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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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雨/晴れ

作者: シグマ君

 酷い土砂降りの中、自転車をこぐ警官。支給されたカッパも着ていない。だが口元が笑っているようだ。

 数件しか家のない山間の集落。どこも舗装に整備などされていないデコボコの砂利道が土砂降りによって水溜まりが深く、ハンドルを取られそうになりながらも口元に笑みを絶やさずに自転車をこいでいる。時間は早朝ーーーまだ日が昇る前で、暗い。


 1軒の家の玄関横に乗っていた自転車を立て掛け、横開きの玄関戸に手を掛けた。


「あれ~~開いてる。不用心だな~~………あははは」


 警官はチャイムを鳴らす事も、声を掛ける事もせずに土間に入ると、用意してきた懐中電灯を点けた。制帽から水滴が滴り落ち、制服はグッショリと水を含み、靴の中も歩けばグチョグチョと音がするほどだが、警官はそのままで上がり框に足を乗せ、家の奥へと歩を進める。


「てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ……………ここかな?」


 最初に目についた襖を開け、中を無遠慮に懐中電灯で照らした。


「居間か…………どこに寝てるのかな~~……出ておいで~~………あああ、分ったぞ! 奥が寝室だな~………いつかの夢の空のよに、晴れたら金の鈴あげよ…………ばあああああ!!」


 その声と同時に居間の奥の襖を開け放った。


「見ぃっけ!! 金次郎さん、フネさん、二人そろって見ぃっけ!!」

「……………え……ええ?」

「………な……なに……?」


 寝入っていたところを懐中電灯で照らされた二人は、事態が全く飲み込めず、目を細め、光を遮るよう手を前に突き出しているだけだ。


「動かないで、そのまま、そのまま………」


 そう言った警官は銃を抜き、懐中電灯と合わせるように持つと、いきなり撃った。最初に向かって右側に寝ていた金次郎を撃ち、そして直ぐにフネをも撃った。


「ちゃんと当たったかな~~………」


 泥だらけの靴で布団の上を歩き、金次郎とフネの顔を覗き込む。


「おおおお!! ちゃんと当たってるぞ。一発づつで死んでる。あははは………初めて人を撃ったのにすげぇ。僕ってもしかしたら天才かも?!」


 撃たれた二人は揃って眉間を撃ち抜かれ即死のようだ。


「へへへ……海外ドラマの刑事の真似して撃ったのが良かったんだな…………てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ………私の願いを聞いたなら、あまいお酒を、たんと飲ましょ………」


 警官は歌いながら寝室から、そしてその家から出ていき、再び土砂降りの中を自電車に跨り、次へと向かった。やや暫く行くと深い水溜まりに前輪が取られ転んだ。


「あははははははは………みごとに転んじまった!! 酷っで~な~こりゃ~あはははははは……」


 顔面から突っ込み、頭から泥水を被りながらも大声で笑っている。


「あれ? どこまで歌ったか分からんくなった………まぁいいや………てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ、それでも曇って泣いたなら、そなたの首をチョン切るぞ………」



 歌う警官は2軒目の戸を開けた。


「あはははははは……この家も鍵掛けてないんだもんな~~笑っちゃうよな~………おーーーい、タミさ~~ん、殺してあげるから出ておいでーーー! …………てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ~………ここかな!! ………あれ? 違った」


 警官が入った部屋はさっきの家と同じように居間だった。そこでその部屋の中を懐中電灯で照らしていると、奥の襖が突然に開き、現れた人が、誰……、と言いかけたが、


「………うわっ!!」


 慌てた警官が撃った。



「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ」



 寝巻姿の婆さんが股間を押さえて倒れ込み、のたうち回ってる。



「あ~あ~………警官が持つ拳銃って5発しか装填できないんだからな! どうすんだよ……外れちゃったろ。…………え? タミさん、アソコに当たったの? あははは………やっぱ神様は見てるもんなんだね。バチだバチ。タミさん、いい歳なのに亭主がいないからって、町の男くわえ込んでたろ。何人くわこんだの? ………え? 痛い? ふ~ん………しゃーないか、ほら早く死んじゃいな」



 警官は極めて至近距離から眉間を撃った。



「あとは権蔵さん一人………一発しか残ってないから絶対に外せないな………」



 家を出て再び自転車に乗ると、まだ雨は激しく降っていたが空が僅かに明るくなってきた。どうやら日が昇ってきたようだ。


「てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ、いつかの夢の空のよに、晴れたら金の鈴あげよ、てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ………私の願いを聞いたなら、あまいお酒を、たんと飲ましょ、てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ、それでも曇って泣いたなら、そなたの首をチョン切るぞ………」


 次に向かった家も鍵は掛かっていなかった。


「てーーるてーーーるぼーーーず! てるぼーーーず!! あーーーしたてーーーんきに! しておくれーーーーーーーー!!」


 警官は大声で歌いながらズカズカと家の中に上がり込み、そして2つ目の部屋で、布団から上半身を起こした爺さんを見つけた。


「権蔵さん見ーーーっけた!!!」


 爺さんに飛びついた警官は、驚いて口を開けた爺さんの口に銃口を突っ込むと、間髪入れずに引き金を引いた。


「あははははは………終わった終わった………てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ、いつかの夢の空のよに、晴れたら金の鈴あげよ、てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ………私の願いを聞いたなら、あまいお酒を、たんと飲ましょ、てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ、それでも曇って泣いたなら、そなたの首をチョン切るぞ………………お、あったあった」


 歌う警官は台所を探し当てた。


「てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ、いつかの夢の空のよに、晴れたら金の鈴あげよ、てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ………私の願いを聞いたなら、あまいお酒を、たんと飲ましょ、てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ、それでも曇って泣いたなら、そなたの首をチ……………」


 出刃包丁で自ら首をザックリと切った。口元は相変わらず笑っている。




 2日前の7月9日午後


「旧牛頭馬頭村 母娘首吊り捜査本部」と筆で書かれた縦長の紙が入口に貼られている会議室。そこに集まった面々。県警からは管理官を筆頭に5名の捜査員が来ているが、20名ほどの所轄の捜査員がメインの捜査本部だ。


