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22/25

最低最悪な告白

 焼肉を食べ終えて、二人きりの文化祭打ち上げに幕を下ろした俺は、海に手をしっかり握られて、海の家の方向に連れて行かれた。


 雨はすっかりやんでいた。


……これ、まさか、一夜を共にする流れじゃないか?


(俺の初めてが海に奪われて……いや、そんなわけないか)


 俺と海は、そういう関係ではないけれど、どうしても期待してしまう気持ちがある。


 しかし、俺の高まる期待とは裏腹に、海は俺の手を引いてアパートを通り過ぎる。


「え、海の家は、こっちじゃないよね……」


「私の秘密の場所を教えてあげる」


 いつの間にか、雑木林の中の獣道みたいなところを歩いていた。


 落ち葉を、ザッザと踏みしめながら、海について行く。


 俺が連れられたのは、海の家であるアパートの裏にある山の崖の上だった。


「じゃーん、私が小学生の頃からお気に入りの場所」


「おお……!」


「きれいでしょ、ここ。春になるとピンク色の桜が咲いて、夏になると緑に囲まれて虫の鳴く声が聞こえて、秋になるとこうやって紅葉が見られて、冬になると葉っぱが全部落ちて寂しい感じになるんだよ」


「最高じゃん、徒歩で行ける場所に、こんな絶景があるなんて!」


 白い三日月が良く見える場所だった。


 崖の下に広がる広大な雑木林を臨み、地面に落ち始めた紅葉で赤やオレンジ色に木々が染まっていた。


「文化祭みたいな、ワイワイ賑やかなところもいいけど、私は、こういう自然に囲まれた静かなところが一番好きだな」


 海は、切り立った崖の上に座った。


 ズボンが汚れることも気にせず、地べたに座って、空を見上げた。


「きれいだね、お月様」


「……う、うん」


 どっちの意味なんだろう。


 単に霞む三日月が綺麗だと言っただけなのか。


 それとも、俺のこと好きだよという隠されたメッセージか……


 いずれにせよ、ロマンティックで落ち着いた雰囲気があった。


 勝手に胸をドキドキさせている俺を他所に、海は、崖の縁に立った。


 俺が「危ないよ」と言う前に、海は俺のほうに振り向いて、黒い瞳を丸っこく見開いた。



「――ここから飛び降りよう」



 海は、崖の下を指さしていた。


 え、何を言っているんだ……?


 こんなに高いところから飛び降りたら、大けがどころか、命を落とすだろう。


「え……?」


 俺は、海が冗談を言っているのかと思った。


 いや、冗談だったとしても、シャレにならない。


 けれど、海は崖っぷちに立って、そこから動こうとしない。


「え、まさか、死にたいってこと……?」


「うん。今死にたい」


 彼女の心を追い込んだ出来事の記憶を遡った。


 まさか、清水さんからの嫌がらせが原因か……?


 海は「あの人、ウザい」「マジでぶん殴ってやろうかと思ったもん」と言っていた。


 清水さんに悪口を言われて、清水さんからヘイトを向けられ、からかわれ、意地悪されたから、死にたいと思い至ったのだろうか・


「う、海……そんなに清水さんからの言葉に傷ついてたの?」


「そういうことじゃないよ。あの女にいろいろ言われて、たしかに傷ついたけど、別に、それで死にたいと思ったことはないよ」


 海は、首を横に振った。


 そして「全ての人を好きになるとか、全ての人に好かれる必要はないからね」と格言っぽいことを言った。


 海の黒い髪に、白い満月の光が清流のように流れていた。


「じゃあ、なんで……」


「文化祭、何気に楽しかったし、メイド衣装褒めてもらえたし、空音と陸とお店回るの楽しかったし、陸と相合傘して、陸と焼肉行って……今日は、めっちゃ楽しかったから、最期の日にするにはぴったりだと思ったの」


「え……」


 海は、本当に飛び降りようとしている。


 いつもの冗談っぽい空気じゃない。


 海の黒い髪が風に揺れた。


 海の体に吹き付ける風が、海をあの世に誘っているように感じて怖くなった。


「だってさ、生きてても嫌なこととか不安なことのほうが多いじゃん」


「……」


 止めるべきだ。


 でも、海を引き留める言葉が思いつかない。


「生きるのめんどくさいし、コスパ悪いし、もう全部投げ出したいなって思ったの。この楽しい気持ちのまま、ね」


 海を助けたいと思う。死ぬなんてやめてと言いたい。


 でも、海を止めるのは、海の「死にたい」という気持ちを反故にする気がして、気が引ける。


(いや、崖の前に立って死ぬなんて言ってる人を見過ごすのは、人としてどうなんだ?しかも、俺の好きな人だぞ……そんなの、最低だって……)


 ダメだ、海が死ぬのなんて、絶対に嫌だ!


