2-3.黒い蠍(さそり)(2)
韓珪の聞き込みと、捕らえた盗賊団員の断片的な記憶を翠琴が探ることで、紅蓮隊はついに「黒い蠍」の拠点をつきとめた。
洛陽から北へ数十里、険しい山々に囲まれた廃村。
かつては小さな集落だったが、戦乱と飢えで人が消え、今は盗賊の巣窟と化していた。
「もう、勘弁して〜〜〜!」
潜入を試みた韓珪は、荒い息をつきながら屋敷へ戻ると、床にへたりこんだ。
滅多に取り乱さない彼の様子に、仲間たちは息をのむ。
「見張り一人に至っても隙がないったら。あと少しで捕まるところだったわよ!」
「それほどの規模の組織なのか?」
潘美が眉をひそめる。
韓珪は額の汗をそっと拭い、気だるげにうなずいた。
「やつらの名は“黒蠍”。メンバーはざっと七十人ってところかしら。元兵士に、いき場を失った農民、没落したお貴族様に、戦で親をなくした子どもたちまで……それぞれ、重た〜い事情を抱えたものたちの集まりよ」
「しかもね、活動範囲は洛陽だけじゃないの。このあたり一帯で、好き放題略奪を繰り返してるのよ。金目のものだけじゃなくて、食糧に武器、それに馬まで……まるで本気の軍備よ。いや〜な感じ」
「……目的は何だ?」
匡胤の声が低く響く。
韓珪は扇子をピタリと閉じ、瞳に静かな影を宿しながらつぶやいた。
「狙いは、国家の転覆よ」
「——何だと?」
その場の空気が凍りつく。
「なんだそりゃ!」
曹彬が思わず拳を握る。
騒ぐ曹彬を横目に、韓珪は手をひらりとふった。
「まぁまぁ、坊や、落ち着きなさいな。驚くのはこれからよ。黒蠍の首領ってのが、ただの山賊じゃないの。名前、聞いたことあるんじゃない? ——“杜重威”って」
その名が口にされた瞬間、潘美の表情が一変した。
「……まさか……あの杜将軍か?」
「そう、かつての後晋の猛将、杜重威」
潘美は信じられないといった様子で頭をふる。
「彼は政争に敗れ、失脚した後、消息を絶ったはず……」
「その失踪の間に、軍から追放された兵たちをかき集め、黒蠍を作り上げたというわけね」
匡胤は静かに目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
「……いずれにせよ、このまま見過ごすわけにはいかない。しかし、杜重威は幾度もの戦場を駆け抜けた歴戦の将。恐らく、知略に長けた側近もいるはずだ」
「どうする、匡胤?」
潘美が問いかけると、匡胤は少し考えた後、迷いなく答えた。
「曹彬、できるだけ多くの仲間を集めてくれ。特に、腕に覚えのある者が必要だ。韓珪と翠琴は、市井でさらに黒蠍の情報を探れ。潘美、お前には七十人規模の組織を瓦解させる策を共に考えてほしい」
「よし! やるぞ!」
それぞれが即座に動き出した。
◇
洛陽の郊外にある屋敷の一室では、地図を広げた卓を囲み、匡胤と潘美が深い思案に沈んでいた。
「……この策で行くしかないが、一つ問題があるな」
潘美が、地図の一点を指しながら低くつぶやく。
「そうだな。紅蓮隊の今の戦力では、決定打に欠ける」
匡胤もまた、腕を組みながら考え込む。
黒蠍の拠点は洛陽の北、山間の廃村。四方が険しい地形に囲まれた天然の要害となっている。
正面から攻め入れば、数と膂力で勝る黒蠍に押し返される可能性が高い。
一方で、奇襲を仕掛けるには、さらに精鋭の力が必要だった。
「……難しいな」
潘美は溜息をつく。
その時——
「おーい!すっげぇ助っ人を連れてきたぜ!」
にぎやかな声とともに、曹彬が勢いよく部屋に駆けこんできた。
その後ろに、堂々とした佇まいの男が静かに立っている。
「なんだと?」
匡胤が目を向けると、潘美も驚きの声をもらした。