 旧牛頭馬頭村、合併によって今ではそのような名前の村はない。そして実際は合併ではなく、隣町の青山町に吸収されたのだ。人口が最も多い時ーーー昭和30年代ですら300人に満たない自治体が牛頭馬頭村だ。それがどんどんと村を捨てる者が増えーーー山間にあるせいで、農業をするにしても平らな土地が少なく、林業も輸入木に押され、他に産業らしい産業が無く、閉村となるのは自然の流れだった。その旧牛頭馬頭村に4軒だけ未だに住民が暮らしていた。

 65歳以上の人が人口の50%を超える集落で、集落機能の維持が困難となった集落を「限界集落」と呼ぶが、旧牛頭馬頭村という集落では全員が65歳を超え、それも4家族で人口が5人しかいないのだから、限界どころではない。


 集落に残っている4家族は、全員の苗字が醍神河だ。全国的にも珍しく、なかなか読めないが、ダイシンゴウと読む。その4軒は兄弟とか従兄妹ではないが、遠い親戚であるのは間違いなく、以前は他にも醍神河姓の家が1軒あったが、今では4軒しかない。そして他の姓の者は全員が村を捨てた。そして旧牛頭馬頭村を捨てた者は誰一人、隣の青山町には住んでおらず、遠く離れた土地にいった。

 その醍神河の一軒である醍神河太次郎という70過ぎの爺さんが今年の2月に死んだ。通夜、葬式も済み、空き家となると思われた太次郎爺さんが住んでいた家に、40代の息子が家族を連れて戻って来た。移住というのか、Uターン、もしくはIターンというのか。名前は醍神河修。妻は30代で夏代。それと一人娘で中学2年生の美穂。

 だから旧牛頭馬頭村は、4軒で5人の人口だったのが3軒で4人になると思われたのが、4軒で7人となった。

 醍神河修は画家で、画家として暮らしていけるだけの評価を得ていたらしく、父親の葬儀のために十数年ぶりに故郷に帰ってみると、この環境が創作意欲を掻き立てるとかで、そして妻も娘も田舎暮らしにあこがれているという奇特な家族だったらしく、移住してきた。

 その夏代と美穂の二人が、集落にある巨木の枝にぶら下がった。衣服を一切身に着けずに、裸で地上から3mほどの高さの枝で首を吊った遺体で発見されたのが、今朝ーーー7月9日の午前中。


 捜査会議の司会をしている所轄警察署の刑事課長が報告を促した。


「第一発見者の聴き取りは……岡本!」

「はい、第一発見者は、ガイシャの一人である美穂さんが通う中学校の教師で、田所晃、42歳、男性。美穂さんの担任です。美穂さんは一昨日の7月7日には登校し、6時間の授業を終えて帰宅。中学校は青山町にあり、旧牛頭馬頭村からは20キロ程度あるため、母親の夏代さん、この夏代さんもガイシャの一人です。その夏代さんが車で送り迎えをしていたらしく、7月7日の放課後も担任は職員室の窓からその様子を見ていたそうです。翌7月8日には美穂さんが登校してこないことに不信を覚えた担任は、美穂さんの自宅に電話をかけるが繋がらなかった。そして本日7月9日になっても美穂さんは登校せず、電話も繋がらず、朝のホームルームを終えた担任は、1時間目は自分が担当する授業が無かったこともあり、車で美穂さんの自宅に向かい、その途中で木の枝からぶら下がった二人を発見し、直ちに警察へ通報。時間は0852であります。又、美穂さんは今年の4月に転校してきておりますが、素直で人懐っこい性格で、すぐにクラスメイトにも馴染、文化委員に自らなっていたそうです。ちなみに文化委員は2学期にある学校祭がメインらしいのですが、今月予定されていた遠足も文化委員の役割らしく、美穂さんは張り切っていたとのことです。それと担任の話しだと、美穂さんは塾などの習い事は一切していなかったと」


「遺体発見現場の捜査状況………工藤!」

「はい、現在も手の空いている署員総動員で捜査しておりますが………あいにくの7月6日から降り続く雨により、足跡など一切が消され、難航しております」

「なにも見つかっていないということか…………」


 刑事課長は苦々しく網戸になっている窓に目をやった。雨は今も降っていたが、それでも窓は閉められていない。ここは標高がかなり高い地域で夏も涼しく、最高気温が25度を超す夏日となる日は年に数回しかなく、クーラーが設備された施設は殆どない。だが今年は異様に暑い。雨が降っても暑く、今開かれている捜査会議も、窓を開け、扇風機を数台回し、そして集まった者は誰もが扇子や団扇を扇いでいる。


「被害者宅の捜査状況………相原!」

「はい、被害者宅では争った形跡は見られず、現在も捜査中でありますが、夫の醍神河修の行方を示す手がかりは、未だ発見できておりません。それと所有していた乗用車は、現在までの捜査では1台と思われますが、自転車が1台、物置にあるのを確認しております」

「醍神河修は行方不明………近所の聴き取りは………大場!」

「はい、旧牛頭馬頭村では、被害者宅を除くと3軒の、いずれも苗字が醍神河なのですが、1軒は金次郎とフネの夫婦二人住まいで、金次郎は72歳でフネは70歳。次の醍神河家はタミという女性の一人住まいで年齢は66歳。もう1軒の醍神河家は権蔵という69歳の男性。いずれの醍神河家も農家で、7月6日から降り続いた雨のため畑には出れず、家の中にいたとのことですが、ここ数カ月、怪しい者はおろか、よそ者の姿など一切見ていないとのことです。ちなみに4人とも耳も頭もしっかりしており、認知症という感じではありません」


 報告を聞いた刑事課長は手ぬぐいで首周りの汗を拭きなら、


「むぅぅぅ………改めて言うまでもないが、これは殺人事件だ!! 決して事故や自殺ではない!! 被害者の母と娘の二人は全裸であり、高さが3mもの枝からロープで首を括られ、遺体を下ろすのも昇降車が必要だった!! なんとしても手掛かりを見つけ出せ!! 雨が降り続き証拠を消そうとも、髪の毛1っ本を探し出せ!! 完全犯罪など小説だけの話しだ!! 見つけ出すまで戻って来るな!! いいな! ……質問は?」