 落ち着けよ、古谷陸。


 海を傷つけないように、言葉を選んで、海に寄り添うんだ。


 今、海のことを助けられるのは、お前しかいない……


「陸は、死にたいって思ったことある?」


「……あるよ」


「え、あるんだ。なんか、陸って勉強も家事もできるから、そんなことないと思ってた」


「俺だって、死んで、全部終わりにしたいって思ったことあるよ。でもさ、死ぬのも怖いじゃん……」


「まあ、確かに」


 海は共感してくれた。


 いつものように落ち着いて会話しているけど、俺は泣きそうだった。


(はぁ……落ち着け、俺)


 言葉一つ間違えたら海が飛び降りるかもしれない。


 そんなプレッシャーに、弱く脆い俺が耐えられるわけない。


「痛くて苦しむかもしれないし、これからラッキーなことがあるかもしれないし、これまで積み重ねてきた信頼とか、勉強とか、努力とか、貯金とか、経験とか……全部無意味になるじゃん……それが怖くて、なんだかんだ生きてる……」


「そっか。陸が来てくれないなら、私だけで死ぬから」


「ま、待って!」


 海は、崖の縁に座って、脚をぶらぶらさせている。


 海は、俺に振り向いて、笑った。


 海は、ボロボロと涙を流していた。


 海は、座ったままで、崖から飛び降りようとしなかった。


「俺に止めてほしかったんでしょ!」


「……」


 海は涙を流すばっかりで、何も言ってくれなかった。


「本気で死にたいなら、すぐに崖に走って飛び出すことだってできたよね?」


「あ……うん」


「めんどくさいよ、海のそういうところ!!本当に、めんどくさい!」


 俺は初めて、海に怒鳴った。


 声帯が千切れるかもしれないぐらい、声を張った。


 喉が痛い。


「言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれなきゃ分からないよ!泣いてたって、俺には分かんないよ!俺に止めてほしいなら、止めてって言ってよ!心を開いてほしいと思ってたなら、そう言ってよ!」


「ご、めん……陸」


「言葉にしてくれなかったら、何にも伝わんないって!海っ!!」


 俺は、海の左手を握った。


 その手を、思いっきり引っ張る。


 海は、崖から離れて、地面に膝を突いて顔を伏せ、泣いていた。


 俺の目尻から流れる涙も、どうしても止まらなかった。


「ごめん、ごめん、陸……私、陸みたいに正直になれない……ごめん、怒らないで」


「怒るよ!海が死ぬのなんか、絶対に嫌だよ!!」


 俺は、顔を地面に伏せる海の左手をずっと握っていた。


 小学生の頃、人として生きている価値がないと思っていた海のことを、今は、必死に助けようと叫んでいる。


 俺は、以前は海のことが大嫌いだった。


 でも今は、嫌いじゃなくなった。


 むしろ、彼女のことをもっと知りたい、彼女に寄り添いたいと、心の底で求めていた。


 今は、海のことがちょっと【好き】だった。


 だからこそ、海が自分で飛び降りるところなんて、見たくなかった。


「絶対絶対、嫌だよ……だって、俺、海ともっといろんなところに出かけたいし、海とゲームしたり、話したり、遊んだりしたいから……」


「……私も、陸と一緒に遊びたい。水族館行きたいなって思ってたよ……」


「じゃあ、死ぬのはもうちょっと待ってよ!いや、【俺のため】死なないでよ!」


 海は何度も何度も「ごめん……」と言って、俺の右手を抱きしめて顔を伏せていた。


「――いざとなったら死ねばいい。別に、その考えでも、いいと思うよ」


 考えは否定しないけれど、死ぬのはやめてほしい。


 そんな微妙なニュアンスを含ませて、海に枯れた声で伝えた。


「将来は不安で、未来は先行きが見えないかもしれないけど……生きられるところまで生きてみようよ、俺と一緒に」


「わかった……」


 海は、砂だらけになった顔を上げた。


 前髪が涙で濡れていて、白い月の光に照らされて少し光り輝いていた。


 海の目元から、最後の涙の一滴が流れ落ちて、硬い地面を打った。


「帰ろう、海。こんなところにいたら、風邪ひくから」


「うん……」


「俺のカーディガン貸してあげる」


「ありがとう、ありがとう……ごめんね」


「いいよ。遠慮しないで」


 羽織っていたカーディガンを海に着せてあげた。


 そのとき、俺と海は、友達とか、家族とか、恋人とか……そういう枠を飛び越えた、言葉で表せない特別な関係になった気がする。


「陸」


「なに?」


 白い月の光の下に、海の笑みが浮かび上がった。


「……大好き」


「最悪な告白だね。遠回りで、ほんとうにめんどくさいよ、海」


「……ごめんね」


「俺も、海のこと好きになったよ。今日一日を振り返ってみて」


「ありがとう……本当に、ありがとう、陸」



 困ったな。


 俺は、海から【死にたいぐらい】愛されてしまっている。


 海の重すぎる気持ちを受け止められるぐらい、俺は強い男じゃないんだけど……


 困った、本当に。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます!


次回からは、海、陸、空音の過去に迫るお話です。


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