最低最悪な告白
焼肉を食べ終えて、二人きりの文化祭打ち上げに幕を下ろした俺は、海に手をしっかり握られて、海の家の方向に連れて行かれた。
雨はすっかりやんでいた。
……これ、まさか、一夜を共にする流れじゃないか?
(俺の初めてが海に奪われて……いや、そんなわけないか)
俺と海は、そういう関係ではないけれど、どうしても期待してしまう気持ちがある。
しかし、俺の高まる期待とは裏腹に、海は俺の手を引いてアパートを通り過ぎる。
「え、海の家は、こっちじゃないよね……」
「私の秘密の場所を教えてあげる」
いつの間にか、雑木林の中の獣道みたいなところを歩いていた。
落ち葉を、ザッザと踏みしめながら、海について行く。
俺が連れられたのは、海の家であるアパートの裏にある山の崖の上だった。
「じゃーん、私が小学生の頃からお気に入りの場所」
「おお……!」
「きれいでしょ、ここ。春になるとピンク色の桜が咲いて、夏になると緑に囲まれて虫の鳴く声が聞こえて、秋になるとこうやって紅葉が見られて、冬になると葉っぱが全部落ちて寂しい感じになるんだよ」
「最高じゃん、徒歩で行ける場所に、こんな絶景があるなんて!」
白い三日月が良く見える場所だった。
崖の下に広がる広大な雑木林を臨み、地面に落ち始めた紅葉で赤やオレンジ色に木々が染まっていた。
「文化祭みたいな、ワイワイ賑やかなところもいいけど、私は、こういう自然に囲まれた静かなところが一番好きだな」
海は、切り立った崖の上に座った。
ズボンが汚れることも気にせず、地べたに座って、空を見上げた。
「きれいだね、お月様」
「……う、うん」
どっちの意味なんだろう。
単に霞む三日月が綺麗だと言っただけなのか。
それとも、俺のこと好きだよという隠されたメッセージか……
いずれにせよ、ロマンティックで落ち着いた雰囲気があった。
勝手に胸をドキドキさせている俺を他所に、海は、崖の縁に立った。
俺が「危ないよ」と言う前に、海は俺のほうに振り向いて、黒い瞳を丸っこく見開いた。
「――ここから飛び降りよう」
海は、崖の下を指さしていた。
え、何を言っているんだ……?
こんなに高いところから飛び降りたら、大けがどころか、命を落とすだろう。
「え……?」
俺は、海が冗談を言っているのかと思った。
いや、冗談だったとしても、シャレにならない。
けれど、海は崖っぷちに立って、そこから動こうとしない。
「え、まさか、死にたいってこと……?」
「うん。今死にたい」
彼女の心を追い込んだ出来事の記憶を遡った。
まさか、清水さんからの嫌がらせが原因か……?
海は「あの人、ウザい」「マジでぶん殴ってやろうかと思ったもん」と言っていた。
清水さんに悪口を言われて、清水さんからヘイトを向けられ、からかわれ、意地悪されたから、死にたいと思い至ったのだろうか・
「う、海……そんなに清水さんからの言葉に傷ついてたの?」
「そういうことじゃないよ。あの女にいろいろ言われて、たしかに傷ついたけど、別に、それで死にたいと思ったことはないよ」
海は、首を横に振った。
そして「全ての人を好きになるとか、全ての人に好かれる必要はないからね」と格言っぽいことを言った。
海の黒い髪に、白い満月の光が清流のように流れていた。
「じゃあ、なんで……」
「文化祭、何気に楽しかったし、メイド衣装褒めてもらえたし、空音と陸とお店回るの楽しかったし、陸と相合傘して、陸と焼肉行って……今日は、めっちゃ楽しかったから、最期の日にするにはぴったりだと思ったの」
「え……」
海は、本当に飛び降りようとしている。
いつもの冗談っぽい空気じゃない。
海の黒い髪が風に揺れた。
海の体に吹き付ける風が、海をあの世に誘っているように感じて怖くなった。
「だってさ、生きてても嫌なこととか不安なことのほうが多いじゃん」
「……」
止めるべきだ。
でも、海を引き留める言葉が思いつかない。
「生きるのめんどくさいし、コスパ悪いし、もう全部投げ出したいなって思ったの。この楽しい気持ちのまま、ね」
海を助けたいと思う。死ぬなんてやめてと言いたい。
でも、海を止めるのは、海の「死にたい」という気持ちを反故にする気がして、気が引ける。
(いや、崖の前に立って死ぬなんて言ってる人を見過ごすのは、人としてどうなんだ?しかも、俺の好きな人だぞ……そんなの、最低だって……)
ダメだ、海が死ぬのなんて、絶対に嫌だ!