「はい………夫の醍神河修を指名手配すべきでは……」

「だから、その証拠を持って来いと言ってるんだ!! ………醍神河修は怪しい……怪し過ぎるくらいに怪しい!! だがそれだけで逮捕状など取れるか!! くっそ~………今の段階では重要参考人だ!!」



 捜査会議は終わった。遺体が発見され、他殺だと断定されたのが今朝の10時過ぎだ。それ以降、所轄の警察は総出で捜査をしているが、管理官を含め県警から5人の捜査員が到着したのはつい今しがただ。その5人に状況を説明するための捜査会議でもあった。

 全員が立ち上がり、会議室には椅子を引くガタガタという音が溢れたその時だ。一人の制服警官が会議室に飛び込んで来た。


「夫の……醍神河修が遺体で発見されました!!」


 会議室を出ようとしていた全員が固まった。


「……どこだ!! どこでだ!!」

「はっ、はい、川です。青山町と牛頭馬頭村の間に流れる牛頭馬頭川。渓谷となっている川であります」

「あの渓谷橋から落ちたのか?」

「そっ、それは………まだ……」

「第一発見者は勿論警察関係者なのだろうな」

「いっ、いえ……それが……」

「なに? 違うのか? 誰だ! ハッキリ言え!!」

「はっ、はい! 新聞社の人であります!!」

「なんだと…………行けええええええええええええええええええ!! すぐに行けええええええええええええええ!! マスコミの連中に現場を荒らさせるなああああああああああああああああ!! 非番の者も全員集めろおおおおおおお!!」



 県警の捜査員も現場に向かって駆け出して行った。部屋に残ったのは所轄の刑事課長と県警の管理官の二人だ。その刑事課長に一人の刑事が近づいて来た。定年間近の山尾という現場一筋の刑事だ。


「課長、これは厄介な事になりますよ」

「……え? ああ、山さんか。厄介というと?」

「課長も聞いたことあるんじゃ? 平成3年に起きた事件。あのヤマは結局は一家心中ってことで処理されたんですがね~……」

「心中?……この事件に関係してるのか?」

「似てるんですわ、あのヤマも最初に死んだのが2人で、母と娘だった……娘は確か小学6年生だったと。二人ともが素っ裸で木の枝で首括ってて、殺人事件として捜査本部も立ち上がった。だけど別の場所で亭主の遺体が発見され、殺人だと示す証拠も出なくて、それで一家心中ってことに」

「まさか、それも旧牛頭馬頭村の住人じゃ……」

「ええ、そのまさかですよ。苗字も醍神河。………当時の地元の新聞じゃ、警察の怠慢を匂わすような記事が何度も出てましてね。60近い記者なら覚えてますよ」

「…………しかし………しかしだ………その~一家心中だと判断したのだから、首吊りも今回みたいに高い枝じゃなかったんだろ?」

「ええ、その点だけが救いっちゃ~救いですがね……おそらくあの事件を蒸し返す記事……出ますぜ。なんせ母と娘の二人ともが強姦された跡まであって、その娘は小学生………」

「その平成3年の事件。旧牛頭馬頭村の醍神河だと言ったな。………すると今も旧牛頭馬頭村に住む3軒の醍神河家の誰かってことか? それともまさか……」


 刑事課長は、今ほど遺体が発見された醍神河修の血縁者が平成3年の死亡者なのかと思い、血の気が引くのを覚えた。


「いえ、違いますよ。刑事課長は数年前にウチの署に異動してきたから知らんでしょうが、旧牛頭馬頭村には醍神河とい苗字の家が5軒あったんですわ。っで五醍家って呼ばれてましてね、それは旧牛頭馬頭村だけじゃなくって、青山町でも知らん奴がいねぇくれぇの呼び名ですわ。………それが不思議なもんで、代が変われば子供が独立したりして醍神河って家も普通は増えるってもんが、増えねぇんですよ。成人前に死んじまったり、村を捨てて出て行って、だ~れも戻っちゃ来ねぇ。だから醍神河って苗字の家はずーーーっと5軒のまんま。それが平成3年に醍神河家の一つが無くなって、本当は四醍家になるでしょうが、未だに五醍家って呼ばれてますわ。それが今年の2月に醍神河太次郎って爺さんが死んで、これで醍神河家も3軒になるんだな~って誰もが思ったところが、息子の修が家族連れて戻って来た。いや~~驚いたね~……」


 山尾刑事は話し好きで、一旦しゃべり始めると止まらない。


「………山さん。すると平成3年の事件で、ひとつの醍神河家は途絶えたってことなんだね? それとそれぞれの醍神河家は、兄弟でも親戚でもないってことかい?」

「え………あ~、そうです、そうです。醍神河なんて変わった苗字ですから先祖は一緒なんでしょうが、同じ苗字だけど親戚でもねぇってことですわ。ほら、佐藤、斎藤、鈴木なんて苗字はそこらじゅうにいますが、大抵は縁もゆかりもねぇですよね。それとおんなじってことのようですーーー」


 刑事課長は考え込んでしまった。平成3年の事件ーーー心中として処理された事件と今回の事件が関係しているとは思えないが、住人の中には関連つける者が必ずいる。確かに厄介だ。


「ましてや2つの事件ともが醍神河の人間が死んでる………一家心中か………」


 そこに県警の管理官も話に加わってきたが、40代前半の管理官は山尾刑事が言った平成3年の一家心中のことを知っているようで、今日こっちに来るのが遅くなったのは、その事件の詳細資料を読んでいたからだと言った。


「DNA判定を警察で導入したのは警視庁は平成元年ですが、県警は平成4年ですからね。それに遺体からは精液が出なかったとの解剖結果でしたから、外性器の裂傷は別の何らかの理由によるのも、というのが当時の警察の公式発表」

「何らかの理由………ですか……」

「ええ、何らかの理由です。例えば自転車の転倒や鉄棒。それによって膣の深部が裂傷を負うことも珍しくないとの法医学医の見解です」

「それは強姦を否定したのではなく、強姦だとの断定ができなかったという意味じゃ……」

「………かもしれません」



 刑事課長は、平成3年の一家心中事件の詳細資料を読んで来たという管理官の顔をじっと見ていた。この管理官はキャリア組だ。そして俺より若い。それが30年前に起きた、田舎の一家心中事件の資料に目を通してきたのか……