曹彬は誇らしげに胸をはり、
「へへっ、驚くだろ? こいつを見つけてきたんだ! 契丹の国境線から戻ってきたばかりの高懐徳だ!」
と、得意げに紹介する。
その名を聞いた瞬間——
「きゃっ!」
翠琴の短い悲鳴が響いた。
扉の向こうから、韓珪と共に戻ったばかりの翠琴が、鉢合わせた高懐徳を見て思わず飛びのく。
「な、なんであなたがここにいるの……!?」
翠琴は目を見開き、困惑した表情で高懐徳を見つめた。
突然目の前に現れた婚約者。
もう何年も会っていなかったのに。
「休暇で実家に戻っていたところを、曹彬につかまった」
高懐徳は相変わらず無表情のまま、静かに答える。
翠琴は、いつになく取り乱してあたふたしている。
韓珪は「あらぁ」と扇子で口元を隠しながら、翠琴を涼しい目で見ている。
部屋には微妙な沈黙が流れる。
そんな中、匡胤がゆっくりと口を開いた。
「そういえば、言っていなかったな。紹介しよう。高懐徳は、翠琴の婚約者だ」
「ええっ!?」
「なんだって!? 婚約者!?」
「まじかよ……!」
一同の驚きが一気に爆発する。
がっかりする者、ただただ驚く者などさまざまだった。
「翠琴に婚約者がいたのかよ……」
「全然知らなかったぞ!」
仲間たちは好奇心に満ちた視線を翠琴と高懐徳に向ける。
当の翠琴は、目を泳がせながらぎこちなく笑う。
「い、いや、その、まあ……」
「お前、思い切り嫌そうな顔してるぞ……」
潘美がくすくすと笑うが、翠琴はますます顔を引きつらせる。
一方、高懐徳は特に気にする様子もなく、無表情のままつっ立っている。
微妙な空気を察して、韓珪は軽く手を打った。
「はいはい、みんな盛り上がってるところ悪いんだけどぉ〜、もう一人、紹介したい人がいるのよ」
そう言って、隣の少女に視線をおくる。
「彼女ね、びっくりしないでよ? あの黒蠍のトップ、杜重威将軍の娘ちゃんなの〜」
その言葉に、一同は静まりかえる。
「杜将軍の娘……?」
「なんだって?」
「まさか……」
部屋の空気が張りつめる。
韓珪は、扇子を開いて涼しい風を送りながら、にっこりほほえむ。
「前々から聞いてたのよ、杜将軍が“生き別れの娘を探してる”って話。でもまさかねぇ……洛陽のおまんじゅう屋さんで働いてるとは思わなかったわ。人生って、やっぱり劇的〜」
「本当に、娘なのか?」
潘美が眉をひそめる。
曹彬は、怪訝そうに娘を見つめる。
「スパイの可能性は!? あっちの将軍の娘なんて引き入れて大丈夫か!?」
匡胤は、二人を手で制し、杜の娘とやらに真っ直ぐに向き合う。
「私は、確かに私は杜重威の娘です。間違いありません」
彼女は、ひるまずに答える。
「なぜ将軍のところに行かずに、こちらに来た」
匡胤は静かに問うた。
「父とは、戦の時に生き別れてしまって、もう父は亡くなったものと思っていたのです。まさか、今商隊を襲っているのが父だったなんて……」
娘は、肩をふるわせる。
翠琴は、彼女の肩に手をおく。
そして、彼女は鋭い眼差しで言葉を続ける。
「父がしていることは、決して許されることではありません。父がどんな事情を抱えていようと、罪のない人々を苦しめる道を選んだのなら——私は、その手を止めます」
部屋の空気が一層張り詰めた。
匡胤は彼女の真剣な表情をじっと見つめる。
「父親と敵対することになるかもしれないんだぞ、本当にいいのか」
「はい、覚悟の上です」
娘は、まっすぐに匡胤を見上げた。
その目は強い意志を宿していた。
匡胤は、ゆっくりと深くうなずぃ。
「……わかった」
再び仲間たちを見回す。
「役者がそろったな」
紅蓮隊は、黒蠍討伐にむけて、ついに動き出す——。




