのは、青ざめた顔で立つ趙普だった。
見るからにやつれ、衣の襟元も乱れている。
大丈夫か?と声をかけそうになり、言葉を飲んだ。
燁華は彼と視線を合わせることなく、窓辺に移動する。
そして、指先で窓枠をコツコツと叩く。
しばらくして、か細い声が聞こえた。
「……あの日は、悪かった」
「あなたがあまりにも綺麗で……我を忘れた」
「あんな気持ちになったのは、初めてだったんだ。制御が……できなかった。本当に、すまない」
燁華は視線を外したまま、静かに言った。
「……やめてくれと言ったよな」
「ごめん!!」
趙普は勢いよく膝をつき、その額が床に触れるほど深く頭を下げた。
すぐ目の前まで歩み寄った燁華は、その姿を真上から静かに見下ろした。
「許してくれとは……言わない。ただ、普通に話をさせてくれ。それだけでいい。……無視されるのは、辛いんだ。……苦しいほどあなたのことが好きなんだ」
──ドクン。
燁華の胸が、大きく鳴った。
それは、燁華がずっと待ち望んでいた言葉だった。
──心からの愛に満ちた告白。
その響きに、からだ中が甘くしびれていく。
けれど、震える心とは裏腹に、口をついて出たのは、意地悪な言葉だった。
「……他の女にも、そんなこと言っていたのか?」
趙普は、はっと顔を上げた。
「まさか!! こんなに誰かを想ったのは……あなたが、初めてで──最後だ」
その言葉が終わるより早く、ふわりと香りが舞った。
気がつけば、彼は燁華の腕の中にいた。
「……許す」
目があえば、彼女はやわらかくほほえんでいた。
「……でも、ああいうのは、いやだ」
唇が耳元に近づき、そっとつぶやかれる。
趙普の表情が、じわりと緩んだ。
「……ああ。次は……優しくするよ」
そう言って、彼はそっと腕をまわし、燁華の背をぎゅっと抱きしめた。