 会議室から出た刑事課長と県警の管理官の二人は、記者クラブの面々に取り囲まれた。


「他殺なんですよね!! あんな高い枝で自殺などあり得ない!」

「夫の方はどうなんです! まさか今回も平成3年の時のように一家心中で片付けるつもりなんですか!」

「現段階での警察の見解は!! 刑事課長!! 公式発表は!!」


 追いすがる記者たちを振り払うように足早に廊下を歩いていくが、さすがにノーコメントを貫く訳にもいかない。こんな田舎で3人もの住民が、それも他殺と思われる死に方をしているのだ。なかでも先に発見された母と娘は全裸だ。強姦殺人の可能性が大だ。


「とにかく待ってくれ。司法解剖すら済んでいないのだ。憶測の域を出ない発表など出来ないことくらい分かるだろ」

「今日の夕刊に他殺だと書きますよ」


 歩きながら喋っていた刑事課長が止り、振り返った。


「現段階では予断を持っての捜査は………他殺、自殺の両面での捜査を続けている。とにかく新たな情報が出れば、みなさんには随時知らせるから……」


 すると一人の若い記者が早口で言った。


「青山町で噂になってますよ、平成3年の事件と今回の事件。祟り、呪いの類だと。それは警察の発表が遅いからじゃないんですか。住民の不安を取り除くのも警察の重要な職務のはずでーーーー」




 7月9日午後7時過ぎ

 2回目の捜査会議が行われた。雨はまだ降っている。


「母娘の司法解剖結果はまだですが、死亡推定時刻が出ました。二人とも7月7日の18時から22時頃」

「7日?! ………すると学校から帰った日に……ということか。………死因は!! 死因はまだ解らんのか!!」

「はっ………解剖の結果か出なければ断定はできないと。ただ………」

「ただ何だ!!」

「遺体の状況からは縊死が濃厚だと。それと、仮に死因が縊死だとすると……死んでから吊ったのではないとのことです」

「詳しく説明しろ!」


 そう促された刑事は、手に持っていた手帳を慌てて捲り、目当てのメモが書かれたページを見つけると、続けた。



「…………はっ、首に掛かったロープを取り除こうとした跡、これは吉川線と呼ばれますが、自らの首をひっかいた傷跡が無数にあり、それが縊死、それも何者かに絞殺された可能性を示す有力な跡だと。それと、絞殺された後に吊り下げられたのであれば、首に残るロープ又は紐状のモノの跡が今回の遺体とは違った形で残る。今回の遺体の首に残った跡は、首吊りの跡のみだと。要するに、紐状のなにかを首に掛け、その紐状のなにかの一方を上から引っ張られた跡しか残っていない。ただこれはあくまでも見立てであって、解剖してみなければ……」

「………吉川線、それと首吊りの跡しかない………か」


 刑事課長は吉川線のことはだけは記者に知らせることが出来ると思ったが、それだけでは彼らが納得するとは思えない。


「司法解剖はいつ終わるんだ!」

「はっ、今夜中には終えるとのことです」


 雨が一段と強くなり、網戸にしている窓からザーザーという地面を叩く雨音が否応なく響く。暑い、とにかく暑い。気温は26~27°だろうが湿度が凄く、まるで蒸し風呂だ。手ぬぐいで首を拭いながら窓の方に目をやる刑事課長が続けた。


「夫の神原修の遺体の方は………木ノ内!」

「はっ、所持品からは遺書の類はなく、自殺なのか他殺、もしくは事故なのかを判断できる物は見つかっていません。それとこれは鑑識からの報告で、解剖してみなければ断定はできないとのことですが、頭部の裂傷、並びに、肩、腕、足など全身に複数の骨折が見られ、渓谷橋から落ち、河川の岩に激しく打ちつけられたのが死因ではないかと。又、死後硬直と遺体の腐敗の進み具合から推測すると、死亡推定時刻は7月6日の深夜または7日の早朝頃ではないかと………」

「なっ………なにいいいいいいいいいいいいい!!」


 そう怒鳴ったまま刑事課長は黙ってしまった。すると、それまで捜査会議で一度も声を発していなかった県警の管理官が椅子から立ち上がった。


「司法解剖前の鑑識の見立てです。但し、この情報……夫の方が、妻と娘より早い時期に死亡していた可能性があるということは…………他言無用。ここに居る者だけの胸に収めること。……刑事課長、それで良いですね」

「え………ああ…………全員よく聞け! 今の情報………誰が先に死亡していたかについての可能性は、今ここに居る者以外………警察官であろうと決して漏らすな! 全ては司法解剖によってハッキリする。それまでは家族であろうと喋るな!!」


 はい、という声が室内に響き渡った。



 7月10日午前8時。雨が降り続いている。

 三回目の捜査会議が行われた。


「司法解剖の結果を報告しろ! 先ずは美穂さんと夏代さんの司法解剖………小野田!」

「はい、美穂さん並びに夏代さんの死因は縊死。更に、昨日の報告通り、亡くなってから木に吊られたのではなく、木の枝からのロープによる首吊りで死亡。又、美穂さん、夏代さん共に性器に裂傷があり、それは生前の裂傷であり、強姦された可能性が強く、しかし膣内には精液はなく、性器周辺からホシのDNAを検出することはできませんが、美穂さん、夏代さんの双方の爪には、他者と思われる皮膚片が発見されております。又、美穂さん、夏代さんは首と性器以外に、痣や擦り傷などは無りません。それとこれは断定はできませんが、美穂さんは男性経験がかなりあった可能性が強いとのことです」


 会議室に沈黙が流れた。中学2年生の女子。女児とは呼べないくらいに身体が成長しているケースは珍しくはない。だが年齢は13歳か14歳だ。そんな女の子の男性経験が頻繁にあったという情報は、酒の席ではゲスな話題として盛り上がる場合もあるが、殺人事件では男女関係の縺れを警察関係者であれば必ず頭に浮かべる。


「続いて、夫の修さんの司法解剖ですが、死因は頭部並びに全身強打による出血性ショック。渓谷橋から転落した際のものと思われます。又、死亡推定時刻は鑑識の見立て通り、7月7日午前4時から8時頃」


