5-2.新緑のそよぐ丘で
初夏。
宮廷の廊下。
言葉を交わすことなく、ただ自然に肩がかすめるようにすれ違う二人。
その一瞬、趙普の指先から小さな紙切れが、そっと燁華の手に渡された。
広げると──
「西の庭、大樹にて」と書かれている。
ふっと口元が緩み、心が躍る。
何度も交わされた合図。
趙普は「話し合い」と称しては、燁華を呼び出した。
誰にも知られず、ただ他愛もない話をするだけの時間。
それなのに、いつしか──その時間を心待ちにするようになっていた。
◇
新緑の季節。
木洩れ陽が降り注ぐ、大樹の下。
二人は並んで腰を下ろしていた。
「各地に節度使を置くのは、他民族への牽制としては有効だけれど、力をもちすぎた節度使は逆に厄介だよな」
「中央に軍権を集中るためには節度使の力を削がないといけないが、下手に圧力をかけると反乱を起こしかねないし……」
真剣な議論を交わしたあと、ふっと静かな風が吹いた。
──さらさらと草が揺れる。
燁華が黙り込んだ隙に、趙普がぽつりと問う。
「──ところで」
「ん?」
「いつから、俺のこと……好きだった?」
燁華は目を見開き、顔をみるみる赤らめた。
「……初めて会った時から」
蚊の鳴くような声だった。
趙普は一瞬、言葉を失い──
そして、ふっと微笑んだ。
「俺は、ずっとあなたに憧れていた。
あなたに会うずっと前から──」
「……そうか」 燁華はそっと顔を背けた。耳まで赤く染まっている。
それでも趙普は、変わらぬ声で続ける。
「あなたは、この中華を変える百年に一度の逸材だ。
そんなあなたと、並び立てることを誇りに思ってる」
「……」
「俺はもう、あなたに一生を捧げる覚悟をしてた。
あなたのためなら、何でもできる。──命だって」
その言葉に、燁華の肩が小さく震えた。
「……そこまでする必要はない」
「ああ。ちゃんと自分も大切にする。
──あなたを悲しませたくないから」
そう言うと、燁華の顔を見つめて優しくほほえんだ。
「……!! バカ……」
こんな距離で見つめられると、それだけで心臓が激しく波打つ。
ふと懐に忍ばせたブローチを取り、手の中で転がす。
いつも肌身離さず持っている、大切な人の形見の品だ。
心が落ち着かない時、燁華はついこのブローチを触ってしまう。
趙普は、そんな燁華の手を、そっと開いた。
手の中にあったのは、蓮の花の形をした紅珊瑚のブローチ。
そのブローチに、見覚えがあった。
「あ!」
趙普はブローチを奪い、思い立ったように立ち上がった。
「なんだ?」
燁華も立ち上がって趙普の顔をのぞきこむ。
ハハハッ!!
趙普は右手をおでこにあてて天を仰ぐと、目を閉じて笑った。
「あなたと私の人生は、もっと前からつながっていたようだ」
燁華がキョトンとしていると、彼女の方にそちらに向き直り、まっすぐな目で燁華を見つめた。
そしてそっと、燁華の頬に手を添える。
「……口づけ、してもいいか?」
耳まで赤くなった燁華が、小さく答える。
「……好きにしろ」
ふわりと、草木の香りと初夏の光に包まれる。
二人の唇が、そっと重なった。
柔らかなその感触に、脳が甘く痺れていく。
燁華は小さく囁いた。
「……傲慢だな」
「もとからだよ」
趙普は、からかうように囁き返すと──
もう一度、燁華に口づけた。
胸の奥からあふれる想いが、甘く二人を満たしていった。