落ち着けよ、古谷陸。
海を傷つけないように、言葉を選んで、海に寄り添うんだ。
今、海のことを助けられるのは、お前しかいない……
「陸は、死にたいって思ったことある?」
「……あるよ」
「え、あるんだ。なんか、陸って勉強も家事もできるから、そんなことないと思ってた」
「俺だって、死んで、全部終わりにしたいって思ったことあるよ。でもさ、死ぬのも怖いじゃん……」
「まあ、確かに」
海は共感してくれた。
いつものように落ち着いて会話しているけど、俺は泣きそうだった。
(はぁ……落ち着け、俺)
言葉一つ間違えたら海が飛び降りるかもしれない。
そんなプレッシャーに、弱く脆い俺が耐えられるわけない。
「痛くて苦しむかもしれないし、これからラッキーなことがあるかもしれないし、これまで積み重ねてきた信頼とか、勉強とか、努力とか、貯金とか、経験とか……全部無意味になるじゃん……それが怖くて、なんだかんだ生きてる……」
「そっか。陸が来てくれないなら、私だけで死ぬから」
「ま、待って!」
海は、崖の縁に座って、脚をぶらぶらさせている。
海は、俺に振り向いて、笑った。
海は、ボロボロと涙を流していた。
海は、座ったままで、崖から飛び降りようとしなかった。
「俺に止めてほしかったんでしょ!」
「……」
海は涙を流すばっかりで、何も言ってくれなかった。
「本気で死にたいなら、すぐに崖に走って飛び出すことだってできたよね?」
「あ……うん」
「めんどくさいよ、海のそういうところ!!本当に、めんどくさい!」
俺は初めて、海に怒鳴った。
声帯が千切れるかもしれないぐらい、声を張った。
喉が痛い。
「言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれなきゃ分からないよ!泣いてたって、俺には分かんないよ!俺に止めてほしいなら、止めてって言ってよ!心を開いてほしいと思ってたなら、そう言ってよ!」
「ご、めん……陸」
「言葉にしてくれなかったら、何にも伝わんないって!海っ!!」
俺は、海の左手を握った。
その手を、思いっきり引っ張る。
海は、崖から離れて、地面に膝を突いて顔を伏せ、泣いていた。
俺の目尻から流れる涙も、どうしても止まらなかった。
「ごめん、ごめん、陸……私、陸みたいに正直になれない……ごめん、怒らないで」
「怒るよ!海が死ぬのなんか、絶対に嫌だよ!!」
俺は、顔を地面に伏せる海の左手をずっと握っていた。
小学生の頃、人として生きている価値がないと思っていた海のことを、今は、必死に助けようと叫んでいる。
俺は、以前は海のことが大嫌いだった。
でも今は、嫌いじゃなくなった。
むしろ、彼女のことをもっと知りたい、彼女に寄り添いたいと、心の底で求めていた。
今は、海のことがちょっと【好き】だった。
だからこそ、海が自分で飛び降りるところなんて、見たくなかった。
「絶対絶対、嫌だよ……だって、俺、海ともっといろんなところに出かけたいし、海とゲームしたり、話したり、遊んだりしたいから……」
「……私も、陸と一緒に遊びたい。水族館行きたいなって思ってたよ……」
「じゃあ、死ぬのはもうちょっと待ってよ!いや、【俺のため】死なないでよ!」
海は何度も何度も「ごめん……」と言って、俺の右手を抱きしめて顔を伏せていた。
「――いざとなったら死ねばいい。別に、その考えでも、いいと思うよ」
考えは否定しないけれど、死ぬのはやめてほしい。
そんな微妙なニュアンスを含ませて、海に枯れた声で伝えた。
「将来は不安で、未来は先行きが見えないかもしれないけど……生きられるところまで生きてみようよ、俺と一緒に」
「わかった……」
海は、砂だらけになった顔を上げた。
前髪が涙で濡れていて、白い月の光に照らされて少し光り輝いていた。
海の目元から、最後の涙の一滴が流れ落ちて、硬い地面を打った。
「帰ろう、海。こんなところにいたら、風邪ひくから」
「うん……」
「俺のカーディガン貸してあげる」
「ありがとう、ありがとう……ごめんね」
「いいよ。遠慮しないで」
羽織っていたカーディガンを海に着せてあげた。
そのとき、俺と海は、友達とか、家族とか、恋人とか……そういう枠を飛び越えた、言葉で表せない特別な関係になった気がする。
「陸」
「なに?」
白い月の光の下に、海の笑みが浮かび上がった。
「……大好き」
「最悪な告白だね。遠回りで、ほんとうにめんどくさいよ、海」
「……ごめんね」
「俺も、海のこと好きになったよ。今日一日を振り返ってみて」
「ありがとう……本当に、ありがとう、陸」
困ったな。
俺は、海から【死にたいぐらい】愛されてしまっている。
海の重すぎる気持ちを受け止められるぐらい、俺は強い男じゃないんだけど……
困った、本当に。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
次回からは、海、陸、空音の過去に迫るお話です。
よければ作品のフォロー、★評価をください!執筆の励みになります(*'▽')