 これで夫の修が先に死亡していたことがハッキリした。そして次に死亡した美穂と夏代の死因ーーー地上から3メートルもの高さにある枝で首を吊っていたことからも自殺は考え難く、平成3年の事件のように一家心中という線は消えた。残るは殺人。それも修だけが事故死というのは無理がある。何者かが醍神河修一家を皆殺しにした。


「修さんが他の場所で殺され、そして遺体発見現場に投げ捨てられた可能性は?」

「解剖結果かからは、その可能性は無いとのことです」

「あの渓谷橋からの落下か………渓谷橋の捜査は? …………木村!!」

「はい、渓谷橋はかなりの高さがありますので、下を流れる牛頭馬頭川が増水したとしても橋が流されることは無いのですが………現在も降り続いてる雨により、橋の上がまるで川のようになり………危険でもありますので一般車両の通行は禁止して捜査を進めておりますが、血痕すら見つかっておりません」


 橋の上に何らかの証拠が残されていたとしても流されてしまったということだ。せめて雨が止んでくれさえすれば、僅かな血痕でもルミネール試薬に反応する。だが橋が川のようになっているのであれば、現段階ではそれも使えない。


「関係者全員を当たれ!! 死亡した修さんの女性関係、妻の夏代さんの男関係、それと娘の美穂さんと肉体関係を持った者を探し出せ。又、今も旧牛頭馬頭村に住む全員のアリバイ、青山町の住人で最近旧牛頭馬頭村に行った者。それに………旧牛頭馬頭村には防犯カメラなど無いし商店すらない。青山町からはあの渓谷橋を渡らなければ行けない。渓谷橋に近いところにある青山町の防犯カメラ映像。それと、宅配業者、郵便配達、新聞配達、電気やガスのメーター確認をしている者、全てを当たれ。………業者は車を使っていたはずだ。その車のドライブレコーダー映像。…………ん?そういえば旧牛頭馬頭村を担当している駐在を呼んだはずだ。誰だ!! 人間関係などに詳しいはずだ」

「はっ、鬼頭巡査長でありますが…………」

「来てないのか?………鬼頭巡査長? ………若いのか?」

「………確か……36~37だったと……独身ですが真面目で実直な男なのですが………なかなか巡査部長試験に合格できずに……」


 会議室の全員が周りを見渡すが鬼頭巡査長の姿はない。すると後方の席に座っていた一人の制服警官が、


「鬼頭巡査長は、この捜査会議に来る途中、管理官に呼ばれ……」


 すると管理官が説明を始めた。


「今日は私もかなり速い時間に来ており、そこで一人の制服警官が、今日の捜査会議に呼ばれた鬼頭巡査長です、と挨拶してきましたので、そこで彼の知っていることを私が聞き、彼は現場に戻した次第です。ここの警察署はそれほど規模が大きくはない。それ故に、ひとたび殺人事件が起きれば人員のやりくりがつき難いのは、教わらずとも分かりますーーーー」


 鬼頭巡査長は、青山町にある駐在の中で最も旧牛頭馬頭村に近い場所にある住居兼交番の駐在勤務だ。それ故、最初の遺体が発見されてからというものは、パトロール回数を増やし、地取り捜査に専念していた。又、捜査本部が設置されたこの所轄警察署は、管理官が言った通り、規模がさほど大きな警察署ではないのに管轄区域が広いという、田舎特有の所轄のため、重大事件が起きるとーーーめったに起きはしないがーーー起きれば人員のやりくりが極めて大変なのだ。それを考慮した管理官の措置だった。それについて何も言わなかった刑事課長だが、納得がいかなかった。どういうことだ? まるで鬼頭巡査長を俺に会わせたくないかのようだ。県警本部はこの事件のナニかを予め掴んでいて、それを表沙汰にしないように……


 鬼頭巡査長から話を聞いた管理官の説明は続いていた。

 今も旧牛頭馬頭村に住む3軒・4人の醍神河は、自ら青山町に出向くことは年に数回で、生活に必要な物の大半は電話で注文し、配達をしてもらっており、鬼頭巡査長の知る限りにおいては青山町の住人と個人的な付き合いすらない。唯一あるのが青山町の中学校に通っていた美穂だけだと言い、その母親の夏代は、こちらに越してきてからは野菜作りに目覚めたのか、娘の送り迎え以外は、自宅の前に作った畑で精を出し続け、父親の修にいったては、絶えず家の中で絵を描いていたのか、鬼頭巡査長でさえ、修がどこかに出かける姿を見かけるのは稀だという。そんな修・夏代夫婦のどちらかが不倫をしているのは考え難いというのが鬼頭巡査長の説明を受けた管理官の報告だったが、刑事課長はじっと管理官の横顔を見ていた。


 刑事課長は美穂の担任を呼んだ。自分が学校まで出向こうかとも考えたが、学校関係者がいないところで話をしたかった。それに自分一人でーーー管理官を入れずに担任と会いたかった。

 担任の田所晃、42歳だというがもっと若く見えた。刑事課長は現れた田所晃を前にして、いきなり本題に入った。


「死亡した醍神河美穂さんは、男関係が激しかったようですね」

「えっ………」


 予想通りの反応だ。警察は全てを知っていると勝手に思えばいい。俺はもう喋らんぞ。お前が何かを言い出すのを待ってやる。田所は視線を彷徨わせ、明らかに動揺している。そんな田所を刑事課長はただ黙って見ていた。


「ちっ、違う……僕はやってない」


 ようやっとそれだけを言った田所だが、それでも刑事課長は何も言わない。


「あいつから誘ってきたんだ! 放課後……誰も居ない教室に僕を呼び出し……見てる前で自分のスカートを捲り上げたんだ。………なにも穿いてなかった。そして……そこに指を這わせながら………ニヤニヤ笑いながら言ったんだ。先生の奥さんってブスだね。あんなのとヤってんだ、可哀そうに。私とヤりたいんでしょ、正直に言えば考えてあげるって…………だけど僕はヤってない。僕は教師だ! 生徒とそんなふしだらなことは断じて出来ない!!」


 そう言って立ち上がった。


「先生………あんた、脅されてたんだろ? そこまでやった女が黙って引き下がるわけがない」

「ちっ、違う! …………いや……確かにアイツは脅してきた。誰もいない教室で無理やり裸にされたと叫んでやると言い始めたんだ。だけど僕は、アイツを最初に見た時から感じてた。歩き方とか………それに男を見る目付きが中学生のソレじゃないって。だからアイツに呼び出された時からおかしいと思って、全部録音してた」


 そう言った田所はポケットからスマホを取り出し、録音されていた音声を刑事課長に聞かせた。その内容は田所の説明以上だった。美穂は担任である田所の股間を触りながら、こんなに大きくして、と笑いながら言い、更には、自分の性器を広げて見せているようなやり取りまである。


「ぼっ、僕だって男です。だっ、だから……あんなのを見せられたら……そりゃ~勃起だってしますよ。それが正常ってもんでしょ! ええ? 違いますか、刑事さん!! 中学生っていったって身体は大人と変わらないんだ! だっ、だけど僕は触ってさえいない! 誓ってなにもしてない! 信じてくれますよね? だっ、だから………学校や家族には……」

「この録音、美穂の両親には?」

「え? ……………言えてません。何度も言おうとしましたよ。でも、きっと信じてくれない。録音を聞かせても、これは娘の声じゃないって言い出すんじゃないかと………」

「他の……例えば男子生徒とか、他の先生と男女の関係になったような噂は?」

「男子生徒は大勢いると思いますよ………アイツとセックスした生徒が」



 そこで刑事課長は考え込んでしまった。未成年の、それも中学生を警察が呼び出し、事情聴取などできるのか? 証拠でもない限りはムリだ。


「関係を持った生徒は………先生の想像でかまいませんが、どれくらい居ると………」

「二桁はいるでしょうね」

「先生、最後に聞きますが、7月7日の朝4時頃から8時頃まで、それと同じ日の18時から22時頃まで、どこで何をしてました?」

「アリバイですか………」


 田所は7日のことを明確に覚えているわけではないが、雨が降り続き、自宅と学校の往復以外は何処にも行っていないのは間違いないと言い、自宅にいたことを証明してくれるのは家族しかいないとも言った。



 刑事課長は、管理官には田所から聞かされた内容の全てを話し、この情報は捜査会議の場で共有すべきかと相談を持ちかけた。ーーー管理官がどういった反応をするか知りたい。


「………ふぅ………被害者が実は凄まじい女の子だったということですか。肉体関係を持った生徒が僅か3ケ月で二桁。ホシを示す手掛かりが無いところにもってきて、容疑者が一気に増えますね。…………この情報をどう扱うか、刑事課長は決めているのでしょう?」


 意外なくらい、こうすべきだという考えを示さなかった。



 7月10日午後7時。

 四回目の捜査会議が行われた。相変わらず雨は降っている。


 新たな情報はなく、捜査に携わる全ての者が継続操作ーーー地道な捜査を続けるしかないのが確認された。そして最後に刑事課長が言った。


「被害者である中学二年生の醍神河美穂さんに関する新たな情報がある。通っていた中学校で美穂さんと肉体関係のあった男子生徒が………かなりいる!! 生活安全課から情報を貰え!! 補導歴のある少年・少女であれば何か知ってるはずだ。それと組織犯罪対策課からも同様だ。もしかしたら売春もやっていたかもしれない。だとするとヤクザ、チンピラの情報網に引っかかってる。併せて言うが………不良でもない真面目な中学生が殺人など起こすはずがないといった先入観は捨てろ!! 13歳、14歳の男の子が、初めて抱いた女に執着し、その女が他の男にも抱かれていると知ったら………容疑者は多数に上る!! 全員のアリバイを徹底的に洗え!! あの中学校の教師全部も容疑者だからな! 女教師であろうと三角関係の末ってことも考えられる!!」


 その日の20時過ぎだ。刑事課長の携帯電話に着信があった。出ると藤堂という名の馴染みの新聞記者だ。既に60歳は超えているが嘱託として記者を続けている。


「………ちょっと聞いて欲しい話があるんです。時間取れますか?」


 口調から自分と二人っきりで話がしたい雰囲気が窺え、刑事課長は行きつけの居酒屋を指定した。カウンターしかなく女将が一人でやっている居酒屋で、警察関係者も記者も来ない小さな店だ。だが今日は飲むことなどできはしない。


「刑事課長はご存じですか?」


 藤堂はビール、刑事課長はジュースだが、それが入ったグラスを軽くぶつけ合うと藤堂が切り出した。当然、いまのヤマに関係していることだろうが、妙に勿体ぶった言い方だ。



「………知ってるって……何のことです?」

「昔話です。それも大昔の………青山町に住む或る老人から、私がまだ若い時分に聞かされた話しなんですが………その老人はもう亡くなってますが、妙に忘れられない話でしてね………」


 刑事課長は黙って話の続きを待った。


「童謡や童話の類には、実は子供に聞かせるにはキツイ内容が含まさっているというのはご存じですよね? 例えば、かごめかごめ、なんてのはその最たるものでしょうが、てるてる坊主の歌、あの歌の三番の最後が、首をチョン切るぞ、で終わり、要は、まだ雨が降り続くようなら殺してやる、と言う意味ですが、そもそもてるてる坊主は雨乞いのための道具だったという説があるんです。そんな昔話を聞いたことありますか? ………私はありませんでした」


 てるてる坊主が雨乞いの道具? そんな話は初めて聞いた。だが、雨を止ませるための人形というのも、よく考えればおかしい。雨乞いの方が願いとしては、強い。それに、不浄な場所に吊るしてはいけない、顔を書くのは願いが叶った後だ、使い終わっても乱暴に捨てるな、と死んだ婆さんに言われたような気がする。そんな手順を必要とするくらい雨を止ませなければならないってのは、いったいどんな場合だ? 考え難い。それが雨乞いの道具なら………あの歌の最後の、首をチョン切るにしても、雨が降るのを命がけで待っている者の歌だとした方が……


 刑事課長は藤堂の話しに夢中になっていた。


「ーーー雨が何か月も降らなかったそうです。畑はひび割れ、作物は全てが枯れ、それどころか川も池も干上がり、魚も死に絶え、飲み水すらない。村の家々の軒には、てるてる坊主がぶら下がり続けた。それでも雨は降らなかった。村人は遠くの村に住んでいるという女祈祷師を訊ね、頼み込んだ。雨乞いの祈祷をと。女祈祷師は自分が住む村から遠く離れた村人の頼みではあったが、快く引き受け、その村に来て、毎日、毎日、炎天下の中、自分の喉の渇きを訴えることもなく、踊り続け、天に祈りを捧げ続けた。それでも雨粒一つ降らなかったそうです。村人は許さなかった。雨が降らないのは女祈祷師のせいにされ、てるてる坊主は人形よりも人間の方が利く、と誰かが言い出したそうです。女祈祷師は村の広場に連れ出され、着ているもの全てを剥ぎ取られ、何人もの男に犯され続けた。その様子を村の女どもは薄ら笑いを浮かべながら見ていたそうです。そして地面に突っ伏している裸の女祈祷師の頭に白い布袋が被せられ、首に縄が掛けられ、大きな木の枝から吊るされた。しかし女祈祷師は直ぐには死ななかった。枝に吊るされたまま、この地とお前達全てを呪ってやると三日三晩言い続け、ようやっと息絶えたそうです」

「その村が牛頭馬頭村だというのか?」

「わかりません。ただ牛頭馬頭村にはその言い伝えがあり、今でもてるてる坊主を作ってはならない、吊るしてはならないという掟があり、その掟は守られ続けていると、その老人は私に言いました」


 嫌な予感に襲われた刑事課長は、女将にグラスを貰うとビールを注ぎ、一気に飲み干した。殺された醍神河美穂の部屋の捜査にあたった刑事が言っていたのだ。てるてる坊主が何体も窓にぶら下がっていて、文化委員をやっていたらしいから遠足を楽しみにしていたのだろう、と。


「醍神河家は、牛頭馬頭村ではどういう存在なんだ?」

「まだ牛頭馬頭村に他の苗字の者が住んでいたいた頃から、醍神河家……五醍家は村の有力者だったそうです」

「…………ぬぅぅぅ………その言い伝えでは………五醍家はどっちの子孫なんだ?」


 藤堂は、刑事課長のグラス、そして自分のグラスにビールを注いでから答えた。


「………五醍家が、吊るされた女祈祷師の子孫なのか、当時の村の有力者の子孫なのか、それは醍神河家の者なら伝え聞いてるのかもしれませんが、それ以外の者では………」


 藤堂に古い言い伝えを教えてくれた老人でも分からなかったようだ。


「青山町ではどうなんだ? 醍神河家のことをどのように思ってる?」

「古くから青山町に住む者なら薄々は気づいてます。ただ、口に出す者はいません。まだ暴対法が厳しくない時代………あの法律が強化されたは、確か平成も20年を過ぎた頃でしたよね? それ以前であれば青山町にも暴力団の構成員が肩で風を切ってました。そんなヤツらでさえ五醍家には関わらないようにしてましたからね。私も若い頃に聞いた事があります。あいつら……五醍家の人間のことですが、何人ヤってるか分ったもんじゃないと、それだけしか言いませんでしたが、とにかく当時のヤクザでも関わりたくない様子で、それ以上の事は口をつぐんでましたから、一般の人でも古くから青山町に住んでいる人であれば、五醍家がまともな人間じゃないと思ってますよ」


 刑事課長は女将に瓶ビールを2本注文し、それをそれぞれのグラスに注いでから、意を決したように言った。


「藤堂さん、あんたの意見を……率直に聞かせてくれ」

「ええ……わかりました」

「醍神河修一家を皆殺しにしたのは、残る3軒の醍神河家の連中だと思うか?」

「間違いないでしょう」


 藤堂は、それがさも当たり前だというように言い切った。


「しっ、しかし……醍神河修にしても、娘の美穂だって、五醍家の直系だ。それなのに……」

「そこらへんは、あいつらなりの優先順位みたいなものがあるんじゃないんですか? ただ、今まで牛頭馬頭村を捨てた醍神河家の人間の中には、自分の両親がとんでもないことをヤっていると知って逃げた者もいるでしょうが、ただ単純に都会に憧れ、こんな田舎暮らしは嫌だと出て行った者も多いはず。おそらくは、戻ってきた醍神河修もその一人でしょうが、そういう者は、おそらくは知らない」




 7月11日、午前8時に行われる予定だった捜査会議は中止となった。雨は更に強く降っていた。


 旧牛頭馬頭村に住む全員のアリバイ調査、醍神河修宅の捜査、夏代と美穂がぶら下がっていた巨木周辺の捜査など、多くの捜査員が日が昇るのを待って渓谷橋を渡った。そして彼らが見たモノは、住人4人の惨殺死体と、一人の警官の死体だ。その警官は、鬼頭巡査長だった。



 鬼頭巡査長の履歴書、戸籍謄本、住民票、そして現在までの上司による評価票すべてに目を通している刑事課長と管理官の二人。


「鬼頭は施設で育ったのか…………両親は幼い時に亡くなってるらしい………それにしても何故だ! 動機が解らん!! なにか怨みがあったのなら、なぜ今なんだ! 旧牛頭馬頭村を担当する駐在勤務になってから既に4年が過ぎてる。ヤるんならもっと前にいくらでも出来たはずだ!!」


 立ち上がってそう怒鳴った刑事課長。その刑事課長に管理官が言った。


「今だからでは?」

「………それはどういう意味です?」

「もっと前ならヤる必要がなかった。というか迷っていた。だが最近になって何かがあった」

「それは……神原修一家の殺人」

「ええ、そうとしか思えませんね。ところで鬼頭は独身でしたね。付き合っていた女は?」



 婦警の何人かに当たると直ぐに分かった。北村沙織巡査、25歳が数年前から鬼頭巡査長と付き合っていた。刑事課長は取調室に北村沙織を呼んだ。



「北村巡査であります。なにか御用でしょうか」



 刑事課長の前に立たったのは、背は小さいが目付が鋭く、姿勢の良い婦警だ。これは剣道の有段者だな。そしてこいつは恋人である鬼頭の死を知っている。抜き身のようにギラついた殺気を隠そうともしていない。今にも刑事課長である俺に切り掛かってきそうだ。


「北村巡査、鬼頭巡査長とは男と女か?」

「…………え?」


 意表を突かれたのだろう、ふっと殺気が緩んだ。


「鬼頭とセックスをしていたのかと聞いたんだ」

「そっ、それは………セクハラであります」

「訴えたいなら後で好きなだけ訴えろ。だが今は答えろ」

「はい! 鬼頭巡査長とはセックスをする間柄でした。それまでは私は処女であります」

「なら鬼頭はお前には言ったはずだ」



 刑事課長は私に、彼が死んだこと、そして彼の拳銃で4人が殺されていたこと、それらのことを知っているかとは訊ねなかった。そしてそれらのことを当然知っているという前提で、何かを私にに伝えたはずだと言ってきた。この人に誤魔化しは通用しない。


「タミがリーダーです。醍神河タミ。あの女が旧牛頭馬頭村を仕切ってました。そして青山町の有力者でもタミには逆らえません。醍神河家では女が生まれ難いのですが、生れた女は必ず狂います。幼い頃から男なしにはいられないのが醍神河家の女です。タミは若い頃から青山町の有力者全員とネンゴロです。それは殺された美穂も同じです。パトロールで牛頭馬頭村に行った彼は美穂の部屋の窓にてるてる坊主が何体もぶら下がってるのを見て驚き、そして美穂に強く忠告しました。直ぐに処分して、こんなモノは二度と作るなと。しかし美穂は笑いながら裸になり、抱き着いてきた」


 立ったままでそう言った。止らなかった。口が勝手に喋り、私の目から涙が溢れた。刑事課長は椅子に座ったまま、私に座るよう促すこともなく、そして問われたこととは関係のないような話しをしたのに、何も言わずに私をじっと見てる。だから私も見返した。


「刑事課長殿はご存じですか?」


 私は気づけば再び喋っていた。だが刑事課長は私にそう言われても口を開こうとはしない。だから私は喋り続けた。


「牛頭馬頭村では雨を止ませる為のおまじないは固く禁じられてます。てるてる坊主も絶対にやってはいけないもの。そう信じて、その掟を強引に守らせ続けていたのが、五醍家。5軒の醍神河家のことです。平成3年に起きた事件。私が生まれる前の事件ですが、その事件も、今回の事件も、全部が醍神河家の仕業です。てるてる坊主があったからです。たったそれだけの理由で…………青山町に古くから住む人たちは、それら全てがを五醍家の連中がやったと薄々気づいています。気付いてますが、口に出す者はいない。だから彼がやったんです! 全部を終わらせるために彼が殺しました。彼は………彼は、平成3年に起きた事件の生き残りです!!」


 そう怒鳴った北村巡査は懐から封筒を取り出すと、刑事課長の前の机に叩きつけた。退職届。



 醍神河夏代と美穂の爪からは複数人の皮膚片が採取されており、その皮膚片はDNA判定により、金次郎とフネ、それとタミと権蔵の、いずれも醍神河家の人間だと判明した。又、タミの家から発見されたスリコギ棒には血痕があり、その血痕は夏代と美穂のものだと判明した。恐らく金次郎と権蔵では夏代と美穂を犯すことが出来ず、それでタミがスリコギ棒を使用したのだろう。


 醍神河夏代と美穂の殺人事件は被疑者死亡のまま送検されたが動機は明確になっていない。だが醍神河修については殺人を示す証拠が見つからず、継続捜査が続いた。そして金次郎、フネ、タミ、権蔵の4人を殺した鬼頭巡査長も、被疑者死亡のまま送検されたが、動機は不明のままだ。

 捜査本部は一気に縮小され、県警からの捜査員は管理官を含め、全員が県警本部に戻った。

 所轄の刑事課長は調べていた。それで分ったことがあった。

 鬼頭巡査長は間違いなく平成3年に惨殺された醍神河家の唯一の生き残りだ。当時5歳だった彼は青山町にある幼稚園のお泊り会で難を逃れ、そのまま保護されたのだ。そして保護した施設では、醍神河という姓は汚らしいと、母親の姓である鬼頭を名乗れるよう尽力したのだ。又、醍神河タミという女は、生れた時から醍神河タミだ。要は他家から嫁いできたのではなく、村の男を婿養子を迎えていた。そして、これは民事事件にもなっていないが、タミによって離婚となった夫婦が青山町には何組もあり、そのいずれもが、町長や学校長、そして有力企業の社長など、町の有力者ばかりで、中には暴力団関係者もいた。そして平成3年に一家心中として処理された醍神河家の娘は、まだ小学6年生だったが、タミ顔負けの女だった。



 数カ月が経った。

 鬼頭巡査長に殺された醍神河という姓を持つ4人。その4人の遺体の引き取りては現れなかった。そこで刑事課長は旧牛頭馬頭村には、寺も神社も、そして墓すらないのを初めて知った。

 そして醍神河修殺人事件の捜査本部が解散され、お宮入りが濃厚となった頃に、県警の管理官ーーーあの事件で捜査本部に加わった管理官が一身上の都合で退職したという噂を聞いた。キャリア組なのに……


 翌年、刑事課長は県警本部に異動となった。そこで例の管理官のことを聞いた。彼の名は水神昇なのだが、実家を継ぐ決心をしたという。その実家というのが神職で、あの年齢で?! と驚いたが、その神社は古くからある神社らしく、場所は、旧牛頭馬頭村とは山を挟んで反対側にあるらしい。

 姓に「水」と「神」が付く、そして旧牛頭馬頭村からそう遠くない。刑事課長はそれ以上詮索するのを止めた。


 そしてその年に、青山町と旧牛頭馬頭村を繋ぐ橋が取り壊された。

 誰一人住んでいない旧牛頭馬頭村。そして旧牛頭馬頭村に繋がる道はドン詰りで、山を越える道は獣道しかない。だが遠い所に暮らしているだろう醍神河の子孫はまだいるはずだ。それでも青山町は橋の取り壊しを決め、誰の反対もなく実施された。

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